83 繋がり出した点と点
「あの桐子に触った瞬間、深く読めた代わりに障りの逆襲を受けてしまった。結構持って行かれちゃったのよ」
真っ白なベッドに横たわり、真っ白なシーツをかけられた都住夏織は、見舞いに来た藤巻に向かってそんな抽象的な言葉を吐き出しつつ、弱気な自分をさらけ出す。
ここは長野市内のとある総合病院の病室
日曜日の朝に何とか桐子を排除する事に成功してから二日が経過し、容体の安定した夏織ははっきりと意識を取り戻したのである。
「十二指腸潰瘍が悪化したそうなんです。元々おば様は大酒飲みだから、不摂生なところを狙われたんでしょうね」
もはや定番のやり取りとも言える「夏織お姉さんと呼びなさい」と毎度毎度突っ込みを入れらる姫子は、そうやって憎まれ口を叩きながらも、尊敬する戦友であり叔母である夏織の世話を甲斐甲斐しく行っており、今は藤巻が持参したお見舞いの品である信州林檎の皮を剥いている。
ーー都住夏織が読んだ内容、藤巻に語ってくれた内容とはこうだ。
夏織がスーパーのお菓子売り場を捜索していた際、子供たちに人気のある商品から、せんべいやおかきなどの、大人たちが多く手に取る商品が並ぶエリアに差し掛かり、品物を一度棚から降ろして棚の奥の隅々まで眼を光らせていると、桐細工の小さな小箱を発見した。
もしやこれが呪いの根源かと手を伸ばして掴んだ瞬間、電気が走ったかのような衝撃と痛みが身体を駆け巡り、悲鳴を上げながら床に崩れ落ちると意識を刈り取られてしまったのだそうだ。
まさかこれが噂の桐子だとは思わず、軽はずみに触ってしまった夏織は己を恥じながらも、桐子と繋がった先に見えた驚くべき情景を淡々と藤巻に伝える。
先ず見えたのは白髪の男性、歳の頃は七十歳前後の老人なのだが、頭髪もしっかり整え値段の張るような高級な生地のスーツを着ている事から、老後を悠々自適に過ごす者ではなく、その歳になっても社会的に高い地位に位置する者に見えた。
第二に見えたのは、その老人が上着だけがパリッとノリの効いた作業服に変わり、何か建設関係の資材が無数に置かれた倉庫の中に入り、一番奥にある色褪せた古い金庫を開けて、桐子を取り出した光景を目の当たりにした。つまり桐子を仕掛けたのはこの老人で間違いは無いと言う事である。
そして、この桐子の成り立ちであるのか、一気に景色はコンクリートで築かれた近代社会の灰色から大自然の緑色へと変わり、とある険しい山の山肌へと変わる。
そこが戸隠山なのかどうかまでは分からないが、数名の修験者に囲まれて、何かしらこの視野の本人が責められている光景だ。
「その行いは邪教のものであり外道である! 」「外法に手を出すとは不届き千万! 」
責められ続けた本人は、結果として追放され、山を降りる事になるのだが、その時の思念の毒々しさがあまりにも強烈で、夏織の心は恐怖で冷え切ったと言う。
“この怨み晴らさでおくべきか! 呪ってやる、子々孫々まで呪ってやる。貴様らとその一族に最大の災いあらん事を! ”
こうして、この男の暗くて深い情念が桐子を作り出し、長い長い悠久の時を経て、先ほど話にあった老人の手に渡ったのだそうだ。
「あの桐子の中に入っていたのはおそらく……水子の身体の一部と胎盤でしょう。妊娠してしまった遊女を強制的に堕胎させた結果得たもの。この世に生まれる事が出来なかった水子の悔しさを増幅させた物です」
夏織の読んだ内容は良くそこまで分かったなと、藤巻は心底驚いたのだが、実はそれで終わりではなかった。
夏織にカットした林檎を差し出していた姫子が、それを補足するように口添えした内容が藤巻にとってあまりにも衝撃的であったのか、頭をハリセンでぶん殴られたような情け無いほどに呆けた顔になったのである。
その内容がこれだ
「あの日曜日から今日の今日まで、長野市の北部でお悔やみが出たのは一人です。武田工務店の社長さんで市会議員、武田宇之助さんです」
ーー武田工務店の社長、武田宇之助。
藤巻が独自に追いかけ続けていたあの臼井圭子の死の真相。その臼井圭子本人が昼間事務員として勤めていた建設会社こそそれで、武田宇之助は臼井圭子の雇い主であったのだ。
「武田さんの一族は、古くから刈田神社に無数の寄進や寄贈を重ねてくれた、氏子衆の中でも上座に座れる有力者でした。……ですから、何であんな事をしたのか残念で残念で」
「姫ちゃん、あなたが責任を感じる事ではないわ。武田さんは二つの顔を持っていた。地元名士の顔と誰にも言えない闇の顔、そこまで立ち入る事なんて出来ないのよ」
肩を落とす姫子を、夏織は優しく諭しながら頭を撫でてやる。ーー人は誰でも表向きの顔と、自分しか知らない裏の顔とがある生き物。他人の心の闇など覗ける訳がないのだと。
その姉と妹のようにも見えてしまう、仲睦まじい叔母と姪っ子の姿を微笑ましく眺めながらも、藤巻の腹の底では物凄い勢いで考察が始まっている。点と点を結び付けては外し、また結び付けて、どのような説が、これまでの状況証拠に対して一番整合性が取れるのかと、仮説の嵐をフル回転させていたのだ。
……桐子はそうそう世に出ていない、激しくレアな呪物である。善光寺大勧進の木下さんもそう言っている事から、つまりはこの長野県内において桐子を所持して使用する者は限られる。善光寺平と言うもっと狭い地域で言うなら、桐子の呪いを利用したのは武田宇之助ただ一人と考えて良いだろう。今回の「かごめかごめの呪い」だけでなく、戸隠の廃屋に置かれていた自殺衝動を誘発する桐子も武田が置いたとするならば、こうは考えられないだろうか……
・もともと武田宇之助は「スナックみすず」の常連客で、ママの牧野チエとは古くから親交があった。建設会社の社長で市会議員にも出るくらいだから、頻繁に夜の街へ足を運ぶ事は出来たはず。
・武田の会社に臼井圭子が入社して来た。履歴書を見れば母と二人で生活しているのは明らかだし、臼井圭子が寝たきりの母を世話している事から生活が困窮しているのも把握出来る。扶養家族手当てや保険などの事務的なものでも把握出来るであろう。
『入社して来たばかりの女性に甘い声をかけるほど迂闊な人物でもなかろう事から、武田宇之助は臼井圭子の副業を認め、知己であるスナックみすずを紹介したのではないだろうか? 』
ただ、藤巻が臼井圭子の死の真相を突き止めようとして、最近になって武田宇之助や武田工務店の従業員に聞き込みをした際、武田宇之助は臼井圭子に夜の顔がある事は証言せず、完全に知らぬ存ぜぬを通していた。
当時、武田宇之助と臼井圭子との間に愛人契約が発生した可能性もあり、宇之助が硬く口を閉ざした可能性もある。
・そして、木内浩太郎君が地獄放送事件の際に目撃した、牧野チエらしき幽霊の証言として挙げられる発言が、私は確かに臼井圭子を殺したが、まさか「アイツ」に殺されるなんてと、酷く憤っていた。
バブル崩壊と長野オリンピック不況のあおりを受けて、スナックみすずをたたみ関東圏へと拠点を移した牧野チエは、その後は成功する事無く先細りの人生を転がって行く。
とうとう数年前から行方不明となりホームレスになってしまったのだが、何故、牧野チエは再び長野に現れたのか。
臼井圭子を単独で殺したのでは無く、もし共犯者がいたとしたら。そしてその共犯者は不遇な自分とは対照的に華やかな世界で安定した人生を送っていたならば、牧野チエが憤ってもおかしくはない。
『臼井圭子殺しは、牧野チエと武田宇之助の二人による犯行だと考えられる。チエが主犯、宇之助が共犯の関係であろう。そして老いたチエは成功した宇之助に怒りを覚え、臼井圭子殺しをバラされたくなければ金を寄越せと迫ったのではないか? そしてチエは返り討ちにあってしまったのではないか? 』
牧野チエの遺体は、警察の現場検証の結果、不審死ではあるが事件性が考えられないとして片付けられている。
だが、遺体がまだ新しいうちに、誰か第三者に発見されてしまったらどうだろう? 殺人事件として警察が捜査を始めるならば、必ずスナックみすず時代の常連客として自分の名も上がる。
だから武田宇之助は牧野チエの死体の近くに先祖代打から受け継いで来た禁忌の呪物「桐子」を置き、もの珍しげに廃墟に入って来る者たちを遠ざけたり口封じを行おうとしたのではないだろうか。
ーー何が原因なのか?
牧野チエと武田宇之助は、なぜ臼井圭子に殺意を抱いたのか。
武田宇之助の視点で言えば、結果として臼井圭子は自分の立場を脅かす存在と認識した事。例えば愛人関係を家族にバラすとか、妊娠認知の問題とか、愛人ギャランティーの問題が発生していたと考えられる。
そして牧野チエの視点で見れば、これは若くてみずみずしい臼井圭子に武田が取られると言う、嫉妬から発生した殺意と考えるべきなのだろうか……
いずれにしても、他人には言えない三角関係がそこにあり、結果としては三つ巴の殺し合いになってしまったのだと結論付ける。
それが整合性のある最善のストーリーだと、藤巻は判断したのだ。
(……あのアパートで最後に見た臼井圭子の霊、穏やかな顔付きだったんだけどねえ。女は怖いと言うべきなのかな? ……)
「藤巻さん、藤巻さん」と、姫子の声で現実世界に引き戻される藤巻。気付けば脳内フル回転の度が過ぎたのか、ボーっとしており夏織と姫子の会話に全くついて行けてない状態だった。
「ごめんごめん、くたびれてるのか眠くなってたよ」
「もう、しっかりしてくださいよう」
頬をぷうっと膨らせる姫子だが、藤巻が心底憎くて怒っているのではない。藤巻が自分の相手をしてくれない、話を聞いてくれない事に可愛い苛立ちを覚えているのだ。
「それで……話はどこまで行ってたっけ? 」
「武田宇之助が、何故桐子を使って無差別事件を起こしたのかってところよ」
シャリシャリと音を立てて、美味そうに林檎を貪る夏織は、もう十二指腸の傷は癒えたとばかりに林檎をほうばり、リスのように頬が膨れてはいるが表情は至って真面目。
目の前にいるこの探偵が、どんなキレッキレの推理を見せてくれるか注目している。
「何故無差別事件を起こしたか、今になって考えれば答えは簡単だ。特定の人間を狙ったと悟られぬように、新たな桐子を使って無差別事件を演出したのさ」
「特定の人間……ですか? 」
「藤巻さん、新たな桐子ってどう言う意味なの? 」
「以前、桐子による事件があった。他殺死体が見つからぬように人払いの意味を含めて桐子を置いた事件がね。多分ソイツは最近になってその現場に戻り、桐子が無い事に気付いたんだろうね」
藤巻がそう言い出した時、夏織と姫子の表情が変わる。カッと目を見開きながら何かを思い出したのだ。
“禁忌の呪具・最強の呪詛と言われる桐子に素手で立ち向かったイケメン探偵社長! ”
“善光寺大勧進の木下宗雲師も名前すら教えてくれなかった伝説の探偵! ”
「だから、武田宇之助は遺体と桐子の関連性を薄めるために、スーパーに新しい桐子を置いて核心をボヤかそうとした。過去を消して上書き保存しようとしたのさ」
夏織と姫子の表情の変化に気付いた訳ではないが、前回の桐子事件についてはあまり話したくないのか、俺はそろそろ行くよとばかりに立ち上がる。
「藤巻さん! 」
「行きつけの喫茶店がね、今日からまた再開するんだ。お祝いの品持って行かなきゃならなくてね」
祥子さん勝手に会社辞めちゃうんだもんと、言い訳がましくブツブツ呟きながら背広を羽織り、病室の扉へと向かい始めた。
「……藤巻さん」
震える声で藤巻を引き止めようとするのは姫子。まるで二度と会えないかのような悲しい表情がすがっているようにも見える。
「おば様を助けていただいた事、そして怯えてた私に力を添えていただけた事、ありがとうこざいます」
「藤巻さん、あの場へ導いてくれた事、心より感謝申し上げます」
「やめてください、そんな大した事してませんよ」
「……藤巻さん、また会えますよね? 」
「姫子ちゃん、地元同士だろ? その内コンビニでばったり会うさ」
そう言いながらドアノブを回し扉を開く、四つの熱い瞳が背中を貫いている事にことさら無視を決め込んでいるのだが、そこはそれ「ええかっこしい」藤巻博昭の本性が許さなくなり、ついつい振り向いてこう言い放つ。
「俺さ、当たり障りない普通の探偵なんで、心霊相談ダメなんだわ。それじゃ」
どうにも下手くそでぎこちないウィンクを一つ病室に残し、藤巻は去って行った。
次回 最終回




