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60 アルコール解禁



 七月も折り返し地点を過ぎて、いよいよ本格的な夏が訪れる頃の事。

 ここコーヒータイムは週末であると言うのにいつもより早い時間に店を締めて、貸切客だけの宴が始まろうとしている。

 普段ならばこんな仰々しいイベントなど執り行われる事は無いのだが、マスターの姪っ子でありアルバイト従業員でもある江森美央が、記念すべき二十歳(ハタチ)の誕生日を迎えたとあっては祝わずにはいられないと、彼女に近しい者たちが集まってささやかな誕生日会を開いたのである。


 主賓は何もせずに座っていなさいと、ボックスシートの一角に美央を座らせたまま、マスターと有志たちが誕生日会用の調理を進めた結果、マスターは唐揚げやフライドポテトなどの軽食を、そして池田祥子と木内奈津子と成田礼子の女性陣がホールケーキとパスタを作り豪勢な食事を期待させている。

 そして調理が全くダメな藤巻と木内浩太郎はホール係の役割を与えられ、グラスや皿を用意し終わって一息ついていた。


 江森美央の誕生日は七月四日

 小中高時代は家族が祝ってくれていたが、コーヒータイムでアルバイトを始めてから毎年、店でもマスターや藤巻が簡単ではあるが誕生日を祝ってくれていた。

 マスターは手作りスウィーツと、店の制服にちょうど似合うだろうと髪飾りやイヤリングを送ったり、へそ曲がりの藤巻は七月四日はアメリカの独立記念日だから、美央ちゃんも早く大人として独立しないとねーーなどと訳の分からない事を言いながら、上等なボールペンなどをプレゼントしていた。

 しかし、何故今年に限ってこれだけ豪勢で仰々しい誕生日会が開かれるのかと言えば、彼女にとってお酒が解禁されると言う節目の歳であるのが第一の理由として挙げられるのだが、存外この数年において美央が様々な人たちと出会い、そしてその人たちから愛されて来たと言う本人の資質にも起因しているのであろう。


 ーー調理する者、準備する者、勝手にジャックダニエルを飲み始める者。みんなが笑顔である事が、その証拠でもあったのだーー


 準備が滞りなく終わり、店の真ん中でつなげたテーブルに全員が集まる。立食形式で足が疲れた者は好きな場所で椅子に座ってくつろげと言う、自由な雰囲気のパーティが始まったのだ。


「みんなの都合の調整で遅れちゃったけど、美央のお誕生日パーティ始めます! 」


 司会役を買って出た奈津子が、乾杯するからとグラスを持てと全員に促す。


 既に晩酌を始めてしまっている藤巻は論外として、マスターと池田祥子は生ビールのジョッキグラスを手にし、奈津子と浩太郎そして礼子は炭酸ジュースが入ったグラスを手にする。

 そして主賓の美央には、記念だからとマスターが用意していたシャンパンを抜き、シャンパングラスが渡されている。


「それでは乾杯したいと思います。お誕生日おめでとう、乾杯! 」


 奈津子の音頭で全員がグラスを掲げ、いよいよ美央の誕生日会が始まった。


 それぞれがそれぞれに掲げたグラスの中身を胃流し込み、冷たい液体と炭酸の刺激で喉と胃に満足感が溢れた頃、誰もが“はた”と手を止めて美央に視線をやる。


 アルコール解禁初日

 生まれて初めて飲むお酒


 マスターが可愛い姪っ子のためにと用意した上等なシャンパンを、最初は警戒してチビチビと、そして大丈夫だと感じた途端にグイっとグラスを空にした美央は、美味しい! と叫びながら頬を紅潮させるのだが、飲みやすくて美味しいと感じたシャンパンの逆襲に遭う。


「うんっ? ……ぐっ、げふうううう……」


 大きな大きなゲップが口から出てしまい、顔を真っ赤にする美央。どうやら強炭酸飲料自体が飲み慣れていないのか、人知れずゲップを出す方法すら閃かずに、ついついありのままの自分を見せてしまったようだ。

 しかし、そのあまりにもオッサン臭いゲップの仕方が面白かったのか、周りにいる人たちは爆笑しながら大盛り上がり。

 美央の乙女心が傷付くかとも思われたのだが、シャンパンの美味しさに勝てないのか、案外本人もその症状を楽しんでいるようにも見える。


 鳥の唐揚げ、フライドポテト、ミックスピザ、スパゲティ・カルボナーラとスパゲティ・ボンゴレビアンコ、シーザーサラダにホールケーキがテーブル狭しと並べられ、皆が皆頬を赤く染めながら舌鼓を打ち始め歓談が始まる。

 ちなみに、何故誕生日会の主役の一端を担うホールケーキにロウソクを立てて火を付け、主賓が「ふう」と息を吹きかけ消さないのかと言うと、正直なところ誰もが池田祥子に気を遣っていたと言わざるを得ない。

 見た目は何処と無くヤンチャな雰囲気を醸し出すキャリアガール、池田祥子は既に三十歳を軽く超えている。年齢的には落ち着いた頃合いのはずなのだが、こと藤巻が絡むと乙女アピールをぐいぐいと始めるあたり、あまり彼女の実年齢が話題にならないようにとの配慮が必要であったのだ。


「美央ちゃん、二十歳の誕生日おめでとう」


 頃合いを見計らったマスターが誕生日プレゼントを渡す。アメリカ式にバリバリと包装を破ると、出て来たのはショルダーバッグ。大人の女性らしくとマスターと奥さんが長野駅前の東急で悩みながら選んだらしい。

 そして池田祥子からはチークやマスカラやファンデーションを揃えた化粧道具一式を。奈津子からはシルバーのブレスレット、更に浩太郎と礼子の二人からは簡単ネイルセットが送られ、美央は感極まって今にも泣き出しそうだ。


「あ、あの……このタイミングで渡すと、何か俺良い人みたいになっちゃうよ」


 自虐ネタを絡めつつ、おどけた藤巻がプレゼントを渡す。

 小さくて細長い箱に入ったそれは女性用の腕時計。細いピンクの本革ベルトにメタルのラグ、白地のダイアルにやはりピンクの秒針が可愛く目立つ、フォーマルにもオフタイムにも使える代物である。

 いつもスマートフォンで時間を確認していた美央にとっては初めての腕時計、いよいよ感激を小さな胸に押し込めておく事が出来なくなったのか、美央は嬉しくて嬉しくて泣きだしてしまった。


「みなさん、みなさん……ありがどうございまず……げふううう……」


 ーーおい、もうそろそろシャンパン飲むのやめた方が良いんじゃね? ーー


 感謝と感激に彩られた美央の綺麗な涙よりも、鼻水が出ているのにそれが気にならないほど酔っている美央の姿が心配になる仲間たち。

 無理矢理シャンパングラスを取り上げ、美央のアルコールデビューは早々と幕を閉じた。


「藤巻さん、心配をおかけして申し訳ありませんでした」


 その後も続く歓談の中で、成田礼子はおもむろにそう言って頭を下げて来た。

 なかなかに切り出すタイミングが無くて今になってしまい、更にこのお祝いの場でする話でもないのだが、とにかく礼が言いたいとかしこまって来たのだ。


 理由はもちろん、先日まで木内浩太郎に起きていた恐怖体験について。

 藤巻に相談した後の事なのだが、浩太郎は成田礼子と連絡を取って全ての事情を話し、一緒に考えて一緒に思い出して欲しいと助力を願ったそうなのだ。


 『学校帰りのデートコースで、俺たち結構お寺さんや神社にも散歩の途中に寄ったよね。何か気になる事ない? 何か思い出さない? 』


 眉間に皺を寄せ、渋い顔で悩みながら記憶を辿っていた浩太郎とは対照的に、成田礼子は記録を辿ってものの三十分で当たりを引いたーーつまりビンゴ、浩太郎の言う地獄テレビの発端となる出来事を思い出したのだ。


 ーーコウちゃん、この写真送るから思い出してみて。確かこの日、お寺さんの近くに無縁仏の墓を見つけて、それを守ってる古いお地蔵さんを見たよね? ーー


 浩太郎は送られて来たツーショット画像の奥にある寺と、その脇道の林にあった無縁仏の墓を思い出した。


 そう言えば、林の中にひっそりと無縁仏の墓が並んでた、古くて顔も判別出来ないお地蔵さんがあった。俺……調子に乗って頑張れよとか言って頭を撫でてたよ。


 思い出した途端、痛々しいその行為と代償に顔面蒼白になった浩太郎。慌てて礼子を連れ立って、次の日にお地蔵さんの元へと赴き、丁重に謝ってお供え物を上げたのである。


「多分あれが霊道の一つで、お地蔵さんが道しるべだったのかも知れないです。それに俺が生意気な事やっちゃったから、だったらお前がやってみろよと」

「私もコウちゃんと同罪です、失礼な事しちゃいけないってあの場で怒っていれば、こんな事にはならなかったと」

「うん、高い勉強したと思えば良いんじゃないかな? とにかく一件落着で良かったよ」


 リア充の二人を前にちょっとだけ退き気味の藤巻であったが、浩太郎が礼子に向かって今までどんな亡者たちが目の前に現れたのかを話し始めると、その浩太郎がまるでプロの弁士のように滑らかな話し方をするので、恐ろしさ半分と楽しさ半分……つまり会談話を聞くように耳を傾けていた。


 先日浩太郎がコーヒータイムに駆け込んで来た時に聞いた話、そしてその場では聞く事の無かった初耳の話など、良くもまあ自分の身に起きた恐怖体験を次から次へと面白おかしく喋れるなあと感心していると、何故か藤巻の顔色が段々と変わって行く。もちろん、表向きは平静を保って超然としているのだが、腹の中は動揺で酷く揺れ動いていたのだ。


 藤巻に起きた異変、その元凶は浩太郎の話の中にあった。もちろん浩太郎が悪いのではなく、浩太郎が遭遇したとある亡者の事である。


 一番印象深かったのは、先週家の前でいきなり現れたおばあちゃんかも知れない。一見普通のおばあちゃんに見えるんだけど、もちろん俺の前に現れるんだからその人も地獄行きなんだと思う。

 やっと家にたどり着いたと思ってホッとしてると、家の門の前にいきなり現れてさ、思いっきり俺に詰め寄って来て相談始めるんだよ。


 (私、償ったわよ! 今まで償いながら生きて来たの! なのに何で私は地獄に行かなきゃならないの? 私の償いには価値が無いって言うの! )


 そんな相談持ちかけられたって、俺が答えられる訳無いじゃない。だからもう必死に後ずさりしながら俺には関係無いって心で叫び続けてるのにさ……


 (確かに、確かに私は二十年くらい前に人を殺した。ケイコちゃんには悪いと思ってる。だから仏様を前に償いながら生きて来たのに、まさか私もアイツに殺されるなんて! )


 何かそのおばあちゃん、昔に人を殺した事があるらしくて、更に自分も殺されたらしいんだ


 (私にケイコちゃんを殺させておいて、手を汚しもしなかったくせに! 私が邪魔になった途端にアイツは……! 許せない、呪い殺してやりたいのに、何で私が地獄に堕ちなきゃいけないの! )


 【二十年くらい前】【ケイコ】【老婆】

   ーーこれらの単語が藤巻の頭の中で絡み合い、新たな文章が形作られて行く


 『二十二年前に殺された臼井圭子について、彼女を殺したと告白する者が現れた。その者の名は牧野チエ、スナックみすずの元経営者で現在は行方不明だと思われていた。だが牧野チエは亡者となって現れ、自分も殺されたと主張している』


 額からはじっとりとした不快感を伴う脂汗、背中には凍えてしまうのではと錯覚してしまうほどの冷や汗。

 表情こそ祝いの席に合わせてにこやかには作っているものの、藤巻の内心は穏やかでは無い。「穏やか」に否定の単語を組み合わせるどころか、彼の内心はブリザード吹き荒れる極冠の寒さに覆われていた。


 ーーいくら全国規模と言っても、牧野チエを行方不明者として探す出すだけじゃダメなんだ。身元不明の遺体すら彼女の可能性を鑑みなければ、第三の人物、今も生きているであろう真の犯人にたどり着けないーー



 ……さん、藤巻さん、ふじまきさん!


「うん? どうした美央ちゃん」


 自分を呼ぶ声に振り向くと、そこには美央の姿がある。相変わらず顔は真っ赤で目もトロンとしており、酔ったままであるのは明白。


「藤巻さん、藤巻さん、何を悩んでるのですか? 」

「えっ、俺が? そんな事ないよ、悩んでなんかないさ」

「嘘、嘘、嘘ですぅ、藤巻さん悩んでますぅ」


 からみ酒の気でもあるのか、この面倒くさいヤツめ、実は酔拳の使い手かよと腹の底では思うものの、口には出来ないし言ったところでどうなるものでもない。

 「いやあ、あはははは! 」と藤巻は笑って誤魔化すのだが、美央の次に放った言葉が藤巻の胸を貫いた。


「藤巻さんは顔と心を使い分けてる時あります。悲しいのに笑ったり、怒ってるのに穏やかだったり。私分かるんです、分かるんですからね! 」


 ドキっとした言葉だったのだが、その後に続く言葉は無く、美央は電池が切れたかの様に一旦ピタリと身動きが止まる。

 何が起きたと目を白黒させる藤巻や浩太郎を前に、再び美央が動き出すのだが、動いたのは彼女の口だけだった。


「……げふうううう……」


「まだ飲んでるのか!? 祥子さん、祥子さん! もう美央ちゃんに飲ませるなって言ったよね、俺言ったよね! 」


 コントのような光景と笑いにかき消されてしまったが、藤巻が自分で背負った十字架は何やらもったいぶっているのか、なかなかにその全貌を現さないでいる。

 だがそれもいつかは白日の下に晒され、正義と言う名の法が執行されるのであろう。


 なぜそう言い切れるのか?


 なぜならばそれは、追う者が探偵藤巻博昭だから

 過大評価や誇大表現など必要の無い男だったからである。



  ◆ 相談者 編

     --終わり



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