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71 晴れ晴れとした寂しさ



 ーー悪酔いしちまったなーー


 前後左右に頭をぶわんぶわんと振りながら、千鳥足で帰路に着く藤巻。

 池田祥子の肩を借りながら、コーヒータイムから自宅に向かい、ふらふらと蛇行の家路が続いている。


 コーヒータイムは藤巻を暖かく迎えてくれた


 善光寺大勧進で【桐子】のお焚き上げを終えた際、全てが終わった旨を美央に連絡すると、時間を同じくして深沢美咲から負の環境が全て消し飛んだと喜びの報告があったと言う。美咲の元に溝口秀幸からも事態の終焉について連絡があり、結果として藤巻の処置は大成功に終わったと、美央はハイテンションな喜びの声を伝えて来た。


 だからと言う訳でも無いが、一応どういう経緯で問題を解決したのか説明する目的でコーヒータイムを訪れた藤巻は、予想以上の歓迎を受ける事になる。


 さすが藤巻博昭だと言わんばかりの江森美央は、頬を紅潮させながらアホ毛をぴょんぴょん跳ねさせるかの勢いで、藤巻の口から武勇伝がいつ語られるのかと早く早くと無言で急かしている。

 更に藤巻来店の知らせを受けたのか、深沢美咲と溝口秀幸もコーヒータイムに血相を変えて飛んで来る。それも親を伴って平身低頭で謝りながら心霊探偵バンザイとばかりにヨイショされれば、藤巻の首筋がむず痒くなって居心地が悪くなるのは必然。


 家族ぐるみで自殺衝動と闘ったのか、美咲や溝口の親が安堵しながら「心ばかりのものですが」と差し出した封筒を丁寧にお断りし、夕飯も口にせず早々と濃いめのジャックダニエルをあおり始めた藤巻は、やっとそのトゲトゲしてささくれ立った神経を酒の力で麻痺させながら、事の経緯を説明し始めた。


 ーーお宅の御子息さんたちが遊び半分で訪れた廃墟には実は、桐子と呼ばれる呪いの道具が置かれており、その道具の影響を受けて今回の悲劇が始まってしまったのです。

 仏教や密教、修験道などの法の倫理から外れたその外法の呪具「桐子」。内容によって様々な負の効力を発揮するそれらの中で、今回遭遇したのは近付く者に自殺衝動を誘発させて、それが成功した際には自殺した者の魂をコレクションとして取り込んでしまうタイプ。

 いつの時代に誰が、どんな目的を持ってこの“無差別自殺ほう助”の道具を世に出したのかは不明ですが、善光寺大勧進にてお焚き上げ供養を行い、無事呪いを消し去りました。


「先に亡くなってしまったご友人方には、力及ばず申し訳ありません」


 そう言って頭を下げる藤巻だが、誰もそれを責める訳が無い。美咲が藤巻に対して助けを求める以前に、既に野口遼は自殺していたし、加奈井仁美も自殺騒動を起こしていた。つまりは藤巻は依頼を完璧にこなしたのであり、その行動に一点の曇りも無いのである。

 ただ、褒められる側、感謝される側としては、口に出来ない点が多々あり、素直に喜べないのは事実ではあるのだがーー


 やがて美咲たちも去り、コーヒータイムの店内には“いつも通り”の穏やかな空気が流れ始めると思ったのだが、ちょっとした騒動が持ち上がり、池田祥子が慌てて駆け付ける事態に陥ってしまった。

 【藤巻が泥酔してしまった】ーーこんな事今まで一度も無かったのだが、空腹と疲労が蓄積したまま酒を煽った藤巻は、前後不覚となった彼はそのまま目を回しながら「ぺたり」とカウンターテーブルに顔を埋めて気絶してしまったのである。


「祥子さん、お休みのところ、わざわざすみません」

「気にしない気にしない、この人がこんな姿になるの初めて見たけど、悪く思わないでね」

「いえいえそんな……。来店された時から、無理してる感じがしました。私も藤巻さんが解決したからって喜んじゃって、余計に気を遣わせたみたいで」


 ……今でこそ笑ってはいられるものの、裏腹に壮絶な経験をしたのではないか……

 相手の気持ちになってやれなかったと、肩をガックリと落とす美央。もうその段階で藤巻に表と裏の顔がある事に気付いている事になるのだが、まだそれを自覚するには至っていない。


 腰砕けながら池田祥子の肩に掴まった藤巻は、心配そうに見詰めるマスターと美央に向かい、呂律が回らないところを必死に「お騒がせしました」と謝罪しながら店を後にする。

 もちろん、池田祥子は何を義理堅く想っているのか、意識朦朧とする藤巻に気付かれないように振り返り、(安心して、あなたを出し抜いて送り狼にはならないから)と、アイコンタクトで美央にサインを送った。


 昼間チリチリに焼かれたアスファルトが、むせるような熱気を立ち昇らせている熱帯夜。

 長野市の北側を囲む山々の上空から、冷たい空気がサラサラと山肌を撫でるように下り降り始め、家路を急ぐ祥子と藤巻の頬から熱を奪い始めた。中途半端な田舎ではあるが、高地特有の晩夏の夜である。


「しょ、祥子さん……」

「無理して喋らなくて良いから、歩く事に集中する」

「無理じゃなくてさ、俺……代表降りるから、会社は祥子さんと三輪に返すよ」

「何? 何で急にそんな事言うの? 」


 祥子の肩に担がれた藤巻の顔は祥子に近く、これ以上互いに意識して接近すると男女の仲が成立してしまうほど。だが美央に筋を通すと心に誓った祥子はこれを好機とは捉えずに藤巻をただ観察する。

 彼の息は強烈に酒臭い、酒に飲まれてしまった者特有のそれであり、口や鼻からだけでなく全身の毛穴と言う毛穴から無毒化に失敗したアルコールが吹き出ているようにすら感じる。

 では完全に酩酊して我を失っている状態での探偵業リタイア宣言なのかと言えば、呂律は回ってはいないものの藤巻の吐き出す言葉言葉には確かに言霊があり、腹の底で決した意志である事が伺える。つまりは、その場しのぎの言葉では無いのである。


「藤巻探偵事務所……やめたいの? 」

「違う、違うよ。この立場は守るものが多過ぎて荷が重いんだ。俺は、いち社員として仕事だけに集中したいんだ」


祥子はその言葉に安堵する

仕事が、人間関係が、対人関係が、未来が、自分の悲観的な将来が……それらの全てが嫌になり、探偵業をやめてまた、元の引きこもりに戻りたいのではないかと、余計な想像を羽ばたかせていたからだ。


 だが、藤巻は仕事を辞める積もりは無い

 むしろ、現場主義者として仕事に埋没したいと言い出している


 あの女々しい引きこもりさんがねえと、祥子は感心しながら口元に穏やかな笑みを浮かべた。ーーそれは、中学生時代藤巻に向かってタイマンの喧嘩を仕掛け、そして予想を遥かに超える藤巻の対応を目の当たりにして、一瞬にして降参して藤巻に惚れてしまった時のような、青春時代の恋慕を含めた甘い笑みだ。


「ヒロくん、残念ね。代表から降りる事はもう出来ないわ」

「出来ない? 無理なのか? だって俺……雇われ社長だぜ?」

「バカね、これまであなたの役員報酬が強烈に安かった意味を考えなさい」

「ほえ? 役員報酬が……安い? 」

「私と三輪君で入れた資本は、ヒロくんの月々のお給料から引かせてもらい完済してます。つまりあなたは名実ともに藤巻探偵事務所のトップなのよ」


 ーー本当の意味で自分の会社なの。あなたが揺らぐ事で、私を含めて社員を路頭に迷わせるの?


 その質問をきっかけに、藤巻の腕は祥子の肩からふわっと離れて行く。足取りがおぼつかなく、目も回るのかパチクリパチクリと瞼を叩くのだが、藤巻は自分の意志で立ち、ポケットに両手を入れて胸を張ったのだ。


「……甘ったれてる訳にはいかないか」


 間近に控えた盆踊り大会のスピーカーと音量調整なのか、おもむろに聞き慣れた音頭が遠くから風に乗って聞こえて来る。


 ヒロくんと呼ばれながらも一切怒らなかった藤巻は、目をまん丸にしながら驚きを殺して平静を保とうとする祥子を前に、この後二度ほど胃が逆流して大地にご迷惑をお掛けするのだが、何とか無事に自分の足で自宅の門をくぐったのであった。


 祥子に礼を言い門の前で別れ、吐ききった事で幾分楽になった藤巻は自宅に上がり、ほうほうの体で台所にたどり着いて冷蔵庫を開ける。

 えぐい酸味が走ったままの口内や胃の壁を洗い流すために炭酸飲料のペットボトルを手にして一気にそれを飲み干し、げふうげふうとゲップを繰り返しては強引に落ち着きを取り戻す。


 ほっと一息して我に帰ると、水分を求めて慌てて家に上がったのか家中の電気を何一つ着けていない事に気付く。どちらにせよここまで泥酔してしまえば寝るしか無いのだが、何かそのまま寝ると損をしてしまうような気分に襲われたのである。


「暑い……蒸してるな」


 家は出掛ける際に締め切ったままで、昼間の炎天下で蓄積された熱がそのまま屋内を滞留している。これでエアコンを点けても電気の無駄、それよりちょうど山から涼しい風が吹いてるから、全部網戸にすれば朝まで快適に眠れると、ヨロヨロと居間に赴きカーテンを開ける。そして窓の鍵を外して開け放ったと同時に、藤巻は何かに驚いてドスンと尻もちを突いた。


 ーー何故なら庭に、水沢智絵が立っていたのだ


「と、智絵……! お前確か、桐子に」


 アルコールの滑ったブレーキで脳内の思考も稲妻が走るようにキレっキレではないのだが、藤巻はここで悟った。桐子は浄化した、そしてその際囚われたままだった人々の魂は解放されたのだーーと


「……いつ見ても綺麗だ、あの頃のままで眩しいよ」


 腰など抜かしてはいられないとばかりに、あぐらを組んで大人ぶる藤巻。

 そしてそんな彼を懐かしい……懐かしい笑顔で見詰める智絵。淀んだような死者の目はもうそこには無い、まるで解放してくれた礼と最期の別れを告げに来たようにも見える。


“ヒロ君ありがとう、これでやっと……”


「礼なんかいらないよ、むしろ礼を言いたいのは俺だ。あの時智絵が教えてくれなかったら俺……」


 もしあの時智絵が桐子の場所を教えなければ、間違い無く藤巻博昭は抑えきれない衝動に自らの命を絶っていた。更には、智絵と一緒にいられるならば、それも良いかなと、むしろ「死」に迎合する一面があったのも否定出来ない。それを思い出したのか、そんな事言える訳無いと、藤巻は口をつぐんでしまった。


 そんな藤巻の気持ちの変遷を察してしまったのか、智絵は一瞬悲しそうな表情を浮かべるのだが、何を思ったか口を真一文字につぐんだまま頬を「ぷうっ!」っと膨らませて怒りを猛アピールする。

 簡単で安っぽい結論を出すなと言う戒めなのだが、今度はそれに対して藤巻が猛然と食ってかかる。


「あの時からずっと! 智絵がいなくなったあの時からずっと! 俺見捨てられたと思ってたんだ。だってしょうがないだろ、俺結婚しようって言って……そのまま答えも無いまま死んじゃって……。だから俺も死ねば一緒になれるかなって」


“……したのよ”


「うん? うん? 何だ、何て言った? 」


“あの日の晩、夕飯の時にお父さんとお母さんにちゃんと話したんだよ、私ヒロ君と結婚するって。でもね、もう遅かったの。私の夕飯には薬が入ってたみたいで、そこで意識は終わっちゃった”


「じゃあ、俺を見捨てて勝手に死を選んだ訳じゃないんだな」


“当たり前よ、見捨てる訳無いじゃない。だって私はヒロ君の事大好き、心からヒロ君のお嫁さんになりたかったのよ”


「バカ……野郎、俺もう三十越えたおっさんだから、涙腺ゆるくて」


 ーー長い長い時間の間、ぽっかりと空いたままだった穴が塞がり、中が愛情で満たされて行く


 殺していた感情のタガが外れたのか、それとも泥酔して緩んでいるのか、藤巻は見たことも無いほどに顔をクシャクシャにさせながら、玉のような涙をポロポロとこぼす。


“おっさんでもイイ男、おじいちゃんになって頭がハゲてもイイ男。藤巻博昭は私にとってそう言う人”


 水沢智絵の身体の輪郭がボヤけ始める。砂金のようにサラサラと智絵の身体が崩れ始めたのだ。


「待て、待ってくれ! 智絵待ってよ! 」


“時間よ、行かなきゃ”


 号泣しながら庭に身を乗り出した藤巻は手も足も軒先きで滑らせ、盛大に庭に転げ落ちるのだが、砂が張り付いた顔を上げて辺りを伺うと……既に智絵の姿は消えていた。



 ーー私の大好きな藤巻博昭らしく、今をしっかり生きてねーー



 藤巻宅の北側に控える山、長野市の北を護る三登山から吹き降ろされる涼しげな風に乗り、聞こえて来た最後の言葉であった。


 ふらふらと立ち上がり息を整える。

 たった今起きた現象は果たして、本物の心霊現象であったのか。それとも泥酔した藤巻の幻覚であったのかは分からない。

 ただ、藤巻の頬を流れた涙は本物であり、藤巻の口から出た言葉も、嘘偽りの無い本物である事は確かである。


「今を、しっかり生きる……か」


 耳に痛い言葉ではある

 だが、今をしっかり生きているからこそ、あの時仲間たちの笑顔が脳裏に浮かんだ事も間違いは無い。


 十四年の年月を経て、藤巻は水沢智絵の心意にたどり着いた。それが何を意味するかと言えば、止まっていた時計が動き出したと言う事実に他ならない。

 もう、過去を引きずったり、自分の過去を理由に立ち止まる事が許されず、前を向いて生きて行くしかないのだから。


 まるで卒業式が終わった時の「晴れ晴れとした寂しさ」に包まれた藤巻。

 楽しかったり苦々しい思い出を胸に秘め、新たな世界に旅立つようなそんな清々しい寂しさに身を任せながら、眠りについたのであった。



 ◆ 見捨てられた者 編

   --終わり


 次章、探偵藤巻博昭は常にボヤく ~心霊相談やめてよ~ 最終回




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