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大陸の西の涯に住む龍と妹の話

玄関を開けると、そこは海の中でした。

作者: ユウリ

「え?」

朝起きて、泉へ水を汲みに行こうと玄関の扉を開くと、そこは水の中だった。



赤銅色の髪の少女、ノカは足を踏み出せずに固まって、ぎこちなく足元の小さな猫を見やる。

「‥‥ニコ、なにこれ?」

「‥‥ボクに聞かれても‥‥」

ニコも呆気にとられてぼんやりしている。

目の前、扉がはまっていた枠に水が張られている。

指先を伸ばしてみると、水の中にトプンと入る。

扉の奥に広がっているのは見慣れた草むらだけれど、すべては水の中に沈んでいて、上を見ると遥か上空にキラキラと輝く水面が見えた。


***


王国の西、夏でも雪をまとった険しい山々の、更に先。道のない峰を下りた、海を臨む崖の上。

妖精に祝福されたその地に、ぽつりと小さな館がある。

巨大な切り株そのままのような形。二階建て位の高さで、透明なガラスを貼った窓がいくつも見える。


そこにノカとニコが竜の兄と一緒に住んでいるわけだが。

ノカが濡れた指先を口に含んだ。

「まずっ‥‥海の水だね」

ニコがつんつん、と手の先で水面をつつく。

「つまり家ごと海に沈んでるってことか」

ノカがニコを見る。

「どうしたらこんなになるんだろ?レインちゃんが大泣きして止まらなかったとか?」

「それなら今頃世界まるごと海の中だね‥‥」

ニコが見たくないものを見たというように目をつむる。

「海の中の誰かが家が気に入らなくて攻めてきたとか?」

「うわー、そんな命知らずいるのかな?死にたいのかな?」

ノカは呑気な顔をしているが、ニコは口許がひきつっている。

よく見ると草むらの間を小さな魚が泳いでいるようだ。

「水汲みはできなさそうだけど‥‥」

ノカの顔がどうしようもなく楽しそうな顔をする。

「ちょ、まってノカーー」

ドブン!と思いきりよくノカが海の中へ飛び込んだ。

赤銅色の三つ編みが水の中でゆらゆらと揺れている。

確かめるように手を広げて、足で地面を蹴ると、ふわりと浮かぶ。ノカはワクワクと好奇心全開の顔で草むらをふわりふわりと駆けてゆく。

「もうっ!どうなっても知らないからな」

ニコがやけくそで飛び込んでノカを追いかける。

海の中はひんやりと冷たい。水中の抵抗を感じながらゆっくりと歩いてゆく。陽の光は弱々しく揺らめきながら降りてくる。一面が蒼に染まっている。

目の前を魚がすいすいと泳いでゆく。ノカが追いかけてゆくけれど、全く追い付けそうもない。

ふっと辺りが暗くなった。上に目をやると大きな生き物の影がぐんぐんと近付いてくる。

綺麗に羽をたたんで海獣のように軽やかに水を切り裂いて降りてきたのは、白銀に輝く竜‥‥兄のルーシェだった。

ルーシェが海底の地面に降り立つと、頭の後ろから人影が現れた。

ゆらゆら揺れる長い髪に、綺麗な顔だちの女性だが、お腹から下は鱗に覆われていて、細くなった先には大きな尾びれもついている。

『人魚‥‥』

ノカが呟くと、女性はにこりと笑って頭を傾げた。

ルーシェがシッポをトントンと揺らして背中に乗るように促す。

ノカがニコを肩にのせて、ルーシェの背中に乗った。

ルーシェが体を捻るようにして崖の下を目指すと、人魚の女性がするりと身を返してついてくる。

本来の海岸の砂浜を通り過ぎると、色とりどり大小様々な魚が先導するように、後を追うようについてくる。

更に深く深く潜ってゆくと、影のような大きな魚が横に従うようについてきた。

どれほど潜ったのか。夕暮れのように真っ青な世界の先に、白く輝く何かが見えてきた。

ぼんやりと光るそれは、近付くにつれて岩の間の白い塊だとわかる。

はじめは貝のように見えたそれはどんどん大きくなって、七色に輝く貝の城だとわかる。

城がぐんぐんと近付いて、目を凝らすと城の前に人影があるのが見えた。

3メートルはありそうな大柄な人影はこちらに向かって水を切って飛んでくる。

『天空の神龍、姫はどこだ!』

水を震わすように声が体に響く。

白い髪を逆立て。金の瞳を爛々と輝かせて。耳のそばまで裂けた赤い口から黒い水霧を吐き出して。

『いたよ‥‥死にたいやつ‥‥』

ニコがうんざりした声で小さく呟いた。

『隠し立てては容赦せぬぞ!』

吠えるように叫ぶと体をよじった。ルーシェの前に紫紺の大きな竜体が現れる。

ノカが蒼白になって、ぎゅっと目を閉じる。

誰かが庇うようにその体をぎゅっと抱き締めた。

ルーシェの体がまばゆく白銀に輝いて、その目をカッと見開く。


『ーー無礼者が!』


辺りをすべて震わせて叫んだ。口から吐き出された青い炎が、一面を焼く。遥か上空から金色の雷が紫紺の竜の体をまっすぐにめがけて降りてくる。

ガラガラガッシャーン!

轟音とともに一面に体を貫く衝撃が渡る。

城の廻りの岩の壁ががらがらと崩れ落ちる。

焦げたように黒ずんだ紫紺の竜が意識を失ってゆっくりと地面へ落ちてゆく。

白銀の竜が紫紺の竜へ向けてくわっと口を開くと、金色の雷の鎖が光の勢いで飛んでいって紫紺の竜の体をギリギリと縛り上げた。


辺りに沈黙が降りてくる。

ルーシェが背を振り向くと、気を失ったノカを赤銅色の髪にノカと同じ緑色の瞳を冷たく光らせた少年が抱えていた。

『ノカに怪我はないか?』

『気を失っているだけですけど、ちょっと無茶しすぎじゃないですか?』

少年のかたちのニコが不満げにルーシェを睨み付ける。

『あれだけ喧嘩を売られたら買うしかないだろうが。いっそ滅ぼしてやりたかった。』

白銀の竜は剣呑な目で口からちょろりと青い炎を吹き出す。

『そういうのはノカのいないところでやってください。殲滅でも、拷問でも、お好きに。気の済むまで。』

ニコの目からも収まらない威圧が滲み出ている。

『殲滅してさっさと帰るのも悪くないが‥‥』

ルーシェが首を回して近くで気を失っている人魚を見つけるとしっぽでひっくり返した。

人魚が意識を取り戻して青ざめた顔で城の方へ向かった。


静寂の中で、ゆっくりと城の正面の大扉がひらく。

美しい黒髪を頭の上に大きく結い上げた女が出てくると、膝をついて深く頭を下げた。

『うちの馬鹿亭主が申し訳ありません。』

他三名ほどの男女が同じように膝をついて頭を下げる。

額を地につけて微動だにしない。


ルーシェは目をつむって、大きく息を吐いた。

しゅるりと姿を変じて黒髪の人の姿になる。

ルーシェが竜を戒めている鎖に手を伸ばすと、鎖がぐっと縮んでいって、竜が姿を変えてゆく。

その鎖を左手に握って容赦なく引き摺りながら、大扉へ向かった。


***


目を覚ますと、虹色に輝く白い部屋の中だった。

ノカの手のひらに柔らかい感触が動いている。

「‥‥ニコ?」

声をかけて両手でニコをつかみあげる。

「ノカ、気分は悪くない?」

ニコがノカの頬に小さい顔をすり付けると、ノカがにっこり笑った。

「よく寝たよ」

体を起こすと、見覚えのない寝台に寝かされていたことに気づく。幾重にも重なった薄い布をめくると、ルーシェがなんだか大袈裟な椅子に座っているのが見えた。

黒く輝く背板は天井につきそうなほど大きく、上の方には白銀の竜と黒紫の竜が雲の間に浮かんでいる。金銀瑠璃波里の宝玉が星のようにちりばめられていて、様々な海の生き物が彫られている。

「気がついたか、ノカ。」

ルーシェがひらひらと手を振る。

「おにいちゃん、なにやってるの?」

ニコを抱いたまま寝台から降りたノカが目をぱちくりさせる。

でっかい椅子に偉そうに座ったルーシェは、右足を行儀悪く椅子の上にのせて、左足の下に子供を踏みつけているのだ。

「ノカを脅かした小僧をお仕置きしてるんだよ」

ルーシェがいい顔でにっこりと笑った。

「ごめんなさいごめんなさいもうしません~!」

子供が白い髪を揺らして泣きわめく。

「うるさい。黙れ。」

ルーシェがぐいっと足に力をいれるとがんじがらめにされた金の鎖に雷が走ってギャーと悲鳴が上げる。

「ええー‥‥」

ノカがニコを抱く手にぎゅっと力を入れてドン引きした顔で後ずさる。

「どうする?魂も残らないように滅ぼしちゃう?誰も来ない暗い牢獄に一生幽閉しとく?全部俺がやるからノカは何にもしなくていいんだよ。」

ルーシェが冗談にしか思えないようなニコニコした顔で言う。

「‥‥やだよそんな後味悪いの」

ノカが目を細めてルーシェの足元の小さな近付いてゆく。

「見ると目が腐るよ?」

「腐らない腐らない‥‥」

ノカがしゃがみこんで子供を見る。腕の中のニコは射殺せそうな目で子供を睨み付けているが。

子供が眉根を寄せて大きな金の瞳からぽろぽろと涙の粒を落とした。

「ひめさま‥‥」

ノカの手が子供の頬に触れて涙を拭う。

「ひめさま、こわがらせてごめんなさい。」

ぽろぽろと涙がとまらずに溢れてくる。

「ひめさまに、あいたくて。」

息を詰まらせながら話す子供の白い髪をノカの手が撫でる。

「もういいよ。もう怖いことしないでね?」

ノカが子供に向かってにっこり笑った。

「まったく、我が妹は心が広すぎて困ったもんだ。」

ルーシェが、つまらなそうに息を吐く。


「宴の仕度が整っておりますので、あちらへどうぞお越しください。」

部屋の端で様子を伺っていた男性が頭を下げている。

「ごちそう!」

ノカが嬉しそうに跳ねる。


***


大きな翡翠色のテーブルには色とりどりの魚が刺身になって輝いている。テーブルの向こうには生きた鯛やらヒラメやらがひらひらと泳いでいる。

「‥‥もしかして生け簀?」

ニコが目を細めて口の中で呟いた。

他にも海の幸のグラタンだのフライだのスープだのがところ狭しと並んでいる。

ノカの隣にルーシェが座っていて、細長いテーブルの左側ににさっきの子供がまだ首から鎖を繋いだまま座っている。その隣に座っていた黒髪を大きく結った綺麗な女性がゆっくりと立ち上がると!テーブルにつくほど深く頭を下げる。

「思い出したくないから謝るなよ、飯が不味くなる。」

ルーシェが組んだ両手の上に顎をのせてにっこりと口だけで笑う。

女性が気圧されながらも顔を上げた。

「姫様、天空の神龍様、本日は不躾な招待に応じてくださいまして有難うございます。心尽くしの料理を用意させて頂きましたのでお召し上がりくださいませ。」

わーい、と喜んでなにも知らないノカがごちそうを頬張る。

「海を統べる蒼龍の王の妻にございます。尊き姫様と神龍様のお目にかかれて光栄でございます。」

女性が名乗って、向かい側に座った男女を自分の子供達だと紹介する。ノカが唯一紹介されなかった鎖に繋がれた子どもを見る。

「その子は私やルーシェの弟なの?」

ノカがふと気になってルーシェに尋ねた。ルーシェが少し固まってから首をひねって考える。

「いや、俺の弟の‥‥子孫、かな?」

ノカが意味がわからなくて首を傾げる。

「ということは‥‥私の知らないお兄ちゃんの‥‥子孫?子孫ってどういう意味だっけ?私の兄弟っていったい何人いるの‥‥」

ノカがぶつぶつと考えていたが、すぐに諦めて食事に戻る。

子供‥‥王様がふらふらと視線をさまよわせていると、目が笑っていない神龍と目があってしまった。

「何百歳か知らないが、子供は子供らしくしていればいい。下手に大人のような姿をしているから行いを咎められるんだ。そうだろう?」

ルーシェが頬をついてにっこりと子供を見る。

「はい!もうしわけありません神龍さま!」

王様がぴっと背筋を伸ばして言った。


***


おいしいお料理をお腹いっぱい食べて、ノカはニコと一緒に初めて来た城の中をお妃様に案内してもらった。

城の塔の上に昇ると、色とりどりの魚がノカを中央にして渦を巻くように近付いてくる。少し先では不思議な形の長い魚が輝きながら城を取り巻くように泳いでいる。大きな魚の群れも、どこからともなく寄ってきて近くを泳いでゆく。

「こんなにいろいろな魚、初めて見ました。」

ノカが飽きずに魚のすがたを目で追う。手を伸ばすと小さな桃色の魚が、鮮やかな青色の魚が、指先に寄ってくる。

ノカの横で見守っていたお妃様がすっと片膝を付いた。

「‥‥世界に唯一の尊き姫様、私の主人が申し訳ありませんでした。」

頭を深く下げる。

「頭を上げてください、もう本人に謝ってもらったから大丈夫ですよ。」

ノカが笑ってお妃様へ手を伸ばすと、お妃様は顔を上げて、ノカを見つめた。

「ああ、本当に姫様にお会いできるなんて夢のようです。」

涙ぐみながら言われて、ノカが戸惑う。

「主人は姫様がお生まれになる前からお待ちしておりました。我々は海から出ることができませんので、お館までお伺いすることもできず‥‥」

お妃様の両手がノカの手をつつみこむように握った。

「だからって館を海に沈められても困るんだけどね‥‥」

ニコが死んだ目で呟く。

「‥‥ごめんなさい。私まだ‥‥見たままの年齢で、女王じゃないんです。」

ノカが困った顔で申し訳なさそうに言う。

「いいえ、いいえ!そんなことは些細なことです。姫様がいてくださるだけで、私達は幸せなのです。」

お妃様は握ったノカの手に額をつけて涙をながした。

遥か遠いはずの水面から、きらきらと輝く光が輪になって降りてくる。海の水が鮮やかな水色に明滅する。

色とりどりの魚達が輪の間で光輝いて、夢の中のように美しかった。


***


「とっても楽しかったです。ありがとうございました。」

ノカがにっこり笑って挨拶をした。

「またいつでもお越し下さい。」

お妃様が頬を薔薇色に染めて嬉しそうに言った。

後ろに並ぶ妙齢の子供達も嬉しそうに笑っている。

「ノカが来たくなったら、な。」

竜の姿のルーシェがお妃様の隣に並ぶ鎖に繋がれた子どもを見据えて言う。

「ルーシェ、あの鎖とか姿とかあのままなの?」

ノカが微妙な顔でルーシェを見る。

「鎖は俺達が帰れば明日までには消える。姿はあのままでいいだろ、別に。そのうち成長して元に戻るだろうし。」

なあ?と王様に目を向ける。

「このままで大丈夫です!」

鎖に繋がれた王様がやけくそで叫ぶ。

「姫様、お気遣いなく。私もこの方がまだ可愛げがあると思います。」

お妃様が平然と言ってのけると、王様が青ざめてお妃様を振り返った。お妃様に迫力のある顔でにっこりと笑われて、王様が力なくうつむく。

「奥さんがそれでいいなら、まあいっか。」

ノカがもう気にしない、と笑った。

「そうそう、海の中も平和になって一件落着だよ。」

ニコがそう言ってノカの肩の上に飛び乗った。

ノカが竜の背に乗ると、先導する人魚に従って、白銀の竜がゆらりと海底から飛び立っていった。


***


海の中をゆく白銀の竜の左右を、黒い海獣の群れが取り巻くように泳いでいる。くるくると入れ代わったり回ったりして、白い腹が見える。

やがて海の上に出ると、海獣達は海の上に交互にジャンプしてみせた。

「すごいすごい!」

ノカがはしゃいで声を上げると、海獣達も嬉しそうに鳴き声を声を上げて答える。

海はすっかりいつも通りの深さになっているようで、館の下の崖までくるといつも通りの砂浜があった。

ルーシェが砂浜に上がる。

先導してくれていた人魚が海の向こうから手を振ると、大きくクルリとジャンプして見せた。

ーーその一瞬、回りで跳ねる海獣達の姿が美しい人魚のものに変る。


「そうか、あの子達が人魚さんなのね‥‥」

ノカが呟く。

「あれは‥‥人間には見えないやつだね」

ニコが呟いてルーシェを見る。

「人魚はいる、別に嘘はついてないだろ。」

白銀の竜がすました顔で嘯いた。

ニコが諦めたようにため息をつく。

「さて、崖の上に登るよ」

ルーシェがいうと、ノカがはーい、といつもの呑気な声で答えた。

朱くきらきらと輝くいつもの夕焼けの海岸に、白銀の竜が翼を大きく広げる。朱色に染まってきらきらと輝く体をひねると、我が家に向かって空へと身を踊らせた。

つたない文章ですが、読んでくださってありがとうございます。

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