67.ニジニの風土
揺れないベッドの上で得る睡眠の質は高い。
夜明けちょっと前に、ばっちりと目が冷めた。朝の支度を手伝いに寝室へ入ってきた白侍女シェロブも、心なしか顔色が良い。他のふたりが寝坊するレベルの快適さだったと言う。使用人部屋のベッドまで上質なのだ、良い部屋を用意してもらったものだ。最も、そこが船の上でないだけでも快適なのだが。
この後に控えるのは、ニジニで霊穴を塞ぐ対策だ。
我々が立つこの惑星も生きている。その血流とも言える魔力の流れが霊脈と呼ばれる。そしてその血管に開いた傷が霊穴だ。ヒトの傷を癒せる椿は、同じように惑星も癒せる。それこそが、あの喧しい女神に拉致された理由なのだろう。
椿の白い魔力は、女神と同じだと言う。なら逆に、女神も同じことが出来るんじゃないの? 自分でやれよと熟思う。
さあ、今朝は再びあの男前の王様に謁見する。眼鏡のイケメンことマーリンや、勇者・茜、ロムトスの戦士カザン、そして椿と、それぞれの言葉で報告して欲しいとのこと。立場が変われば、捉え方も変わるだろうと。いやいや、あの眼鏡なら、ちゃんと事実のみを、わかり易くまとめて報告するだろうに。
さあ朝食を、と言う時刻に呼び出しが掛かった。今朝は先に述べた面子で食事を取るらしい。その席で話し合いをする。王様も居るそんな席で、使用人が食事をとれるわけもない。準備をするから待てと使いに言いおいてから、3馬鹿には先に食事を取ってもらった。正直なところ、美味しいかどうかも不明なニジニの食事より、シェロブとポーシャが作ったものの方が良かったのだが。
朝の支度は終えている。すぐにでも出掛けられるが、時間稼ぎも兼ねて風呂を使う。お湯は冷めているが十分だ、そろそろ夏も深まる頃だもの。決して、男前の王様に気を使ってのことではない、念のため。
案内されたのは食堂ではなく、中庭に面したテラスだった。
用意された机も、映画や海外ドラマでよく見るあの、お貴族様ご用達の十数人が使う馬鹿みたいに長い机ではない。数人ずつで使う、小さな机を並べたものだった。
すでに昨日の面子は集まっている。どうやら王様を待たせてしまったようだ。カザンはテラスの入り口に立っていて、流石に王様と同席はしないらしい。マーリンですら、別に設えられた机に記録用だろうか、文具の山に埋もれて座っている。
男様の王様は、椅子に深く座って目をつむっている。寝ているのかと思ったら、手にした器の香りを楽しんでいるようだ。えぇ……、コーヒーあるんか。いえ、欲しいです、是非に。
コーヒーに気を取られてしまい、すぐに気付かなかったが、何やらただならぬ雰囲気の金髪が増えていた。いやもう、残っている人物は一人だから分かるんだが。この人物が、糞を劣等感の塊にした原因だ。ニジニの第一王位継承権を持つ、ザ・糞の弟君である。
何故だか少し緊張しているようで、その赤い魔力が少し漏れ出している。しかし、その量は膨大で、カザンに匹敵する。こりゃ、ニジニも将来安泰だろう。
『初めてお目にかかります』
歩み寄ろうとした弟殿下であるが、言葉を掛けるに留めた。椿が身を固くして一歩後ろに引いたからだ。そりゃ怖いよ、自分を害した糞とまったく同じ顔が、再び強烈な生物になって現れたんだもの。ひょっとしたら「ヒッ」くらいの悲鳴が漏れたかもしれない。
椿の様子に『兄がどれだけ貴女を傷付けたか思い知った』などと零す弟殿下だが、その顔で言われても説得力がない。気の毒だが、正直なところ距離を置きたい。
その意識はシェロブがきっちり拾ってくれ、糞そっくりな弟君から1番遠い席に椿を導き、椅子を引いた。重ねて言うが、彼は悪くない。悪いのは、うん、顔だな。糞と同じその顔だ。顔が悪い。
席に着き、改めて紹介があった。誰も興味ないだろうから、お爺ちゃんから挙げておく。総髪のアレフ翁はニジニ大陸の監督を任された女神教の司教だ。イオシキーお爺ちゃんに次ぐ位階らしい。色々と強引なところがあるとの評だ。見れば分かる。
さて、問題の金髪はフリードリッヒ・ニジニ殿下である。何処からどう見ても、糞の一卵性双生児だ。糞が能無しで弟が有能とくれば、ありきたりな物語のようだ。しかしこの兄弟に限っては、そんな生易しいものではない、糞の魂を生贄に捧げても、片方だけ傑物にはならない。これは突然変異だぞ、きっと。糞も、こんなものと自分を比べなければよかったのに。
その弟君は、椿に拒絶されたことに割と大きなショックを受けているっぽい。その容姿は、母親たる妃から受け継いだ美貌の好男子だ。その身に巡る魔力の量からも想像できるが、大変有能らしい。他人から嫌われたことがないのだろう。
椿が気になるのか(ないない)、椿に嫌われているっぽいのが気になるのか、先程からチラりチラりと視線を投げて寄越すので大変に落ち着かない。
早く食事を済ませたいものだ。
そんな椿の願いが叶ったのか、そもそもこの国では普通なのか、朝食はアップルパイのように、果肉とジャムが乗ったパン、コーヒー、生野菜、皮の剥かれた柑橘系の果実、とシンプルなものだった。
恐らく、コーヒーが主役なのだろう。香りを楽しむもの、という点も同じらしい。王様の器なんぞ、冷めるとすぐに新しいものに替えられているくらいだ。
椿は、食事のマナーが分からない。食べるのは周りの様子を見てからにする。取り敢えずは、久々にありつくコーヒーだ。見た目をはじめ、香りもコーヒーそのものだ。一口含むと、懐かしい苦味と香りが鼻腔いっぱいに広がる。うーむ、旨すぎる。これでは、お上品すぎる。もっと泥のように濃くて不味いコーヒーが良いな。
『ツバキは『コーヒー』が好きなようだな。
緊張が解けたのが分かる』
王様が優しい表情で言う。それに頷く笑顔の王妃、仲の良い夫婦だこと。
それとコレ、『コーヒー』と言うのか。ロムトスにはなかった、ニジニ語の単語だろうか。うむ、覚えた。
王様の言葉で椿が落ち着きを取り戻したと見て、安心した様子の弟君である。
ぐいぐい来るかと思ったが、無理に絡まずに居てくれるようだ。身分が下であるはずの椿にも気を使う程の度量はあるようだ。
そのまま、皆の食事が進んでいく。見たところ、食事中は会話しないのがマナーに見える。あの爺さんでさえ、何も会話を切り出さない。
しかし、パンにコーヒー、柑橘類までがある。地球で言う、地中海性気候って奴だろうか。背の低い樹木が多かったし。十分に雨が降り、水はけの良い土地なのだろう。王様の風貌も含めて考えるに、とてもイタリアっぽい感じである。
食事を終えても、コーヒーの器だけは食卓から消えない。良い良い。
ロムトスでの活動報告は、当然のように眼鏡が切り出した。もうこのままマーリンにぜんぶ任せておけばいいじゃない。椿は、自分の役目は終わったとばかりに気を抜き、コーヒーに意識を全力集中している。そうでもしないと、弟君がチラチラ飛ばしてくる視線が落ち着かない。
それにしても、ニジニのインテリ層は皆がロムトス語を使えるようだ。普通なら椿にとっては便利なんじゃ? と思うかも知れない。しかし、ロムトス語しか使えないのは、この場に椿しかいない。大事な事を話し合うんだから、ちゃんと母国語を使ってくれよと思う。
椿には事の最後に、掻い摘んで伝えてくれればよいのだ。そもそもロムトスでは、何一つ伝えてくれなかったではないか。どうせ進行は眼鏡が執るのだ、それで十分、あとは上手く廻るだろうに。
不貞腐れ半分で、完全に話から意識が遠ざかってしまった。
ふと、背後からの視線に気付く。それなりに長い異世界生活で備わった悲しい能力で、中庭を挟んだ反対側の建物から数人がこちらを見ているのが分かる。不埒者だろうか? おいおい、警備はどうなっているんだ。ここには王様も居るんだぞ。
こちらを見ているのは3人だ、それなりに大きな魔力を持っている。どんな願いでも叶えてくれる7つのボールを集める物語の登場人物がそうであるように、椿は周囲に居るヒトの位置や魔力の大きさが分かるようになってしまった。ポーション作りをしている頃に培ったものだ。ポーションからは、籠めた魔力の輻射を感じる。当然だが、ヒトからもあるのだ。シェロブのように上手く隠す者も居るが、大部分はダダ漏れである。
そして、いつの間にかカザンが椿の背後に控えていた。3人の視線から椿を隠すためか、はたまた椿が3人を見ないようにするためかは分からない。ひとつ言えるのは、カザンの方が先に気付いていたということだ。ああ、報告会が始まったのだから近づいたのかな?
それにしても、関わると面倒な人達だったら嫌だな。先入観から、ザ・糞が長男だと決めつけていたが、実は他にも3人の兄弟姉妹がいるとか? 弟君以外からは、割と逆恨みを買っているとか? あの魔力から推し量るに驚異とはなりそうにないが、襲ってきたらどうしよう。もしも兄弟姉妹であったなら、返り討ちにすると面倒な事になりそうだし。
後方に気を削いでいたら、眼鏡の報告は糞が沈んだ日まで進んでいた。
『やれやれ、ただ連れ帰るだけを命じたのに。
遣ること為すこと他人から恨みを買う』
王様は親だけあって、一応は悲しいらしい。周りは喜んでそうだけど。そこにお爺ちゃんがボヤくのが重なる。
『なんだ、嬢ちゃんが手にかけたのではないのか』
おい、家族の前でそんな言い草はないだろう。それと、誤解を招くから止めてください!
さて、一連の報告で再確認されたのは、椿しか石板を起動できなかった件だ。これで次の行軍に加わる事は決定だろう。行くのは良い、だが茜とカザンは参加して頂きたい。守り人の対応は、椿が独りでは不可能だ。カザンが居てギリギリ、茜も道中が大変楽になるので是非とも来て欲しい。
そんな流れの中、弟君がとんでもない事を言い出す。
『自分も行きます』
いや、要らんし……
お世継ぎが危険な場所に行くなんて駄目でしょ? 来なくて良いよ。
『放置すれば国が滅びます。
私が死んだとしても早いか遅いか、それだけです』
いやいや、要らんし……
まるで自分が居なければ成功しない、みたいな言い方だ。
たしかに、もう一人くらい実力者が欲しかった。欲しかったが、王子は要らん。助けを乞うように視線をカザンに向けるも、オレが何とかできる立場か? って顔で、静かに頭を振るのみ。
遂には立ち上がり、椿に向かって声を張りあげる。ここまでくると、芝居じみて見えてくる。誰へのアピールだよ。
『貴女の力になりたいのです!』
私か!
いや、もう、ほんと、かんにんして……
椿があまりに嫌そうな顔をしているものだから、王様が助け舟を出してくる。いや、椿に近づけまいと横槍のつもりかもしれないが。
『お前には、ここでやることが山積みだろう。
どうしても行きたいなら、マーリンを説得してみせることだ』
眼鏡に決定権を押し付ける王様、ちょっと見損なったよ…… きっぱりと引き止めなさいよ。ああ、ほら、王妃様が顔面蒼白になってる。やっぱり、他に兄弟は居ないんじゃないの? これは一緒に行っては駄目だよ、絶対に。
見かねた茜とマーリンが、弟君を落ち着かせるために連れ出して行く。ちゃんと説得しておいてね。もちろん、連れて行かない方向で。
その後、戻ってきたのは茜だけだった。
マーリンによる弟君の説得は難航しているようだ。マーリンは後から幾らでも段取りが利く、椿への連絡だけ密にしてくれとのこと。そのまま王様が進行を引き継いで、打ち合わせを続けることとなった。とは言っても、もう決めるのは日程くだいだが。
そして、ロムトスでの行程を参考に、このまま首都で3日を準備に充てると決まった。例の精鋭たるニジニ兵達もそのまま随行してくれるらしい。割と士気は高いようだ。
これからの3日間は、椿にとっては観光タイムだ。なんせ、準備は周りが勝手に進めてくれるもの。茜も自慢の学校を案内したい様子だし、初日は上餅、次は下餅、最後は港を見学するって段取りはどうだろうか? 頷くシェロブと、呆れた顔でため息を付くカザンが対照的だが、うむ、決定だ。
ああ、説明していなかった。この首都は、エアーズロックのように縁が垂直に切り立った岩山の上にある。それが2段も積み重なっているのだ、鏡餅のように。上の段に王宮を含めた役所が、下の段に街がそれぞれ乗っている。ここ王宮が上の餅、街が下の餅と表現したわけだ。勿論、そんな表現をするのは椿だけだが。
王妃や、その侍女を含めた取り巻きがぞろぞろと中庭から出ていった。王様は残って、まだコーヒーを楽しむらしい。椿は、アレフ翁に捕まり質問攻めにされた。殆どは、マーリンと同じ質問だった。逆に、この世界の成り立ちや神話などを教えてくれと言うと、女神教の聖書っぽい本をよこしてくれた。さすが聖職者だ、持ち歩いているのか。
そう言えば、視線の主である3人が居なくなっている。王子が始めた奇劇のインパクトが強すぎて気付かなかったが、王子の退出と共に消えたように思える。
結局、なんだったのだろうか。
まあいいか。
今日は、アレフお爺ちゃんから貰った本を読んで過ごそう。まだまだ、知らないことが多そうだし。
出立まで使って良いらしい客間に帰ることにした。
お爺ちゃんから貰った本はニジニ語で書かれていました。




