45 お節介焼きとひねくれ者
ーー可愛いって言葉を安売りする子は、自分が可愛いくない事を知っているーー
長野市北部に展開する巨大な団地群の中、埋もれないように精一杯胸を張って街道沿いに看板を掲げる喫茶店『コーヒータイム』。
真冬日で朝から晩までずっと凍り付くような低温が続いた日曜日の夕方、このコーヒータイムに現れた常連がいきなり言い出した言葉だ。
常連の名前は藤巻博昭、久々に店に現れた彼は、その間にどのような恐怖体験をしたかなど臆面にも出さず、かっちり玉子のオムライスが食べたいだのジャックダニエルの前に生ビールが飲みたいだのと、満面の笑みを浮かべて矢継ぎ早に注文を重ねて行く。
コーヒータイムのマスターは藤巻を面倒くさい常連だとは思っていないのか、久しぶりに顔を出してくれた事に安堵しながら、ことさら笑顔を押し殺して調理しているが、彼から放たれるオーラは楽しそうな穏やかな色をしている。
一方アルバイトの美央は、「クセ者常連」の池田祥子が酔った勢いで藤巻に電話して、ある事無い事吹いてしまった事で気おくれしているのか、終始うつむき加減でバツの悪そうな顔をしている。
藤巻はそんな美央に気を遣ったのかも知れないし、何よりホームタウンでの久しぶりの夜なのでついついはしゃいでしまったのかも知れないが、いずれにしても、藤巻のへそ曲がり理論がまた炸裂したのである。
きっかけはこうだ
「美央ちゃん、美央ちゃんは自分の口ぐせって分かるかい? 」
口ぐせですか? と口をへの字にしながら真剣に考え始める美央。思案を重ねた後に首を傾げながら、強いて言うならば「美味そう」だと彼女は答えた。
藤巻が予測した内容の結果なのかどうかは別として、美央の出した答えがそれはそれで面白かったのか、藤巻は一度プッと吹き出した後に失敬失敬と笑顔で詫びつつ、へそ曲がり理論の風呂敷を広げたのである。
「意識せずに口から出る言葉、つまり口ぐせには本人の願望や欲が過分に含まれている。無意識に出る言葉は自分を表す鏡でもあるんだよ」
ーー例えば、触る物見る物にいちいち可愛いと言う女の子。それが本当に可愛いのかどうかと言う真実など関係が無く、それを可愛いと認識する自分が可愛いんだ。ひどい言い方をすれば、汚れている自分を認識しているからこそ、可愛いを連発して他者から見る自分のお化粧をしているのさ。
それは男性にも言える。バイクや飛行機やテレビのヒーローを見て、カッコイイ! かっけー、かっけーと騒ぐ子がいるとする。彼は自分が弱くてかっこ悪い事を知ってるんだ。知っているからこそ、言葉で願望を飾っているとも言える。
また、男女に限らず最低、最っ低、サイテーと高飛車に言い放つ者がいるとする。その人は他者を断罪する立場にいない事が自分で分かっているんだ。分かっているからこそ、そう言う冷たい言葉でパートナーや目上の人や親すらも攻撃するんだろうね。
「って事は藤巻さん……私の場合は……」
するってえと何かい? おいらは食いしん坊だとでも言いてえのかい? と、江戸っ子べらんめえ口調ではないが、美央は明らかに赤面しながら恥ずかしそうに抗議する。年頃の娘の本性を暴いてどうするの? どうせ私は食いしん坊ですよ! の抗議だ。
「まあまあ、そんなにムキにならないで。無意識に出る言葉で、人はその本性を判断されてしまう事もあるって事さ。お互い気をつけないとねえ」
注文したばかりのジャックダニエルを気持ち良さそうにゴクリと一口、頭から湯気を出しそうな勢いで顔を真っ赤にして悔しがる美央とは対照的に、藤巻は涼しげにカラカラと笑う。
「むううう、私ばっかりひどいです、藤巻さんの口ぐせも教えてくださいよ」
「えっ、俺の口ぐせ?」
「そうです、藤巻さんの口ぐせですよ」
「ふふふ、美央ちゃん、俺に口ぐせがあると思うかい? 」
「見つけてあざけり笑ってやろうと思ったのに……きいいいっ、悔しい! 」
「あっ、それと思い出したけどさあ。美央ちゃんドミネーターって何だい?」
「わああああっ!知らない知らない知りませぬぅ!」
一回りも歳下の美央に対して勝ち誇る藤巻、真剣に悔しがる美央は鼻息は荒いものの、何やらこのやり取りを楽しんでいるかのようにも見受けられる。
ーーおだやかな日々が返って来たーー
ジャズと八十年代前後のB級映画ファンであるマスター、そして女子大に通いながらせっせとアルバイトに精を出す美央、そして一日の終わりをコーヒータイムでリラックスする藤巻。
一つピースが欠けても何か落ち着かないこの空間に、また藤巻と言うピースがはめ込まれていつもの世界が戻って来たのである。ーー時折、犬の散歩をしながら店の前の歩道を行ったり来たりする謎の元レディースは別として
当たり前の話飲酒運転はご法度なので、会計後にマスターに車を置かせてと頼み、近所の家まで歩いて帰る藤巻。
真冬日の氷点下の中、夕方から降り出した粉雪は足首まで積もり、キュッ、キュッと小麦粉を握りつぶした時の感覚にも似た歯痒さを足元に覚えさせながら、まだまだ止みそうな気配は無くシンシンと振り続けている。
本来なら首をすくめて背中を丸め、意識して身体の表面積を減らすような厳しい寒さなのだが、藤巻は背中を丸め俯くよりもむしろ、自信満々の堂々とした顔付きで、胸を張って歩いている。
ほろ酔いで気分が良いのも理由ではあるのだが、それだけではこんな挑戦者のような顔付きはしない。
ーー夕方の地方ニュースで、石田恵一逮捕のニュースが流れたのだ
“長野市中心部において、昨年十二月に起きた樋口瑠衣さん殺害事件について、長野中央警察署特別捜査本部は、被疑者である石田恵一の容疑が固まったとして逮捕状を請求、先ほど逮捕したと発表しました”
抑揚無く淡々とアナウンサーが原稿を読み上げると、テレビの画面はVTR映像に切り替わり、ネオパレス長野の全景映像や警察署に連行される石田の姿を流しなごら、逮捕の詳細についても伝え始める。
“特別捜査本部の発表によりますと、石田恵一は以前から被害者に対して暴行する計画を立てており、犯行当日は近所で宅配便の配達員に変装して、被害者宅に上がり込み犯行に及んだものとしております”
配達員を装い樋口瑠衣宅を訪問、彼女が玄関の扉を開けた瞬間を狙って家に上がり込み、彼女を襲おうとしたものの、彼女が悲鳴を上げて暴れたので困った石田は首を締めて殺害したそうだ。
防犯カメラの死角をぬって石田は配達員に変装したのだが、同地域内にある防犯カメラを徹底的に精査したところ、石田らしき人物が変装道具を入れたバッグを担いで歩いているところが確認された。
そしてネオパレス長野を退居した後も、石田を被疑者として内偵調査を継続していたところ、彼が捨てたゴミの中から、被害者の下着を発見して逮捕に至ったそうなのだ。ーー夕方の地方ニュースではここまで詳しくは報道していないが、デカ松さんから藤巻に電話が入ったのである。特捜から情報が入りましたと
ネオパレス長野に平和が訪れる事で、これで一つ藤巻の気分が晴れた。
だがこれだけでもやはり、藤巻の顔はこれほど挑戦的にはならない。笑顔でありながらも瞳は狩人のそれのように爛々とは輝かない。
臼井圭子の最後の一言、あの謎の言葉に挑戦しようと決心したのだ。
あの女の霊、お節介焼きの臼井圭子は確かに言った。私は殺されたと。
それはつまり、インフルエンザ新薬の影響で意識が混濁して転落死した訳でも、寝たきりの母と自分の将来を悲観して自殺した訳でもなく、生きる努力をしていた者の命を第三者が強引に刈り取った事を意味している。
『犯人は今もどこかで、のうのうと生きている』ーーそれが藤巻の魂に火を付けたのである。
二十年以上も前の話、真実にたどり着くのは無理かも知れない。そう考えるのが至極当たり前であるし、近代警察が明らかに出来なかった謎を不倫調査を生業にしている探偵が明かせる訳がない。
「まあ、俺はもともとひねくれ者だし」
無理だと思うネガティブな考えを、脳裏から瞬時に吹き飛ばす“無意識の一言”を言い放ち、降り積もった雪に浮かぶ藤巻の足跡は軽快なその歩幅を維持しつつ、その数を気持ち良く増やして行った。
◆ お節介焼き 編 --終わり




