26 探偵 藤巻博昭
藤巻が見てはいけないものを見てしまったのが、金曜日も夜が深まり日付けが変わった土曜日。
そして土曜日も朝が過ぎて昼が過ぎて夜を迎えた夕飯時のこと、藤巻の姿は自宅の近所にある喫茶店『コーヒータイム』にあった。
今日は週末で明日は日曜日。
本来の藤巻ならば当たり前の様に、完全に火の通ったマスター特製昭和のオムライスを平らげ、そして藤巻しか頼まないと言われるクセのあるコーヒー『マンデリン』を食後に楽しんだ後に、いよいよジャックダニエルの水割りを飲みながらマスターや美央と談笑を重ねるのだが、今日だけはちょっと違う。
マンデリンを飲み終えた後にジャックダニエルを頼まずに、そのままカウンター脇で置き物になっていたテレビの電源を入れて、地方の夕方ニュースに見入っているのだ。
美央から言わせればあり得ない……藤巻がテレビ番組を見ているなど、まずあり得ない話であるのだが、その不思議な光景が現実となって美央の目の前で繰り広げられているのである。ーーそれも、ちょっと今の俺に話し掛けちゃダメだよ的なオーラを出しながら
そもそも、自由に見て良いはずのテレビが何故毎日のように電源が入っておらずに単なるインテリアと化していたかは、相変わらずの藤巻語録にその原因がある。
“テレビを見なきゃいけない時代は終わった”
この一言に尽きると藤巻は言い出したのは昨年の事。
サイズの大きな液晶テレビを家で買ったのだが、それまで使っていたテレビももったいないから店で使わないかと、夏休みのバイト中に美央が持ち込んで来たものなのだが、程なくして藤巻がそう言い出してからは彼のいる時間帯とマスターが大好きなジャズを店内で流している間はテレビを消していたのだ。
ーーテレビ放送が始まって平成の時代が来るまでは、そりゃあ一般人にとってテレビは重要なメディア媒体だったさ。映像付きのニュースは明日の朝刊を待たずに人々の知るところになり、静かだった茶の間もテレビを囲んで談笑に湧いた時代があった。でももう、その役割は終えたと言って良いんじゃないかな?
テレビが終わった原因はやはりインターネットの普及なのかと美央が問うが、それは小さな原因の一つでしかないと答えるに留まる。
じゃあ、大きな原因は? と美央が食いついてようやく、藤巻は自慢げにまたへそ曲がりな持論を展開し始めたのだ。
ーー先にも言ったけど、テレビが情報媒体として新聞に勝った大きな理由はその速報性にある。新聞が朝と晩に記事を出す間に、テレビはどんどんとニュースを流せる。
だけど何を勘違いしちゃったか、ワイドショーやニュースバラエティを始めちゃったでしょ? 硬派なニュースからどうでも良い話題まで全部一緒くたにして。
連合赤軍あさま山荘事件、ニューヨーク貿易センタービルテロ事件などは、リアルタイムで生中継していたのに、今のワイドショーや朝晩のニュースを見てみなよ。どの局も同じニュースと話題を視聴者の頭がおかしくなるまで放送し続けるでしょ。ちっともホットじゃないんだよね。
例えば相撲取りが弟子を暴行した事件、毎日毎日似たような続報が必要かい? 挙げ句の果てに土曜日の朝も特集組んで、日曜日も朝から昼まで引っ張る引っ張る。
アマチュアボクシングの会長問題でも、女子アマレス選手のパワハラ被害でも、自動車企業の会長汚職問題でも然り。世界は刻一刻と変わっているのに、「視聴者は食いつくはずだ」とテレビ側が勝手に判断した旬のネタを腐るまで引っ張って放送し続ければ、逆に見なくても良いと視聴者が判断したとしてもそれはしょうがないよね。
テレビの多様性、テレビの可能性を製作者たちが自ら放棄して、視聴者の多様性をも考慮しなくなった「多様性の喪失」が原因なのさ。
クイズが流行れば全局クイズ、雑学が流行れば全局雑学、お笑いが流行れば全局お笑い……。どこを見ても同じなら、どの番組を見ても新鮮味が無ければ、つまりは見なくても同じなのさ。
“美央ちゃんは毎週欠かさず見てるテレビ番組ってあるのかい? ”
“あっ、NHKのサラメシだけは録画して欠かさず見てます。夜中にあれ見るとお腹がグウグウ鳴っちゃうんですよねえ”
“おっ、おお……。いずれにしても、テレビ衰退は得てしてネットのせいにされがちだが、自滅と言うのが真実に近いと言っておこう”
そう言って藤巻はウイスキーの水割りを掲げて、美央に下手なウィンクを送る。お世辞にも二枚目のイケメンの流暢なウィンクではないので、カッコ良いも何もあったものじゃないのだが、少なくとも美央はそれに反論が出来ず、成る程なあと話半分程度に納得した記憶がある。
ーーだが、当時それだけ言っておいて、今日の今日藤巻はテレビにかじりついているのだーー
「藤巻さん、今日はその……飲まないんですか? 」
違和感を抱いてはいても、矛盾があったとしても藤巻のやる事だから何か理由があるのだろうと、いつの間にか自分に芽生えた藤巻に対する優しい理解力を持って心配する美央。
だがその問い掛けに対して藤巻は目も合わそうともせずに、ゴメンちょっと待ってと言いながら、テレビ画面に向かって更に前のめりになる。それもキー局の全国放送ではなく、始まったばかりの地方ローカル局のローカルニュースにだ。
『……それでは次のニュースです。本日午後、長野市犀西団地の空き家から身元不明の遺体が発見されました。県警では遺体が埋葬された状況から事件性があると判断して捜査を始めましたが、遺体は一部白骨化しており……』
「……そうだよな、見つかったばかりで誰だか分かる訳無いか……」
そう小さく呟きながら仰け反り、両手でガシガシと髪の毛をかきむしる藤巻は、大きくため息を一つ吐いてマルボロメンソールを取り出した。
「マスター、水割りお願い」
テレビのスイッチを切って改めてカウンターに真正面から向き合った藤巻は、表情こそいつものおどけたそれだが、何処と無く悲しげに見える……。
美央の胸の内がキュッと苦しくなる。
本人に言わせると、釣り上げた魚をその場で締めた時の「キュッ」て音だとなかなかに痛々しい子の表現をするのだが、藤巻を心配している事は確か。
更に言えば心配してますよとアピールするとヘソを曲げて元気アピールを始めるので、ほっておこうかと思ったのも確か。
だが美央にたやすく見透かされてしまうほどに藤巻の動揺は激しく、今流れたばかりのこのニュースが関係している事も伺える。
だからと言ってこの身元不明の遺体に対して藤巻が直接関与している様にも思えなく、探偵事務所として調査していた結果、望まぬ結末を迎えたのではと考えたのだ。
美央の推測はズバリ的中していた。
藤巻は昨晩体験してしまった心霊現象を元に、彼なりの推察を打ち立てた後に、この結果を導き出していたのである。
ーーこの事案は盗聴機がキーアイテムではない。盗聴機から聞こえた声、そしてFMラジオの電波に乗った声が重要だ。誰が何のために盗聴機を設置したのかと言う主題を外して考察すると、誰かが助けを求めていると言う事実に行き当たる。
これこそが本案件の核心なのだと考えた藤巻は土曜日の朝早くから、自分の考察に対する裏付け作業を開始した。
先ずはこの声の主とおぼしき人物をあぶり出すため、信州不動産から得た歴代の借り主のリストを元に、それらしき女性の確認作業を始める。
最後の借り主であるフィリピン人女性、エイプリル・ジョイと彼女のグループは考察から外す。電波に乗った声はあくまでも日本人のものであり、更に藤巻が目撃した軒下の女性は、顔の形を見ても日本人女性のものであったからだ。
エイプリルの前の借り主は、三ヶ月の短期賃貸であった三人家族。マイホーム新築中の避難先として、若い夫婦と赤ん坊が住んでおり、藤巻は午前中のうちに長野市にあるその新居を訪ねて夫婦と面会している。
それはまさに家庭円満を地で行くような夫婦であり、満面の笑みで幸せをアピールする妻は藤巻が見た幽霊とはまるでかけ離れた様相であったため、幽霊とこの妻を結び付けるものは無いとして除外。
たまたま会話の中で盗聴機の話題もふってみたが、もともと据え付けてあったため普通に利用していたとの言質も得た。
そしてご馳走さまとでも言いたくなる「幸せ家族」の前に住んでいた夫婦、この夫婦がヒットしたのである。ーー厳密に言えば、夫側が当たりだったのだ。
名前は土木作業員の神津良明(仮 )三十六歳、十歳下の妻三惠子(仮 )と、五年前まで数年間問題の借家に住んでいたが、妻の家出をきっかけとして、長野市近隣のとある村にある実家へと戻る。
夜遊びの激しい妻がそのまま愛人でも作って何処かに消えたんじゃないかと神津は吐き捨てる様に言っていたが、この時点では先に犀西団地の住民たちに聞き取り調査した内容と符合したため、藤巻は違和感を持たなかった。
だが、妻三惠子の写真を見せてもらったところ、疑惑は一気に膨らんだのである。
ーー声までは分からないが、あの幽霊と妻の三惠子がそっくりであったのだ。
動揺を隠したままその場を後にしながら、藤巻は松田に連絡を取ってこう指示を出す。松田の持つ人脈を使い長野県警に確認を取ってくれ、神津三惠子に対する家出人捜索願が出ているかどうかを……。
そしてその足で再び犀西団地へ戻り、事の次第を全て大地主の和田正蔵に報告した上で、松田の報告を待ったのである。
【愛人を連れて家出したはずの神津三惠子が、なぜあのアパートで助けを求めているのか】
もう藤巻の中では答えが出ていた
その旨をクライアントの和田正蔵にも話して覚悟してもらった
和田は和田で、直ぐ県警に協力出来るように信州不動産の八田支店長にマスターキーを持って来るように指示を出した
ほどなくして「デカ松さん」こと県警OBの松田末松から藤巻に連絡が入るーー神津三惠子に関する届け出は一切提出されていないと。
ここまで状況が揃えば、もはや現地を確認するしかないと、藤巻と和田そして八田支店長が問題の家に入り、畳を剥がして、築四十年とは言えない多少真新しい床の部分をはぐった結果、土を掘って埋め返したような跡を発見して長野県警に通報したのである。
神津良明を罪に問えるかどうかは分からない。
死体遺棄で罪を問う事は出来るかも知れないが、三惠子が白骨化していれば死因も特定出来ない可能性も高く、殺人容疑で起訴されるかどうかは怪しい。
ましてや、最近は真実の追求よりも法廷闘争でどうやって勝つかと言う汚れた弁護士も出回り始め、病気で急死したが葬儀費用が出せずに埋めたとか、土に埋めたらドラえもんが復活させてくれると思ったなど、「死人に口無し」を悪用した目も当てられぬ茶番が繰り広げられるかも知れない。
いずれにしても、このケースは藤巻の手から完全に離れた。掘り出された遺体の身元確認や、埋めた側の逮捕・立件などは全て長野県警が行う刑事事件となったのだ。
ーー盗聴事件がまさか、心霊現象を挟んで刑事事件に発展するとはーー
藤巻の率直な感想であるのだが、この活動がきっかけとなり、事件が解決に向かうのは誇らしい事であり、自分や探偵事務所の社員が事件解決に寄与したのは間違い無い。
だが、藤巻には一つ、何とも言い難い心のつかえがあった。全てを手放しに喜べない事実があった。
長野県警のパトカーがひしめく犀西団地において、立ち入り禁止のテープがあちらこちらで繋がって本格的な県警の捜査が始まった際に、藤巻がこの遺体遺棄の件と盗聴機事案がイコールで結び付く可能性が高い事を和田に報告した。
夫婦の間で何があったかまでは押し計れないが、神津良明が仕事で不在の間や、ワザと外出したフリをして、盗聴機から聴こえて来る三惠子の動向を探っていたのではないか?と。
もしそれが違うのであれば、神津より以前の入居者は老夫婦であったため完全除外する事から、神津三惠子を狙ったストーカーか、飛躍した推論なら入居者ではなく管理側である信州不動産の社員誰かがイタズラ目的で設置したのかも知れないと報告していた。
その時だーー
ブルーシートに囲まれながら遺体が搬出される。
それを遠巻きで見ながら、沈痛な面持ちで手を合わせる和田正蔵の姿が忘れられないのだ。
住民の皆さんが安心して住める団地にしたいと和田は言っていた、だから盗聴事件などもっての外だと藤巻探偵事務所に解決を依頼したのに、調査の結果白骨化した遺体が発見されてしまえば、和田正蔵が苦心して手掛けた犀西団地の評判が落ちてしまう。
だからと言って調査はしなくて良かったとは絶対に言えない。人が一人無惨に埋められている事実は、変えようがないからだ。
藤巻にとってはそれが何ともやるせないのである
「藤巻さん、藤巻さん? 」
コーヒータイムのカウンターに両肘をつき、出されたジャックダニエルにも手を付けずにいた藤巻。
知らぬ間に物思いにふけっていたのか、ウイスキーグラスの周りについた雫が滴り落ちている。
「藤巻さん……。へんじがない、ただのふじまきのようだ」
「美央ちゃん、聞こえたぞぅ」
「聞こえてるなら聞こえてるで返事くらいしてくださいよ、もう」
「あはは、そのふくれっ面は相変わらずお子様だね」
「また子供扱いするぅ! 人がせっかく誕生日の心配してあげてるのに」
「えっ? 誕生日って……俺の? 」
「何と言う事でしょう、自分の誕生日を忘れているとは」
ああ……そういえばと藤巻は省みる。
言われてみれば明日の日曜日が自身の三十二歳の誕生日なのだが、その時点で不思議な感覚に捕らわれる。
自分も気にしない程に記憶の片隅で埃を被っており、誰にも告げた事の無い話題を、何故美央が知っているのか気になってしまったのだ。
「えへへ、祥子さんに聞いちゃいました」
ーーい〜け〜だ〜、俺のいないところでペラペラ喋りやがったなーー
「藤巻さん、明日もこの時間にお店に来てくださいよ。誕生日祝いに私が手料理を……あっ、あっ! 今嫌そうな顔した、今嫌そうな顔した! 」
顔を真っ赤にしながら抗議する美央がよほど面白かったのか、藤巻はぷう! と吹き出しながら大笑い。
やっと普通の藤巻が戻って来たと、マスターも美央も一安心なのだが、美央の手料理に抵抗を感じる藤巻と、言い出した以上引っ込みのつかなくなった美央の攻防はまるで泥仕合の様だ。
しかしながら夜も更けて来た頃合いで両者は笑いながら怒りながら折衷案をまとめた。
藤巻の明日の夕飯は何故かコーヒータイムで美央手作りのスパゲッティ・ペペロンチーノと、美央手作りのイチゴのミルフィーユを食べる事に決定したのである。
「難しそうならサンドイッチで良いから……」
ムキになる美央を恐る恐るなだめながら、何でこんな事になったんだろと首をひねりつつ、やがて店から退出して行く藤巻。
へそ曲がりの中年めと「あっかんべえ」をしながらその背中を見詰める美央には、誕生日プレゼントとしての手料理の他に実はもう一つ渡すものがあり、それは既に店にある自分のロッカーに大事にしまってある。
ーーネクタイピン
大した金額ではないのだが、毎度毎度ゆらゆらと揺れる藤巻のネクタイが気になり、誕生日にプレゼントしようと買っておいた物。
だがそれが、「ゆらゆらと揺れるネクタイこそ男」を自称する藤巻に難色を示され、手料理に続いて第二次誕生日戦争のきっかけとなるのだが、藤巻の敗北で全ての幕は閉じる。
何故なら……気が付けば何の飾りっ気も無いシルバーのネクタイピンが、いつもいつも藤巻のネクタイを留めていたからである。
いついかなる時もそれは、藤巻の胸でキラリと輝いていた
◆ 声 編 --終わり




