62 好奇心の代償
「だめだよ、いくら廃墟でも所有者とか地権者いるんだよ」
「大丈夫大丈夫、ちょっと覗くだけだから」
「私行かないよ、怖いの嫌い! 」
「仁美は怖がりだから無理強いはしないわよ、私たちちょっと行って来るね」
絶対車から降りないからなと言うオーラを全身から放ちながら、加奈井仁美はアイドリングしながら室内灯とヘッドライトを煌々と点けている車で三人を待つ事に。
父親の車を運転して来た野口遼と地元に残った溝口秀幸、そして仁美と一緒に星城女子大学へ進学した深沢美咲の三人は、ヘッドライトに照らされた先にある、頑丈そうな土壁の塀で囲まれた廃墟へと入って行く。
ヘッドライトの明かりが届かない先はと、三人が三人ともスマートフォンを取り出してライト機能をオンにさせた。
「思いがけない展開だな」
「一軒家探しが廃墟探検まで発展するとはな」
「でも流石に怖い、私も仁美と残れば良かった」
「あはは、今から独りで車に行く方が怖いぜ」
意地悪ね! と口から出る言葉は猛々しいのだが、美咲は完全なるへっぴり腰となり、遼や秀幸の背後で彼らのTシャツを鷲掴みにしてくっ付いて歩く。
門をくぐり敷地内にスマートフォンの明かりをかざす。右も左もも庭は荒れ放題で、右手の土蔵も入り口の扉の金具が腐っているのか、扉は手前に倒れて真っ暗な空間がそこに広がっている。
「先に母屋を覗いてみようぜ、掘り出し物とかあるかもな 」
こう言う廃墟を見るとレトロ物に対する物欲が湧いて来るのか、遼は自分自身を恐怖で洗う肝試し感覚ではなく、海賊にでもなったかのような宝探し感覚で、母屋に足を踏み入れしきりにライトを照らし回す。
玄関の引き戸は壊れて開きっぱなし、割れたガラスがあちこちに飛散していて歩く度にジャリジャリとガラス片の擦れる音が神経に障る。
足を踏み入れ中を覗くと、広い土の土間が広がり壁側には土製のかまどが据えられ、奥の一段高いところから畳の部屋が広がっているーー昭和初期頃の一般的な田舎の家である事がそこから伺える
ボロボロになってめくれた畳、腐って抜け落ちた床や天井。むせるようなカビの匂いと辺り構わず張り巡らされた蜘蛛の巣は、それだけでこの家屋が長い間使われていなかった事を示しているのだが、人が住んでいない事これ幸いにと、遼たちは遠慮なく母屋の中をかき進み始めた。
「ボロボロのちゃぶ台と空の食器棚」
「食器棚の中に新聞が敷いてある……昭和六十二年か」
「遼、秀幸、もう帰ろ? 私怖いよ」
「この先は屋根まで崩れ落ちてるからヤバイな」
「じゃあ、帰り際に土蔵の方も寄ってみようぜ」
仁美が肩をすくめながら、不安げな表情で仲間の帰りを待つ中、遼たちはギシギシと儚い音を立てる床が抜けないようにと足元に気を付けながら再び母屋の外へと出た。
三人がようやく肝試しを終えて帰って来たと思った仁美は、車の窓を開けて大丈夫? と声をかけるのだが、隣の土蔵も見てみるよと遼の大きな声が返って来た。
「そんなの、念入りに見たからって、何だって言うのよ」
闇夜の恐怖と、独りきりにされた不安を抱えた自分とはあまりにも対照的な、遼のその能天気な返事に多少の怒りを覚えたのか、それとも三人で楽しんでいるだけで自分に対する配慮が足りないと思ったのか、仁美はぶつぶつと抗議の独り言を繰り返している。
その時だ、頑丈で高い土壁の塀に阻まれて中の様子は分からないのだが、ガラガラガシャンと盛大な物音と共に、遼たちの悲鳴が聞こえて来るではないか。
「うわっ! わわわわ! 」
「ひいいっ! 」
その悲鳴は途切れる事無く続き、帰りを待っていた仁美まで「何? 何? 何なの? 」と、居ても立っても居られないパニックに襲われる。
すると、三人が三人とも血相を変えて、まさしく全力疾走で車に向かって駆けて来るではないか。
「どうしたの? ねえみんなどうしたの! 」
半狂乱のような金切り声を上げ、次々に車に乗り込む仲間たちに問いかけると、遼たちの口から驚くべき答えが返って来た。
「死体、死体だよ死体、死体があった! 」
「秀幸、警察に連絡取れ! 早く! 」
「もうやだよ……だから私途中で引き返そうって! 」
三人の言葉を総じて斟酌すると、どうやら土蔵で人の死体を発見したらしいのだ。
「死体があったって、殺されてたの? 自殺なの? 」
「知らねえよ。ぐちゃぐちゃになっててそこまで分からなかったんだ」
「遼、車出して! 警察呼ぶにしても、とりあえず下の集落まで降りよう! 」
車内でパニックになり大騒ぎを繰り返す四人だが、美咲のこの場から離れると言う案が一番冷静になれると思ったのか、運転席の遼は素早く車を切り返し、後の者たちはシートベルトを装着する。
「秀幸、早く警察に電話しろよ! 」
助手席で息を整える秀幸に催促し、遼は下の集落まで降りようとアクセルに足をかけた時、今度は三人だけでなく、仁美も含めた四人全員が悲鳴を上げる。
「誰だよ、何だよコイツら、どこから湧いて出たんだよ! 」
「きゃあああっ! もうイヤーっ! 」
廃墟から慌てて帰ろうと車の向きを来た方向に向けると、いつそこに現れたのかも分からない人影が、道端にずらりと並んで伏し目がちに車をじっと見ているのだ。
まるで遼たちの車を見送るかのように左右に分かれて道端に並ぶ人影。見れば老若男女まちまちで何の統一性も無いのだがその数が凄い。五人十人の量ではなく、二十人や三十人ぐらいの人影が平気で揃い、蒼ざめた顔を車に向けて、まばたきすらしない死者の瞳が全て、この車に乗る若者たちに向けられているのである。
「遼、行け! とにかく下の集落までかっ飛ばせ! 」
「何? 何なのよあんたたち! 見ないで、こっちを見ないで! 」
「嫌、嫌よ! 助けて、死にたくない! 」
脱兎のごとくとは良く言ったもので、遼たちの乗る車も急アクセルで加速したからなのか、砂利道で車の後部を左右に振りながら走り出す。
「だから、だから嫌だって言ったのに! 私嫌だって言ったよね! こんな所来たくないって言ったよね! 」
「落ち着いて仁美! もう森に入ったから大丈夫! ほら、後ろから追いかけても来ないでしょ! 」
ほうほうの体で下の集落……つまり人里までたどり着いた四人。恐怖の興奮覚めやらぬまま警察に通報し、やがて赤色灯を盛大に回転させるパトカーの群れと一緒にあの場所に戻る事になる。ーー第一発見者として立ち会い、事情聴取を受けなければならないからだ。
だが不思議な事に、この若者たちの前に現れた集団の幽霊は現れる事は無く、発見した死体についての事情聴取はつつがなく終わり、帰宅の途に着く事となる。
あれは一体何であったのかと頭をひねる者、もう一瞬たりとも思い出したくない者など、四人の若者はそれぞれがそれぞれの感情を抱いて後の日々を過ごす事となるのだが……
この日の出来事がきっかけとなって、どのような恐ろしい結末に結びつくのかなど、今はつゆほど知らぬ四人であった。




