34 逆柱(さかさばしら)
日本海にある低気圧が列島に覆いかぶさり、水曜日の今日は朝から生憎の冷たい雨。
明日朝までは雨が続くが週末には全国的に晴れるとの予報も出ており、今週末に秋祭りを予定している地区の者たちは、老いも若きも胸を撫で下ろしながらその日が来るのを心待ちにしていた。
パラついていた小雨がいよいよ本降りとなり、灰色の世界の中で色とりどりの傘が花を咲かせているこの場所は、第三セクターのしなの鉄道「北長野駅」の駅前。
車用のロータリーも無い様な駅前ではあるが、駅前通りには立体駐車場付きのデパート兼スーパーがある事から、長野市内においては長野駅に次ぐ規模の街ではある。
その北長野駅前にある藤巻探偵事務所に、やっと経営者である藤巻博昭は出社した。月曜火曜と会社を休み、今週も半ばになって出社して来たのには訳があり、決して経営者の立場を利用して遊び呆けていたのでは無い。
藤巻博昭は先週末の夜、心霊現象の調査依頼があった成田家から帰宅する途中に自損事故を起こし、頚椎捻挫の怪我を負って自宅療養していたのである。
結果として平日に連休を取ってしまった形になるので、溜まってしまった書類に追われてデスクワークに勤しむ藤巻であったが、「田辺君に頼んで良かった」と言う安堵の台詞を繰り返し呟きながら、ひどくご機嫌で仕事をしていたのは間違い無かった。ーー首のギプスは痛々しいが
探偵事務所の社員である田辺旭に一体何を頼んだのか……それは田辺がこの探偵事務所に就職する以前に働いていた、前職のスキルに頼った事は間違い無い。
田辺旭は高卒後とある工務店に就職しており、ハウスメーカーの下に付いて一般住宅の建築に従事していた事から、成田家で心霊現象の調査をしていた藤巻はその恐怖の根幹ではないかとにらんだ一本の柱について、田辺旭に判断を仰いだのであるーーこの柱は【逆柱】かどうかと
逆柱とは、木造建築における古い言い伝えなのだが、木材を柱として使用する際に上下逆さまに施工すると、その家に不吉な事が起きるとされる俗信である。
木は土から生えて天に向かって成長して行く。その木を柱にするならば、やはり木材となっても上下そのままに施工しなければならず、もし間違って上下反対に施工すると、その柱が基点となって負の力を放ち始め、運気が落ちるどころか火災や家鳴りなどあらゆる災いが降りかかるのである。
綺麗に表面精製された柱は、素人が見てもさすがに逆柱かどうかなど判断出来ず、ましてや成田家にある柱はアンティーク調に表面塗装されている。
さすがの藤巻も自分が立てた仮定に対して裏付け確認を取る事が出来ず、それを経験者の田辺に託したのである。
田辺旭の行動力、そして調査能力は凄まじかった。
明けて日曜日の昼、病院先から藤巻が田辺に連絡を取って事情を話すと、田辺は早速成田家の御主人と連絡を取り、成田夫妻立会いの元で調査を開始したのである。
ーー結果的としては、問題の柱が逆柱なのかどうかまでは分からなかったが、田辺の行動はこの騒動の顛末を劇的に変える起爆剤となる。
と言うのも、コーティングされた柱を見ただけでは判断出来ず、成田夫妻に対して柱の表面を一部削り「地」を出して良いかと問い、夫妻の了承を得た上で柱の表面にヤスリをかけてコーティングを落としたのだが、田辺はそこで違和感に気付いたのだ。
『新材の木の香りがまるでしない。加工された後に、長い年月を経た木材のようだ』
何か思うところのあった田辺は、このアンティーク調の表面コーティングはもともと設計にあって、夫妻の希望で施工したのかと問う。
すると夫妻はこう答えたのだーーもともと設計には無垢の新材を使用する事が決まっていたが、施工の段階で壁材との色合いが不釣り合いなので、アンティーク調の表面加工をしたらどうかと、工務店側から建築士に申し出があり、夫妻に話が回って来たと
田辺はこの夫妻の答えをもって仮説を立てた。
逆柱かどうかまでは判断出来ないが、この柱は新材ではなくリサイクル木材を悪用している。つまりは廃屋などの解体で発生した木材を改めて製材し、バレないように表面まで加工した、明らかに契約に反する材料であると。
そして、目に見えるところでこの様に悪質なコストカットをする程なら、目に見えない場所では手抜き施工のオンパレードなのではないか……?
この柱だけではなく、家自体が手抜き施工の可能性が高いと申し出た田辺は、探偵として出来る範囲の仕事は終わったと夫妻に告げる。
だが、成田夫妻はそれを良しとしなかった。よほど田辺を信用したのか、手抜き工事かどうかを調べてくれ、そして手抜き工事が発覚したら、その手の裁判に強い弁護士を紹介してくれと、田辺を掴んで離さなくなったのだ。
警察が被害届を受理すれば詐欺事件として立件され、民事裁判でも詐欺被害の賠償請求をすれば、夢のマイホームに泥を塗った責任を取らせる事も出来る……。
「藤巻探偵事務所にも、正式な調査費用を支払います……か」
「田辺君すごいですね、ビジネスとして成立させちゃいましたね」
雨の水曜日、北長野駅前の住宅街に正午を知らせるチャイムが鳴り響いた時、この藤巻探偵事務所にいた社長の藤巻と事務員の池田祥子が、ちょうど田辺旭の話題で盛り上がっている。
「田辺君の元いた会社の友人に軽く調べてもらったら、壁の断熱材が入って無かったり、天井裏の梁が届いてなかったりと、疑惑のオンパレードだったらしいよ」
「あら、それじゃ正式に建物調査会社が入って調査なんかしたら……」
「多分、建て直さなきゃ許されないレベルの結果が出て来るだろうね」
肩をすくませておどける祥子。“楽して損”してりゃ世話ないわよねえと手抜き施工をした会社を嘲りながら、自分のバッグから小さなお弁当を取り出して、先にいただきますと箸をつける。
ーー多分、あの女性の霊は、“自分の家”で……あの柱で首を吊ったんだろうな。それが逆柱の負の力でまた姿を現さなきゃいけなくなって、良い迷惑だったのかな? ーー
絶賛の田辺旭と打って変わり、幽霊は見るわ車は廃車で新しいの買わなきゃならないわ首が痛くて固定されてるわの、まるで良いとこ無しの藤巻が泣きべそかいても良い? 俺、と感慨に耽っていると、「ヒロくん、来たヨー」の掛け声と共に、おかもちを持った中華美女が事務所を訪れた。
現れたのは、近所にある中華料理『黄竜』に勤めている台湾美女で、藤巻がリンちゃんと呼ぶ店の看板娘である。リンちゃんはリンちゃんで藤巻の事を「ヒロくん」と呼び返す間柄で、池田祥子にしてみれば神経をピリピリと研ぎ澄ませながら睨みを効かす相手でもあった。
本日の日替わり定食は、ご飯大盛りに溶き玉子のワカメスープ、そしてメインのプレートにはチンジャオロースに餃子三個が乗り、ザーサイの代わりに杏仁豆腐が添えられている。
自宅療養していて外食に飢えていた藤巻は、やっとグルメにありつけるとニコニコ顔で待つのだが、藤巻の姿を見たリンの様子が何やらおかしい。
何か……今にも表情が壊れそうなのを、必死に堪えて真顔を作っているのだ。
「うん? どうしたのリンちゃん」
藤巻が自分の首に配慮しながらぎこちなくリンの視線に自分の姿を入れると、いよいよ我慢が出来なくなったのかリンはぷう! と息を吹き出して高らかに笑い始めたのだ。
「あはははは、ヒロくん、ヒロくん! 私見た事ある。ポスターでヒロくん見たヨ」
「俺? ……俺がポスターに? どこにそんなポスター貼ってあるの? 」
「ホラ、駅西のお医者さんの前だヨ! 」
駅西? 駅西にあるお医者さんと言えば、小島美容クリニックしかないし、そこの入り口に貼ってあるポスターと言えば……
どんなポスターが貼ってあるのかピンと来た藤巻。笑うリンに向かって顔を真っ赤にしながらそれを否定する。
どうやらリンは、美容整形外科で良くある『タートルネックセーターの首元を上げて、顔を半分隠す青年』のポスターと、頚椎固定ギプスをはめた藤巻がオーバーラップしてしまい、笑えてしょうがないらしい。
「リンちゃん女の子なんだから、それで笑っちゃ駄目だよ。俺はね、首を捻挫したの! 」
「ソッカあ、笑っちゃダメかあ。ヒロくんダイジョーブ? リンが介抱スルカ? 」
何とかその場は収まり、お代を貰ったリンは店へと帰り、藤巻はチンジャオロースの青くさい風味と甘辛シャキシャキの食感にうっとりしながらご飯をかき込み始めたのだが、ーー藤巻は知っている、藤巻は見ていた。
リンとの間で整形外科のポスターが話題に出た時、藤巻を見てやはりそれを思い出したのか、「ごぶっ」と盛大に喉を鳴らしながらカップ味噌汁を吹き出し、鼻から滴る味噌汁を慌ててティッシュで拭いながら、何事も無かったかの様に昼食をとっていた事務員を。
何か一言言ってやろうかと思った藤巻だが、本人はそそくさと食べ終わり逃げる様に会議室に昼寝に行ってしまったので……結局は下ネタを振られて大ヤケドした、藤巻の一人負けとなってしまった。




