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 ヨナがわたしを見つめていた。

 鉄骨みたいにぶっとい魔獣の前腕におなかを貫かれ、黄色い脂肪のひだがうかぶ真っ赤な腸と排泄物の黒い斑点に濁った血液とを股のあいだからぼたぼたとこぼしながらも、眼前には頭にかぶりつこうと顎をぱっくりと開いた魔獣がいるというのに、精一杯に首をひねった彼は、なぜかわたしだけを見ていた。

 本当はわかっていた。灰色の面体のまるい覗き窓のなかでいっぱいに見開かれたその眼差しを、小銃の照準器を介して受け止めながら、わたしは理解している。

 わたしはひどいやつだ。

 彼は楽にして欲しいのだ。わたしに撃ち殺して欲しいのだ。

 でも、そうなると、彼はわたし以上にひどいやつだ。

 一秒後には首から上をきれいにかじられて死ねるというのに、なぜわたしに人殺しの罪を背負わせてまで銃殺を望むのだろうか。

 残されるほうの気持ちを考えもせず自分だけ一瞬でも早く楽になろうとするその性根に、ちょっと腹が立つ。

 弱々しく、言い訳がましく、今際の言葉を述べているのかもしれないけれど、あいにく面体のフィルタ越しでは聞こえないし口許も見えない。

 予断なく、魔獣が顎を閉てきってヨナの頭にかぶりつく。

 懇願の眼差しは一喰いで掻き消えた。

 まるでヨナの顔から生皮を剥いで三倍ぐらいに肥大させてそのうえで首を180度回したみたいに、彼の頭があったところに血塗れの容貌が現れた。

 口いっぱいにヨナの脳みそやらなんやらをくちゃくちゃ頬張る赤黒い顔面に、わたしは弾丸を浴びせかけた。

 ニューマチックライフルの反動と銃声。ぶ厚い防護服越しだと蟻走感に似たそれが銃床をつたって肩から腕に這う。

 六ミリの寸鉄を超音速で注がれてぐちゃぐちゃになって吹き飛ぶ桃色のかたまりのなかに、ちらりとヨナの眼球が見えた。

 飛沫の雨を錐揉みするそれがまだわたしをじっと見つめている気がして、よたよたと後ずさった巨体がどうと斃れ伏しても、わたしはちっちゃなヨナを照準器で捜し求めて撃ち続けた。

 錆色の魔獣の体躯がぴちぴちと裂ける。

 流れ弾が痙攣するヨナの身体に赤い花弁を咲かせる。

 どこだ、どこだ、どこだ。目玉はどこだ。

 誰かが不明瞭に叫んでいる。気が触れたような喚き声。いや、笑っているのかもしれない。それが自分の声だと気づいて、ようやく引鉄から指をはなした。

 我に返って、周囲を見わたす。

 即席の防塁堤では同僚たちが飛翔群放射器で魔獣の群れを押し返そうとしている。轟音をはっして延伸する白煙のさきで魔獣の四肢が千切れ飛ぶ。だが魔獣は凄まじい勢いで床を、壁を、天井を疾駆してなだれこみ、放射器一台では捌ききれない。

 発射音に負けじと懸命にがなる曹長の丸めた背中が見えた。彼の手許にあるコードは周囲の壁に埋めた爆雷へと這っている。

 エントランスへと続くこの通路を爆破して進入を塞ごうとしているのだ。

 後方の隔壁の手前では少佐が拳銃を振り回していた。撤退を進言する同僚たちを脅している。

 どちらも口角に泡をため、目を血走らせるほど喚きあいながも、その視線は交わることなく最前線であるこちらにきょときょとと泳いでいた。

 ついに誰かが少佐を殴り倒した。行きがけの駄賃とばかりに誰かが倒れた少佐の顔面を銃床で潰した。

 援護しろ、どこへ行くんだ。怒鳴る曹長などお構いなしに同僚たちが逃げていく。

 一人、二人、四人、八人。軍隊はチームワークを何よりも重んじるからこそ、最初の一人が逃げた時点で防衛線は瓦解する。ねずみ算式の非戦略的撤退はもう止まらない。

 その人波にのまれるようにして、わたしも隔壁へと流される。

 いや、わたしは卑怯だ。

 人波も何も、とうに定員を割った中隊は端からまばらで流れに抗うこともできたのに、わたしの足は使命感を置き去りにして、最終防衛線から遠のこうと必死に動いている。

 ぎぎぎぎぎ。鳥肌の立つ不協和音をひきずって隔壁が閉ざされる。

 魔獣の怒濤に呑まれる寸前の曹長と目があった。死地に一人取り残された彼はヨナのように最期までわたしを見つめていた。

 でもヨナと違って、胸に電離焼夷手榴弾を抱き、わたしを強く睨みつけていた。

 プラズマの青白い閃光が放射状に花開く。

 鋭利な灼熱が大気と曹長と魔獣の群れをばらばらに引き裂いた。

 ずずうん。生き残りたちは隔壁の闇に閉ざされる。

 どいつもこいつも、ひどいやつだ。



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