66 「亡者」 ~They are dead~
長野市戸隠地区
観光の地、信仰の地、蕎麦の地として今も尚人々の足が絶える事は無いのだが、当たり前の話光があれば影もある。
超高齢化の集落もあれば完全に寂れて人々の息吹が失せてしまった集落もあり、その最大の要因として挙げられるのは希薄な雇用体系による若者の流失と言うありきたりなものなのだが、その背景には、古くからタバコの葉の栽培を生業としていた地域だと言う事実をもって、さもあらんと察する諸兄もあろう。
いずれにしても、静かに悠久の歴史を刻んで来たこの地に今、藤巻博昭は足を踏み入れた。
田舎蕎麦を堪能する目的であるならば藤巻もそれなりに乗り気だったであろうが、今回は目的はグルメではなく調査。
人々が寝静まった真夜中、それも週末が終わり新たな週の始まりを刻み始めた月曜日の丑三つ刻を目指して、藤巻は乗り込んだのであった。
早々と秋の虫が鳴き始めた山あいの地は珍しく晴れ渡っており、夜の霧にむせる事も無く「例の場所」にたどり着いた藤巻は、廃墟を目の当たりにしつつその不気味さに心が折れそうになりながらも、手が届きそうな満天の星空と月明かりが味方にして足を一歩踏み出した。
危険は承知している。
ミイラ取りがミイラになる可能性を過分に含んだこのケースは、本来ならば当事者たちの証言だけで発生状況の要因と解決方法を構築させるべきで、下手に動かずくのは得策ではないのだが、そうせざるを得ない理由が二つある。
一つは原因がはっきりと掴めていない事。廃墟を探索したら死体と幽霊の集団に遭遇しました、その後目撃者である仲間たちが三日おきに自殺を始めてしまった。これを言い変えれば咳の症状は確認出来ているのだが、何故咳をするのかその原因が掴めていないと説明出来る。原因は肺の炎症なのか気管支なのか喘息なのか……原因がはっきりと分からなければ治療法も見つからないのである。
そしてもう一つの理由、この理由が藤巻らしい理由でもあるのだが、要するにこれ以上美央を巻き込みたくないと言う事。
スティグマータ事件の際は、美央の行動力や洞察力・判断力を甘く見ていて、結果として美央の背中を押して悲劇に見舞われてしまった。
今回はクライアントが藤巻に対してダイレクトに依頼を持って来た訳ではなく、仲介者として美央の存在がある理由から、自分が動かなければ美央が動いてしまうと言う可能性を過分に含んでおり、その可能性を真っ向から潰す目的で藤巻は能動的に動いたのである。
ところどころ割れて崩れている土塀を前に、持っていたマグライトにスイッチを入れる。強烈に眩しい光が土塀を照らしながら、入り口を通って奥の母屋をも白日の元に晒す。
「ガキども……良くこんなおっかねえ場所入って行けるよな」
正直尻込みはしている。くたびれた母屋はところどころ屋根も抜け落ち、崩れた土壁からは藁が溢れており、見るからに幽霊屋敷甚だしい様相である。これを目の当たりにして何も動じない方がおかしいのだ。
それでも先に進まなくては始まらないと、深沢美咲の証言を元に同じ行動を取るべく母屋へと赴き玄関に踏み入った。
壁も崩れ屋根も崩れ、極めて風通しが良いにも関わらず、どこかしら仄かなカビ臭さが充満している母屋は、当たり前の話ひと気など一切無く、かろうじて人がそこで生活していたんだろうなと言う形跡があるのみ。
玄関の広い土間から居間へと上がり、崩れ落ちた屋根材の合間を縫いながら腐った畳の上を土俗で歩きながら、奥の間にたどり着いたのだが異変らしい異変を見つける事は出来なかった。
証言に沿って行動しているので、母屋で異変が起きないのは自明の理として次は土蔵。深沢美咲と男性の友人二人が死体を見つけてパニックを起こして車へ逃げ帰って来た場所だ。
「何かあると分かっていて入るのは、さすがに覚悟がいる」
土蔵の外、開け放ったままの分厚い扉の前にいる藤巻は、マグライトの光をその奥に差し込ませて内部を照らす事もせずにただそこで立ち尽くしている。
死体は長野県警が搬送したし遺留品も回収したのだと頭では理解していても、さすがにその場所へ足を踏み入れるのはあまり良い気がしない。幽霊や火の玉や妖怪なんぞより、そこに死体があったと言う現実味のある不気味さの方が余程恐ろしいのだ。
「死体は回収されている。つまり俺の身に何も無ければ死体が原因であるし、何かあれば別の要因がある」
ーー死体の正体は身元不明のホームレスだと結論付けられたとしても、何かしらの因縁が無いとは限らないーー
そう呟きながらいよいよ覚悟を決めたのか、マグライトで土蔵の中を照らしつつ土蔵の中へと足を運ぶ。
ライトに照らされたその空間は、土ぼこりが霧のように浮遊する、あまり心地良くない環境だ。
「……何も無い……」
気負うほどに気合いを入れて入ってはみたものの、小さなコンビニエンスストアほどの広さのある空間は「がらんどう」と表現しても過言では無く、何も乗せていない棚が並ぶだけの拍子抜けヲ誘う寂しい空間。
まだこの家に家人がいて生活を営んでいた頃は、家財道具やご先祖様から代々受け継がれた家宝などが並んでいたんだろうなと、歴史の移り変わりを感じながら探っていると、壁や棚を舐めるように移動していたライトの明かりが、巨大なシミの姿を捉えた。
「うわぁ、これか」
立ち止まってまじまじとそれを見詰める。
土間に染みているのは二本の足、そこから壁に伸びたシミは背中と頭を形作っているそれはまさしく死体の跡。死後長い間そこに置かれていたのか、腐敗した体液と血液が土に染みて、人の形として残っていたのである。
まるで孤独死があったアパートから清掃の依頼を受けてやって来た時のような、何とも筆舌に尽くしがたい状況を目の当たりにした藤巻は、暗闇の恐怖を脳裏の片隅に追いやって、誰にも看取られずに死んで行く者……まるで他人事ではない孤独な人の人生について思いを馳せるのだが、恐怖が薄らいで気持ちが緩んで来たその瞬間にそれは起きた。
どこからともなく人の声が聞こえて来たのである。
“う、ううう……。嫌だよ、死にたくないよ”
“もうどうでもいい、死んで楽になりたい”
「誰、誰だ! 」
慌てて土蔵の中にライトを走らせる藤巻だが、声の主を見つける事は出来ない、そもそもライトの先には何も映らず声がする方向もまちまちだ。
ーーこれが、これが異変の始まりなのか? ーー
“ここから落ちたら、痛いかな? 痛みを感じる前に逝けるかな”
“もう、どうあがいたって無駄だ。こんな生き地獄よりも楽になった方が”
ーーヤバイ、直接脳に語りかけられてる感じだ。これは一旦退散した方が良いーー
慌てて土蔵の入り口を照らし、脱兎の如く土蔵から抜け出した藤巻。その勢いをもってして車まで駆け出そうかと言う時、その足はピタリと止まった。
囲まれているのだ
瞬きもしない死人の目をした人々が真っ青な顔でぐるりと、藤巻を取り囲んでいたのである。
ーー覚悟はしてたが易々とハマってしまったーー
襲われるのか、追いかけられるのか、はたまた殺された後に自分も仲間入りするのかと疑問を抱きつつも、自分を取り囲んだ人々の様相に注視する。
世代はまちまち、男女比もバラバラ、そして着ている服も着物だったり最新流行だったりモンペだったり学生服の少年だったりと、その人その人衣服が全く違っており、その人がどんな時代に生きていたのか着る物から推察出来てしまうほどに統一性が無い人々だ。つまりは集団では無く個々の寄せ集めとも言って良い。
ただ、そんな彼らにも共通点はある
死への渇望、そして恐怖。さらに言えば生への執着と恨み辛み。
藤巻が想い描く『亡者』そのものでもあるのだ。
“死にたい……死にたくない……死にたい……死ぬのは嫌だ……でも! ”
“これを飲めば楽になる、……はずだったのに苦しい! 苦しいよう! 誰か! 誰かあ! ”
脳裏に入って来る彼らの言葉は、今際の際の言葉であろうか、死を望みながらも混乱しているような葛藤を感じる。
ものの数秒なのだが囲まれた後、別段彼らが襲っては来ない事を確認した藤巻は、背中にびっしょりと冷たい汗を滴らせながら全力で駆け出し、「人混み」の合間を縫って車にたどり着いた彼は、ほうほうの体で何とか脱出に成功した。
タイヤを鳴らしながら真夜中の山道を下る藤巻だが、その顔に明るい要素は一切無い。何故なら、今回のこの現地調査は完全なる失敗だと自覚しているのだ。
幽霊が出るのは分かった、彼らの積み重なった自殺願望が深沢美咲や彼女の友人たちに襲い掛かっているのだと推察も出来る。だが、正直なところ「だからどうした」なのである。ーー原因が全く掴めていないのだ
ーーくそ、昼間に来て徹底して調べる必要があるな。それも大至急だ!
一人目が自殺
二人目が自殺未遂
そして明日、三回目の「三日後」がやって来る
未遂に終わった二人目が再び行為を行うのか、それとも彼女を後回しに残りの二人のどちらかが死地に赴くのか。いや、残りは二人ではない。俺も含めて三人……三人なんだーー
目の下にクマを作り、酷く狼狽はしていながらも、解決に向かって諦める事をしない藤巻博昭。
果たして彼は、犠牲の連鎖を止める事が出来るのであろうか。




