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68 期待する人、絶望する人


 セミの鳴き声が神経に障る


 窓を開けっ放しにしたままテレビを見てるのか、近所の家から甲子園大会の実況が聞こえて来てうるさい


 締め切ったカーテンの隙間から差し込む真夏の太陽光、、、幾重にもなったその光の筋が目に痛くて神経を逆撫でする


 目の前で起こるささやかな環境の変化に捉われず、今は、今だけは無音で無味無臭な闇の中にいたい


 何一つ考えごとなどせずに、ただひたすら虚空の住人として無の世界に浸っていたい


 何故なら、自分自身がちょっとでも人間らしい感情を抱いて何かを思い立つと、それが全て最悪の結論に結び付いて、自分をこう断罪するからだーーもう死んだ方が良いと



 深沢美咲は今、無我の境地を自分に課しながら自宅の自室に引きこもっている。

 壁の四隅の一つにべったりと背中を付けた体育座りで、背後から突如何かが現れるような心配ごとを排除しながら、目の前の小さなテーブルに置かれた小皿をじっと凝視しつつ、ただ時間が過ぎるのを待っている。

 小皿の上には細かな白い粒の集合体がピラミッドのような円錐を形作っており、それはいわゆる「盛り塩」……彼女は盛り塩に最後の望みを託しながら、我が身に迫る恐怖と闘っていたのだ。


 盛り塩に頼らなければならない状況とは、果たしてどう言う状況なのかと言えば、もちろん心霊現象や超常現象による影響から我が身を守ると言う意味でしか無い。

 変質者が襲って来る訳でも無ければ金品目的の強盗が襲っても来ない。粘着質なストーカーが最後の手段で自分の思い通りにならない命を刈り取ろうとしている訳でも無い、この世のネガティブな常識とは全く別次元のネガティブな現象に対して、盛り塩を最後の砦に生き残ろうと足掻いていたのである。


  “自殺衝動”


 それは突如自分の中に湧いて来る悪魔の囁きで、ちょっとでも無心が揺れて物事を思い浮かべると、すかさず最後に「死のう」と結論を持って来る。……一定の気温を保つために、エアコンが送風から冷房に切り替わっただけでもだ。


 学部違いの先輩である江森美央から先程連絡が来た


『三日ルールなんて無い、弱った者から持って行かれる』

『今藤巻さんが現地に飛んで再び調査をする。良い結果が出る事を信じて待っていてくれ』

『とにかく自殺衝動に呑まれないでくれ、好きな事だけを思い出して抵抗していてくれ』


 星城女子大学でも様々な噂が流れ今も絶える事の無いスティグマータ事件。それを解決したと言われている心霊探偵が自分のために動いてくれているーーこれほど心強い事は無く、再び年相応の華やかな人生を送る事が出来るのだと確信に至るのだが、それから三十分もしないうちに友人の溝口秀幸からかかって来た電話が、美咲の微かな望みを粉微塵に打ち砕いてしまった。


『深沢、深沢……今仁美のお袋さんから連絡が来た。入院した先で再びやっちまったそうだ』


 溝口秀幸の嗚咽が聞こえる……

 仁美からこっそり聞いてはいたが、高校卒業後に二人は付き合っていた。正式に二人の口から聞いた訳ではないので、ここでそれについて問いただす訳にもいかないのだが、秀幸の嗚咽は普通の友人以上の関係を仁美と構築していた事が伺えた。


 その溝口が涙声で途切れ途切れに教えてくれた。

 左手の腱が切断寸前になるほどのリストカットをして救急搬送された仁美が、親や看護師の隙を突いて窓から飛び降り自殺したのだそうだ。


 ーー父親の車を無断で借りて、ダムから身を投げた野口君。そして一度自殺に失敗した仁美は再度自殺を試みて本当に死んでしまったーー


 絶対に逃げる事の出来ない巨大な負のうねりに巻き込まれたのだと実感した美咲は、自殺と言う悲劇的な結末から逃れられない事に絶望を抱く。……最後の希望に望みを託してあがき続けていても、それだけ仁美の死は衝撃的であったのだ。


「溝口君……溝口君も感じてる?」


『感じる? ああ、突然どうでも良くなって、死にたくなる気分になる』


「私もあるの。それがだんだんと強くなって来て……私もしかして、私! 」


『深沢、落ち着け! 感情的になればなるほど、やつらはやって来る! 』


「そうね、そうね。ごめんなさい」


『それに、その心霊探偵さんが頑張ってくれてるんだろ? 信じていまはこらえるんだ』


 心霊探偵が問題解決のために頑張ってくれている。

 あの人が結果を出してくれれば、ふいに襲って来る自殺の甘美な囁きに終止符を打つ事も出来るし、この……盛り塩を避けるように部屋の中をぐるっと囲む死者たちの、新たな仲間の誕生を待っているかのような陰惨且つ好意的な視線に終止符を打つ事も出来る。



 “藤巻さん……藤巻さん! 早く! 早く私たちを助けて! ”



 部屋にあったカッターナイフやハサミ、腰のベルトなど、おおよそ自分を傷つける可能性がある物の全てを親に預け、深沢美咲はただひたすら、藤巻が出すであろう結果を待っていた。



 一方、過剰とも言えるような期待を、その一身に受けながら再度現場に乗り込んだ藤巻博昭なのだが、廃墟の土蔵の入り口に腰を下ろし、がっくりと肩を落としながら、マルボロメンソールを咥える事もなく、ただじっと地面を行進する蟻の集団を見詰めていた。

 高地に降りしきる真夏の太陽光に打たれながら、陽炎ただよう昼下がりに、何故調査もせず呆けた顔でうなだれていたのかには理由がある。


 ーー土蔵の中に全ての原因・根源があるとあると睨み、白昼を狙って赴いたのだが、何も無かったのだ。何も無かったのである。



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