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53 言葉遊び



「あ〜あ、今頃社長は美味しいラーメンでも食べてるのかしら」


 いいないいな、羨ましいなと、コーヒータイムのカウンターに座って両足をぶらぶら前後に揺らしているのは、藤巻探偵社の事務員である池田祥子。

 生ビールのジョッキを片手に、マスターと美央に向かって不満げな表情を隠しもしないのは、誰かこんな私を慰めてよと言う、彼女の“構ってちゃん”が発動している証拠で、いよいよ本人も酔っ払って来たなと言うサインである。

 ただ、池田祥子がこの喫茶店を利用し始めてからこのかた、これ以上荒れる事は今まで全く無かったので、マスターも美央も面倒くせえなとは腹の底で思いながらも、安心して接していられる客ではある。


 祥子のぼやきによると、どうやら今週末まで藤巻は出張しており、業務連絡以外にコミュニケーションが取れない事と顔を見れないのがたまらなく切ないらしい。

 それだけ聞けば「祥子さん、あんた可愛いね」と、彼女の一途さに感動すら覚えるのであろうが、さすがにハイビスカス柄のジャージを着た元ヤンのアラサーがそれをアピールしても、天丼セットにミニ天丼が付いて来るような違和感に満ち溢れるだけ。濃い味プラス濃い味で、胸焼けだけが募るのであった。


 業務内容の秘匿性が高い事とクライアントの情報保護の観点から美央やマスターに多くは語れないものの、藤巻博昭は今現在福島県にいる。

 不倫調査がその理由なのだが、夫には社員旅行と偽った妻が勤め先の会社役員と会津若松に不倫旅行に出かけ、その証拠固めで藤巻も会津の地で追跡しているのだとか。

 会津若松と言えばそのお隣さんは喜多方市、日本でも代表的なラーメンである喜多方ラーメン発祥の地である事から、社業で福島に赴いているのは重々承知の上で祥子はボヤいていたのである。


「祥子さんはラーメン好きなんですか? 」


 純粋に喜多方ラーメンが食べたいのか、それとも藤巻とラーメンが食べたいのか、微妙に理解に苦しむ美央は、話が噛み合わない事を嫌って当たり障りの無い質問を祥子に投げかけたのだが、案外それは当たりだったようである。


「ラーメンは好き、大好きよ! でも好き嫌いははっきりしてるから、その差は激しいかな」

「ちなみにどんなラーメンが好きなんです? 」

「昔ながらの醤油ラーメンと、中華鍋で作る味噌ラーメンかな」


 昔ながらの醤油ラーメンは理解出来るが、何故中華鍋にこだわっているのかが理解出来ず、美央は首を傾げながら中華鍋で作る味噌ラーメン……と、祥子の言葉を反芻する。


「あは、美央ちゃんはあんまりラーメンに詳しくないのね。味噌ラーメンにも作り方があって、中華鍋で味噌や野菜を炒めたラーメンが大好物なの。今どきの味噌ラーメンは味付きの味噌ペーストをスープで溶くだけでしょ? あれだと香ばしくないから食べる気しないのよ」

「あっ、あっ、なるほど。それは知らなかったです」

「あと、肉味噌ラーメン頼んで焼肉乗せて来る店は二度と行かない。肉味噌ラーメンと言えば、やはり大量のそぼろ肉入ってなきゃね」


 ほええ、と声にならない声を腹から出しながら感心する美央。彼女にしてみればラーメンは出かけてまで食べる物ではないし、こだわるほどの食べ物ではなかった。

 家事がめんどくさくなった母と、外食がめんどうだと主張する父に呼応する様に、祖父と祖母がカツ丼食べたい天丼食べたいと言い出すと、自然に近所の定食屋さんに出前を頼む流れが出来上がるのだが、その際美央は食いしん坊将軍の本性を遺憾なく発揮し、主食にカツカレー、味噌汁代わりにラーメンを頼む。

 つまりは汁物の代わり、それくらいの認識しかラーメンに思い入れはなかったのだが、さすが祥子さんは大人だあ、人それぞれにこだわりはあるもんだなあと感心しきり。


 ーー不思議な事に、藤巻がこだわりの話をするとイラっと来て素直にはなれないのに、祥子のこだわりはすんなりと受け入れたのである。


「祥子さん祥子さん! 私にも教えてください! おススメの店なんてあるんですか? 」

「いくらでも教えてあげるよ。その代わり今どきのラーメン屋は無いよ」

「今どき……ですか? 」

「あれよあれ、黒いTシャツ着て頭にタオル巻いて腕を組んでるスタイルのやつ」

「あ、俺は流行に流されない頑固一徹だぞと言う内容の、流行に乗ってる方々ですね」

「あはは、美央ちゃん面白い表現だね」


 ーーとりあえず今度都合ついたら、美味しい醤油ラーメンのお店に連れて行ってあげるよ。信州大学教育学部の近くにあって、今の上皇様が皇太子だった頃、戸隠スキー場に行く途中にお忍びで寄られたほどの評判の店があって、そこは昔から醤油ラーメンとゆで卵しか出さない店で……


 藤巻いないいない病にかかっていた祥子は、まるで憑き物が取れたかの様に満面の笑みを浮かべながら、ラーメンについて熱く語り続ける。

 一方の美央は、食べるのは大好きだがその食べ物についてこだわりを持って来なかった自分の人生を浅く感じつつ、責任を持ちながら思いのままに生きる大人を前に、憧憬心を爆発させていたのであった。


 祥子のラーメン講座は尽きる事無く、いよいよラーメンと一緒に注文するのは果たして餃子か、それとも半チャーハンか、はたまた半ライスなのかと、サイドメニューに話が移ろうとする頃、店のドアベルがカランコロンと軽快な金属音を鳴らして客の来店を知らせて来た。


「いらっしゃいませ! ……あっ」


 美央が驚くのも無理は無い。入って来たのは先日の三人組の若者で、祥子と意気投合したあの“いけモンチャンネル”の三人。祥子からアドバイスを貰い意気揚々と帰って行ったのだが、再び三人が三人とも“どよん”とした雲行きの怪しい表情で入店して来たのだから。


「……どうも、こんばんは」


 いけちゃんこと小池、モンちゃんこと土門、そして撮影兼構成作家の吉川は、肩をがっくりと落としながらやつれた顔で席に着いた。


「祥子姐さん、ダメでした」

「ダメって、善光寺さんには行ったんでしょ? 」

「はい。行って護摩焚きとかやったんですが……」


 今回はちゃんと三人分の水を出して注文を取る美央に早々とブレンドコーヒーを頼んだ吉川は、沈痛な面持ちで祥子に報告する。

 その吉川の話によると、善光寺本堂に行って身を清めたいと相談したところ、修験道の護摩業を行なっている大勧進に通され、悪鬼羅刹をねじ伏せる不動明王尊を前に護摩焚き修行を行なったのだが、帰宅したその夜にさっそく「現れた」のだと言う。


「それで慌てて今日もう一度善光寺さんに行って、洗いざらい話して相談したんですが……」


 世の中に良く霊能者や霊媒師さんの話は聞くが、除霊の根底にあるのはやはり身を清める事だから、ここで行うのと大差はないよ。むしろ祀っている仏様の格が高い分だけ、こちらの方が有効だと思うのだがねーー吉川はそう説明を受けて、納得しながらも今後の自分に絶望感を抱き、祥子に助言を貰おうかと再びこの店に来たのだそうだ。


「そっか、善光寺さんでも歯が立たないとか、相当に強い怨霊が憑いてるのかもねえ」


 心配した祥子は理知的な黒眼鏡がずり落ちそうになるほど眉間に皺を寄せながら、善光寺さんにとって代わる代案について思いを巡らせる。


 ーー善光寺さんが効力を発揮しないとするならば、じゃあ何が有効なのか。善光寺さんは最期の頼みの綱だったはずではないのかーー


 それを上回るような霊験あらたかな施設などそもそも長野には存在しない。ならばそれを超える力を持つ寺社仏閣なんて、果たして日本中にどれほどあるのかと祥子が悩んでいると、暗雲渦巻く脳裏の中にパチンと小さな稲光が輝く。

 その稲光は間違った方向に向かう自分の思案の矛先をいさめ、正しい方向へとただす稲光であり、祥子にとって本当の意味での「最期の頼みの綱」が一体何であるかを思い出させる光であったのだ。


「美央ちゃん! 仕事中にゴメンね、ちょっとこっちに来て貰える? 」


 “霊媒師ではないし霊能力者でもない、霊感なんてからっきし無いけど、頼みの綱がいるじゃない、最後の砦があるじゃない! キレッキレの探偵とその弟子が! ”


 洗い物もちょうど終わり、いけモンメンバーと祥子の前に現れた美央。一昨日この店でのあらましは美央も知っているとして、祥子に促されたメンバーと吉川はその後の経緯を全て美央に語る。それはつまり美央の論理的思考に基づき、吉川の身に憑いている者を暴き、そして解決法を導き出してくれと言う事。

 そしてその試みは見事に成功し、美央の考察を聞いた者たちは目からウロコをポロポロとこぼすのだが、とにかく話を聞き終わった後の、美央の最初の一言があまりにも痛快で、誰もが江森美央理論に引き込まれてしまったのは間違い無い。


 話を聞き終えた彼女は、開口一番こう答えたのだ


「……うん。吉川さんには悪霊が憑いていない。そう言う事じゃないでしょうか? 」


 いやいやいや! だから憑いていて困ってるんだって。現に昨晩も金縛りで目が覚めたら十人くらいの幽霊に囲まれて、何で助けてくれないんだって責められたよ俺!

 そう反論したいのだが、あまりにも美央が淡々とした表情で言うものだから、反論がむぐう! と喉まで出かかったまま、前のめりになって口をつぐんでいる。

 そしてそんな吉川の気持ちを察してか、美央は再び淡々と考察を述べ始めた。


 ーーあれから気になって、いけモンチャンネルの心霊探訪シリーズを見たのですが、もし霊に取り憑かれるとするならば、一番最初に取り憑かれるのは現地に足を踏み入れた小池さんと土門さんのはずで、撮影の吉川さんは引きの映像から遅れて入る以上、一番被害に遭う確率は低いはずです。ですが吉川さんに被害が出たと言う事を考えると、足を踏み入れてはならない場所に入った結果被害が起きたと言う理屈は薄くなります。

 私には良く分かりませんが、霊と波長が合って霊が憑いて来たと言う理屈がありますが、これを原因として吉川さんに当てはめると、今度はその波長の理論がおかしくなります。おととい様々な霊体験を聞かせていただきましたが、全ての霊と波長が合う事なんてあり得るのでしょうか? そう考えて波長の線も考えから外しました。


 『足を踏み入れる順番に関係無く、波長が合う合わないにも関係無く、吉川さんが取り憑かれる』ーーこれが第一点のポイントです。


 次に善光寺さんに行って身を清めた、つまり除霊してもなお幽霊は現れる。これには二択のフローチャートが構築出来ると思います。

 第一の選択肢は、善光寺の力が無力であった、又は善光寺の霊験を上回る悪霊であった。そして第二の選択肢は、善光寺の力は必要無かった……です。


 善光寺が必要無かったとは、一体この娘は何を言い出したんだと、三人は三人とも首を傾げて悩み始める。


 ーー善光寺さんが無力だとは考えられません。翻って、善光寺さんの力を上回るほどの悪霊がいるとも考えられないのは、先日吉川さんから伺った体験談から、吉川さん自身を呪い殺すのか助けを求めているのか、出て来る霊全てがケースバイケースで意思統一がされていないと言う理由だからです。この理由から第一の選択肢は無いと判断し、私は第二の選択肢で理論構築を始めました。

 第二の選択肢は『善光寺の力は必要無かった』です。いくら悪霊を追い払う必滅の力を備えたお寺さんでも、悪霊に取り憑かれていなければどんなに頑張っても効果は無い。いくらボクサーが見事なシャドーボクシングを見せても、相手がいなければ意味が無いのと同じです。


 『吉川さんは取り憑かれてなどおらず、除霊は無意味』ーーこれが第二点のポイントです。


 第一点と第二のポイントを並べて見ましょう。

 ・いけちゃん、モンちゃんにではなく、とにかく吉川さんが取り憑かれる

 ・しかし吉川さんは取り憑かれていない

 まるっきり真逆の事を指摘しているように思えますが、実はこれ言葉遊びのようなもので、言い換えると別の状況が見えて来ると思います。


「吉川さんに幽霊が寄って来る、とにかく寄って来て現れるけど、吉川さん自体は取り憑かれていない」


 ああっ! と、祥子と吉川たちは真っ暗闇だった問題の奥底に、何かしらの光明が見えたのか身体を震わせて一声叫ぶ。


「吉川さんと言う一個人に対象を縛るから見えて来なかったのかも知れません。それならば、吉川さんの身の回りにある物が、幽霊を引きつけていたと考えればいかがですか? 」


 長野の地に赴いてから、そして長野に赴く遥か前から、常にいけモンチャンネルのロケにおいて吉川と行動を共にして来た物がある。それがどんどん幽霊を引き付けてしまったから、それこそ老若男女様々なバリエーションの霊体験をしてしまったのかも知れない。

 ーー長野に来たから見たんじゃない、溜め込み過ぎてオーバーフローしていたんだ


 いけモンチャンネルの小池も土門も、そして吉川本人だけでなく相談に乗っていた祥子すらも、吉川が常日頃大事に抱えているバックに視線を向けてこう呟いて納得する。

「ビデオカメラが録画していたのか」と


「明日善光寺さんに行って、お焚き上げだとカメラが壊れちゃうから、供養と言う形でお経を唱えて貰えばいかがでしょう? 多分良い方向に変化は現れると思いますよ」


 微笑みながらそう答えた美央は、仕事の途中なのでと席を立ち、頭をゆっくり下げた後に厨房へと帰って行く。


 頭の冷める思いで美央の話に聞き入っていた三人は、目をまんまるにしたまま呆けた表情で「すげえ」「パねえ」「すげえ」と繰り返し言い続けている。完全に腰砕けだ。


 そして祥子は、この三人とはちょっと違う表情で美央の後ろ姿を見詰めている。

 今まで見た事の無いような穏やかな笑みを口元に浮かべ、そして美央を通じて別の何かを遠くに見るような柔らかな視線を送っていたのである。


 まるでそれは


 “高卒後、何故藤巻が長野から逃げ出すように自衛隊に入ったのか。そして除隊後も定職に就かないでいたところを三輪秀一と池田祥子が尻を叩いて会社を興させたのか”

 

 この()になら全て話しても良いかな? と言う、美央が認められた笑みであったのだ。




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