66.上陸
日が昇り、海面の状況が明らかになる。
船体の一部であっただろう木材をはじめ、空樽や木箱などの諸々の設備に、上陸用の手こぎボートまでもひっくり返った状態で浮かんでいた。ほんの数名の船員がそれら浮かぶ物に掴まり、生き残ることができた。しかし、船そのものの姿を確認することはできない。
生き残った船員に話を聞く限り、トドの攻撃を受けたようだ。何度も船底を押し上げるように体当たりされ、船が転覆してしまったらしい。船底は大きく損傷しており、そのまま沈没したようだ。
例によって船員を締め出したザ・糞は、自ら閉ざした船内から逃れられずに、船と一緒に沈んでしまった。犠牲になった船員たちを思うと、いたたまれない気持ちだ。
亜人には特性があるのだ。
「最も強い個体に挙って襲いかかる」
椿もしくはカザンが狙われたのだ。最後尾の船でトドの半数と、魚頭の大部分を殺したのだから。その現場となった同じ船に襲いかかってきた訳だ。船上で人員が入れ替わったことなど、魚頭に分かるはずもない。
もし船を替えなければ、沈む船体から3馬鹿を救い出し、海中でトドと戦う羽目になっていた。あの糞のおかげとは思いたくないが、最後くらいは役に立ったらしい。
死んでせいせいするかと思ったが、なんともモヤモヤした気持ちが残る結末になってしまった。どうせ死ぬなら独りで死ねば良いのに。それに、出来るなら椿の手であの空っぽの頭をカチ割りたかった。
マーリンは、あっさりと前進を再開する。兵士たちも、帰ったら叱られるだろうなぁ、くらいの様子だ。
『勇者を守って勇敢に戦い、力尽きた』
名誉ある死として、いいように祭り上げられるさ。と、カザンもあっさりしている。3馬鹿なんかは、いい気味だと嫌悪を隠すつもりもない。
茜はなんとも複雑な顔をしている。椿もそうなのだろう。あんな奴は死んで当然さ、くらい言えればいいのだが。どれほどの人数を巻き添えにしたのか、喜べない。
切れ端と言っても貴重な紙で拵えた、簡単な造花を遠ざかる海面に手向ける。そんな椿を不思議なものを見る目で眺める3馬鹿たち。
この世界の人々は死後、等しく女神のもとに召されるらしい。文化的にも、亜人などが存在するこの環境では、死は身近なものなのだろう。ちょっと情が薄い感じだ。
椿が育まれた日本では、供養は死者の為だけにあるのではない。生者が死に向き合い、乗り越えるためにもある。宗教は、そうと知られず文化として根付いている。茜だって理由も知らず手を合わせて祈りを捧げている、ただその意味は知っているはず。弔いのためだ。
その後の道程は、穏やかな天候に恵まれ順調に進む。既にニジニ大陸は目視できるが、このまま南東へ向かい、首都に直接入るのだそう。
緯度はロムトスと大差ないと思っていたが、割と南に下ったのだろうか、植生が違うのが分かる。ロムトスの神都など山地の近くでは杉や檜の針葉樹、衛星都市フーリィパチでは楠や欅など、まっすぐ高く伸びる木が多かった気がする。
ニジニの海岸沿いには松の木が、これは自生ではないだろう。防風林として、綺麗に並べて植えられている。内陸に目を向けると、背の低い樹木を多く見てとれる。
姿が似ている樹木の名を上げたが、ここは異世界だから別種だとは思う。まあ、姿が似ているし、性質も似ているだろう。
この気候なら、ミカンとか柑橘類を育ててるんじゃないかな。食べたいなー。
ロムトスの首都は防波堤のある港を備えていた。白い砂地の海底だ、透明度が高いのか青く透き通った海水は、底までよく見える。見張り塔を兼ねた灯台らしき、石造りの塔も見受けられる。この海と灯台があれば、魚頭の侵入もよく分かることだろう。
塔はつるつるの壁肌だ、これは漆喰だろうか? はたまたコンクリートか。そして天辺から漏れる、昼間でもよく見えるあの明かりは、魔法の産物だと思う。マーリンが船で見せていた魔法と同じかな。
しかし、この首都、海に近すぎると思う、トドの危険度的に。などと考えていたら案の上、首都ではなかった。首都に直接乗り付けると言ったが、ここが首都だとは言っていない。
門前町ならぬ、門前港? 北の高台に本物の首都たる街が築かれているそうな。首都の一部ではあるようだ。
はぁ、また馬車の旅か。お馬さんを強化するマシーンと化すのか。
一行は、船を港に預けると、すぐに出立した。
そして、馬車は使わなかった。歩きだ。
ただ、首都までの街道沿いには商家が並んでいる。なるほど城下町である。亜人が跋扈するこの世界、城壁で囲んだ城塞都市のほうが安全に見えるのだが。街道の外側には、畑や家畜を飼うスペースはあるが、壁がない。危険なのではと思う。
その疑問には、頼んでもいないのにイケてる眼鏡のマーリンが答えてくれた。要衝を砦で守っており、首都とその周囲の平野に、亜人の侵入はないそうだ。偶に突破されても、避難が間に合うのだと言う。
言い切って良いのか? 我々の界隈では、それはフラグを立てる行為と認識されているぞ!
マーリンのお里自慢は右から左で、もっぱら椿の気を引いたのはパン焼き窯だ。街道脇に広場と同じ間隔で備えられており、とてもよい匂いをさせていた。買い食いして歩きたかったが、みっともないから止めなさいと嗜められてしまった。心配しなくとも、ニジニのお金は持っていないよ。また、ポーションを売って儲けないとね。
勝手に列を離れて雑貨屋や、錬金術士のアトリエなどを覗きながら進む。ニジニの商人連中は表情が固く、ロムトスのように顔だけでの意思疎通は難しかった。ただ、黒髪の忌避に関しては、攻略方法が通じる。言葉は違えど、声を掛けると店主達の緊張が和らぐ。そもそも、側には神殿侍女が3人も居る。坊主と言えば袈裟のように、神殿侍女の衣装は世界共通だ。割と尊敬される立場らしい。あんな中身なのにねぇ。
商店が扱う品物は、紙や文房具、雑貨、服飾などの質がロムトスに劣っていた。代わりに、装飾品や金属の日用品などの質は高い。まるで工業製品のように、寸分たがわず同じ姿の食器や、燭台などが並んでいる。これで手作りと言うから驚きだ。ニジニには職人が多いと、眼鏡が言っていたな。数が揃うと、質があがるよね。
うねる街道と家々で遮られ気付かなかったが、30分も歩くとそれが首都だと分かった。
「エアーズロックの鏡餅」
椿がそう表現したところ、茜のツボに入ったらしい。火が付いたように笑い転げる茜を、眼鏡が焦りながら介抱しようとしている。放っておいてあげなさい。
うむ、我ながら正しい表現だと思う。
ニジニの首都は、切り立った低い岩山の上にある。城壁が要らないわけだ。もう一段、高い位置にあるのが王族の棲家だ。ただでさえ高い位置にあるのに、更に高い尖塔を備えている。港から、連なる商家の奥に見えていたのは、なんのことはない首を出した餅の上に乗る建物が見えていたのだ。
あの高さだ、船の到着はすでに城中に知られていることだろう。
どうやって登るのかと思ったら、中央に亀裂があり、その内部が緩やかに登る坂になっていた。この奇妙な通り道は、両端が階段で、中央が斜面になっている。ロープが垂らしてあるので、この斜面は馬車などを直接引っ張り上げるためのものだと予想できる。
よく見ると、昇降機もたくさんある。かごと滑車の付いた縄が、大小の歯車を組み合わせた巻取り機に続いている。動力は馬か、もしくはヒトが小さい方の歯車を回して縄を巻き取る仕組みが見て取れる。かごの大きさ的にも数百kgは上げ下げできそうだ。
乗ってみたかったが、緊急時を除いて荷物用らしい。逆転止めの歯車が使ってあったし、よくできているのに。まあ、焦らずとも改めて機会を待とう、勝手に使ってやればよい。
上に乗った方の餅は、亀裂が反対側に入っていた。戦には向いているが、生活には不便だ。通り過ぎるたびに、なんでこんなに昇降機あるんだ、との思いと使わせろやの憤りを感じる。上餅の入り口に移動するだけで20分は掛かってしまった。
『学校もこの上にあるんですよ』
茜は上機嫌だ。夏休みを終え、久々に登校する女子高生のような雰囲気を醸し出している。ああ、そう言えば本物の女子高生だったっけ……
最初の召喚は、この街だったのだろうか。
糞に斬られてからは、痛みで意識が朦朧としていた。街の外に連れ出されたときの記憶は定かでない。
椿が嫌な記憶に少し身を固くしていると、シェロブがぴたりと寄り添ってくれた。セラピー犬なみの気付きと癒やし効果だ。シェロブの頭頂に顎を乗せるような格好で懐に抱え込んで歩く。二人羽織状態に、白い少女もまんざらでない様子だ。
上餅は、神都と同じような作りになっていた。中央に王宮を備え、左右に神殿や役所がある。門前は広場で、この傍らに学舎があるらしい。運動場とかないんかな? 座学が中心なのだろうか。
なんと、地下にも設備があるらしい。岩をくり抜くとか、強度的にも換気的にも恐ろしい事をすると思ったが、魔法があるのだ。なんとかしているんだろうね。
ちなみに、その手の加工は黄色の魔力の人間が得意としている。ニジニでは、赤と黄が多いようだ。さすが脳筋の国である。
ロムトスで圧倒的に多いのは、青と緑の持ち主だった。
ちなみに、椿が半年を経て統計したこの世界の人々の、魔力の色による性格分布は次のような感じ。
赤:体育会系 … くそ真面目か、くそ融通が利かないか二分される。
青:仕事中毒 … 役所はだいたい青色に光っている。
黄:ナルシスト … 自分ルールを寡黙に守っている、声がデカい。
緑:オタク … 頭が良いヒトが多いが、大概は趣味に傾倒している。
黒:腹黒 … 愛想の良い表情の裏に一物を隠している。
白:女神 … もっと敬ってくれていいと思う。
色が分かるほどの魔力を持つヒトは多くない。
ここまで同行した、ニジニの海兵達にも魔力が見えるものが居たが、赤と黄しか居なかった。魔力持ちは、生物としてのランクが少し上がる気がする。魔力がガソリンのように、体を動かす燃料にもなっている感じだ。カザンとかが分かりやすい例だな。デカイ体を豊富な魔力で動かしているのだ、重機のような男だ。
あとは、頭の回転に全振りしている奴も居る、眼鏡とかがそう。この手の連中は、魔力の制御に長けている者が多い。エンジンなどの動力と、それが力を伝える先を自分で組み替えて利用しているのだ。固有魔法が、それの究極の形になる。
さて、なんとなく見覚えがあるような白壁の聖堂を過ぎ、王宮に至る。
マーリンが同伴しているからか、椿もカザンも武装のまま通された。ぱっと見の椿は長い木の棒を抱えただけのデカイ女だが、カザンの武器は取り上げたほうが良いと思うぞ。ニジニが恐れる豚頭とやらを独りでなんとかするかもしれない戦力なんだし。
ロムトスもそうだったが、ここにも扉がない。門こそあったが、これがこの世界の標準か? 敵は亜人だけではないぞ、泥棒だっているだろうに。
そして、イメージ通りの印象をした謁見の間に入る。背もたれの高い椅子も、玉座と分かるものだ。そこに座る人物は、男前だ。美形ではない、男前だ。繰り返す、男前だ。
重ねた年齢と苦労を顔に刻んだ、この威厳ある人物が王に違いない。
『よく戻られた、勇ましい子よ』
勇ましい子? 勇者? 労いは茜に向けたものかと思ったが、紡ぐ言葉はロムトス語である。真意を掴みかねていると、王様はにっこりと表情を崩して続ける。
『今日はもう休みなさい。
うるさい人が迫っている、捕まる前に下がっておしまい』
紹介はまた今度、と言って椿を先導するのは淑女の見本のような女性だ。これが王妃に違いない。イカレ王の妃と違い、ストレスの少ない環境なのだろう、優しさと余裕で溢れている。
しかし、そんな気遣いを台無しにする、荒々しい足音が近づいてきた。
『※※※※※※※!』
扉があれば、バーーン! と音を立てたであろう勢いで、初老の男が飛び込んできた。これか、コレがうるさいヒトか。
ところで…… イリヤお爺ちゃんは、某魔法学校を総べる校長先生のようなお髭の風貌だった。イオシキー大司教はハゲだが、お顔には若さが残る精悍で威厳に溢れるヒトだった。そして目の前のコレは、また新しいタイプのお爺ちゃんである。
時代小説や劇中で見る「総髪を後ろにまとめた」と表現される風貌、まさにそれである。白髪が大部分を占めるロマンス・グレーの髪を背に垂らし、背筋がちゃんと伸びた「引退した剣豪」みたいな雰囲気の人物だ。
その爺さんが文字通り、目を光らせて椿に歩み寄る。
『※※※※、白い魔力!
間違いないな、よくぞ戻られた!』
そして声がデカイ! 煩い! この爺さんの魔力は黄色に違いない。
この爺さん、急に跪いたと思うと、椿の手を取って額に掲げた。なんともしみじみとした声で、あれ程の仕打ちを受けて尚、よく戻って頂けたなどと言う。緩急付けて、情に訴えてくる演説家タイプか、苦手だな。
『アレフ様、そのくらいにしてください。
今日はもう休んで頂くところです』
『報告を聞きたかったが、遅かったか』
『それも、明日です』
新しいお爺ちゃんから引き剥がされるように連れ出される。建物から出ないあたり、宮中に留め置かれるらしい。うーむ、3馬鹿と引き離されると危険だ。ある意味、あの爺さんに宿を用意してもらったほうが良い気がするな。
そんな心配を余所に、連れこまれたのは客間のようだ。客間と言っても、招かれるのは当然、国内外の貴族だ。なんと表現すれば良いのだろうか? 建物の中に、戸建てがある感じ? 最初の部屋は玄関になっている。右手に居間を備え、その奥が寝室だ。正面には食堂と台所があり、左手は納戸と使用人部屋となっている。台所と寝室の間には風呂まである。
豪勢だ!
茜も以前、泊まっていたらしい。今は、学舎にある寮暮らしだそうな。友達も多いらしく、機会があったら紹介しますね、などと可愛らしくのたまう。あぁ~、くそ充実してそう、羨ましい。
最初の警戒は何処に行ったのか、すぐにくつろぎ始める椿であった。
ロムトスからたった今運び入れた食材を、シェロブを始めとした神殿侍女たちが調理する。いや、船でも美味しい食事がとれて、大変助かりました。シェロブの魔法は国宝級だよ。
脳筋用に調整されているのか、少し硬いマットのベッドで久しぶりに深い眠りに付いた。
イケメン眼鏡といちゃつく新入生・茜に同級生は大激怒
売られた喧嘩は勇者の力でねじ伏せる
「あれ、またワタシ何かやっちゃいました?」
そして芽生える友情 始まる青春の物語
茜・学園編 乞う御期待!!




