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57 筋の通し方



  ーーおかしい、何かがおかしいーー


 やつれ切った表情の浩太郎は、朝起きてから寝るまでの間、常に気を張って周囲を警戒せざるを得ない状況に陥っている。

 学校と自宅の往復を繰り返すだけの日々なのだが、それでもやはり人混みを避ける訳にはいかず、神経を尖らせながら“悪意に満ちた”気配から遠ざかろうと必死なのだ。


  例えば、朝の通学時にバスに乗った際の事。

 郊外から長野市街地に向けてやって来るバスはすし詰め状態で椅子に座る事もままならないのだが、長野市街地から郊外の高校に通う浩太郎が乗るバスは比較的ゆるゆるで相席すらあり得ないほど空いている。

 いつも通りバスに乗って、定位置とも言える後部の一人用座席に腰を下ろして、ぼんやりと窓の外を見詰め始める。


 すると、車窓を通じた外からではなく車内から視線を感じる。顔の肌をジリジリと焼く様な、悪意に満ちた視線を感じるのだ。


 ーー視界の中にいる。自分の視界の一番左端、焦点から外れてぼんやりとしか姿が見えないけど、あの人だけずっとこっちを見てるーー


 視線を合わせたくない、視線を合わせれば相手の存在を認めてしまった事になる。そんな強迫観念についつい囚われながら、意識して窓の外に視点を固定していると、その“人影”は業を煮やしたのか、とうとう浩太郎に食ってかかって来た。


 (何でだ、何で俺だけ責められなきゃいけないんだ! )


「……ひっ! 」


 急に怒鳴られたショックで身体中に電気が走る。肩がすくみ小さな悲鳴を上げるのだが、もちろん他の乗客には何ら影響は無く、むしろいきなりビクついた浩太郎にチラリと視線が向く。


 平常心平常心と繰り返し心の中で呟きながら、あえて車内の光景を無視して車窓の景色に集中する。

 ビクついた際にちらっと視点を合わせてしまったのだが、その人影は若者。何やら囚人服のような簡素な服を着た若者で、頚椎が骨折しているのか、グニャリと折れ曲がって左右に揺れる顔が痛々しい姿の“死者”だ。


 (俺だって好きでやった訳じゃねえ! 産まれて直ぐに親に捨てられ、施設で育った俺に社会は冷たかった! )


 ーー俺には関係ない、俺には関係ないーー


 (学校も、会社も、結婚も! この社会は底辺の俺を見下してただけで、救いの手なんか差し出さなかった! )


 ーー関係ない、俺には関係ない! 俺には簡素ない! ーー


 (人を騙して金ふんだくって、人を殺して金ふんだくって。そうしてなきゃこんな地獄みたいな社会で生き残る事なんか出来なかったのに、何で俺だけ死刑になって地獄に行かなきゃなんねえんだ! 何故だ! )


 ーー俺には関係ないんだ! 俺には関係ないんだよ! ーー


 浩太郎は実際にそう叫んではいない。

 鼓膜ではなく脳にダイレクトに入って来る怨嗟の声に対抗するため、腹の底で強く強くそう念じて抵抗しているのだが、それが功を奏したのかやがて現実が帰って来る。


 ……ピンポーン『次は三輪、三輪』


 浩太郎が通う長野三輪高校が目前に現れ、誰かが押したブザーでバスが止まる。

 何のタイミングかも分からない内に、あれだけ浩太郎に怨嗟の声を上げていた人影は、いつの間にか消えていたのだ。



  例えば、授業中の事。

 たまたま英語の抜き打ち小テストが行われ、英語が得意だった浩太郎は早々と問題を解いた後に、余った時間を消化するようにぼんやり外の景色を眺めていると、さっきまでは誰もいないはずの校庭のグランドに、何故か人影がポツンと立っている。

 

 “また来たか”ーーたびたび繰り返される死者とのコンタクトにだいぶ慣れて来たのか、一目見て飛び上がるような驚きは見せないものの、突如始まる恐怖を受け入れた訳ではない。浩太郎のその言い方には恐怖と焦り、そして何故自分にと言う怒りが含まれている。


 目を凝らして見れば大人の女性。浩太郎がいるこの校舎と通路を挟んだ野球のグラウンドに一人立ち、じっとりとした目で浩太郎を睨んで来る。いつもと空気が違うと感じたのは、この女性、、、感情を爆発させる様な怒りを向けて来るのではなく、どこかシニカルな皮肉めいた嘲りを浩太郎に向けていたのだ。


 (ヒヒヒヒ、ヒヒヒヒ! 良いわよ、良いわよ。地獄に行くんでしょ? )


 ーーな、何だか気味悪いぞーー


 (みんな道連れに出来たから、ヒヒヒヒ! みんな道連れに出来たから文句なんて言うもんですか! 風呂を覗いて来るあのクソジジイも、嘘つき呼ばわりするあのババアも、ババアの肩持つマザコン旦那も! まともに目も合わせないゲームにしか興味の無いバカ息子も! )


 ーー帰ってくれ、どこかに行ってくれ! 俺には関係無いんだ! ーー


 (ヒヒヒヒ、ヒヒヒヒ! 白目を剥いたジジイのあの泡の吹き方、ババアの何で? って顔。お前が毒嫁って普段から言ってたからちょうど良かったじゃない! )


 ーー俺には関係無い! 俺は一切関係無い! ーー


 (旦那なんか馬鹿みたいに食ったから直ぐ死んじゃったけど、あのバカ息子ったらもう……普段なら飯がマズイだけで殴る蹴るで大暴れするのに、お母さん助けてだって。お母さん助けてだって、ギャハハハハ! だから私言ってやったのよ、教会行けば生き返るかもねって! )


 燃えろ燃えろ、みんな燃えろ! とその女性は叫びながら、メラメラと燃え上がる。盛大に燃え上がるそれは、まるで完全な火柱のようだ。


 だが、こんな異常な状況もいつの間にか消え去ってしまう。

 授業の終わりを知らせるチャイムが鳴り、教師がテストの解答用紙を順番に前に送るよう指示した頃には、その燃え上がる女性は消え、隣の席に座る成田礼子が「コウちゃんテストどうだった? 」と、愛嬌たっぷりに聞いて来る。

 嫌な汗を額と背中にどっぷりと流しながら、彼女の笑みに恐怖の孤独から救われるのだ。


 これ以上こんな光景を見続けるとトラウマになって自分の人生すら悲観し始めてしまう……。そんな危惧すら抱いてしまう衝撃的な光景なのだが、木内浩太郎はただただ恐怖に身を屈めて打ち震えるだけの男では無かった。

 確かに個別のケースでは、いきなり目の前に現れる事もあって毎度毎度恐怖に染まったパニックに襲われるのだが、目の前に死者が現れると言う一連の現象については全体的な考察を進めている。ーー怯えた子羊のように恐怖に支配されず、恐怖の分析を始めて問題の解決を目指し始めたのだ。


 まず、彼らは死者である。これを大前提として浩太郎は考察を開始する。


 そして次に出現する場所と時間。

 場所は全くのランダムであり、徒歩通学中、バス乗車中、学校、帰宅バス乗車中、徒歩帰宅中と、他に人がいるかいないかなど関係無しに死者たちは現れる。

 ただ不思議な事に、浩太郎は帰宅後に一切の死者と遭遇していない。これを踏まえると死者は場所と時間を選んではいないが、木内家では現れない事が見えて来た。


 更に考察を進め、死者の種類について考えてみる。

 浩太郎の目の前に現れる死者は、正直なところまともじゃない。怒りの声や呪いの声を浩太郎にぶつけて来るのだが、言っている本人がそれを言うのかと言う身勝手な主張をしているだけに思えるのだ。

 夫を殺して自殺した女性、強盗殺人事件を起こして死刑になった者など、私は悪くない社会が悪いんだとか、家族が悪いのだと主張して、自分が行なった事を正当化するのだが、当たり前の話到底受け入れられる話ではない。

 そして彼らは最終的にこう主張するのだーー地獄へ行きたくないと


 まだ地獄には行ってはいないものの、地獄行きが決まっている死者たち……つまりは自分の近辺に地獄の入り口があるのでは?


 考察はここまでたどり着いたが、ここで暗礁に乗り上げる。

 木内浩太郎には霊感が無い。たまたま昨年成田礼子の家で遭遇した女性の霊も、逆さ柱の呪いが起因した結果であって、霊感の無い自分だけでなく様々な人たちが目撃出来るレベルであった事から、今の今まで霊感体質ではないと思っていた。

 だが、ここ最近になって“地獄行きの人々”を垣間見るようになったきっかけが、全く分からないのである。


 自分の体質が変化したのか? それとも何かがきっかけとなっているのか? どうすれば普通の生活に戻れるのか? ここで浩太郎はつまづいてしまったのである。


 だがそれでも、浩太郎は絶望していない。

 絶望しているどころか、必ず解決に至ると信じて自暴自棄に陥ってはいない。何故ならば「あの人」が必ず解決してくれると信じているからで、そのためにも今は耐えて事実の積み重ねから考察を重ねて来たのだ。


“助けてもらう側にも、筋の通し方がある”


 これは浩太郎の持論なのだが、この言葉にどんな意味があるかと言えば簡単である。助ける側が容易く解決出来るように情報を集めておく事であり、助けてもらう側がパニックに陥ってただただ泣き喚くのを諌めた言葉である。

 つまり木内浩太郎は恐怖体験が始まった段階で「あの人」に助けて貰うためにも、デパートの中で母親とはぐれてひたすら泣きじゃくる子供ではなく、怪人二十面相と戦うにあたり、明智小五郎に情報を提供する小林少年に徹したのである。


 ーーあと数日くらいは我慢出来る。我慢出来なくなったら、姉ちゃんにお願いしてあの店に連れて行ってもらおうーー


 唯一のサンクチュアリとなった自宅、その自分の部屋でそう決心し、今宵も布団に入って目を瞑る。


 気疲れから来る心理的負担でフラフラなのか、安堵に包まれた布団は浩太郎に優しく、すぐに安らかな眠りへと誘って行くのだが、浩太郎が夢の世界でのびのびと人生を楽しんでいる頃……今日もテレビは謎の番組を放送していた




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