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43 遭遇 後編



 それは全くの別人……藤巻の目の前に現れた幽霊は、殺された樋口瑠衣とは全くの別人だった。

 あのフェイスブックに大量にアップロードされていた本人画像のその一枚一枚と見比べてみても、全くもって似ても似つかぬ様相の別人だった。


 生前の樋口瑠衣のように、手入れの行き届いた茶髪のロングヘアーではなく、ざんばらに乱れた真っ黒な長髪。顔の輪郭も適度にふっくらとした樋口瑠衣とは対照的な細面で、ガリガリに痩せこけた頬と落ちくぼんだ眼が印象的な病んだ様相だ。

 年齢的には樋口瑠衣と似たような感じにも見受けられるが、現れた幽霊は何か……昨日今日死んでこの世に現れたと言うよりも、年季が入って怨霊じみたような歴史を“彼女”に感じてしまったのである。


 ネオパレス長野に入居した五日目に幽霊と遭遇した。

 その日は寝込みを襲われた形になるも、藤巻が「お前は誰だ? 」と問い掛けると、女の霊はスッとその場で消えてしまい、その夜は姿を現す事無く終わった。

 そして入居六日目及び幽霊遭遇から二日目は、仮眠を取っている藤巻の目の前に現れるのではなく、さあこれから調査巡回に出ようとした際に玄関でばったりと出くわし、腰を抜かすかのようにへたり込んだ藤巻の前で消え、まとまたその日はそれで終わってしまう……。


 何か幽霊が自己アピールしているようにも思えるこの流れ、今日明日あたりに何か「デカいヤマ」がありそうだと言う直感を覚えた藤巻は、この仕事を投げ出してしまいたと言う、腹の底からザワザワと沸き立つ弱気な気持ちを抑えつつ、三日目の深夜に備えて仮眠の準備を整える。


 ……最近シャワーばっかりで、まともに風呂入った事無いなあ、たまにはスーパー銭湯にでも行ってサウナと水風呂の往復リレーでもするか……


 手っ取り早くシャワーを浴びた後、持参した着替えに袖を通しつつアラームをセットして寝袋のチャックを開いた時、ピンポン! とドアチャイムが鳴る。ーー今まで謎の幽霊以外訪問者など一人も無かったので、ビクリと身体を震わせた藤巻は恐る恐る玄関に近付き覗き窓から瞳を凝らした。


『藤巻いるか? 』


 硬い玄関のドアの向こうに立っていたのは、やはりお堅い弁護士の三輪秀一。高校時代からの旧友である。


 こんな時間にどうしたよと、ドアを開けて部屋に招き入れると、差し入れ持って来たのさと栄養ドリンクやお菓子がパンパンに入ったコンビニ袋を藤巻に手渡しつつ、何一つ家財道具の無いガランとした室内を見渡しながら呆れ顔で苦笑する。


「もうここに来て何日目だよ? 良くこんな環境で生活出来るな」

「欲を言い出せばそれは不満に変わる、不満が溜まると人は正常な判断が出来なくなる。欲は無視するんだよ」

「ふふ、まったくもってお前らしいな。さすがは空挺レンジャー上がりと言ったところか」

「“隊”は関係無いよ。むしろ俺の気概だと褒めて欲しいね」


 外気で冷えて硬くなった差し入れの板チョコレートをポリポリと砕いて食べながら、お前もこんな時間にうろついてないで早く帰ってやれと人の心配をする藤巻。もちろんお前の心配をしてる訳じゃなくて、三人目を身ごもった奥さんを心配してるんだからなと、偉そうに注釈を足す。


 三輪が会話の流れで口にした空挺レンジャーとは、藤巻が生まれてこのかた一度も日本以外の土地を踏んだ過去が無い事から、陸上自衛隊の中でも精鋭部隊である第一空挺団に所属していた過去が伺え、またレンジャーと言うワードからは、陸自隊員の中でもレンジャー教育課程を卒業した者だけに与えられる栄誉を得ていたと推察出来る。

 第一空挺団に所属していたと言う事は、五日間の限られた時間内を寝る間を惜しみながら富士山外縁を一周する百キロ行軍……二年に一度行われる「訓練検閲」を踏破した実績があると言う裏付けであり、藤巻が「鋼よりも硬いダイヤモンドの意志」と呼ばれるレンジャー徽章を持つ者であるならば、地獄の三ヶ月と言われるレンジャー教育課程をクリアした過去があると言う事。

 つまりは、普通の陸上自衛隊隊員が過ごす任期の間に、藤巻は過酷な訓練に挑戦してその栄誉を勝ち取った選ばれし者だと推察されるのだが、不思議と藤巻はそれに胸を張る事は無く会話の中でサラリと流すあたり……元々彼にそう言う資質が備わっていたのかも知れない。


「藤巻……すまないな。不本意な仕事を回してしまった」

「あはは、神妙な顔してるかと思ったら、そんな事気にしてたのか? 」

「気にするだろう、普通! 幽霊騒動なんて知ってれば、俺だってお前に仕事なんか回さなかった」

「でも困っている人はいるんだろ? これだって立派な仕事だよ」

「そうだ、そうだな……すまん。頼む藤巻、解決してくれ」

「あいよ」


 オカルトを一切信じていない三輪にしてみれば、このマンションに出没すると言われる幽霊の調査などは児戯に等しい話であり、これを仕事として友人に回してしまった事を心から悔いていたのであろう。

 だから差し入れを持って来たと言うもっともな理由をお題目にしながら、上がり込んだ先で謝罪して来たのだ。


 三輪の心情が手に取るように分かった藤巻は重ねて神妙な態度を繰り返す友人がこのまま見ていられなかったのか、さあさあ!しけた面してないで家族持ちは帰れ帰れと、三輪の背中を押す勢いでまくし立て、そして笑いながら追い出しそして、仮眠を取るべく寝袋へと潜り込んだ。



 ーー時刻は日付けが変わって深夜一時を回った頃。アラームの音も鳴っていないのに、藤巻はパチリと眼を覚ます。どうやら三輪の差し入れが効いたのか、カフェインが荒々しく仮眠を邪魔したようだ。


 ふわぁあああ……と大きなあくびをし終えると、しぱしぱと意識的にまばたきして涙目を擦り、電気ストーブをオフにしてあった事をぶるるるっ! と震える身体で表現しながら慌ててダウンジャケットを着込み外出の支度を整える。丑三つ刻までちょっと時間の余裕はあるが、相手は自分をターゲットに意味深な行動をしている事から、もはや出現時間は考慮する必要が無いと判断したらしい。


 一昨日は目が覚めた際に目の前に現れ、そして昨夜は玄関に現れた。


 ーーいくら幽霊でも、何も考えずに出て来たなどあり得ない。必ず、必ず現れたのには理由があるはずだーー


 『物事には理由がある』これを旨としている藤巻からすれば、あの身元不詳の幽霊が第三弾第四弾を持って待ち構えていると踏んだのだ。


 ーー樋口瑠衣殺人事件が年末に起き、その時期を同じくして幽霊がこのマンションに出没する様になった。全くこれらが関連性が無いとは思えないし、無意味に“彼女”が出没しているとは思えない。つまり、樋口瑠衣殺人事件に関係して、あの幽霊はサインを送って来ていると考えてみるーー


 藤巻は隣室に配慮して物音を立てないように306号室を出て、先ず心当たりのある場所へと移動を始めた。


 シベリア寒気団もオホーツク方面に移動し、チラチラと星空が輝く夜。雪雲が散った空は地上の温度を下げに下げて、放射冷却現象で長野は久々の氷点下二桁の寒さを記録すると夕方の地方ニュースでは報道されていた。

 なるほどこれは身体に厳しいねえ、朝陽が当たればダイヤモンドダストが見られるかもと……自分の身体の芯があっという間に冷えていくのに何処か他人事のように呟きながら、三階の中央の踊り場まで足を運び、そしてエレベーターではなく階段を使って一つ下の階に降りる。

 当たりを付けた場所はもちろん、二階の202号室。樋口瑠衣が生前に生活していた場所だ。


「……ひっ! 」


 二階の踊り場に出て早々に、藤巻はさっそく軽い悲鳴を上げる。大の大人が情け無いと彼を責める事はたやすいが、二階に到着してからさっそく“それ”がいたならば、いくらビンゴだと思ってもたじろがざるを得ないのだ。


 女の幽霊はいた、確かにいた。

 樋口瑠衣の部屋だった202号室の玄関扉の前で立ち、暗がりの中からギョロリと白目を剥き出しに藤巻をじっと見つめていたのだ。


「君は……俺に何かを伝えようとしているのか? 一体俺に何を理解して欲しいんだ? 」


 怖い、凍て付く寒さなどどうでも良くなるほどに怖い。

 昨年を機に幽霊と何度か遭遇しては来たが、自分が幽霊に問い掛けるケースが出て来るなど夢にも思っていなかった藤巻。

 超常現象の世界と言うのは慣れる事などあり得ない、常に戦慄が付きまとう世界だと再確認したのだ。


 ……チン!


 幽霊と対峙していると、いきなり藤巻の右の鼓膜に機械音が飛び込んで来る。

 辺りが静寂に支配されていた事もあって藤巻の驚きようは凄まじく、心臓が口から飛び出るのではと思えるほどに大きな口を開けながら、ガクガクガクと膝を鳴らして音の反対側へと飛び退く。


 何の音かと凝視すると、何故かエレベーターが二階に到着しており、扉が開いているではないか。


「……これに、これに乗れって言うのか? 」


 誰も乗っていないエレベーターは、不思議と扉が開いたまま。まるで誰かが乗っていて、「開」ボタンを押しているかのようなシチュエーションに、完全に腰砕けになる。

 ふと202号室に眼を移すと既に女の霊はそこにはおらず、エレベーターに乗れといざなわれているのであるなら、この密室で幽霊と二人きりになるのは確実である。


「くそっ、くそっ! それでも先に進まないと話は始まらないってか」


 震える太ももを自分の拳でガンガン殴り、力の入らない両足に喝を入れて立ち上がる。


「つまらない情報だったら、俺は納得しねえからな……」


 精一杯の強がりをエレベーターに向かって吐き、そのままヨロヨロと中へと足を運ぶ。

 藤巻が“誰もいない”エレベーターに乗ったのを見計らい、スルスルっと扉が閉まると、勝手にエレベーターが動き出したではないか。自らの身体で感じた重力は、上に向かっている事を意味し、昇降ボタンを見れば、いつの間にか五階のボタンが弱いオレンジ色に点灯している。


 ……チン!


 エレベーターは五階に到着し、そして扉が開く。

 注意深く周囲を見回しながら、踊り場まで足を進めると、そこは当たり前の話ネオパレス長野の最上層である五階だ。

 良かった、別段幽霊エレベーターで死後の世界にご案内って訳じゃなかったと、背中にびっしょりと冷や汗を垂らしながら安堵する藤巻であったが、踊り場から通路に出た際に、再び身体に緊張が駆け抜けた。


 “いるのだ”


 その女の幽霊は503号室の前で立ちながら、じっと藤巻を見詰めていたのだ。


「503号室……503号室が樋口瑠衣の死に関係しているのか? だけど空室だぞ? 」


 藤巻が戸惑うのも無理は無い。

 その503号室の住人は一月の半ばに契約を打ち切って退居しており、幽霊を目撃した、幽霊マンションには住みたくないと言うのが退居理由であったはず……


「なるほど、読めたよ。503号室に何かあるんじゃなくて、503号室に住んでいた者を調べろって言うんだな? 」


 やっと本意が伝わったのか、その女の口元が白く輝き、そして忽然と姿を消した。


 暗がりに光る白目と黒い瞳、そして剥き出しになった白い歯など不気味な光景も良いところ。

 だがその姿を見た藤巻は再び腰砕けになりそうになるも、何かを託されたような気がして気を引き締めた事が幸いしたのかかろうじて立ち尽くし、その場にヘタリ込んで屈辱を実感する事は無かった。




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