74.山中の霊穴
ゴトゴトと揺れる馬車の中で目を覚ました。
眼前には人形のように整った白侍女シェロブの顔がある。なにやら、膝枕をされているようだ。人間の頭は5kgを超える、長時間やると辛いだろうに。労うように伸ばす手を取り、シェロブが頬ずりした。無表情な彼女の精一杯の感情表現だ、カワイイ。
『どれだけ経ったの?』
『ほぼ1日です』
うあー、格好悪いな。気分はどん底だ。
なんだか、よくは覚えていないのだけれど、夢の中でも誰かから説教を食らっていた気がする。
『目を覚ましたか』
カザンが馬車を覗き込んできた。
『何故、助けを呼ばなかった。
オレが居る意味を奪うんじゃない』
いや、仰る通りですが、椿にだって言い分はある。
あの時、誰かが護衛に残ってくれたか? シェロブしか居てくれなかったじゃないか! 確かに、スターシャとポーシャを若夫婦に使いに遣ったのは椿本人だが。
それにあの場合、椿まで戦列に加わっていたら、あの守り人に挟撃されていたぞ。肉薄されてしまったら、茜の雷は使えないのだから。
ニジニ兵を近づけないでくれる気遣いがある事は知っていた。我儘かもしれないけど、流石に放ったらかし過ぎではと思うのだ。……いや、自由に過ごしすぎた?
『次は大声で呼べ』
はい……
言い争いしながらも、身体強化魔法を練り直す椿に、オリガ嬢を始めとした面子が集まってくる。魔力の輻射を感じ取り、椿が目を覚ましたと気付いたのだろう。
『まったく、肝を冷やしましたわ』
開口一番、駄目出しするオリガ嬢だ。その言葉とは裏腹に、ずいぶんと心配してくれているのが分かる。
昨夜は、汗だくでうなされる椿を3馬鹿を始めとした女性陣が、代わる代わる看病してくれたそうだ。着替えさせてくれているあたり、椿の継ぎ接ぎだらけな体を目の当たりにしたのかもしれない。
弛緩する空気の中、こんな声が上がる――
『強化魔法は全体の休憩を挟んでからにしましょう』
誰の台詞か分かるよね? 眼鏡の心配は行程に遅れが出ることだけである。流石の茜ですら、パチクリと目を見開いて戸惑っている。オリガ嬢なんか、舌打ちしかねない表情だ。
しかし、まだ体がダルい。申し訳ないが、もう少し横にならせてもらう。
流石にお腹の中をかき回されると、ポーションの治療でも簡単に癒やせないようだ。雑菌などの感染があったのかもしれない。異世界カビは、傷は癒やしても殺菌まではしてくれないのかも。なんてったって、同じ菌だもの。
ああ、魔法で免疫が強化される可能性はあるな。
再びの短い眠りから目を覚ますと、行程は再開していた。
すでに山中と分かる景色に変わっている。灌木ばかりで、高い木は一向に見あたらない。そんなに標高が高いとは思えないが、気候的に大きく育たないのかもしれない。下草は多いので、乾燥しているわけではなさそうだ。
道なき道を進む、勝手にそんな行程を想像していた。しかし、進むのは踏み固められた道だ。亜人が跋扈する、この山間の道を誰が作ったのか。それは、もちろん豚頭である。ロムトスの霊穴周りには、青鬼が集落を作っていた。ここニジニでは、豚頭の集落があっても可怪しくないだろう。
道の果てに、その集落と思われる場所があった。
斜面に掘った穴を基礎に、石積み壁で囲った住居を見ることができる。あの巨体に比べると、ずいぶんと小さく見える。穴が深くて広いか、狭い場所を好むのか、そんな感じなのだろう。
この集落には少数の豚頭しか残っていなかった。先日の襲撃に、大部分が動員されたのだ。残っているのは、雌か子供だと考えられる。まあ、そんな事に関係なく武器を持って襲いかかってくるので、容赦なく雷に焼かれているのだが。
集落から先は道も細く、馬車を置いて進んでいく。
すでに霊脈の莫大な霊気を感じることができる。山の裾では、探す手間すらなく豚頭が作った道が存在したため、殆ど苦労することなく霊脈を見つけることができた。
ここニジニでも、何度か人頭鳥が出現したが、これはもう相手ではない。なんせ、遠隔攻撃が得意な面子が増えている。茜の雷は言うまでもなく、ゆっくりと飛び誘導の利くオリガ嬢の光弾も確実に人頭鳥を落としていった。もう、椿が石を投げる必要なんぞなくなってしまった。
そして一行は、なんなく山頂にほど近い霊穴にたどり着いた。
霊穴にお約束通り盛られた土俵には、祠が2つ見える。どちらも、既に空だ。
そして、中央には槍を携えた豚頭が独り仁王立ちで居た。
復活が早いなぁ…… 椿はあの温泉に1ヶ月は居たはずなんだが。
ひょっとすると、仮の体を使っているから、乗り換えが簡単なのだろうか? 本体は何処かに安置してあって、必要に応じて青鬼、ゴブリン、豚頭と乗り換えてきたとか。
そう言えば、ゴブリンは同時に3体居たが、他の中身は誰だったのだろう。
新しい守り人は、すでに憤怒の形相だ。例え魔法の遠隔攻撃ができなくとも、カザンと椿が2人で充たれる。対する守り人は独り、もう勝負は見えているのだ。
あの土中から武器を取り出す固有魔法も、おそらく手を地に着けて発動する必要がある。例えそれすらブラフであっても、もう魔力の巡りを見逃すほど油断はしていない。
『ツバキ殿は下がって』
そうやって椿を制して前に出たのは殿下だった。
心配そうなオリガ嬢とは裏腹に、やる気と自信と溢れる魔力を隠せない様子の弟君だ。まあ、死ななければ治せる。カザンも居るし、頭を吹っ飛ばされないようにだけしてくれれば構わない。任せてみよう。
それならこっちは、勝手に石板を掘り起こしておこうかな。同じように、祠の下に埋まってるのだろうし。
守り人より先に石板を壊すとどうなるのか、それも確認してみよう。
2人の戦いを横目に、祠に近づいた。そろそろ祠に罠が仕掛けられていてもおかしくない。薙刀で何度か小突いてから近づき、蹴倒した。
すかさず、(今度は)付いてきた数人のニジニ兵が石板を掘り起こしに掛かる。
掘り起こされた石板は受け取らず、兵が持ったまま指先で触れ魔力を籠めた。兵たちも見慣れたもので、魔力を帯び光り始めた石板を土俵に置くと距離を取る。
――バシンッ!!
まずは1枚、すでに兵たちは2枚目を掘り起こしに掛かっている。流石の守り人も、カザンと弟君を相手に防戦一方だ。気に食わないが、弟君の戦力は椿に迫るようだ。カザンの足を引っ張らず、申し分ない働きをしている。
弟殿下は盾を持たないのに、片手剣1本で戦うスタイルだ。カザンの模倣であるのはひと目で分かる。ただ、カザンが手綱を握るために開ける左手を、殿下は魔法を放つために使う。その左手は、前に突き出しておくだけで威圧になり、フェイントにもなる。なるほど、あの年齢ですでに洗練されたスタイルだ。
そんな2人に妨害され、守り人の豚頭も祠を護ることができない。
椿は難なく、2枚目の石板に魔力を籠めた。
――ッパーン!!
良し!
豚頭はどうなった? うむ、何事もなく元気に動き回っている。一度、肉体を得れば石板は用済みなのだろうか? くそっ、これでは霊穴の対処のたびに守り人を相手しなくてはいけないではないか。
いや、まだひとつ確認できていない。霊穴から亜人が発生しているなら、閉じてしまえばどうなるか。せめて、力を弱めてくれればよいのだが。
椿は、場に留まる石板の魔力に同調する。
この霊穴は、霊脈を山の上まで引っ張り上げてある。これまでより深く、魔力を染み渡らせる必要がありそうだ。それはもう、山ひとつ満たすほどに。
オリガ嬢が言っていたっけ、惑星を癒やすのだって。
椿は石板の魔力に加え、自身の魔力も地に注いでゆく。
どれだけ時間が掛かっただろうか、カザンや弟君、守り人の豚頭までもが戦いの手を止めて椿に視線を釘付けるほどの魔力が地に満ちた。
かちり、と。
止まっていた時計の針が再び動き出すように、すべての魔力は霊脈に収まり本来の流れへと帰っていく。
山肌を伝い、遠くまで届く白い魔力の奔流に、この場に居る誰もが呆然とそれを見つめ続けた。そう、守り人の豚頭であっても。
まるで、待ち望んでいた光景を目の当たりにしたかのように、一歩二歩と白い軌跡を追う。そして、祈るように膝をついて天を仰いだ。
「オオ…… 遂ニ終ワル…… コノ役目モ……」
豚頭は祈るように、誰に掛けるでもない声を上げた。
そしてその肉体は、心石だけを残して崩れ、消えていった。
眼鏡『まだ石板に書かれた内容を確認していないのに……』




