78.魔王
『おい、聞こえているか?
ロムトス語でよいのであろう』
男の口調は、イリヤお爺ちゃんが真面目くさって話すときにそっくりだ。少し、古めかしいロムトス語で語りかけてくる。お爺ちゃんには威厳が伴ったが、このくたびれた男からは侘しさしか感じない。
返す言葉もない椿たちに、男は構わず話を続ける。
『まさか、迎えに行くわけにいかぬでな。
ここに居れば、誰だか直ぐに分かろうと思い待っておった』
ひと目見てそうだと思ったが、こいつが守り人の中のヒトだ。いや、人か?
この珍妙な格好の男に動揺したのは椿だけではない。やっと、神々の一端に触れたのかと興奮しだすマーリンをはじめ、皆がざわりと動揺を走らせている。
『よくもまあノコノコと現れたもんだ』
最初に返事を投げたのはカザンだ、すでに魔力を練り身構えている。3馬鹿も強気で、詰め寄って行く。やはり、ヒトの見た目だと威圧感がないのか、皆が無駄に強気だ。おいおい、こんな見た目でも守り人の中のヒトかもしれないんだ、不用意に近づくんじゃない。
『おおっと、待たれい。
行き違いはあったが、今は利害が一致しておるはず』
カザンに触発されたのだろうか、男の制止を無視して弟殿下が踏み込もうとした。
その瞬間――
『 待て 』
たった一言を、視線と共に投げる。それだけで殿下の動きがピタリと止まった。空気が凍るような威圧感が場に満ちる。魔力ではない、それは感じない。殿下の足を止めたのは、単純な、強者に対する恐怖のような感情だ。
2人掛かりではあるが、先の霊穴では守り人を押し込めてみせた。そんな自信と共に踏み込んだ殿下の心を、気迫だけで叩き潰してみせた。
なんの事はない、あの亜人の体など、所詮は仮の入れ物だったのだ。自分の体に戻った今、椿たちなど木の葉を散らす程度の障害という訳だ。それに、固有魔法の使い手なのだ、魔法の技量だって相当なものだろう。あの仮の体で示した手練に、茜並みの魔法まで飛んできたら勝ち目なんぞない。
戦いのあの舞台、土俵では魔法が使えなかった。茜が使えなかったのだ、同じ黒い魔力と予想される魔王側の勇者も使えなかったに違いないよな。でも、ここでは違う。
『用があるのは聖女殿だけだ、
各方には退場いただいてもよいが』
それは望むまい、と低い声で威圧する。
おおっと、急に渋みが出てきたぞ。
『カザン』
それでも隙きを狙って足を運ぶカザンに制止をかける。
『本当に大丈夫なのか?』
カザンは不安そうだ。
だが、このおっさんが、この世界のヒトではないのは椿や茜なら分かる。あの服装がブラフでなければの話だが。虚勢にしたって、羽織袴の姿はないだろうよ。
『まず、確認させて』
おっさんに問いかける。
説明がないと、皆は理解できない。それに椿も、納得できない。
『貴方の目的は?』
『其許らに同じよ』
それでは、まだ勘違いの余地がある。きちんと言葉にして欲しい。
『この大地の古傷を癒やすためだ』
古傷って、霊穴をそう表現するのか。古いと知っている、ならば長きに渡って霊穴に関わってきたのだろう。
しかし、目的が同じだと断定してよいのだろうか。何故、ここで待っていたのだろう。もはや居ることが疑いようのない魔王さんが待つ、この谷を南に上がった先にも霊穴は残っているのだろう?
そんな椿の疑問を見透かすように、おっさんが勝手に説明をはじめる。
『この扉は特殊でな。
そなたの先代が残した魔法で閉じられておる』
なんと、先代の聖女は、この霊穴を閉じることができなかったのか。先代の魔王と共に、大地の傷とやらが広がらないよう対処して、この扉で閉じたそうだ。
誰も近づかないように。
そして魔王、魔王と言った。
『そこにも処るであろう、
儂の次代が』
言って顎を笏って見せた先には茜が居た。
え? 茜? 勇者じゃないの?
そして、おっさんが魔王? 守り人が魔王?
『つまり、だ。
そなたの先代と儂が、ここを閉じた。
万が一、そなたが扉を開けられなくとも
儂なら開くことができる』
先代の聖女、魔王、扉、先代の仕事――
うおい、情報量! いっぺんに来過ぎだ!
『あの山の霊穴、あの規模をもあっさり閉じてみせた。
そなたなら、ここも閉じることができよう。
ただ、この扉は別なのだ』
『待って、待って、追いつけない』
『私、魔王だったんですか?』
『先代って、記録に残っているのは300年前ですわ』
『胡散臭いなぁ、見た目も怪しいし』
さきほど走った緊張感はなんだったのか、へにょりと表情を崩した自称魔王に釣られて、警戒心の薄れた皆が口々に思いをこぼす。一向に収束しないニジニ勢の混乱もなんのその、目をつむり腕を組んで軽く天を仰ぐような姿勢で魔王は固まっている。……多らかなのか、待つのに慣れてしまっているのか。
椿の視線を感じ取ったのか、ようやく魔王が口を開く。
『さて、話を進めてもよいかね』
一様に皆が頷く。すでに魔王さんのペースに呑まれてしまっている。
『確認するが、聖女殿
この地の傷を癒やしに参られたのであろう?』
『目的はそう』
だが待って欲しい。
『私が聖女で間違いないの?』
『白い魔力――
聖女と言う役割を指すものは、それだけよ』
なんだ、結局のところ、椿は目的通りに喚ばれた訳だ。
でも、それなら。
『茜ちゃんは?
私と一緒くたに喚ばれたんだけど』
『ほう?
それに関しては推測でしか答えられんな。
まあ、まずは役割を果たされよ、ほれ』
そう言って扉に近づいた魔王がその手を触れる。途端に扉の継ぎ目から、黒い光が溢れ出した。黒い光! すごいな、格好良い!
重々しい音を立てて、巨大な扉が開いていく……
なんて予想を蹴っ飛ばして、扉はふっと音もなく消えてしまった。黒い光の演出が台無しだよ。アレかな、魔王の魔力で作った扉だったんかな。触れて魔力に還っていった、みたいな? なら、椿が触れても消せたんじゃないだろうか。
『扉を消す魔法を、先代の白い魔力で圧し殺しておったのだ』
そんな事までできるのか。
『そなたが白い魔力をぶつけても、先代の仕事の維持にしかならんよ。
こいつは300年、弱まりもせず姿を保っておった。
この地であれば、下から幾らでも湧いて出て、補充が効くからな』
ニジニの記録、正しいのか。300年間もの長きに渡り、霊穴を塞ごうと躍起になっていたのだろうか。その長い年月を、どんな想いで過ごしたのやら…… つか、役目を果たさないと帰れないどころか、死ねもしないのか?
ふと、魔王のおっさんから、小さくため息が聞こえた。目ざとく部屋を見回したあと、またくたびれた表情に戻ってしまった。300年振りに開いたこの部屋に、期待した変化が見られなかったようだ。
よし、次は椿の仕事だ。
扉があった先は、異様に綺麗な壁がドーム状に覆う広場であった。マーリンたちの明かりの魔法がなくても、日の出の頃のような明るさに保たれている。この霊穴には、土俵は築かれていない。まあ、あれはおっさんの固有魔法向けの仕掛けなのだろう。ここでは必要ない、と。あの扉がよほどの代物だったんだ。
仮におっさんを打ち倒しでもしていたら、扉を開けるのにとんでもなく苦労と時間を費やすことになっていたのかもね。
そして、この部屋の明るさの正体は、霊脈が露出しているせいだった。
穴どころではない、裂傷である。それが致命傷であることを示すように、部屋の中央には、石碑のような高さの石板が存在した。風化を認められないツルツルとした表面に、びっしりと文字と図形が描き込まれている。
うむ、これこそ魔法陣だ。創作でよく見る円環の意匠に加え、外側にも複雑な放射と図形が散りばめられている。
『これは誰が?』
『そなたの先代よ』
『他の霊穴のものは?』
『あれは、この仕事を真似たものだ』
先代、凄くね? どうやって、こんな代物を作り出したのやら。しかも、このおっさんも真似できるって、地味に理解不能だな。先代とやらに入れ知恵されてるんだろうけども。最初の霊穴の石板なんて、落書きにしか見えなかった。
石碑、その壊すのが惜しいほどの大作に近づいた椿は、その中央にそっと触れる。この手の仕事は躊躇してはいけない。勿体無いとか思い始めて、どんどんやり難くなってしまう。とっとと取り掛かろう。
せめてもと、まだ見ぬ先代の仕事に敬意を払うように、石碑の表面に手のひらを滑らせた。これを作るに、どんな思いがあったのやら。これから行う椿の所為は、その意に適っているのだろうか。
これまでの石板と同じく、触れた手から魔力を籠める。
――!!
手のひらが石碑に吸い付いた。手を離すことができない!
椿の意に反して、手からは魔力がとめどなく流れていく。まずい、魔力を根こそぎ持っていかれる!! このままでは気を失ってしまう! もしかして、罠だったのか?!
石碑に触れた左手首を掴み、右腕に魔力を逃がす循環経路を作る。これだけで、持っていかれる量が減る。でも、このままでは干からびてしまう! どんどん魔力を造らないと!
椿の異常に気付いたシェロブが駆け寄ろうとした。その小柄な体が一瞬で壁際に吹き飛ばされる。椿と皆の間を塞ぐように魔王が立ち塞がった。
『この馬鹿者め』
魔王さん、本性現しちゃった? ひょっとして椿たち、ちょろすぎ?
椿殿、迂闊にござる。




