55 木内浩太郎、寝る
木内浩太郎は県立長野宇木高校普通科に通う三年生である。
姉の奈津子は四年生の女子大学に進学したが、本人はパソコン関係の技術専門学校に進む事を早々と決めて、高校最後の夏休みを前にして、緊張感とはかけ離れた日々を送っている。
季節は七月に入ったばかり
大型台風が沖縄を直撃していよいよ日本列島に台風が来るかと、テレビの全国ニュースが連日大騒ぎしている中、「天然要塞」「鉄壁のガード」と呼ばれる長野県の地方ニュースでは、ジビエ料理店が好調だの絶滅寸前だった雷鳥の雛が元気ですと、まるで外界との温度差が如実に現れている頃の話。
木内浩太郎はいつも通り「これでも精一杯荒れている」長野の曇天の空の下、自転車で帰宅した。
木内家の夕飯は既に始まっており、帰宅部の浩太郎ならもっと早い時間に帰宅出来るのだが、やんごとなき理由をもってNHKの七時のニュースが始まる時間を軽々越えて帰って来る。
そんな浩太郎に向かって母親や父親や姉の奈津子は、何故こんな時間に帰って来るのかや、寄り道しないで早く帰って来なさいとは言わない。本人の行動に対して怒る事は無い。
むしろ、遅い時間まで礼子ちゃんを連れまわすなと、浩太郎の彼女である成田礼子を心配する声ばかりなのが現状だが、浩太郎はうんうん分かってると気の無い返事を繰り返すのみーーはにかんだ表情で目を背ける事から、そう言われるのもまんざらでは無いと言った有り様でもある。
そして帰宅すると温め直した夕飯にありつき、必要最低限の勉強を行なった後に、姉と風呂に入る権利を争いながら空いた時間にスマートフォンで小説を執筆し、小説に行き詰まるとユーチューブのゲーム実況動画を見ながら、冷蔵庫のアイスやプリンの権利を姉と争いつつやがて睡魔に襲われる……これが浩太郎普段の生活である。
また日曜祭日についても、成田礼子とのデート予定が無い限りは自室にこもって自作小説の執筆とゲーム実況動画の視聴に明け暮れ、他のイベントがあるとすれば、姉との様々な権利争いがせいぜい。
これらを総じて、浩太郎の生活から何が見えて来るのかと言えば、木内浩太郎とテレビとの関係は皆無に近いと言う事。季節がどんなにうつろいだとしても、浩太郎の生活にテレビは密着していなかったのだ。
確かに、浩太郎の部屋にはテレビが置いてある。両親から自分の部屋を与えられた幼少期にはそれが無かったが、姉の奈津子ともども男女の趣向の差が出て来ると、一階のリビングにあるテレビは常にチャンネル争いの場でもあり、アイドルが出演する番組を見ようとする奈津子と、アニメが見たいと主張する浩太郎と、プロ野球のナイターが見たくてウズウズしている父親の三つ巴の緊張状態が続いていた。
それが原因となって思春期に入った頃には、奈津子の部屋にも浩太郎の部屋にもテレビが据えられ、いよいよ賑やかな家族団らんの時代は個々の時代へと変化したのだが、ほどなくして浩太郎はテレビ以外の新たな媒体を手に入れたーーパソコンとスマートフォンである
スマートフォンのネットを利用すれば様々な情報が瞬時に手に入り、娯楽を求めるならばパソコンで好きな動画が瞬時に閲覧出来る。つまり、好きなアニメのDVDを再生させる程度まで、テレビの存在価値は低下してしまったのである。
さもあらん
どのチャンネルに変えても似たような内容のバラエティばかりで、「結果はCMの後! 」と騒いで視聴者を強引に引き止めるやり方は、古くから各方面で苦言を呈されているのに、それすらやめられないでいるテレビ。
視聴者からの苦情でがんじがらめになりながらも番組内容と構成をえげつないものにしないと誰も振り向かなくなったテレビは、退屈が嫌いで結論を直ぐ手に入れたい現代人には不向きなメディア媒体になってしまったのだ。
そのテレビ……長らくDVDの再生モニターと化していた浩太郎の部屋にあるテレビが、何やら様子がおかしい。それも浩太郎が気付かないところで何らかの異変を示し始めており、浩太郎本人も全く気付いていない。つまりは、就寝中の出来事なのである。
生あくびが増えて来て目が開けていられなくなった、いつも通りの深夜。時計の長針と短針が頂上を指し示す時間に、浩太郎は電気を消して布団に入る。
スマートフォンの目覚まし機能をオンにして、ついでにSNSのページをもう一度開き、「今年の夏はどこか旅行にでも行きたいね」と言う礼子の書き込みにちょっと口元を緩め、そして改めて目を瞑る。
全国的に七月上旬は気候からして初夏に分類されるが長野の夜は底冷えがひどく、まだ網戸で寝ていらない時期であり、ましてや台風が来ていて日照時間も少ない事から、この時期としては近年まれにみる寒い夜だ。
木内家でも寒いと大騒ぎした奈津子が主導になり、冬用の起毛仕立ての毛布を押入れから引っ張り出した事で、浩太郎もぬくぬくの毛布にくるまり、気持ち良く夢の中へと落ちて行った。
いくら木内家が長野市街地に近い場所にあると言っても、平日の深夜は繁華街でタクシーがぼんやりと列を成すほどに華やいでいない。
車が走る音が聞こえて来ない、犬も猫も吠えたり威嚇していない、ヤンチャ者たちが警察と追いかけっこをしていない……そんな静まり返った星も見えないどんよりとした深夜に、浩太郎の部屋のテレビが突如“プン”と音が鳴り、画面に白々と明かりがともる。
ーー田舎のテレビは夜寝るーー
首都圏のキー局のように夜通し番組を放送し続ける事は無く、かろうじてNHKがオールナイト放送を行うか、業者との契約上テレビショッピングを放送せざるを得ない場合以外、完全にシャットダウンして画面上には「砂嵐」が舞い上がっている。
浩太郎の部屋にあるテレビも、番組プログラムが既に終了しているのか、シャーと言う雑音を小さな音量でスピーカーから放ちながら、砂嵐の画面が延々と荒れ狂っていた。
ちょうど浩太郎が左の窓に顔を向けて横になって寝ていたからなのか、テレビのスイッチがオンになっている事に気付いていない。テレビの明かりを背中に受けながらも、安らかな寝顔のまま寝息を立てていた。
シャー……ブッ……ブブッ……
勝手にスイッチが入ると言う怪しいテレビの砂嵐画面が、何やら勝手に周波数を合わせる同調作業を始めているのか、砂嵐の中に時折背景画像らしき画面が挿入され始める。それはだんだんと確度を増して、砂嵐と背景画像の混ざりようの割合は背景画像の方が増しているのか、その背景画像が何ら特徴の無い単なる緑の山々と青い空の風景画像である事が伺えるのだが、この背景画像を放送するチャンネルがしっかりと受信状態になった段階で、始めてしっかりとした音声が入って来た。
ーーただただひたすら、人々の名前を読み上げていたのだーー
例えば……北野正邦さん、堂上万理江さん、小林賢雄さん、菱田邦充さん……と、麻薬密売人独占インタビューの時のような音声加工されたようなくぐもった声が、それこそ名前を読み上げて行くのである。
どうやらテレビ自体の音量も絞っているのか、この段階でも浩太郎は目が覚めずに、どんな夢を見ているのか口元をほころばせてニヤニヤしているだけ。
だがこのテレビは、固定画面のまま無秩序に人の名前を読み上げ続け、とうとう最後にこう締めくくって画面は消えた。
“以上二百十七名が、本日をもって輪廻から外れた者です”
都市伝説では「NNN臨時ニュース」などと言うタイトルで、深夜にいきなり始まった番組が延々と名前を読み上げて、以上の人々が本日死ぬ方々ですと結ぶ話があるが、この番組では輪廻から外れた者と表現した。
人間の魂の循環として死んだら生まれ変わる「輪廻転生」の概念が定着しているが、輪廻から外れたと言う事は、その魂に何かしらのペナルティが課されたとも受け取れ、地獄に落ちたのではとも想像出来るのだが真相は分かっていない。
今この時点で言える確かな事は、浩太郎の就寝中に何かしらの心霊現象が起きたのだとしか言えず、いずれにしても夢見心地の木内浩太郎が気付かなければ、一切先に進む話ではなかったのである。




