86.魔王城
魔王城には、次の日の昼に辿り着いた。
ちなみに魔王城とは、茜が付けた呼称だ。ラストダンジョンは長いらしい。
それはなだらかな丘の頂に近い斜面にあり、近づいていっても目線に対する高さがずっと変わらない位置にあったようだ。緩やかな坂を登り続け、馬車のままでも近づけてしまう。攻めにくそうだとか言っていた魔王のおっさんに視線を向けると、ふいと顔をそらされてしまった。なんせ、城の廻りには何もない。堀もなければ城壁もない。防衛も何もない、来る者拒まずの様相だ。
椿が知っている、この世界の建物に当てはめるなら神殿だろう。正方形の敷地の中央に女神像を備えるあの作りだ。例によって扉がないのは、もはや様式美であろうか。地階には居住区らしい構造が見られたが、そこを通り抜けた先には、この建物しかなかった。
神殿には女神像が備えられている。では、この城ではどうだろうか。
入り口を潜ると、すり鉢状に下っていく構造が目に入った。コンサート会場や、競技場などの客席を伴う施設と同じ作りだ。広さは野球場に例えればぴったりかもしれない。椿は行ったことがないが、東京ドーム1個分というやつだ。
しかし、これだけの広さに屋根が掛かっている。材質は石だろうか。これほど巨大なアーチをどうやって作ったのか。古代のヒトの技術だろうか。ああ、カザンみたいに魔法で作った可能性もあるか。
その広場を覆う見事な半球の中心に霊穴があった。
これまでは土俵が盛られているだけで、そこに霊穴があると言われても分かる人はごく稀であったろう。少なくとも魔力に敏感でなければ分らなかった。ここでは霊穴自身が派手にその存在を主張している。
何に例えれば良いだろうか、ライトアップ付きの巨大な噴水か? 水の代わりに魔力が目視できる濃さで吹き出している。その輻射は白い光となり、建物の内側を明るく照らしていた。中央に女神像を添えれば、女神教の聖地の出来上がり、そんな荘厳な雰囲気を醸し出している。
外に広がる灰色の世界とは、まったく異なる赴きだ。内側の壁にある装飾は、教会の神殿にとても近い。敬虔な女神教徒のニジニ兵たちが、敵陣に居ることを忘れてお祈りを始めるレベルの美しさなのだ。予定が狂うことを何より嫌うイケメン眼鏡マーリンすら見惚れる景観が広がっている。
それにしてもあっさり近づけた、簡単過ぎではないか。ここが目的地だろう? おまけに黒いヒトとやらも居ない。霊脈を隠す妨害の魔法が止んでから、まったく接触がない。霊穴を守っていたのではなかったか。
こうまであからさまだと、罠を疑ってしまう。
まあ、罠でないかもしれないので、留守の間になんとか始末を着けてしまいたい。ただ、皆はこの場の雰囲気に呑まれてしまっており役に立ちそうにない。これが少年漫画なら、こうやってマゴマゴしている内に、ラスボスに強襲されるのが王道だろうか。
しかし、ここに居るのは椿だ。そんな情緒も、演出も期待してはいけない。
魔法銀の薙刀を地に立ててすぐ、場に魔力を籠めていく。山の霊穴では、石版の手助けがあって尚、あの地に魔力を満たすのに時間が掛かった。何の準備もないこの場では、どれだけ時間が要るのやら。必要な魔力だって、下手をすればこの大陸をすべて満たすほどかもしれない。すぐに掛かるべきだ。
『あれっ』
地に魔力を満たそうとして、すぐに異常に気付く。
『どうした?』
魔王が周りを警戒しながら近づいてきた。一度、例の黒いヒトに出会っているからだろう、魔王と魔女グラディスだけは油断がない。これなら多少の時間が掛かっても、ボスに強襲されて全滅ってパターンはなさそう。
なので、霊穴を塞ぐ事に注力したいのだが。
どうも、これまでと勝手が違う。
『すぐにでも霊穴を癒やしたいんだけど、
魔力が逆流してくる』
薙刀の刀身が光り始めたのは、椿の魔力のせいではない。故意に魔法銀を経由させる遊びなど、今はない。霊穴の周りから魔力が逆流してくるのだ。まるで河の流れに逆らって泳ぐようなもの。このまま、椿の魔力を押し込むのは簡単ではなさそうだ。
『傷の治療には順序があるであろう?
独りでやるものではない』
呆れ顔で魔王が言う。これまでの霊穴と異なり、ここは手付かず、何の準備もない。石版すらないではないかと言う。あの土俵と石版、どうやら霊穴を処置して塞いだものらしい。傷は洗って、消毒して、そして薬を塗るものだ。
なるほど、霊穴も同じらしい。
助力を乞うまでもなく、すぐに2人は動き出した。まずは、魔女が魔法陣を描き始める。椿を中心に描くそれは、魔力の逆流を防いでくれるようだ。魔王は更にその外側に陣を描いていく。その文字には見覚えがある、初期の石版に刻まれていたものだ。霊穴から溢れる魔力を留めるものだったはず。
そう言えば、石版の製作者がまさに魔王と魔女ではないか。
これで、椿の魔力を容易に地に注ぐことができると同時に、この建物の床材を石版として魔力を溜めるのだ。頃合いを見計らって石版を破壊すれば、一息にこの地の魔力と同調できるだろう。砕くと言っても、床を掘り返す必要はない。字を削ればいいのだ、魔法道具の回路や魔法陣と同じだろう。
歴代の聖女たちが動き出したので、周りにも緊張感が戻ってきた。敵が湧いて出ることは分かりきっているので内外を見張り、異常に対処できるように小隊が組み替えられていく。殿下とオリガ嬢が有能で助かる。
そんな中、茜だけが呆けたように立っていた。真夜中、暗がりに見つけた異常から目を離せなくなった子供みたいな表情をしている。
茜の視線の先を追うも、そこには霊穴から立ち上る白い明かりが見えるだけ。
気にはなったが、今は放っておくしかなさそうだ。グラディスが描く陣が閉じられ、その効果を発揮し始めた。魔王も床の大部分を文字で埋め、十分な面積の石版を用意している。椿も、この場と同調するように集中しなくてはいけない。
随分と時間が経った。
皆の緊張が弛緩し、このまま何事もなく霊穴を防げるのではと思い始めた頃にそれが現れた。
吹き出す魔力の輻射で白く霞むその中に、人影が映っている。始めは、霊穴の明かりの向こうに、哨戒の兵が居るのだと思った。しかし、それは動かない。そして、ひとり、またひとりと増えていく。
『おいでなすったぞ!!』
真っ先に動いたのはカザンだ。彼を追うように魔王も霊穴に近づく。カザンと魔王を迎え撃つように現れたのは、槍を持った裸の男だ。
「ひっ――」
茜が息を呑む。
槍を持つ男の顔は、これまで散々見てきた石像と同じだ。そいつは、ワラワラと霊穴から湧いてくる。男神が霊穴の魔力から生み出すのは亜人ではなかったか? たしかに、同じ顔を持つヒトが何人も居るのは変だ。これも亜人の一種だろうか。
亜人なら、こちらを排除しようとするのは間違いだろう。女神もアレだが、男神も現地の事情を把握できていないのではないか? この世界の神さまはポンコツ揃いだろ。
建物の周りを警戒する兵を残すことができないほど、湧き出る裸の男の数が増えていく。石像と違い、ただの血袋ではないようだ。腹を裂けば内蔵がこぼれ落ちてくるし、痛みに叫び苦しんでいる。ちゃんとした生物が、霊穴とは言え、石の床からポコポコ生えてくるのだ。悪趣味過ぎる……
石像と同じ顔を持つ男たちは、槍に加えて魔法を使ってくる。覗き魔女ポーシャや、オリガ嬢、マーリンなどが使うものと同じ、火の玉を飛ばす一般的な攻撃手段だ。ただ、あの人数に使われると堪ったものではない。槍も使い慣れているようだ、素人には見えないない。
『ツバキちゃん、
せめて魔法だけでも妨害できない?』
魔女グラディスが声を掛けてくる。彼女も、椿と同じように攻撃手段を持たないようだ。ちゃっかり、椿を壁にして隠れている。
『試しているけど……
霊穴の光が強すぎるみたい。
こちらの光が届かない』
椿はすでに、魔法銀の刀身に魔力を籠めている。せっかくの新技である輻射による椿の白い魔力のばら撒きは、より強い光である霊穴の魔力に阻まれてしまうようだ。裸男が飛ばす火球は消えないし、皆が身体強化魔法の効果を得ているようには見えない。
ただ、椿を狙う火球は、魔力を厚くまとう熊モードの着ぐるみを突き抜けることができず消えている。椿の白い魔力の特性自体は効果が残っている。カザンが正面で踏ん張り続ける限り、自分の仕事に集中することができそうだ。
ポップコーン張りに湧いて出る裸の男が次々と倒されていく。すでに神殿の床は、同じ顔をした男の死骸で埋め尽くされている。味方の被害も軽くない。このままでは、幾らカザンや魔王が強くても始末が着かない。寝る間も、休憩する間もなく、攻め続けられる恐れがあるのだ。ニジニの精鋭たちも、全員が武芸に達者な訳ではない。すでに死者も出ている。間違いなくジリ貧になるぞ。
頼りの茜も、ぼーっとしたままだ。まあ、これだけ敵味方が密集していると、強力過ぎる茜の魔法は使えない。武器も禄に扱えないから、ぼーっとして居ること自体は問題ない。ただ、茜は何を気にしているのだろう。
これはもう、一度ここから撤退するべきだろうか。
しかし、カザンも魔王も諦める気配がない。何か勝算でもあるのか?
『もう少しよツバキちゃん』
まだ後ろで隠れている魔女グラディスが言う。椿の仕事は順調らしい。自分の魔力は、自分自身では認識し辛いらしい。カザンと魔王が強気でいるのは、椿の魔力が場を満たすのを感じ取っての事だったようだ。
石像の男たちは、表情こそ変わらないが焦っているように見える。霊穴から片手を突き出したまま湧いて出てくる。すぐにでも火球を飛ばして攻撃するためだ。
『椿よ、よう頑張った。
ほれ、終いは近いぞ』
魔王が勝利を確信したような口ぶりで椿を労う。カザンを始め、皆の顔にも明るさが戻ってきた。ラストスパートのように、力を振り絞っている。
椿にも分かってきた、黒いヒトとやらは悪手を踏んだようだ。
建物内部には、椿の魔力が充ちてきている。それに反して、霊穴から溢れ出る魔力の輻射は明らかに弱まってきた。当たり前だ、霊穴の魔力は石像の男を喚ぶのにひっきりなしに使っているのだから。
椿の魔力の圧力が高まれば、霊穴から吹き出る魔力は弱くなる道理だ。
そして遂には、皆の元に椿の光が皆に届くようになってきた。
もう負ける要素はない、押し切れる。
誰もがそう思ったとき、霊穴から石像の男が湧かなくなった。その代わり、服を着ているのが分かるシルエットが現れている。
『やれやれ……
ようやく準備ができた』
最後に現れた人影は、霊穴から出てこない。何やら呟いているあたり、石像の男ではない。こいつか? こいつが黒いヒトだろうか。
次の瞬間、足元に魔法陣が現れた。
見覚えがある、これは椿たちをこの世界に喚んだものだ。
『やっぱり……
どうして、マーリンさん――』
茜が、そんな言葉を残して、消えていった。
帰りの列車は存在したが、出発のタイミングは最悪だったと言う。




