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42 遭遇 前編



 『不思議な事に、藤巻さんが見えられてから、目撃情報や退居の相談が、ピタリと止まりました! 』


  ーーマンション生活五日目の夜

 通常業務を終わらせた後、長野駅前にあるお気に入りのハンバーガーショップ「テキサスレンジャー」でテイクアウトしたハンバーガーを手に、ネオパレス長野に帰宅した藤巻。

 チリビーンズソースの辛さを和らげるパイナップルスライスがパテに乗ったチャック・ノリスバーガーと、店の看板メニューでもある肉厚ベーコンとチーズがたっぷりと挟まれたジョン・ウェインバーガーを無糖の缶コーヒーで胃に流し込み終わった頃に、信州不動産の八田支店長からかかって来た電話で言われたセリフだ。

 支店長が言うには、目撃情報を元にした入居者からの正式なクレームのみならず、目撃はしていないが怖くて退居したいと言う“流され派”の相談もピタリと止まったそうなのだ。


 確かに、目撃したと当事者が騒がなければ、それが周囲に波及する事も無いし、SNSで旬な話題として盛り上がる事も無い。


 “夜にマンション内を巡回してるのが、結果として抑止力になっているのか? ”


 幽霊出現の原因と、出現した幽霊の沈める方法を突き止めるのは藤巻の命題であり筋道なのだが、今現在藤巻が深夜に巡回する事で幽霊が出現しなくなっているならば、それは一つの方法として有効なのではないか?

 つまり、警備員を雇って深夜巡回する事が幽霊の出現抑止に有効な手段の日だとしてクライアントに報告すれば良いのである。

 この場合は結果として樋口瑠衣の幽霊も出現しなくなる事から、幽霊と遭遇して様子を伺うチャンスを失ってしまうのだが、何を最優先と位置付けるかと考えば、やはり入居者の安全な生活なのだ。


 ……神田さちと八田支店長には、その旨報告してみるか……


 深夜割り増しの警備員を雇うのはそれなりにコストもかかってしまうが、背に腹は変えられないだろうと考え始めた藤巻。だが、樋口瑠衣とおぼしき幽霊が出現しなくなったと言うのは、全く藤巻の勘違いである事に気付いていなかった。


 深夜、眠い目をこすりながら五階に上がって踊り場を行ったり来たりと巡回している間、非常階段の扉の前に、女の影が立っていた事に全く気付かないまま四階に降りたり、エレベーターに乗って各フロアに降りて巡回した時も、エレベーターの狭い密室で藤巻の真後ろにぴったりと並ぶ女の影があっても、それにすら気付いていない。

 つまり、藤巻が巡回を始めた事で女の幽霊が出なくなり、住民からのクレームがピタリと止んだのではなく、女の幽霊は住民にではなく藤巻を徹底的にマークして後をつけていたのである。

 ラップ音も鳴らず常人でも気配を察知出来ない以上は、何も無いのと同義ではあるが、それは静かに……静かに藤巻の動向を探っていたのかも知れない。


 さて、メシも食ったし深夜に備えて仮眠でも取るかと、寝袋を広げていそいそと身体を入れると、藤巻のスマートフォンから木琴を叩くような音が鳴り出す。うむ? と首を傾げながら手に取ると、池田祥子から着信が入っている。


「……もしもし? 」


 電話に出る気が無い気持ち七割、業務連絡の可能性があるな三割で、藤巻は通話ボタンを押して池田祥子と会話を始めるも、忙しい時間にすみませんと切り出した彼女の背後からは、何やら聞き慣れたジャズのメロディーと美央の騒ぐ声が聞こえて来る。


『社長、最近コーヒータイムに寄られないから、代わりに私が来店しちゃいました』

「お、おお。……もう、酔っ払ってるのね」

『ちょっとだけ飲んでます、ちょっとだけですよ』

「あーはいはい、それで何か用事かな? 」

『それがですね、美央ちゃんが社長の食生活を心配してましてですね、差し入れ作って持って行ってあげても良いと』


 賑やかな音ともに聞こえる祥子の声、その背後から美央の声であろうか、(祥子さん、やめてえええ! )と微かな悲鳴も聞こえて来る。どうやら美央は祥子の誘導尋問に引っかかったのか、ポツリとこぼした小さな本音を祥子に拡大解釈されて吹聴されているようだ。


「長期滞在にはならないと思うから、またお店に顔を出すって言っといて」

『分かりました、言っておきます。社長は良いですねえ、若い子にもてまくりで』

「アホか、もてた試しなんぞ無いわい」

「いえいえご謙遜を。美央ちゃんだって、藤巻さんはドミネーターの似合う男だって言ってますよ。ドミネーターって何ですか? 」

(ギャー! 祥子さん、やめえてえええ! )

「ドミネーター? 知らないよ俺だって」

「早く帰って来てくださいね。美央ちゃんだけじゃなくて、私だってヒロくん……」


  プツ、ツーツーツー


 誰がヒロくんじゃ……と、苦虫を噛んだような渋い顔をして通話を強制的に切り上げた。


 確かに騒々しいのは間違いないが、大丈夫ですか? 私心配です! と詰め寄られるよりも、こうして馬鹿馬鹿しい喜劇のように接して来てくれれば、気持ちも幾分かは楽になる。


「あーうるさい、うるさい」


 段々とニヤけて来た自分の表情に気付き、眉をひそめて意識的に真顔に戻す藤巻。スマートフォンのアラームを深夜二時にセットして、寝袋に潜り込みゆっくり目を閉じた。

 

 “今晩、樋口瑠衣の霊が現れないのであれば、一度クライアント側に報告してみるか”


 腹の中でそう決めて、藤巻は夢の中に。



 縦も横も上下も……前後も東西南北も存在しない闇の世界。時間の概念すら無いその闇の世界を呼吸も心拍数も低空飛行のままに飛び回る藤巻であったが、ピクリと身体一つ揺らして我に返る。

 フローリングの固い床とフワフワの寝袋の生地、そして地球の重力を背中に感じる事から、睡眠から覚めたのが意識出来るのだが、何故か目が開けられない。

 それはもちろん、金縛りでも何でもなく藤巻が故意に目を閉じたまま開けようとしないのであり、では何故に藤巻は目を開けようとしないのかには、しっかりとした理由があった。


 “目の前に何かいる!? 間違いなくいる! ”


 横になったままの、目を瞑ったまま藤巻が感じているのは自分を見下ろしている何か。

 声も聞こえなければ吐息も感じないのに、間違い無く自分を見下ろしているのだと、気配をで察知したのである。


 このまま目を瞑り、寝たフリをしてやり過ごす事は出来る。だが遭遇を避けてしまっては、今まで重ねて来たこの活動が本末転倒になってしまうのは明白。


 “目を開ける……目を開けるぞ! ”


 自分を奮い立たせてゆっくりと目を開ける。

 ーー見渡す限り暗黒の世界だった藤巻の視線に、やがてそれよりは多少明るい、暗がりに灯る街の明かりが入って来たのだが、一瞬で彼は硬直して頭の中が真っ白になる。


 いるのだ、目の前にいるのだ

 藤巻の顔を囲うように長い髪を垂らして、互いの鼻の頭がくっ付くほどに接近し、ギョロリと剥き出しにした白眼の中にある真っ黒い瞳が、じいっと藤巻を見詰めていたのだ。


 寝袋をまたぐように四つん這いになり、マジマジと観察していた女の霊。

 その女の霊を観察しなければならない立場の藤巻は、あまりの恐怖で気を失ってしまいそうになるのを踏ん張りながら、樋口瑠衣らしきこの女の顔を見詰め返す。


 そして何かに気付いた彼は愕然としながら、腹の底から勇気を振り絞って“彼女”に問い掛けたのである。


 ーーちょっと待て、お前は……誰だ?ーー と




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