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23 デカ松さん



 ライトブルーのスプレーを吹き付けたかのような一切色ムラの無い鮮やかな空に、この時期特有のヒツジ雲がびっしと並ぶ秋空。

 涼しげな風も相まって、秋の到来を感じさせる火曜日の朝、藤巻探偵事務所から一台の黒塗りワンボックス車が現場へと向かった。


 車に乗っているのは探偵事務所の社員である松田末松と田辺旭。社長である藤巻博昭と打ち合わせの上、昨日遭遇した盗聴調査の再調査に赴いたのである。


 “あの空き家にあるだろう盗聴機を確認したい。だけど不動産屋に嫌われた以上、立ち会って貰う事は出来ないし、マスターキーを借りる事も無理”


 朝礼が終わった後、早速藤巻を中心として打ち合わせと言う名の作戦会議が行われる。

 前述のコメントはその会議の冒頭に藤巻が語った枕言葉であり、松田も田辺もそこまで「読んだ」のかと、ただただ驚きながら聞き入っている。


「つまりは不動産屋の協力が得られないまま調査を続行すると言う、無理筋のケースなのですが、方法はあります」


 一度言葉を置いて、松田と田辺の表情を見る。

 二人に考える隙を与えないまま、勝手に結論を出して行動を促すのは愚策だと判断しているのか、それとも社員教育の一環としてこの盗聴事案を捉えているのか、藤巻の言葉は酷くゆっくりで丁寧で、いちいち言葉の節々で止まる。ーー社員の自発的な意見を待っているのだ。


「株式会社信州不動産。これは皆さんご存知の通り長野県でも有数の総合商社である信州産業の子会社です。と、言う事は、高度経済成長期やバブル期に、身近な土地を転がして得た金で市会議員になって、更に立場を活かして土地を転がす怪しい不動産屋ではありません」

「大手の看板を背負った優良企業だとおっしゃりたいのですね? 」

「そうです、松田さんの言う通りです。その視点で、あの犀西(さいせい)団地について考察してみてください。猫の額の様な広さの駅前再開発地を買い漁って小銭を稼ぐのではなく、農協の様な大手不動産事業のビジネスプランはスケールがデカい。そこで我々の味方になってくれる人物……浮かんで来ませんか? 」


 歴史を感じさせる程に顔が皺で覆われている松田末松。顔の彫りが深くて余計に細目に見えてしまうその両目がカッと開いた。


「社長、大地主が味方になってくれると……? 」


 さすがに自分の父親ほどの年齢の相手に正解とも言えないので、口元にニヤリと笑みを浮かべて一言「それです」と人差し指を立て、再び謎かけの様な説明を始める。


 ーー広大な土地を一括借り上げして団地にしてしまう。地主は土地とアパートや戸建ての賃貸料が懐に入り、大手は不動産のマージンだけでなく系列の開発会社や建設会社にもお金が回るビッグビジネス。あの犀西団地がそれなんですよ。

 そこで、経済的に安定して回っている犀西団地に、盗聴事件が起きたとします。一番発言権を持っている大地主さんの耳にその不穏な話が入ったら、見て見ぬフリはしないと思うのですがーー


 すると、藤巻の話に思い当たるフシがあるのか、建設業から転職して来た田辺が、自分の過去の体験に基づいて口を開いた。


「地主さんや施主さんが怖い存在なのは間違い無いですね。新築物件の基礎工事で生コンを打ってた時、施主さんが現場をじ〜っと見てて、生コンが固いからとミキサー車に水を入れた下請けさんを怒鳴り付けながら、その生コンを丸々持ち帰らせた事件……自分も見た事があります」


 ーー田辺君も前のめりになってくれたかな?ーー


 終始ニコニコの藤巻は、田辺の体験談を聞き終えると「それじゃあ、その線で」と言いながらポンと手を打つ。

 それは、得心が行った二人の自発的な行動に任せるとの意味であり、松田も田辺もこれだけ聞いておいて社長どうすりゃ良い? とはもう言わない。

 後は行動あるのみなのだ。


「女性の声はわざわざ言わなくて良いですからね、盗聴の事実を話して、風評被害の恐れがと騒げば、大地主さんも慌てるはずです」


 その言葉を背に、松田と田辺は再び犀西団地へと出発した。

 先ずは盗聴電波が今も出ているかどうか確認する。そして団地の住民から地主を聞き出し、地主宅を訪問して盗聴の事実を伝える。

 もし地主が了承してくれるなら、再度問題の戸建ての家に向かい、電波を確認してもらった上で、対応を協議するーー。


 地主がどのような人物かで後の対応が決まってしまうのだが、その結果は意外にも早く藤巻の元へともたらされた。

 太陽がちょうど空の頂上に差し掛かり、探偵事務所がある北長野駅前地区に、スピーカーからお昼を知らせる電子チャイムが流れた時の事である。


 午前中長々と書類に忙殺されてしまった藤巻は面倒臭くなったのか外食に出る事を諦め、近所にある中華料理『黄龍』に日替わり中華ランチセットを出前注文する。


 池田祥子は十二時ぴったりに事務仕事を止めて、小さな弁当を広げて食べ始めたのだが、藤巻の出前が届いたのは池田祥子がちょうど食べ終わった頃。

 「まいどー、ファンロンですぅ。出前キタヨー」と、ジーパンTシャツにエプロンを付けた、純粋黒髪の中華美女が事務所にやって来た。


 食後のお昼寝を目的に、奥の会議室に移動しようとしていた池田祥子が、何故か立ち止まってその光景を凝視する中、中華美女が「おかもち」の中から料理を取り出し事務所入り口の丸テーブルに並べ始めている。


「リンちゃん悪いね、ありがとう」

「ヒロくん店近いダカラ、店来ればイイノニ」

「ごめんごめん、仕事忙しくて面倒になっちゃって」


 代金を支払いながらちょっとした会話を重ねる二人だが、この二人とは全く別の存在がアゴをカクンと落として衝撃を受けている。

 池田祥子が身体をプルプルと震わせながら、頭から湯気を吹き出しそな勢いで怒りに満ち満ちて凝視していたのだ。


 “……ヒロくん……ヒロくんって言いやがった……”


 “……私がヒロくんって言うとガン無視するか激おこするくせに、何なんだこの差は!?……”


 “……エコエコアザラクだ、まさにエコエコアザラクだ……”


 今度ハ店二来テネと「リンちゃん」が事務所を後にすると、池田祥子の嫉妬など気にも留めない藤巻は日替わり中華ランチを前にうっとり。

 ご飯大盛りを基本として溶き卵のワカメスープ、そしてザーサイの小皿が付いており、今日のメインプレートは蒸し鳥にゴマのソースがたっぷりかかった棒棒鶏(バンバンジー)と春巻き二本。

 まるで記号を並べて作った顔文字の「幸せえ」を地で行く様な喜び様だ。


 だがここで、藤巻が先ずはザーサイひとかじりに白米、そしてワカメスープの流れを作ろうとした時、突然の電話にストップがかかる。

 それは奇しくも池田祥子が私だって! と「ヒロくん」と口にした瞬間だったのだが、その着信が全てを打ち破ったのだ。


「……はい、藤巻探偵事務所です」


 ちょっと機嫌悪そうに応対する藤巻。しかし通話の相手が社員の松田だったので直ぐに声は和らいだ。


「お疲れ様です、なかなか早かったですね。えっ、今そこに居るんですか? えっ、えっ? 電話変わるって」


 そこで藤巻はしばしの沈黙、池田は何が起きたのか黙ったまま藤巻を見詰めている。


「あ、はい。お忙しいところ私の部下たちが申し訳ございません。私が探偵事務所の責任者で藤巻と申します」


 松田のかけて来た電話の向こうにどうやら犀西団地の大地主も一緒にいるらしく、先方から社長と話がしたいからと、松田に無理言って電話に出たらしい。


「なるほど、そうですか。和田様も松田たちと同行した上で盗聴電波を確認したと……。そうですね、大ごとになるようならば、噂はあっという間に広がって資産価値に影響を及ぼすかも知れませんね」


 藤巻はここで始めて池田に目を合わせる。そして下手くそなウィンクをしながら親指を立てるーー池田もハッとするが、それは契約成立のサインだ


「当社は全国探偵協会に所属しております。和田様が余計なご心配をなさらないように、契約等は全て書面にて交わさして頂きますので……。はい、はい、先ずは当社調査業務の概要と見積もり書を私がお届けに上がりますので、はい、ありがとうございます」


 記念すべき第一件目の盗聴調査依頼成立!

 受話器の先にいる依頼者に向かって何度も頭を下げ、後で合流する旨を松田に伝えて電話を切った。


「たった一度の面会で契約一本取っちゃうとか……、デカ松さんどんなマジック使ったんでしょうね? 」

「いや、あの人の事だから変化球なんぞ投げないで、直球ストレート勝負したんじゃないかな? 全部話した上で地主さんの信用を勝ち取ったんだと思うよ」


 冷めてしまった日替わりランチを前に、それでもガッカリせずに終始笑顔の藤巻。見ている池田もついつい嬉しくなって来る。


「良かったね、ヒロくん」

「誰がヒロくんじゃい! 」


 喜んではいるものの、冷静さだけは失っていない藤巻であった。




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