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22 マルボロメンソール



 月曜日も夕方に差し掛かろうとするも、西日の太陽がえぐる様に日差しを屋内へと届けて来る、ここ藤巻探偵事務所。

 日除けを理由にブラインドを下げて、薄暗くなった事務所内を蛍光灯が仄白く照らすような、極めて燃料効率の悪い時間もそろそろ終わるーー業務終了もあと少しと言うところで全員が揃った。


 まだ週明け初日で身体も本調子ではなく、終業時刻を目前に誰もが「長針よ、早く12を指せ」と怪しい念を送るのだが、今日はいつもと様子が違う。

 普段なら静かな事務所が 何か活発な議論が行われていたのである。……それも不穏な空気を伴って。


「うん、まあ、そうだろうね。そりゃあ怒られるし帰れって言われるよねえ」

「……すみません」


 がっくりと肩を落としながら帰社した松田と田辺は、今日の午後起きた謎の盗聴事案の報告を藤巻に行ったのだが、話を聞くうちに藤巻がどんどん不機嫌に変わって行く。


 松田たちから受けた報告が本意ではないのか、梅干しを口に含んだように顔をクシャクシャにしながら、あっという間に声のトーンが1オクターブ下がった藤巻。

 何故盗聴調査の業務からおかしな方向へ話が進んでいるのだと不審感を露わにするのだが、不思議と社員を責める言葉は出て来ない。

 松田と田辺両名の報告を聞いて、藤巻の脳内で状況を組み立てた結果、、、その結果に対して機嫌が悪くなったのであり、部下二人に対しては全く負の感情を抱いていないのだ。


「ねえ、何だか……変な事に首突っ込んだんじゃないの? 」


 この藤巻の言葉に代表されるように、松田たちの報告を百パーセント信用しながら、初めて且つ怪しい盗聴電波キャッチにのみ思案の羽を伸ばしていた。


  藤巻がゲンナリするのも無理は無い。

 ・本日午後十四時、西長野方面にある国道19号線沿いの犀西団地内において、盗聴電波をキャッチ

 ・盗聴電波の発信源を確認するも、発信源の賃貸家屋には現在人が住んでおらず、入居者募集中の案内が表示されていた

 ・その案内に表示されていた不動産屋を訪問。担当者に確認したところ間違い無く入居者はおらず現在募集中のまま

 ・さらに不動産屋の担当者にその家屋から盗聴電波が発信されている旨を報告すると、担当者は烈火の如く怒り、松田・田辺両名は帰れと一蹴されてしまう。


 こんな謎めいた報告を受ければ、誰もが関わり合いになるべきではないと判断するし、無かった事にして本業である探偵としての調査業を充実させようとの流れになるはずなのだが、社長の藤巻は部下に「忘れろ」とは絶対に言わないーーあからさまな不機嫌に陥ってもだ。

 何故なら、初老とも言って良い松田が、刑事(デカ)の血がメラメラと燃え上がらせているのか、闘争心剥き出しの眼で藤巻を見詰めているからだ。


 ーー社長、聞いてくれ。俺は今まで助けてと人から乞われて助けなかった事は無い


 こう言う想いのこもった瞳で見つめられてしまえば、藤巻は絶対に忘れろとは口に出来ない。

 翻って藤巻はそんな松田に言葉では表せないメッセージを、こう送り続けている。


 ーー松田さん、人じゃないかも知れないんだよ。平々凡々で残りの人生を孫と過ごそうとする人が、立ち寄っちゃならない場所かも知れないんだよ。


 だが結局藤巻は折れた。

 時刻はちょうど十七時、終業の合図とばかりに壁掛け時計の中から元気良く鳩が飛び出し、さあ私帰るザマスよと池田祥子が軽やかに席を立って「お先に失礼しまあす」と事務所から出て行く。悩む三人と対照的なこの声の軽やかさは、いつまで悩んでも出ない結果は出ないわよと……意図したのか否かは定かではないのだが、藤巻が決断を下すにあたり、背中を押した事には間違いなかった。


「松田さん、田辺君。本来の盗聴調査の業務から筋道が外れてしまうかも知れないけど、本案件の真相に近付きたいと思いますか? 」


 松田は喰らい付くようにやらせて欲しいと即答し、奇々怪界な現象に好奇心を抑える事が出来ないのか、松田に続くように田辺もやらせて欲しいと願い出る。


「まあね……クライアントが存在しない全くのボランティアって訳でもなさそうだし、継続調査と言う事で二人に頼むか」

「ありがとうございます! 」

「社長、ありがとうございます」


 それじゃあ今日はこれで終わり。明日出社したら打ち合わせした上で動きましょうと帰宅を促しつつ、藤巻はデカデカ壁とに貼られた「禁煙」のポスターを睨みながら、机の上に置いてあるマルボロメンソールに手を伸ばす。


 元々、藤巻以外の社員はタバコを吸わないのだが、社長が吸いたいならどうぞと……他人のタバコにも一定の理解を示して来た。その流れの中で禁煙ポスターを貼ったのは藤巻自身であり、自分と社員の健康を慮ったものであったのだが、今回だけはと咥えたタバコに火を点ける。


 スウッと肺の中に煙が吸い込まれ、それを吐き出す事でメンソールの爽快な冷たさが喉と口腔を刺激する。


「良い結末を迎えない話かも知れないから、それだけは覚悟しといてくださいね」


 普段はタバコを我慢していた社長があえて間を置くようにタバコをふかし、そして帰り支度をする社員二人に投げ掛けた言葉……。

 松田と田辺両名は、この藤巻の言葉を噛み締めながら“既に社長は思案を巡らせており、ある程度先まで見えている”のだと実感する。そしてそれを頼もしく思いながら帰宅して行った。


「はあ……華々しく盗聴調査デビューした積もりが、ここに来てまた心霊ものかあ。ツキに見放されてる気がして来たよ」


 ゆったりとタバコを吸い終わり、事務所を締める藤巻。

 乗り込んだワーゲンゴルフで向かう先はもちろん自宅ではなく、いつもの店だ。


「今日も暑かったし……たまには俺もサラスパ頼んでみるか」


 サラスパとは、最近コーヒータイムに入った新メニューでありサラダ・スパゲッティの略である。

 八月の初旬頃、連日の暑さにへたばった美央が食欲が無いと言い出し、雪でも降るんじゃないかと大いに心配したマスターが、美央のためにと作ったまかない料理が思いのほか評判が良く、ついついメニュー化した代物だ。

 スパゲッティ・ナポリタン用の極太麺を茹で上げたらキンキンに冷えた氷水で締めて皿に盛り、その後レタスや辛味を抜いた玉ねぎスライスやクルトンを盛り付け、オリーブオイルとワインビネガーそして黒粒胡椒で作ったドレッシングをかけるだけの簡単なパスタなのだが、粉チーズをたっぷりかけるとコクが出て美味いと、美央大絶賛のまかない料理。

 美味いから食ってみろ、騙されたと思って食ってみろ、四の五の言わずに食ってみろと、美央があまりにも藤巻にそう詰め寄るものだから、藤巻は藤巻でヘソを曲げて一度も注文して来なかった料理である。


「あっ、でも……逆にマスターに定食メニュー考えてくれって言ったら、美央ちゃんの怒る顔がまた見れるかな? 」


 仕事の顔からオフの顔に切り替わった藤巻、ハンドルを握りながらも悪戯っぽい笑みを口元に浮かべるその顔は、やけに楽しそうにバックミラーに映っていた。





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