37 二年参り 後編
JR長野駅には西口と東口とがあり、善光寺参拝を目的とする観光客は、JR在来線や新幹線を降りた後に西口から善光寺へと向かう。
西口から善光寺まではそこそこの距離があって流石に徒歩では時間が掛かるので、脚力に自信のある者以外は周回バスを利用するのが間違い無い。
長野駅から善光寺まで緩やかな上り坂が続き、上り線下り線ともにびっしりと商店が連なるアスファルト道路を進んだ先が、石畳の道へとガラリと変わると、車の乗り入れが一切許されない参拝者専用の参道が始まり、やがて目的地である善光寺の巨大な本堂が参拝者を向かい入れる。
特定のイベント時期のみライトアップされる善光寺は、普段の夜間は夜間に溶け込むような面持ちで、朝とともにやって来る参拝者を静かに待っているのだが、十二月三十一日の今日だけは違う。百八つあるとされる煩悩を浄化するために大きな鐘を鳴らし、深夜の零時を挟んで参拝を行う『二年参り』に訪れる参拝者たちのために、善光寺は眠らないのであるーー
「いやはや、すごい人の数! 本堂にたどり着けるかな」
「お参り済ませて帰って来る人たちもいるから、循環してるのは間違い無いよ。気楽に行こうさ」
NHKの紅白歌合戦が白組紅組ともにトリを残して最高潮を迎えようとする頃。江森美央と木内奈津子、そして木内浩太郎と成田礼子の四人は、二年参りを目的に善光寺の本堂を目指し、ここ善光寺参道の半ばにいた。
厚く冷たい雲に覆われてはいるものの幸い降雪予報は出ておらず、ひたすら湿度の低い寒気に耐えるだけの夜なのだが、氷点下五度の外気温はさすがに寒く、二年参りに行き交う者たちは口からもうもうと白い息を吐き出している。
美央と奈津子は高校時代から毎年恒例の行事として二年参りを行なって来たのだが、今年は浩太郎が北長野にいる成田礼子を二年参りに誘うと言い出し、「姉ちゃん車出してよう」と平身低頭で送迎役をお願いした事で、奈津子は車を出して礼子を迎えに行った後に美央も合流し、四人で善光寺に向かったのだーー木内奈津子、浩太郎の自宅が善光寺の近所の地区にあり、参拝客としては駐車場の心配がいらなかったのである。
「奈津子……寒い、寒いよう」
「もうちょっとの我慢だから。って言うか、あんたが一番暖かそうな格好してるのに」
よくもそこまで着込んだわねと、呆れる奈津子が見詰める先には、ダウンジャケットの下にも防寒着を着ていそうなモコモコになった美央の姿が。
「ほらあ、礼子ちゃんを見てみなよ。黒タイツとPコートが似合うお洒落可愛いレディなのに、あんたは一体何期の南極越冬隊なのよ」
「いやいや、冷えは女性の天敵なのよ。将来を考えた上でも、このチョイスは有りなのよ」
何を主張しても、何を強弁したとしても、これは異性の視線を意識しているかいないのかの差よねえ……と、美央を哀れむ奈津子であったが、奈津子は奈津子で見えない場所に貼るカイロをベタベタ貼ってあるので、決して礼子には勝てない理由を抱えていた。
善光寺の二年参りには、旧年の厄を払い新年の幸を祈願する以外に別の楽しみもあるーー
大晦日の長野市中心街にある飲食店は、夕方に一度電気が落ちる。大概の飲食店はそれをもって年末年始の連休に入り、紅白歌合戦や笑ってはいけない番組が盛り上がっている頃は、各家庭の食卓が華やかになる反面、長野市中心街は静寂に包まれるのだが、二年参りの参拝客が善光寺に集まり始める深夜の零時前後、善光寺参道に連なる飲食店は二年参りの参拝客をターゲットに再び店に明かりを灯して暖簾をかけるのだ。
この時間帯に蕎麦屋に入り「これぞ本当の年越し蕎麦だ」と、寒空の下で冷水でキンキンに締められたざる蕎麦を食べるのも、この二年参りの楽しみの一つでもあった。
美央と奈津子、そして浩太郎と礼子の四人は、長い参拝の列に並びながら、いつの間にか新しい年が始まってしまった事で内輪で挨拶した後に無事お参りを済ませて、さて帰路を行くかそれとも参道から市道に出た場所に並ぶ夜店で買い食いでもしようかと相談していると、一番子供のようなモコモコした美央が、何故か大人を気取り出す。
「夜店でたこ焼きも良いけど、せっかく善光寺さんに来たんだから、ここはリッチに年越し蕎麦目当てにお蕎麦屋さんに入ろうよ! 暖かい天ぷら蕎麦が食べたい」
年越し蕎麦って主張しといて、ザルじゃなくて天ぷら蕎麦を選ぶのも大概だけどなと苦笑する奈津子も、新調したブーツが冷えて足元や指先が寒々と悲鳴を上げ始めたのは確か。美央の意見に賛同をしめす。
また浩太郎と礼子に至っては、これで帰宅するよりもせめてもう一つくらいは思い出を作りたいなと、蕎麦屋に入る提案を大賛成で受け入れた。
ーーそれにしても、参道沿いの蕎麦屋のこの混みようは、手遅れに近いんじゃないかーー
店先に並ぶ者たちも出始めてしまうと、さすがの美央たちも心が折れそうになる。二年参りの参拝客は日付けが変わってもその数は増える一方で、このまま初詣に突入するのは間違いは無い。このタイミングで空いてる店を見つけて飛び込まないと、食べるより待つ時間が長い苦行に変わってしまうのだ。
「参道沿いの店はもう無理かな、地元客しか知らない路地裏の店に行きましょう。確かお蕎麦屋さんがあった気がする……」
地元の強みなのか、参道を中心に東西に広がる宿坊街にポツポツと、地元の人しか知らない店があった事を思い出す奈津子。彼女の記憶を信用して一同は参道からはずれて薄暗い宿坊街へ。
蒸気機関車が横に四台並んだかの様にもうもうと白い息を吐きながらたどり着いたのは、本当に街の様子を知る地元民くらいしか通わなそうな蕎麦屋『蕎麦八』。
こじんまりとして古びた店ではあるが、暖簾がかかって店に明かりもついており、いよいよ寒さに耐えられなくなった四人は誰一人難色を示す事なく、皆で無言でうなづきながら暖簾をくぐった。
「いらっしゃいませ」
品の良い田舎のおばあちゃんが出迎えてくれ、こちらにどうぞと店内に六つしか無いテーブルの一つに誘導する。
席に着いて一同が店内を見回すと、“ウチは格調の高い蕎麦出してるから、文句言わずに静かに食えよ”と言う店側のプレッシャーは欠片も無く、本棚にズラリと並んだ前時代のマンガ本と、壁に貼られた生ビールのポスターはボロボロで隅がめくれ、いつの時代か分からない古びたメイクのモデルさんが、水着姿でビールジョッキを掲げている。チューナーが付いたブラウン管のテレビも哀愁漂う風情を醸し出しており、店の雰囲気は蕎麦屋と言うよりも定食屋の様相だ。
“店選び……失敗したかな”
美味い蕎麦屋と言うイメージとのギャップに襲われた美央たちは、四人が四人とも内心で落胆するのだが、給仕をしている品の良いおばあちゃんが、新年の挨拶をしながら出してくれたお茶と野沢菜漬けを前に、“この店でいっか”と、全員が目配せでそれを了承した。
客はこの四人以外に一人だけ。品の良さそうな眼鏡の似合う男性が、一つ離れたテーブル席で熱燗を手酌で飲みながら、蕎麦屋の酒の肴で定番でもある、玉子焼きと焼き鳥をつついているのだが、反対側の席にも熱燗やおちょこや箸が置いてある事から、誰かその相手がトイレにでも行っているのではと伺える。
「どうしよう、何頼もうか? 」
手元のお品書きと、壁にズラリと並んだ色褪せた短冊に書かれたお品書きを見回しながら、蕎麦屋に焼肉定食って……蕎麦屋に焼きそばって……と、四人が四人とも違和感に苛まれながら悩んでいると、給仕のおばあちゃんではなく、品の良い眼鏡姿の男性でもなく、どこかで聞いた事のある音色の声が店内を大きく駆け抜けた。
「……へっ、へっ? 君たち、ここで何やってんの? 」
びっくりして声の方向へ目を向けると、そこには奥のトイレから出て来たであろう藤巻博昭の姿が。
さすがに未開の地で心細くなっていた美央や奈津子は「食べに来たのに、何やってるのとか失礼ですね」と鼻息の荒い抗議はせず、大げさだが懐かしい表情で尚且つ弱みは見せないように、ぐぐぐ偶然ですねえ! 明けましておめでとうございます! と挨拶する。
「おっ、おう」と気押しされるも改めて挨拶した藤巻は、当たり前の様にメガネの男性の反対側の席に着き、美央たちを紹介し始めた。
ーー行き着けの喫茶店でバイトしてる江森美央さん、その友人の木内奈津子さん。弟の浩太郎君にクラスメイトの成田礼子さんーー
「私は藤巻の友人で三輪秀一です。藤巻とは高校時代の腐れ縁で、毎年二年参りにはここで一杯やるんですよ」
奈津子あたりが「良い男ねえ」とうっとりするのだが、話を聞けば二児のパパで家庭円満との事で、独身貴族と家庭円満、対照的ですねえと藤巻がからかわれるオチ役になってしまう。
「この店はね、明治時代からある蕎麦屋で、参拝客を相手にした店じゃなくて、門前町の住人や出入りしていた商人が好んで立ち寄った店なんだ」
ーーだから蕎麦だけでなく、その時代時代に全国を駆け回った商人たちが、あれ食べたいこれ食べたいとわがまま言って、いつの間にか料理のレパートリーが増えたけど、味は全てにおいてバツグン。藤巻も私も高校時代からお世話になってるんだよ
三輪の丁寧な説明を受けて、観光客や参拝客を相手に特化した蕎麦屋ではなく、地元に愛され門前町に出入りする商人に愛されたその歴史に、何かしら隠れた名店のロマンを感じた美央たち。
藤巻にではなく三輪に向かい、年越し蕎麦を食べに来たのだが何が一番お勧めなのか、食い付く様に質問し始めた。
「ううん……。ざる蕎麦、盛り蕎麦、とろろ蕎麦、辛味大根のおしぼり蕎麦、どれもお勧めなんだよね」
「三輪の言う通り。天ぷら蕎麦に、鴨南蛮にカレー南蛮、冷たいのも温かいのも一度は食べてみる価値はある」
三輪と藤巻が首を傾げて悩む中、お品書きを凝視していた浩太郎が、これはどうなのかと前のめりに質問する。
「藤巻さん、三輪さん……このシナそばってのは美味いですか? お二方はお勧めですか? 」
互いの顔を見合わせた藤巻と三輪。
浩太郎の質問に何か思い出したのか、二人揃ってクスクスと笑い出し、その違和感ある光景にぽかんとしている美央たちは、この先二人が何を言い出すのかと注視するだけの時間が流れている。
「いや、浩太郎君も良いところに目を付けたねえ! シナそばを頼むのは、この店の常連でも“通”しかいないよ」
「えっ、えっ、そうなんですか!? いやはや照れます」
「シナそばかあ、私もそれ食べてみたい! 」
藤巻にまんまと乗せられた感もあるが、四人は四人とも高揚感を隠そうともしない表情で、給仕のおばあちゃんにシナそばを注文し、そして料理が出来上がるのを楽しみに待っている。
シナそばとはつまり『ラーメン』の事で、古き良き時代にそう呼ばれていた過去がある。
おまちどうさまでした
と、前に出されたラーメンを見て目を白黒させる四人であるが、ネタばらしをしてゴメンゴメンと謝る藤巻は、まるで少年の様な屈託の無い笑顔で笑うのだが、騙された側も騙された側で文句を言えない事実があるーーたかがラーメン、されどラーメン。そのシナそばがとにかく美味いのだ、冷えた身体を温めながら、優しい醤油スープが胃に染み込むのだ
「この店はね、高校時代に私が見つけて、二年参りの時に藤巻を連れて来たんだよ。そしたら藤巻がシナそばってどんなそばか試してみようと言い出してね」
「歴史は繰り返すって訳じゃないけど、美央ちゃんたちも良い思い出になったろ? 」
お詫びにと、藤巻のおごりで玉子焼きと切り干し大根のおやきと餃子が振舞われたのだが、誰一人として食べ残す者はおらずに、満足げな顔で箸をつけている。
「今年は良い年になるかな? 」
「三輪が変な案件持ち込んでこなきゃ、良い年になるさ」
結局美央たちの会計は全て藤巻が済ませ、先に帰るよと藤巻と三輪は店を出て行った。
何度もお礼を言いながらその背中を見詰める美央たちは、大人になって歳を重ねても仲良くしていられる……そんな二人の関係を羨ましく思いながら、目の前にいる身近な人たちとの将来に想いを馳せていた。
◆ 閑話休題編1 「年越し!」 --終わり




