52 元ヤンと隠れ腐女子 後編
「すいません! 俺ホント……頭がおかしくなっちゃったみたいで。不快な思いさせてすみません! 」
祥子に勧められてじゃんじゃんと酒を飲んだ若者三人は、ハードルが下がったようで様々な心情を吐露し始めるのだが、祥子に言わせると“なかなか良い子たち”との事で、その内の一人である吉川誠治はしきりに祥子と美央、そしてマスターに向かって過剰すぎるほどに謝り倒している。
ーー吉川誠治には、心当たりがある。隣に女性の影が見えると指摘されても、無視出来ない理由があったーー
つまり、それを認めたくないがために、美央に対して必要以上に激昂した訳で、自分自身の問題である事は痛いほどに理解していたのである。
酒の勢いは借りたが何とか祥子たちと打ち解けて来たいけモンチャンネルの小池、土門、吉川の三人は、困ってる事があったら何でも良いから話してみろと言う祥子の優しさに感謝しながら、重い口を開き始めた。
「祥子姐さん、聞いてください。俺見るんです、女だけじゃないんです」
情け無いほどにクシャクシャになった顔の吉川は、今すぐ号泣を始めても良いほどに思い詰めており、彼の口から出た言葉が嘘八百ではない事を印象付けてはいるのだが、その内容を耳にすればするほど、祥子や美央の顔色は青ざめて行く。
ーーユーチューブの動画撮影で長野市を訪れ、これまでに心霊探訪のタイトルで合計五本を配信しましたーー
これを枕言葉として語られた内容はその動画についての内容ではなく、吉川の撮影活動についての話でも無かった。吉川の私生活についての悩みだったのだ。
長野に来て以来ずっと金縛りに遭うんです。
俺は元々霊感なんてまるで無くて、いけモンさんたちから仕事の話を受けたのも、俺みたいな霊感が無い奴ならば逆に視聴者が何を怖がり何を求めているのか分かるから、演出の構成がしやすいと思ったからなんです。
だけど長野に来てからの俺……金縛りだけじゃなくて露骨に「あれ」が見えちゃて、気が変になりそうなんですよ。
例えば金縛りに遭っている時、まぶただけ動かせるようになって目を開くと、おっさんの霊が俺の首を絞めながら笑っている。
例えば風呂に入ってる時、シャワー浴びてるといきなり女の声で「いつ死んでくれるの?」って耳元で囁かれたり、夜にコンビニに行く途中顔がぐちゃぐちゃになった男性が近づいて来て「すいません、北ってどっちの方角ですか」とか聞いて来る。
ひどい時は帰宅するとズラリと並んでるんです。マンスリーマンションの二階通路や三階通路にぞろぞろ人影がいて、俺をじっと見つめてるんですよ。
交通事故で亡くなったのか、身体中の骨が折れてグニャグニャになった血まみれの子供が、お母さん探してるんだけどってズリズリ後を追って来たら、俺だって頭抱えちゃいますよ……
「もう吉川さんが仕事辞めたいと言い出して、俺たちもとことん弱り果ててるんすよ」
「でも辞めて東京に帰ったからって、幽霊見なくなる保証無いだろうから」
いけちゃんこと小池、そしてモンちゃんこと土門も、せっかく優秀なスタッフに恵まれてここまで来たと言うのにと、および腰になっている吉川がもったいなくて頭を抱えているようだ。
だが、この深刻な相談にポン! と祥子が答えを導き出す。簡単な答えを一言発し、彼らに光明の一筋を示したのだ。
「善光寺行ってお祓いして貰えば良いじゃん」
「えっ? 」「へっ? 」「はっ? 」と、三人は三人とも動きをピタリと止めながら、腹を押されたカエルの様な声を出して呆ける。
まるでそれはギャグマンガの様な滑稽な光景なのだが、祥子は目を白黒させる三人を前にエヘンと自慢げに咳払いを一つ放ち、男たちの視線を釘付けにして来た見事な胸を更に張りながら高らかにこう言い放った。
「牛に引かれて善光寺参り、胴上げ発祥の寺善光寺さんは、全ての宗派を受け入れる懐の広いお寺さんで、修験道もやってるから護摩焚きだってある。お化けに取り憑かれたって言えば向こうも怪しい顔をするけど、身を清めたいって言えば、相談に乗ってくれるわ」
まるで祥子を神々しく輝く女神様のように見詰める三人組。目から大量のウロコが落ちているかのようにその表情からは希望が溢れ出した。
灯台元暗しとはまさにこの事で、自分の身を清めて護ってくれる存在の善光寺さんが近くにあると言うのに、何故今までこれほど大きな存在を失念していたのかと自分自身に呆れ始めている。
「姐さん、ありがとうございます! 」
「祥子姐さん、早速明日行って来ます! 」
「祥子姐さん、本当に助かりました! 」
結果いけモンチャンネルの三人は、これで世界が変わるとでも言いたげな程に喜び、大満足のままコーヒータイムを去って行く。
困った事があったらここに電話しなよと、別れ際にちゃっかり藤巻探偵事務所の名刺を渡した祥子も、ご機嫌ながら結果として閉店時間を延長させてしまった事を、マスターと美央に向かって平謝りする事に。
「おかげ様で売り上げが伸びて大助かりです」と、マスターはホクホク顔なのだが、美央は別の意味で浮かない顔をしていた。
ーーあの吉川さんて方、善光寺さんに行けば何とかなるのだろうか? ーー
これが美央の抱いていた疑問である。
漠然とした疑問であるからして、それを口にしたところで何の説得力も無ければ解決法も見出せず、かえって不安を掻き立てるだけの無責任な発言になってしまうので、会話に割って入らず終始我慢して腹の底で抑えていたのだが、それが蠢いてしょうがない。
と言うのも、美央の疑問の根幹にあるスタート地点、疑問が噴出する基点となるものがこれだーー『言うてもここ、長野だよ』と
テレビのニュースで毎日毎日飽きるほど報道されているような、凶悪事件にまみれた大都会や主要都市じゃなくて、ドが付くほどの田舎で山国の長野市なんだよと。
それはつまり、人の世に恨みや辛みを残して成仏出来ない者たちが吉川氏の周りに現れたとしても、ちょっと人数多過ぎやしませんか? 何そのオールスターメンバーは? と言う事を意味している。
確かに、長野市において自殺が全く無いとは言えないし、交通事故や不慮の死が全く無いとも言えない。それを数字に起こして都会と比較出来るかと言えば、比較出来ない単なる印象論でもあるのだが、まだ長野に来てそれほど日数の経っていない者が、よくもまあそれだけの心霊体験を経験出来たよねと、美央はまるで腑に落ちていないのだ。
そうなると疑問は次の段階へと昇華する。
ーー長野と言う土地が原因ではなく、別に要因があるのではとーー
吉川氏はそれまでは一切霊感が無く、長野に来てから見始めたと証言していたが、実は他にきっかけがあるのではないかと考え始めていたのである。
だが悲しいかな、この時点で美央には結論を出せるほどの理論構築は出来ていない。
彼らに問題点を指摘して改善させ、解決に至るには、彼らが納得して行動に移せるような理屈が必要であり、その材料がほとんど美央の手元に無いのは事実である。
(杞憂で終わってくれれば、それにこした事はない。善光寺さんなら、何とかしてくれそうだし)
そう自分に言い聞かせる美央だが、しかしこの後、彼女は杞憂で終わらなかった事を知る事になる。
そして、池田祥子が言うところの「探偵藤巻の一番弟子」としての力を発揮するのだが、果たしてどのような結末が彼らを待ち受けているのであろうか……。




