表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
47/84

47 日曜朝の珍客



 関東に拠点を置く民放キー局がしきりに桜開花のニュースを報じる季節、それを春と言う。

 気象庁の職員が真剣な目付きで桜の枝を凝視する姿をこれでもかと取り囲んで撮影する、あの滑稽な映像が全国に流れる時期が春であり、その後に続く上野公園やあちこちの公園で行われる賑やかな花見の中継映像が放送される頃までが世間一般と言う名の主流派の春である。


 その頃の長野はまだ雪に覆われた銀世界であり、首都圏の春が終われば民放キー局の春は終わるため、長野の遅い春は首都圏ニュースとの時差に違和感を抱きながら、四月の中旬以降からゴールデンウィーク前に遅い春をささやかに実感する事となる。


 ぽつぽつと……桜の枝にピンク色の小さな花びらが見受けられるようになってもまだ、未だに最低気温は氷点下スレスレの白い息が混ざる、去り行く冬にしがみつかれたままの長野市ではあるが、朝靄の後に綺麗に晴れ渡った朝を迎え、太陽の光が燦々と地に降り注ぐようになると、多分今日の昼間には桜が満開になるでだろうと予感するそんな時期のとある日曜日。

 長野市北部の巨大な団地群のメインストリートにある個人経営の喫茶店「コーヒータイム」では、日曜日の朝ではあるが、モーニング目当ての客のためにと朝七時から開店している。


 近所のファミリーレストランや牛丼チェーン店、そしてハンバーガーチェーン店も、古くから朝食メニューを提供しているのだが、新しいものに敏感だが飽きるのも早い長野県民の気質として、食傷気味になっている事は確か。

 若者はそれでも“質より量”だと言って食べ続けていられるであろうが、“量より質”を求める中年や壮年世代は、たまの日曜日だから外で食べようと決めると、外食チェーン店でのせわしない朝食を求めようとはせずに、コーヒータイムに足を運び始めたのである。


 量より質、そしてリーズナブルなモーニングの値段と、居心地の良さ。ーーコーヒータイムはなかなかに地元に根差し始めたのだ


  ・本日のモーニングセット

 Aセット……厚切りトースト、ベーコンエッグ、マッシュポテトサラダ、ドリンク

 Bセット……ピザトースト、ゆで卵、マッシュポテトサラダ、ドリンク


 当たり前の話、名古屋圏と違って長野には豪華モーニングの風習は無い。それを狙って名古屋方面からコーヒーチェーン店が長野に進出して来たが、好評につき二号店が出来たと言う話は聞かない。

 ただ、営業時間中は常に満車に近い状態を鑑みれば、コアな人気があるのは間違い無いが、いずれにしても長野で喫茶店のモーニングと言えばこれくらいが標準的であるのは確か。

 朝にそこまで「がっつく」必要の無い年配客たちは、表面はサクサクで中はふんわりとした厚切りトーストを頬張りながら本物のコーヒーを味わうと言う、その優雅な時間をトータルで楽しんでいたのである。


 朝七時の開店に合わせて訪れていた客、そのほとんどの客が満足げに会計を済ませて“一巡目”が終わった頃、入れ替わる様に一人の男が店のドアベルをカランコロンと軽快に鳴らす。

 まるで七時の開店には間に合わせる気は無いが、客の流れは心得ていますよとばかりに、マスターのいらっしゃいませの声に向かってーー「ども」と、いつもの簡単な挨拶を返した男は、当たり前のように空いたカウンター席の中からマスターと真向かいになる定位置に座る。


「あっ、藤巻さん、おはようございます」

「おはよう美央ちゃん……って、美央ちゃん、朝もお店に入るようになったの? 」

「日曜祭日の営業日は朝から入るようにしました」

「あらあ、若いのに稼ぐねえ」

「だって車……欲しいですもん」


 やって来た客はキングオブ常連の藤巻博昭、探偵社を経営する三十二歳独身で、独り暮らしの偏った食生活を改善する気があるのか無いのか、このコーヒータイムにどっぷりと依存する青年で、藤巻に水を出して接客しているのはマスターの姪っ子でアルバイトの江森美央、十九歳の女子大生だ。


 いつも昼間や夜にアルバイトに入っていた美央が、朝の藤巻の嗜好が分からないのは当たり前。

 藤巻さんはどちらのセットにしますか? と本人に確認すると、朝は藤巻スペシャルがあるんだよと、マスターが笑顔で割って入る。


 厚切りトースト用のパンとは別の薄切りパン二枚を二枚用意してトースト、黄身まで完全に火が通ったベーコンエッグをそのトーストで挟む。

 藤巻はそのベーコンエッグサンドをこよなく愛しているようで、開店当初から藤巻の朝はベーコンエッグサンドと決まっているようだ。


「パンに目玉焼き乗せて食べるのかあ」


 それが美味そうに思えるシチュエーションが脳裏に浮かんだのか、美央はグラスやコーヒーカップを洗いながらカウンターの藤巻をつい見詰める。その視線と視線の意味に気付いた藤巻は、イタズラっぽいシニカルな笑みを口元に浮かべながら軽快に言い放った。


「もし美央ちゃんが空から降って来ても、俺助けてあげられないからね」


 どんなシチュエーションを思い浮かべていたのか言い当てられた美央は、ハッとした後に顔を真っ赤にしながら、あっかんべえと舌を出して藤巻に抗議するーーどうせ私は重いですよ、飛行石も過重限界でそりゃあ困るでしょうよと


 普段なら夜に繰り広げられていた藤巻対美央の喧嘩漫才も、朝からとなるとさすがに乗りきれないのか、深酒がたたっている藤巻は両の手の平を振りながら降参の意を示して喧嘩漫才は無事終了した。


 日曜朝の気だるい空気に包まれながらも、パンを焼く香ばしい匂いと、ドリップされていくコーヒーの芳醇な香りが、スローテンポのジャズに乗って穏やかな別世界を形作って行く。


 やがて藤巻の前にベーコンエッグサンドとサラダ、そしてマンデリンコーヒーが出された頃、カランコロンとドアベルを鳴らしながら『珍しい』客たちが来店して来た。


「おはようございますって……あら、藤巻さんに美央まで、オールスターで揃ってるじゃない」


 入って来たのは美央の親友である木内奈津子と弟の浩太郎、そして浩太郎の彼女である成田礼子の三人組。

 美央が朝からどうしたのかと奈津子に問うと、軽井沢のアウトレットに行きたいから、姉ちゃん長野駅まで車で送ってくれと浩太郎が言い出し、送ってくれるならコーヒータイムでモーニングご馳走するからと交換条件を出されて、ついつい受けてしまったのだそうだ。


 「まあね、奈津子もまだ色気より食い気だもんねえ」とカラカラ笑う美央であったが、その場にいる誰もがどの口でそれを言うのかと呆れていたのは間違い無い。

 朝から貴様に突っ込みを入れる元気はないぞとばかりに呆れ顔でボックスシートに座る奈津子、彼女は即答でピザトーストのBセットを頼み、ピーマン嫌いな浩太郎はAセット、そして口からチーズが垂れる姿を浩太郎に見られたくないのか、礼子もAセットを頼んだ。


「浩太郎、浩太郎! 姉ちゃん食後にパフェが食いてえぞ。この苺だらけの贅沢パフェが食いてえぞ」

「姉ちゃん……朝からパフェとか食えるのかよ? 」

「パフェは別腹だろうが。ねえ、礼子ちゃんも食べるでしょ? もちろん浩太郎のおごりで」

「いえ、私は……」

「浩太郎に遠慮なんかしちゃダメよ。厨二病こじらせて女性に変な幻想抱いてるから、今の内からもっと自分を出してかないと」


 浩太郎が酷えや姉ちゃんと叫びながらも、ふと店の入り口に視線を泳がす。

 ちょうど店のドアベルがカランコロンと音を鳴らして二人の男性が入店して来たのだが、その見知らぬ二人の男性を映した網膜から脳に届いた情報が、自分の記憶領域の中で何かを一致させたのだーー初対面ではない、見知った人物たちだと


  (えっ? ええええっ! チームいけモン、いけモンチャンネルの二人じゃないか!? )


 浩太郎が目をひん剥いて驚く中来店したのは、知ってる人は知っているが、知らない人はとことん知らない……人気ユーチューバーであったのだ。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ