59 地獄ポータル 後編
「今日は藤巻さんがいると思って店に来ました。藤巻さん、相談に乗ってもらえませんか? 」
木内浩太郎が立派だったのは、姉の車でこの店に来て、そして姉に概要を喋らせるのではなく、自ら藤巻の前に立って頭を下げた事。それだけ彼は真剣であったと言う現れでもあり、それだけ切羽詰まっていたとも言えた。
木内浩太郎が持ち込んで来た相談とはもちろん、浩太郎の身に起きた数々の心霊現象。その体験を自分が我慢出来なくなるまで体験して分析し続け、いよいよこれ以上は無理だとばかりにコーヒータイムに駆け込んで来たのである。
「藤巻さん、毎度毎度の相談でホント申し訳無いのですが、弟の話を聞いてやってください。コイツ誰にも相談しないで、こんなにやつれるまで……」
浩太郎の頭をグイと掴んだまま、自分と同時に浩太郎の頭を強引に下げる奈津子。彼女の表情には悲壮感が漂っており、肉親を襲った不幸に心から心配し胸を痛めているようだ。
「うん、まあ……座りなよ。マスター、もうちょっとだけ時間良い? 」
閉店を目の前にした時間である事から、藤巻はマスターに配慮して了承を得ようと一声かけると、マスターは笑顔でそれを受け入れる。マスターも大事な姪っ子の友人とその弟をいたく心配しているようだ。
そして池田祥子は藤巻の邪魔をしてはいけないと早々に店から引き上げ、美央も気を効かせたのか、閉店の準備だと言って厨房で後片付けに専念し始める。
マスターが淹れてくれた三人分のコーヒーを手に、カウンター席からボックスシートに移動して早々、浩太郎は進退窮まった顔で自分の身に起きた恐怖体験を淡々と話し始める。ーーねえねえ聞いて聞いて、あのね、それでね、と言うとりとめの無くだらしない話し方ではなく、状況と結論と推察と疑問が整理された、まさしく報告をもって上司の判断を仰ぐ、ビジネスマンのビジネストークのようにだ。
「時と場所を選ばず幽霊を見るようになりました」
浩太郎のこの出だしの一言で藤巻の表情はみるみる内に曇り、ああ……またこの手の話ですかそうですかと、頭をかきむしりそうなひどくゲンナリした顔付きになるのだが、さりとて話題を打ち切って相談の真っ向拒否をしない理由は、最終的に藤巻の人柄良さが滲み出ているのが結論なのだろうが、それ以上にこの浩太郎の淡々と進める話があまりにも恐ろしく、そして非常に興味深い内容であるのも、その理由にはあった。
ーー幽霊がぼうっと立っていたり、ふわりと横切ったり、自分に恨みをかかえて襲いかかって来るのではなく、幽霊が身の回りに出現しては何かを訴えて来る。それもひどく限定された内容でーー
「地獄には行きたくない、何で俺は私は地獄に落ちなきゃ行けないのか。そう言う怒りのこもった疑問を俺にぶつけて来るんです」
「地獄に行きたくない……か。浩太郎君の前に現れる幽霊たちは、誰もがそればかり主張して来ると? 」
「はい。天国行きの幽霊や自分が死んだ事に気付かない地縛霊みたいなのは一切現れません。現れた全ての幽霊が地獄行きが決定しているような口ぶりでした」
ーー例えば
夫のDVに耐えられなくなって逆に夫に逆襲したら、誤って夫を殺してしまい、自分も首を吊った妻。
強盗殺人事件を起こして死刑執行された者。
ブレーキとアクセルを踏み間違えて歩行者を何人も跳ね飛ばして殺したのに、ブレーキが効かなかったと嘘を主張して生涯逃げ続けた老人。
最後の望みでもある老後の蓄えを電話一本で騙し取り、儲けた金で遊び回っている内に仲間割れで殺された男。
日頃の鬱憤を晴らすために野良猫や野良犬を殺し続けた男。
寝たきりで亡くなった母親をそのまま放置し、生きているように装って母親の年金を不正に受給し続けた無職の息子。
食事に毒を混ぜて家族を皆殺しにしたあと、自らも火を被り家ごと焼いて焼死した女性。
現れた者がことごとく主張するそのポイントは、地獄行きが決定したと言う事。それのみをクローズアップさせた主張を押し付けられるような体験が続いているのだ。
「なるほど、まだ地獄には行ってはいないが、これから行く人々か」
「はい。あくまでも俺の推察なんですが、そう言う種類の人たちが集まって来る現象、それが俺の身に起きてるんです。さらに……」
ーーこの現象が起きてから今の今まで何とか正気を保って来れたのは、唯一自分の家が聖域のように平穏だったからです。とにかく家に逃げ込めば、地獄行きの亡者たちが現れる事は無かった。だけどとうとう、自宅でも起きてしまったーー
「家族みんなが寝静まった深夜に、俺の部屋のテレビが勝手について、地獄テレビが放送され始めたんです」
「地獄テレビ? どんな放送内容なの? 」
「別にタイトルとか無くて俺が地獄テレビって命名しただけなんですけど、とにかく気味が悪くて……」
画面上の背景は別段どうって事の無い風景の画像をはめ込んでいるだけなんですが、画面の下から上に向かってどんどんと人の名前がスクロールされて、いちいち名前が読み上げられるんです。そして名前が全て読み上げられると、最後に「以上、◯◯名が、本日をもって輪廻から外れた者です」ってアナウンスが入って番組が終わるんです。
一日の疲れをリセットさせるべく、楽しい時間に美味しく飲んでいたジャックダニエルを切り上げ、マスターが気遣って淹れてくれたマンデリンコーヒーのとびきり苦くて香ばしい風味で、緩くなっていた頭の回転を再び上げる藤巻。
まるで都市伝説のような浩太郎の話を、脳裏で何度も何度も反芻しながら、断片的な体験話を繋ぎ全体像を描き始めている。
眉間に皺を寄せてうつむきながら、テーブルの上の角砂糖を入れたポットを睨み続けている様は、なかなかに藤巻にも見えてこない厳しいケースなのかとも周囲の者たちを心配させるのだが、それだけ藤巻が真剣に考察の翼を羽ばたかせていると言う事は、誰よりも問題解決に一番近いと実感するのも事実。
誰もが神経を尖らせて、藤巻の「アンサー」を心待ちにしていた。
「藤巻さん、浩太郎は自分で解決しようと考えてたみたいなんですが、結果この有り様でとうとう家にまで。私家族が心配で……」
「奈津子ちゃんには何かしらの変化はあったのかい? 」
「いえ、今のところ私や両親には影響は出ていません」
重苦しいため息を混ぜながらなるほどねえと席を立ち、ボックスシートからカウンター席へと移る。木内姉弟との会話を中断させる積もりで席を立ったのではなく、もちろん、藤巻が懐にいつも忍ばせているマルボロメンソールが目的である。タバコの煙をこの姉弟にぶつけたくなかったのだ。
最近あまりタバコを吸っていなかったのか、懐から出した紙のパッケージはフニャフニャに歪み、中から取り出したタバコも奇妙な方向に曲がっている。
藤巻はそれを気にもせずに口にくわえ、シュボっとライターの火で先端を炙り、肺にたっぷりと入れた煙を静かに吐き出した。ーー藤巻の脳裏で、バラバラだったジグソウパズルのピースたちが綺麗に並び始め、全体図が見える勢いで空白を埋め始めたのだ。
「浩太郎君の話だと、包囲網がだんだんと狭まって来て、いよいよ自宅にも影響が出始めたと言う事だね? 」
「えっ、はい。そうです、そう言う流れかと思います」
「一連の話を聞いて自分なりに考察してみたんだが、ちょっと違うかな」
「ちょっと……違いますか? 」
「うん、むしろ浩太郎君の自宅が台風の目になっているのではと思っている」
藤巻の言葉にギョッとする奈津子と浩太郎。
だがもちろん、藤巻理論に関して反感をもったのでは無く、つまりはそれに対して食ってかかったり、顔を真っ赤にして反論する事は無い。藤巻が何をもってそう切り出したのかがとにかく気になるだけで、不思議とそれが解決に一番近いのだと肌で感じて前のめりになっているのだ。
「ちょっと話を整理しよう、分かり切った言葉を繰り返すかも知れないが、飽きないでくれよ」
その言葉を序章として、藤巻は木内姉弟や厨房で後片付けをするマスターや美央にも聞こえるような声で、単語一つ一つまで大事にするようなゆっくりとした口調で話し出した。
一つ、浩太郎君は心霊体験をするようになった
一つ、心霊体験で現れるのは地獄に行く者たちであり、浩太郎君に何かと自己主張して来る
一つ、安全だった家でとうとう心霊現象が起きた、テレビで地獄放送が流れ始めた
これらが浩太郎君の身に起きた出来事を箇条書き風に表現した内容なのだが、これら一つ一つに逆説的な言葉を繋げてみよう。
一つ、浩太郎君は心霊体験をするようになったが、以前は心霊体験をするような人物ではなかった
一つ、現れるのは地獄行きの亡者たちのみで、何かと自己主張しては来るが、浩太郎君に取り憑いたりはしない、あくまでも地獄行きを待つ者であり安全である
一つ、安全だったはずの自宅でもテレビで地獄放送が流れ始めたのだが、もしかしたら最初から放送されていた可能性がある
「あまり気を悪くしないでくれ。怖い体験をするだけでも身がすくむのに、多発すればそれこそ頭がおかしくなっても不思議ではないはず。むしろ良くここまで耐えて冷静に分析したなと、俺は感心してる」
地獄放送はつい最近始まった事ではなく、実は気付いていないだけで、現象が起きた最初から放送されていたのではないかーー藤巻はそう指摘しつつ浩太郎に詫びたのだが、浩太郎はヘソを曲げるどころか、目からウロコをこぼす勢いで食いつき、続きを話せ続きを話せと無言で要求している。
外で浩太郎君が遭遇した心霊現象と、自宅で遭遇した心霊現象の質が全く違う事、これがポイントだと思う。
時と場所を選ばずに、地獄行きの亡者たちはどんどんと君の前に現れて自分の正統性を主張する。全てが個別案件であり、全てが雑多なシチュエーションケースである。
翻って浩太郎君の自宅、自室で放送されると言う地獄テレビは、「輪廻から外れた者」つまり地獄に幽閉される事が決定した者の名前を発表しているに過ぎない。
まさしく気象予想図に出て来るような、台風の全体像と台風の目の関係なのではないか?
さらに台風の目について絞って考えれば、二択の答えが提示される事が考えられる。台風の目とは、浩太郎君自身を指す言葉なのか、それとも浩太郎君の部屋を指す言葉なのか。ーー浩太郎君、君はどう思う?
藤巻は自分で結論まで持って行くのではなく、珍しく浩太郎に質問を振った。それは感情的にパニックにならず、恐怖に耐え忍んで考察出来る要素を貯めた浩太郎に対して華を持たせようとする、藤巻の気遣いにも見える。
「台風の目は俺自身だと思います」
「その理由は何だろう? 皆が納得出来るように聞かせてくれないか? 」
「はい。もし俺の部屋が台風の目なら、俺だけでなく部屋に出入りする家族全てに何かしらの影響が出ていておかしくない。何かのきっかけがあって心霊体験が始まったと考えるのなら、今まで何らきっかけの無かった俺の部屋は、むしろ建てた時から台風の目でなければ辻褄が合いません」
藤巻はにっこりと微笑んだ。その微笑みが全てを語っていたーーそれだ、それだよと
原因は木内浩太郎本人にあるところまでは話は詰められた。木内浩太郎が地獄の入り口であり、魂の穢れた者たちが浩太郎に吸い寄せられ、そして地獄に堕ちて行くのだと推察出来た。
「それって、心霊話とかでたまに出て来る【霊道】って事なのかもね」
姉の奈津子が納得したかのような顔付きでそう呟き、多少安心したのか冷めたコーヒーにやっと口をつける。
「浩太郎君、これでハッピーエンドじゃないのは分かっていると思う、あくまでも事象を分析しただけだからね。それで、きっかけの心当たりはあるかい? それは自分で解決出来そうかい? 」
浩太郎は胸を張って自分で解決出来ると答えた。
藤巻も奈津子も、そして後片付けをしながら耳だけ大きくしていたマスターや美央までもが、浩太郎の言葉に安堵する。
だがその直後、浩太郎が心当たりについて語り出した際、藤巻と奈津子と美央の三人だけは何やら微妙な空気に包まれてしまう。何故ならば、それまで胸を張って勇ましく答えた浩太郎が急に身体をクネクネ揺らし、妙に照れながらこう答えたからだ。
「心当たりなんですが……俺今彼女いまして……レイちゃん、いや! 成田礼子さんなんですが、その……学校帰りに二人で結構回り道したりして、お寺とか神社で話し込んだりしてまして……何か障っちゃったかも知れなくて……」
“ああそうだった。コイツそう言えばリア充だったんだ”
頼もしく見えた反面、急に越えられない高い壁と近付く事の出来ない距離感を覚えた藤巻と奈津子と美央の目は、いつの間にか死んだ魚の目のように曇っていたのであった。
メロメロじゃねえかよ
ーー江守美央談




