04 藤巻博昭
純喫茶とはつまり、アルコール飲料の販売を一切行わない喫茶店の事を言い、そして世間一般的に喫茶店とだけ呼ばれる店ではアルコール飲料の提供を行っている。
なるほど思う反面どうでも良いとも思えるこの無駄知識。純喫茶なのかどうかは、実はここ長野市北部地域ではとても重要な事柄である。
“田舎の純喫茶は金にならない”つまりはそう言う事で、長野駅や県庁や善光寺が集中する繁華街で営業するならまだしも、大味な郊外型店舗が並ぶ幹線道路の裏に団地と田んぼとリンゴ畑が見えるだけの土地では、純喫茶では一日あたりの集客数が雀の涙で商売にならないと断言しても良い。
ならば日中だけの営業時間を夜まで延ばさなければならず、夜にコーヒー目当てで入店して来る客など皆無なので、必然的に酒を提供する事になる。よって田舎では昼間は喫茶店で夜は飲み屋に変わる「喫茶店」しか受け入れられないのだ。
「だからマスター、ウイスキーの種類増やそうよう。角やダルマだけじゃなくてジャックダニエル入れようよう」
長野市北部地域、東西と南北を縦断する大通りには日本中の誰もが知っているような定番の郊外型店舗がひしめき合っており、急激に開発された農業集落を大した特色無く彩っている。
その郊外型店舗の隙間に近年誕生したのが“コーヒータイム”。個人経営のこじんまりとした喫茶店が、地元住民の鼻腔をコーヒーの香りで楽しませていた。
前述の長々とした微妙に説得力の無い演説と最終的に酒の種類を増やせと言う要求は、週末の夜だと言うのにいよいよ閑古鳥が鳴きそうな店内で、カウンターに座った唯一の常連客が、マスターとアルバイトに復帰した星城女子大学一年生の江森美央に向かって投げかけていたのだ。
「ジャックダニエルですか? バーボンはちょっと……クセがありますよね」
店で提供したとしてどれだけ需要があるのだろうかと、腕を組んで真剣に頭を傾け始めたのはコーヒータイムのマスターで、美央の叔父にあたる江森洋介。頭に白いものもチラホラと混じり始めてはいるが、身だしなみをしっかりと整えており、まさしくマスターと言うカタカナが似合う中年である。
「マスター、騙されちゃダメよ。藤巻さんは自分が飲みたいだけなんだから」
あっかんべえと、横から口を挟む様に美央は悩み始めたマスターを助けるも、藤巻は二対一のこの劣勢を跳ね除けるべく、またもや説得力に欠けているような気がしないでもない説得を力説し始めた。
「久しぶりに帰って来たかと思ったら、美央ちゃんもいきなり言うねえ。だけどジャックダニエルを馬鹿にしちゃいけないよ、コンビニ……コンビニに売ってるんだぜ? 」
脱いだスーツの上着を椅子の背もたれにかけて、ネクタイをほどき、コーヒーではなくウイスキーの水割りをちびちび楽しむ、極めて緩い時間を過ごす三十代前半の男性。
彼こそが、以前美央が奈津子との会話に「ヘッポコ」の名前で登場した、藤巻博昭本人なのである。
藤巻博昭 三十一歳、藤巻探偵事務所を開業して四年目であり、事務員を含め合計三人の社員を抱えるこの探偵事務所はもちろん、探偵協会に属する正式な企業であり、長野市を含めた広い盆地……通称「善光寺平」を全域を活動地区として、不倫・浮気調査の精度の高さで売り上げを伸ばして来た。
ただ、未だに本人が不満を抱いているのは、子供の頃に夢見て今の今まで引っ張って来た「探偵の醍醐味」がまるで無いこの現状にであり、シャーロック・ホームズやマイク・ハマーの世界の様に迷宮入りしそうな難事件や国家機密・汚職などを巡る大事件とは全く無縁な浮気調査やペット探しの日々に辟易としていた。
だからなのか、毎晩仕事上がりにコーヒータイムへと通い、ひねくれ者に近い理論構築をマスターや美央に披露しては日々の憂さを晴らしていたのである。
「コンビニにジャックダニエルが売られている理由が分かるかい? コンビニってのはね、売れるものしか売らないんだよ」
「売れるものしか売らない……? 」
「そう、コンビニはいつでもデータ取ってて、売れ筋のみを商品陳列するんだよ。だから美央ちゃん、珍しいカップラーメンなんて売ってないだろ? 」
「まあ、それは知ってますが……」
「消費者の発掘心を殺し、売れ筋商品だけを押し付けて来る、あの横柄で退屈なコンビニにジャックダニエルが置いてある。それはつまりジャックダニエルも売れ筋商品なのさ。だからここにも置いて欲しいと言っている」
まあ確かにそうなんだけど……と納得出来るか出来ないかのギリギリのラインで消化不良を起こしているマスターと美央。
だが、ジャックダニエルが店のお品書きに加えられてしまいそうな空気を破る様に、何かに気付いた美央が“過去事例”を元に逆襲を始めた。
「それを言うならチューハイとか日本酒だってコンビニに売ってるじゃないですか! 藤巻さんの論理にノセられてたら、危うく居酒屋にジョブチェンジするところですよ」
「あは、あははは……」
「マスターも笑ってないで言ってあげれば良いのに。それに、藤巻さんに以前頼まれてマンデリン入れたけど、藤巻さん以外誰もマンデリン注文しないじゃないですか」
マンデリンとは、キリマンジャロやブルーマウンテンに並ぶコーヒーの代表的な種類の一つであり、一般的なブレンドよりも酸味や苦味の強い“通好み”のコーヒーである。
どうやら過去にもこう言うやり取りがあった上で、店は新たなラインナップを導入した後、失敗したようである。
「いやいや、喫茶店だよ、ここは喫茶店だよ。紙コップで訳わからんコーヒー提供して、さらにホイップやら何やらでかき混ぜた別世界の黒汁飲ませる店じゃないんだよ。現代人気取りは雰囲気飲んでりゃ満足かも知れないけど……ここは喫茶店なのさ」
おいおい、あんただって三十そこそこの若造だろと言うツッコミは通用しませんよと、藤巻はしたり顔で美央の抗弁を綺麗サッパリ押し退けた。
「それにしても……」
藤巻は水割りのおかわりをマスターに頼みながら、そう呟きながらカウンターの奥で「ぐぬぬ」と悔しがる美央をマジマジと見る。もちろんそれは“うむうむ、若い女の子は良いねえ”と瞳が踊るいやらしさからではなく、賢くてそれでひねくれている藤巻独自の視点からだ。
「美央ちゃんがこの店に入ったの、高二の頃だったね。それから三年、あっという間に成長したね」
「成長ですか? あまり実感が無いのですが……」
「いやいや、来たばかりの頃はもう……藤巻さん藤巻さん聞いて聞いて聞いて! のオンパレードだったけど、今はもう昔みたいに主張しなくても、人がつい聞きたくなる雰囲気を作ってる」
「……へ? へ? 」
「何か悩み事や心配事があるんだろ? 探偵藤巻が相談に乗ってやっても良いのだがね」
水割りを頼むと、おつまみとして柿の種や乾物などが小皿に乗って出されるのだが、今回水割りのおかわりと共に出て来たおつまみはマスターの大好物でもある焼き鳥の缶詰。
もう店を閉めるかと判断したマスターは、藤巻の水割りを作りながら自分の分も作り、自分のつまみとして用意していた焼き鳥の缶詰を常連にもとシェアしたのだ。
藤巻は甘辛ダレがたっぷりと絡まった焼き鳥を一つ口に入れ、グラスを掲げてウィンクする。その下手くそなウィンクはマスターの心意気に対する感謝の意味と、美央に対する“心配するな、話してみ”の合図でもあったのだ。