24 地主 和田正蔵
“和田正蔵は昭和の名士だった”
これは藤巻探偵事務所の社員である松田末松が、後に犀西団地の大地主である人物を評した言葉だ。
火曜日の朝、事務所で打ち合わせを行った後に犀西団地へ赴いた松田と田辺は、入居者募集中の空の戸建てで盗聴電波を再確認。その事実をもって大地主を探そうとしたのだが、これが案外早く見つかった。団地の住民でお散歩をしていたおばあちゃんに聞き込みしたところ一発でヒットしたのだ。
「ああ、あんたら正蔵さん探しとるんか。ほれ、正蔵さんの家は国道を挟んだあの家じゃ」
おばあちゃんが指差す方向にあるのは、白黒に彩られた立派な土壁に囲まれた大きな日本家屋。
和風にこだわって湯水の如くお金をかけた成金和風ではなく、先祖の代から手入れを続けて来た様な豪農家屋……見る者にそんな印象を与える古くて小綺麗な邸宅に、犀西団地の大地主である和田正蔵は住んでいた。
松田末松よりも一回りは歳を重ねているであろう和田は、訪問して来た松田・田辺を追い返す事無く、玄関で全ての話を聞い上でゆっくりと咀嚼し、そして独自の結論を出した。
「ばあさんや、ちょっと探偵さんたちと出掛けて来るから! 」
ーー犀西団地の大地主は、大地主として団地住民の平穏な生活に寄与しなければならない。それが地主として土地家屋を住民に提供した者としての責任であるーー
これを旨として道路清掃や草むしりなど、家業である農業を行いながら黙々と続けて来た和田は実は、犀西団地の背後に広がる山を所有する資産家でもある。
だが“金遊びはしない“と言うポリシーを貫くように、資産運用もせず高度経済成長を農家のまま過ごした後に、急速に発展した長野市の住民のためにこの団地を作った。
資産運用をしないと言うポリシーとは矛盾するが、どんどんと増える長野市の人口に心配したのか、持ち家や資産の無い人々の為にと、この犀西団地を開発したのである。
つまり『今住んでいる住民の皆さんにも、これから住むであろう住民のためにも』悪い空気は排除しなければと常に心に秘めていたのである。
「松田さん、田辺さん、ワシを案内してくれるかい? 」
こうして大地主の和田正蔵は藤巻探偵事務所の調査員に同行して入居者募集中の看板が掲げられた空き家に向かい、盗聴電波の存在と、そこから聞こえて来た女性の不気味な声を確認したのであった。
松田と田辺が地主の和田と行動を共にした火曜日、藤巻探偵事務所に電話で報告したお昼から二時間ほどが過ぎようとしている中、この空き家の前に止まっている探偵事務所の黒塗りワンボックス車の後ろに、一台の業務用軽自動車が止まる。白い車のドアには『信州不動産』とペイントされた営業車だ。
「和田様、遅くなり申し訳ありません! 」
現れたのは信州不動産の長野支店支店長、松田と大して歳が変わらなそうな壮年の男性。地主の和田に挨拶した支店長は、松田と田辺に名刺を差し出してながら自らを八田と紹介した。
「久しぶりに姿を現したと思ったら……。八田君、そのクールビズと言う格好はみっともないからやめなさいと、以前話をしたよね 」
「あ、はい。恐れながら……」
「駄目だねえ、こちらの探偵さんを見てみなさい。まだ残暑も厳しいと言うのに、しっかりネクタイを締めている」
支店長は思い出したかの様に恐縮に恐縮を重ねているのだが、半袖のワイシャツにネクタイをしっかり締めた松田と田辺は、八田支店長が何故和田から叱責を受けているのか理由が全く理解出来ていない。
「松田さん、田辺さん。あんたらは何でクールビズをせんでネクタイを締めているのかね? 」
ワシはワイシャツの襟が開いてる姿がだらしなく見えてしょうがない。電力消費を抑える代わりにだらしない姿が普及する事に酷く哀れさを感じているんだよ。そうは思わんかね? ーーそう言葉を付け加えながら松田と田辺に問いかけた。
すると、松田と田辺の様子が何やらおかしい。和田に問い掛けられたのにそれに対して即答せずに、ほんの少し口元に笑みを浮かべながら間を作ったのだ。それはまるで、そんな事を主張する者がここにも居たのだと苦笑いしている様にも見える。
「和田さん、うちの社長がですね……ネクタイは戦士の証だと言って着用を義務づけているんですよ」
「戦士の証とな? 」
「松田さんの言う通りです。ネクタイの発祥は古代の東欧にあったそうで、戦いに赴く戦士たちに、生きて帰れと母や妻が願いを込めた布を首に巻いて送り出したとかで」
「ウチの社長はですね、締まりのないワイシャツ姿で恥を晒しながら多少の涼を求めるくらいなら、ネクタイを締めて汗をかけと言うのですよ……」
だからあんたたちにもネクタイを巻けと、なかなかのへそ曲がりだねお宅の社長は……わっはっは! と、和田は自分の偏屈さを棚に上げながら、藤巻がくしゃみを連発しそうな話題でひとしきり豪快に笑うと、パチンと自分のスイッチを切り替えたかのように、家の鍵は持ってきたね? と支店長に真顔で確認する。
格の違いもあるだろうが、八田支店長はよほど和田に頭が上がらないのか恐縮しきりで、クールビズを気取りつつ終始額の汗をハンカチで拭いながら、こちらにお持ちしましたと空き家のマスターキーをポケットから取り出した。
盗聴電波をキャッチした昨日の時点で、松田と田辺は電波に乗った女性の声が屋内から実際に聞こえてくるかどうか確認している。
空き家の外から聞き耳を立てて注意深く中の様子をうかがっており、女性の生の声ももちろんのこと、物音すら立っておらず、無人であるのは間違いないのだが……。
犀西団地の管理を請け負っている信州不動産の支店長八田が緊張の面持ちで問題の家の鍵を開け、藤巻探偵事務所の調査員である松田と田辺が恐る恐る玄関をくぐり、二人に続いて犀西団地の大地主である和田正蔵が息を殺して屋内へと入った。




