月の目の届かないところ
時間という曲に合わせて動くメトロノームが、古くなった今日を殺した。そしてまた新しい今日が生れ落ちる、そんな時間に僕は目覚めた。そうだ、森へ行かなくちゃ。
「行ってくるよ、瑪瑙。」
気紛れな彼は歪な三角形の耳を僅かに動かし、面倒くさそうに頷いた。さて、月夜の人形は待ってはくれない。純白のフリルブラウスと手袋。秘色のズボン。そして濡れ羽色のコート。正装に着替えて出発しよう。小さな鞄も忘れずに。深夜の外は随分寒くて、もう冬将軍が来たのかと錯覚する。冷たい空には冷たい月と冷たい星が冴え冴えと輝いている。少し歩けばもう森だ。森の入口まで着いてきてくれた月に手を振って、奥へ奥へと歩を進める。
「よお翠。お前もか?」
撫子色の瞳の少年が、がさっと木々の間から顔を出す。
「なあに桃簾、当たり前じゃない。」
「今日は有栖が来るらしいぞ。」
「ふうん、僕には関係ないね。」
大きな茸の上を進み、光る鬼灯の間を抜けると、地下世界への階段が現れる。非ユークリッド幾何学的な模様の連なる下り階段は凍死した梔子の口腔のように黒洞々たる様を魅せ、僕達を誘った。
「いらっしゃい。トウレンもスイも相変わらず美味しそうだね。ひとつ齧らせちゃあくれないかい?」
階段の底の扉を開けるのは、頬に鱗の生えたボーイ。青い尻尾をくねらせて、掴みどころのない笑みを浮かべている。
「お断りだよ蟒蛇。そんなことより今夜の条件は?」
「今夜は『清爽な大水青蛾は妖艶に微笑み刹那の永遠に綴られる』さ。久しぶりに美味しいものが喰べられそうだよ。」
蟒蛇は目を三日月型に細め、きゅっきゅっと笑った。
「なんだよ。相変わらずよくわからない奴だな。」
「桃簾。さっさと入ろう。」
「了解。」
入るとそこは真昼の百鬼夜行。秩序はドブに捨てられ、酒池肉林の乱痴気騒ぎ。廻る三角木馬のダンスを尻目に、僕はクッキーを齧った。
「ん、おいしい。」
「うめえな!こっちのケーキも相変わらず最高だぜ!」
「急性中毒には気をつけてよね。」
「そんなのとっくの昔に経験済みだろ?」
「だから言ってんの。あの時大変だったじゃないか。」
まったく心配性だな、と呆れる桃簾の横で、何かが爆発した。




