第1話
私、加藤夏美は社会人2年目の24歳。就職を機に、故郷である静岡から上京した。
社会人1年目の目まぐるしい忙しさはないものの、それなりの忙しい日々を送っていた。
いまだに慣れない一人暮らし。都会の荒波にもまれながらなんとか2年がたった。
そんな時だった。初めてと言っていいほどの連休をもらえた。休みは4日。ゴールデンウィークでもシルバーウィークでもない。平日ど真ん中の4日だ。
「このまま東京にいたらおかしくなっちゃいそう」
そう一人でつぶやいていた自分にびっくり。でもこの言葉が引き金となって久しぶりに故郷に帰ることにした。
必要最低限の荷物をかばんに詰めこみ、清々しい気持ちで家を出た。
新幹線を使えばあっという間についてしまう。でも今回は新幹線は使わない。在来線を使って、車窓でも見ながらゆっくり故郷を目指した。この電車の中で何人の人が外の景色を見ているのだろう。私ほどじっくり見ている人はあまりいなかったように思えた。
家を出てから数時間後、やっと実家の最寄り駅につく。昔ながらでジブリ映画に出てきそうな無人駅。集札箱に切符をいれ、改札を出ると見慣れた故郷の風景が目の前に広がっていた。私の横には赤い筒状の郵便ポストと昔ながらの緑色の公衆電話だけ。タクシーや迎えの車もない。駅と垂直にのびる道路の両サイドには水田が広がっている。大きな道路は舗装されているが、それ以外の道路は未舗装。農業用の車しか通らないような道だ。
そんな風景を懐かしく思いながら大きく深呼吸をして体を伸ばす。
「うーーーーーーーん!気持ちいい!!」
遮られることなく振り注いでいる太陽の光が夏の訪れを予感させていた。
「ただいまー!」
「あらおかえりなさい!ずいぶん遅かったわね!」
駅から20分ほど歩いた高台に私の家はある。割烹着姿のお母さんが出迎えてくれた。
「暑かったでしょ?はい、麦茶」
コップの周りに水滴のたくさんついた麦茶を持ってきてくれたお母さん。家に帰ると誰かがいるということがこんなにもうれしいものなのかと思いながら受け取った麦茶を飲みほした。
「お母さん!おいしかったよ!」
「あら、もう飲んだのね。今晩はあんたの大好きな唐揚げ、いっぱい揚げておくからね!」
「ありがとう!」
晩御飯のことを想像しながら自室へと向かった。
2階の角部屋。2か所の窓を開ける。今までこもっていた空気が一気に流れ、新鮮な空気が吹き抜けている。
「うーーーーーん!」
ここでもまた伸びをする。眼下に広がるのは駅前と同じ水田。近所のおじちゃんやおばちゃんが水田の手入れをしているのが見えた。
「夏美!帰ってきたなら教えてよ!今から遊ぼうよ!」
急に高校時代の同級生、小岩井菜摘からメッセージがきた。高校1年生の時に「名前同じだね!漢字は違うけど……」という会話がきっかけで仲良くなった。菜摘は高校卒業後、地元の企業で事務の仕事をしている。
「いいよ!ちょうど今から街のほうへ行こうとしてたところなの!ついたらまた連絡するね!」
旧友からの突然のメッセージのに戸惑いもしたが、それより嬉しさのほうが勝った。特に着替えることもせず、そのまま高校時代に使っていた自転車に飛び乗って街へ向かった。
「閉店セール実施中」
そう書かれてあったのぼりを見つけたのは街へと向かう道中だった。小学校入学前から大学入学の時期までお世話になった雑貨屋さんだった。そのお店は私のお母さんが小さいころにはもうすでにあったという。
思わずお店の前で足を止める。この店に来た思い出が走馬灯のように思い出された。
邪魔にならないように自転車を止め、中へ入った。
ガラガラガラ……
昔ながらの引き戸を開けるとそこには変わらない光景が私を出迎えてくれた。
「あら、どこの可愛い子さんかと思えば、夏美ちゃんじゃないの!」
記憶の中のおばちゃんより少し腰が曲がっている気もするが、相変わらず温かい物言いのおばちゃんが迎え入れてくれた。
「こんにちは、おばちゃん。ちょうどさっきこっちに帰ってきたところだったんです!」
「あら、そうだったの~。どう?お仕事大変?」
「ええ。でも今は何とか必死で頑張ってます!」
「そう、よかったわ~」
おばちゃんはこの地域の子供にとってとても優しいみんなのおばあちゃん的存在だった。こういう何気ない会話というのは東京ではない。自分でも意識していなかったが、こういう交流を求めて帰ってきたのではないかとさえ思ってしまった。
「それはそうとおばちゃん。ここ畳んじゃうの?」
「そうなのよ……お父さんが体調崩しちゃってねぇ~……」
言われるまで気が付かなかったがおじさんの姿がない。白いシャツにねじりハチマキという、いかにも昔のおじちゃんと呼ばれるような恰好をしたおじちゃんだった。
それからしばらくお店の中を見て回りながらおばちゃんと他愛もない話をしていた。小さいころにお小遣い握りしめて買いに来た当たりつきお菓子。小学校の時によく買いに来た匂い付き消しゴム。大きくなってからは裁縫の布だったり、いろいろな物を買いに来ていた。それらの品々を見て回りながら、気になったものを手に取っていった。
「おばちゃん、これお願い!」
「はいよ~。夏美ちゃんもすっかり大きくなったのね~。こーんなにたくさん物を買えるようになっちゃって」
そういいながらおばちゃんはレジではなくそろばんをはじいていた。
「消費税込みで1460円ね。60円はおまけしてあげる!」
「ええ、そんな悪いですよ~」
「いいのよぉ~。これまで贔屓してくれたお礼よ」
そういうとおばちゃんは1400円しか受け取らなかった。田舎ならではの人の温かさを感じた瞬間だった。
「おばちゃん!また会いに来るからね!」
「待ってるよ~」
そう言ってガラガラと戸を開けて灼熱の太陽の元に出た。
「よっ!夏美!!」
雑貨屋を出た瞬間に、聞き覚えのあるようなないような声の持ち主に話しかけられた。話しかけてきた人の顔を見てもいまいちピンと来ない。
「あの……失礼ですが……」
恐る恐る聞こうとすると、相手の男性は驚いた表情をしていた。
「え!まさか忘れちゃった!?秀哉だよ!ひ!で!や!」
名前を言われてやっと思い出した。
「え!秀哉なの!ずいぶん変わったね!」
「それはこっちのセリフ!お店入っていく人を見たときにもしかしたら夏美じゃないかなと思って待ってたのさ」
そこに立っていたのは中学時代にこの地区に引っ越してきた濱上秀哉だった。
このとき、私の中でなには小さな変化が起こった……
「てかさ、この後予定あんの?」
相変わらず、軽いノリで聞いてきた。本当に中学生から変わってない。
「夜菜摘と会う約束があるよ?」
しめた!とでも言うように指をパチンとならした秀哉が言った。
「ならさ、それまで俺に付き合えよ」
「な、なによその上からな物言い!?もっとちゃんとした誘い方あるでしょうに!」
あんなに子供だと思っていた同級生がなぜかこのときものすごくしっかりした大人の男性に見えた。
「あ、やっぱこういうの似合わない?ごめんごめん!でもさ、こうやって久しぶりに夏美と会えたわけだし、お茶の1杯でもどう?」
「最初からそう言えばいいのよ。少しなら付き合ってあげるわよ!」
そう言うと、秀哉が私の自転車を押してくれ、近くの喫茶店まで歩いた。あとあと気づいたけど、このとき車道側を歩いてくれてた……
「んで、最近どうよ?元気にやってる?」
オレンジジュースをストロー使って飲んでいる秀哉が聞いてきた。
「あんた、オレンジジュースって……。まだまだお子ちゃまなのね」
「うるっさいなー。で、どうなの?」
ちょっとふてくされたような表情で聞いてきた。
「そうねぇ……最近やっと慣れてきたって感じかな?順調にやれてると思うよ」
「ほーん。それならよかった」
そういうとまたストローを口に含んだ。
「なによ。あんまり興味なさそうね。あんたこそ今なにやってんのよ。」
「今?司法試験受かるために浪人中~」
「あれ!?まだ受かってなかったんだっけ?」
「げ!なにそれ!ひどいよぉ~」
「急に甘えた声出さないでよね、気持ち悪い……」
半分本気で気持ち悪いと思っていたのに笑いながら言ってしまった。これを見ていた秀哉も少しニコニコしていた。BGMとして流れているクラシックが店内に響き渡る。
「話変わるけどさ、今日こうやって出会えたことって運命じゃない?」
「急に何言い出すのよ……」
冗談めいたことを言っている秀哉の顔は真剣そのものだった。
「実はね、高校卒業するまで夏美のこと好きだったんだよ。今だから言えることだけどな」
「ふ、ふーん……」
興味ない振りしているけど、内心ドキドキしまくり。いつもなら「私もだったよー!」と冗談っぽく言えるはずなのに、このときは言葉が出なかった。
「付き合ってくれないかな!?」