02 木内奈津子と江森美央
「ねえ、同じ講義受けてる人で輪島さんって……知ってる? 」
長野市の北部地区を東西南北にスッキリと四分割する大通り。
昭和中期に長野市街のベッドタウンとして開発されたこの地区は、市街へ働きに出る者たちの寝床としか機能していなかったのだが、平成に入ってからの再開発が進みに進み、この東西と南北に走る大通りに郊外型店舗が続々と出店する事で一つの都市に変わった。
全国的に有名な店舗が並ぶ事から、誰もが見慣れた大味な風景ではあるのだが、わざわざ長野市街に出向く必要性も下がり、平日休日を問わず賑わっている事に間違いは無かった。
その大通り並ぶ店舗の一つ、フライドチキンのチェーン店の一角に、星城女子大学の生徒が二人で帰宅前のお喋りを楽しんでいた。
「うん? 輪島さん……。ごめんわかんない」
「うわあ、これだよ。だから美央はマイペースだってみんなから笑われるんだよ」
まだ女子大生になって一ヶ月も経っておらず、全く新しい環境で仲の良い友人を作るのすら難しいのに、この二人がかしましく話に華を咲かせられるのには理由があった。
ボックステーブルを挟んで苺味のシェイクを飲んでいるのが木内奈津子。そして夕飯まで空腹が我慢出来なかったのか、チキンサンドとポテトフライを炭酸で胃に流し込むのが江森美央。
二人とも長野市内の普通高校を卒業し、そして次の進路をこの星城女子大学に選んだ互いを知っている旧友だったのである。
大学の講義が始まってしばらくは、とにかく自分を押し殺してマイペースだの天然だのと笑われないようにしようと構えていた美央であったのだが、結果一ヶ月もしない内に全てがバレてしまい、今彼女にとってはマイペースだと指摘され笑われる事が、一番胸に突き刺さる言葉なのだが、、、どうやら奈津子の「からかい」よりもチキンサンドの香ばしい美味さが、彼女の沸点をより高く設定させているようだ。
「マイペースで悪かったですねえ……悪うござんした。それで、その輪島さんが一体どうしたの? 」
悪びれもしない美央をクスクス笑いながら、奈津子は周囲の客に聞かれないようにとテーブル越しに顔を近付け、悪戯っぽい表情を隠しもせず眼を爛々と輝かせながら、聞いた話を美央に披露し始めた。
「……輪島さんって柊館に入った人なんだけど、どうやらね……」
コソコソと小声で語る奈津子の話、井戸端会議の主婦よろしくちょいちょい脱線してしまうので、かいつまんで説明するとこうだ。
・同じ講義を受けている受講生の輪島依子は、柊館で寮生活を送っている。
・その柊館で依子は幽霊を見てしまった。
・目撃するたびに身体のあちこちで出血している。
・輪島依子も受講生同士の友人が出来たのか、そう言う内容の会話から相談を始めているのを聞いてしまった。
「奈津子は悪い子だねえ、人の会話に聞き耳立ててたんだ」
「失礼な、これ見よがしに話してたら聞きたくなくても聞こえちゃうでしょ」
ーーだってさ、あんたも私も……超常現象には目がないでしょ?
みなまで言わなくとも……と奈津子が更に顔を近付けると、今の今まで聖人面していた美央もまんざらでもない表情。瞳が爛々と輝いているのを隠そうともしていない。
「それでね、輪島さんが相談してた相手が、別の寮に住んでる高橋さんって人なんだけど、どうやら彼女クリスチャンらしいの。輪島さんに“それは奇跡”なんじゃないかって言ってたのよ」
「奇跡? お化けや幽霊を目撃したって言うのは、分野的には心霊現象なんでしょ? 何で奇跡って言葉が出てくるの? 」
「それはスティグマータなんじゃないかって……」
「うむ……ど、ドイツ軍の暗号製造機ね」
「グマしか合ってないわい! 何? ここで私と漫才でもやろうっての? 」
いつもこんな調子の二人なのか、どちらが話を脱線させても互いにイライラしないのは、ある程度の信頼関係が構築されているように伺える。
ただ、美央が慌ててスマートフォンを取り出して検索ワードを入力したところを見ると、案外、本当にスティグマータの意味が分からなかったのかも知れない。
「ウィキにあったよウィキに。スティグマータって」
食い入るように記事を眺め始めた美央を静観する奈津子、とりあえず私と会話出来るレベルにまで上がって来いと言う猶予を与えていたのだが、スティグマータとは一体何なのかが理解出来た美央の表情から怪訝さは拭い去られ、晴れ晴れとした生気が溢れ出した。
「スティグマータこれは……忘れかけていた厨二心がくすぐられるねえ! 」
「忘れかけてなんかないでしょ、まだあんたが同人誌作ってるの知ってるよ」
奈津子はスマートフォンのSNSアプリを開け、美央が別名で同人誌活動をいちいちアップさせているページを開き、葵御門入りの印籠の様に美央に見せつける。
「レディー羽賀先生、大学に入ったら同人活動辞めるって言ってたよね? ね? ね?」
「ぐぬうう、金に目がくらんだとは絶対に言わぬぞ」
スティグマータとはどんな現象なのか、二人とも共通の認識として知識の共有に至ったのだが、いかんせんかしまし過ぎて話が進まない。
スティグマータとはつまり信者に起きる超常現象であり、イエス・キリストがゴルゴダの丘で処刑された際に負った傷と同じ場所から出血する現象を言う。日本語では聖痕と呼びカトリックでは奇跡の顕現とも表現する。
磔にされた時の両手と両足、ロンギヌスの槍で突かれた脇腹、荊棘の冠を被せられた頭部など、出血する場所はケースによって違うものの、神と繋がった現象、聖人の威光を受け継いだと受け止められる事から、信者からはひどく名誉な現象であると捉えている一方、聖人との自己同一化願望が由来の詐欺的行為だと指摘されたり、自傷行為を聖痕だと主張するケースもある。
スティグマータ出現の際は、キリストなど聖人の姿や天使を見たと報告され、傷口からほのかな芳香が放たれていたとか、聖人たちの声を聞いたとも不思議な現象も報告されているのだが……
「輪島さんは、まず影を見た。そしてその声も聞き、そして出血を確認した……」
「高橋さんがスティグマータの可能性を主張したとしても、何らおかしくない訳か」
名探偵の少年があんな事こんな事されてしまう漫画を描いて来た結果なのか、美央が考察する姿と瞳の輝きはまるで、難事件を目の前にした探偵のよう。
「明日からね、私バイトに戻るのよ」
「またあの喫茶店? 」
「うん。いつまでも同人の売り上げに頼っていられないでしょ? 」
「そうね、机に向かうなら漫画じゃなくて、せめて勉強しなさい」
そろそろ時間だと、二人は席を立って店外へ。駐輪スペースに停めてあった二台のスクーターへと歩き出す。
「そうか! 店であのヘッポコに話を聞いてみるか」
「うん? ヘッポコって誰よ」
「ほら、喫茶店の常連でオムライスしか頼まないあの探偵、昔奈津子に話したじゃん」
「あは、あはは! 確かにそんな人いたね」
「うん。“事象は多角的に捉えなければ結論は出ない”って生意気言ってた人。あの人なら面白い結論出してくれるかな? 」
ヘルメットを被り、鍵を差し込みセルを押してエンジンをかける。
旧友だけの肩肘の張らない会話は終わり、また明日ねと言いながら二人は別々の道へと走り去って行った。