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1 プロローグ

 私の名前は山平風華。「やまたいら・ふうか」で良いのだけど、正式には「やまたいらの・ふうか」というらしい。なぜ「やまたいらの」と呼ぶのかは、色々と理由があるのだけど、戸籍上もそうなっているので仕方がない。


私の仕事は、源岩月院の入館受付係。ちなみに、源岩月院は私の家でもあります。重要文化財に指定されていて、勝手にエアコンとか設置できません。面倒な家に住んでいます。


 広い家に住むというのは人によっては憧れるかもしれない。だけど、そんなの幻想である。まず、第一に、掃除が大変であるってこと。廊下の掃除だけで大変である。一般公開していない場所が私のプライベート空間ということなのだけど、その部分だけでも掃除が大変である。


 私の一日は、廊下の雑巾がけから始まる。私のご先祖様が建築し、残念ながら今まで現存してしまって、さらには入館料を取ってしまっているので、掃除をしないわけにはいかない。東北中門廊から西中門廊まで、雑巾がけをする。長さで言えば、学校の校舎の廊下二往復分くらい。掃除機が欲しいのだけど、コンセントなどというものが平安時代から現存する神殿造にあるわけもなく、掃除機の電源を持ってくるだけでも、百メートルくらいの延長コードが必要になる。三十メートルのドラム延長コードを四個くらい繫げなければならないので、諦めて雑巾がけをしている。冬は心が折れてしまいそうなほど雑巾がけが辛い。


 雑巾がけが終わったら、庭園の掃除をする。枯れ葉の時期は本当に大変。毎日5時に置き、朝食の時間を除いて、毎日三時間は朝、掃除をしている。しかも、月曜日と火曜日は神殿造りを中心に、水曜日は主殿造を、金曜日は書院造をというようにローテーションを組まないと掃除が行き渡らない。


 それ以外にも、建築年代が年代だけに、地道に補修をしたりもしなければならない。三百年に一度くらい大補修をするのだけど、やるとしたら私の孫の孫くらいの時代であろう。宮大工の木組みの技術って、そのころまで継承されているのか不安だけど、それは私が心配することではないのだろう。


 ちなみに、私のご先祖様は変なところで用意周到で、岩月山という裏山があるのだけど、そこの三分の一くらいは、将来、建物を補修したりする際に必要な木材をそこで育てるそまにもなっている。樹齢三百年以上の木がごろごろしているので木材は調達できる。まぁ、そのころ、補修をするお金があるのかということの方が心配なのだけどね。


 大改築とかは自力では当然できないけど、土嚢が壊れたりしたらそれを修理するくらいは自分でしなければならない。お金ないし。本当はコンクリートの壁にしたいのだけど、そういう訳にもいかず、泥に藁を混ぜ込んで土壁を作ります。ひと夏かけて、ごく一部の土壁の補修が終わりました。


 それに、この源岩月院で働いているのは私一人なので、入館希望者が来たら、駆け付けて行かなければならない。呼び鈴とかだと音が小さく、敷地のどこかにいる私が聞こえない方が多いので、呼びボタンをお客様が押したら、私のポケットベルが振動するようになっている。


 入館希望の方をお待たせするのも申し訳ないのだけど、ずっと受付に座っているわけにもいかない。だって、先月の見学者は三人。親子連れの一組だけだった。夏休みの自由研究のために、子どもを連れてきてくださったそうだ。


 まぁ、そんな感じで、一週間に一人見学の人が来たら良い方なのだ。だから、受付に座っていてもあまり意味が無い。それに対して、源岩月院を維持管理するためにやるべきことはたくさんある。それに、入館料だけでは生活は賄えないので、自給自足の農業もしなければならない。ちなみに、源岩月院の門へと続く前の農地も我が家の私有財産で、私の貴重な食料供給地となっている。自給自足の生活だ。


 一般公開している意味があるのかと、私自身思うことがあるのだけど、お父さんから頼まれたから仕方がない。もし、私に兄などがいたら、長男としてこの家の管理などは全て任せて、私は都会に行っていたと思う。こんな面倒な家は、正月に帰るくらいで良い。


 だけど、もう私しかいない。だから、これは私の運命というか、山平家に生まれてきた宿命であると受け入れることにした。


 今、二十一歳。これからの人生、こんな人里離れたド田舎で、世捨て人のような生活をする。まぁ、それも悪くないかなぁと思う。この源岩月院の管理をやっている、一人暮らしが長いという関係上、掃除、洗濯、料理、それに、土壁の補修とかも出来ちゃうくらい、女子力は高いのだけど、中々出会いなどに恵まれない。

 イケメンでフリーの人とかが、見学に来ないかなぁ~。そしたら、普段はやってないのだけど、一緒に着いて行って案内とかするのだけどなぁ。


 ん? ポケベルが振動している。入館希望者だ。朝十時きっかりに見学しに来るって珍しい。



 ・



 私はお客様を長くお待たせするわけにはいかないので、小走りで受付へと向かう。走っている途中、犬の声が聞こえた。夜に、満月に向かって吠える遠吠えに似ていた。


 お客様は、源岩月院の門を見上げていた。三角の屋根の外側は、赤土を焼いて作った瓦で、敷地の側、つまり内側は茅葺きの屋根となっている。半分レンガで半分が茅葺きという中途半端な屋根の作り。赤い瓦は鮮やかな紅色で、夕陽に似た色だ。人目を引く色だ。でも、逆に、反対側が茅葺きになっていることに気付くお客さんは少ない。振り返って、わざわざ入って来た門を見上げる人は少ないからだ。


「お待たせしました。ご見学ですか?」


 お客様は、ヨレヨレの真っ黒い帽子に、真っ黒いロングコート。いまどき和装をしている私が言うのもなんだけど、あまりセンスの良い服装とは言えない。烏のような人だと思った。ロングコートを着ているけれど、長身で細身であることは分かる。


 私と同じ年齢くらいの人だろうか。その人は眼鏡をかけていなかった。私は、このお客様が眼鏡をかけていないことに何故だか安心をした。


 ちなみに私は、源岩月院の雰囲気と合わせるために、和装をすることにしている。というか、先祖代々から受け継がれた和服が桐箪笥の中に沢山つまっている(流行の服などは、お金が無くて買えません)。


 流石に十二単とかそんなものは受け継がれていないけど、江戸時代ぐらいのものは普通にある。ただ、和服も管理が面倒で、梅雨が終わった後の土用干し、夏が過ぎたあとの虫干し、乾燥してきた冬に寒干しと、一年の内の一週間は、和服を干したり、しまったりとかの作業が必要になる。色とりどりの和服があるから、干す時は鯉のぼりを見ているようでとても綺麗なのだけど、やっぱり手間と言えば手間だ。


「お願いします」とお客様は千円札を差し出してきた。その千円札の肖像は、夏目漱石だった。久しく夏目漱石の肖像の千円札を私は見ていない。千円だから、お釣り五百円と私は考える。


「千円お預かりしましたので、お釣りの五百円と、こちらがパンフレットで、中に地図がございます。見学の順路等は特にご用意しておりませんので、ご自由にご見学ください。あと、お帰りの際はお手数なのですが、この木札をこのポストにご返却ください」


 源岩月院は敷地が広すぎて、お客さんが全員帰ったかを確認するのも大変だ。敷地を見回るだけでも時間がかかってしまう。だから、帰りに木札を返してもらうことにして、お客様がお帰りになったかどうかを確認できる仕組みになっている。いつからこのようなシステムになったのかは知らないけれど、この木札も相当黒ずんでいる(綺麗にしているけど、長年染みついた汚れが落ちない)から、年代物の気がする。意外と忘れて、この木片を持って帰ってしまう人がいると思いきや、ちゃんと皆様、忘れずにご返却くださっているので、閉館時の確認作業が楽で大変助かっています。全部の障子を閉めるなどの作業は、相変わらず大変なのだけど……。



形代かたしろですか。かなり古い式が使われていますね。基礎となっている式は……。なるほど、なるほど。撫物としての式を使っている。ずばり、玄武でしょうか?」


「はい?」


 私は、彼の言っている意味が分からなかった。からかわれているのかと思った。だけど、彼は真面目に質問をしているようだった。私は、首を傾げざるを得なかった。


「まぁ、秘儀ですしね。はいそうです、と簡単に人に教えたりはしませんよね。まぁ、山平(やまたいらの)家の古の式を余すところなく、これからゆっくり学ばせてもらいますよ。時間はこれから沢山あるのだから」


「閉館は午後5時となっております。今からご見学でしたら、少し慌ただしくなりますが、岩月山の展望台にも登ることができると思います。あと、申し訳ありませんが、地図にも記載させて戴いておりますが、寝殿造の一部は、公開しておりません。そちらのご見学はご遠慮戴きますようお願い申し上げます」


 寝殿造の北側、北西渡殿と東北渡殿には、築50年の比較的新しい木造の一軒家が建てられていて、そこが私の生活するプライベート空間となっている。当然ながら、そこには電線が引かれていて、ガスコンロもある。


「非公開の場所。心惹かれますが、どうせ式神が守っているでしょうし、そんな危ない真似はしませんよ。それにしてもこの門も素晴らしいですね。天門に出入り口を作るという大胆なことをしつつ、実に、天門を見事に鎮めている。赤瓦で鬼を呼びつつ、茅葺きで逆落とし。まるで蟻地獄のようです。この門は、どれほどの鬼を食べてきたことか」


 ん? この人は、この門の建築年代を知りたいのかな?


「この門は、今から寛仁二年――」


「西暦1018年ですか。なるほど。見えてきましたよ」


 って、説明途中に……というか、寛仁二年と言われて、即座に西暦で言い当てるとか、そうとう歴史オタクな気がする。詳しく説明を求められても、私、パンフレットに書かれていること以上のことは分からないし。あまり細かい質問をされても分からない。赤瓦には、色々な文様が彫り込まれていて、一つ一つに意味があるらしいけど、もう失伝してしまっているし……。


「そ、その通りです。ぜひぜひ、ご自由にご見学なさってください」


 とりあえず、営業スマイル。


「ところで、その着物の文様、六芒星のようで六芒星とはちょっと違う。一番上の三角形の上部が凹んでいる。五角形だ。魔除け以外の効果も重複的に持たせているのですか?」


 え? 今度は着物についての質問ですか! ただのデザインでしょうに。ちょっとこの人、苦手かも。

 それにしても、魔除けって……。というか、これ以上、マニアックな質問はしてこないで欲しい。今、私が除けたいのはあなたなのだけど……。見学するなら見学するで、主殿造でも、書院造でも、枯山水でもさっさと見学しに行って欲しい。


「代々、受け継がれてきたものなので、申し訳ありませんが詳しいことは分かりません」


「まぁ、秘儀ですしね。簡単に人に教えたりはしませんよね。まぁ、山平(やまたいらの)家の古の式を余すところなく、これからゆっくり学ばせてもらいますよ。時間はこれから沢山あるのだから」


 あれ? さっきもこの人、同じようなことを言っていたっけ。


「当院は17時閉館です。敷地が広いもので、歩いて見て回るだけで4時間は必要になります。展望台まで行かれるのでしたら、さらに1時間半必要です。15時以降に展望台に行かれますと、閉館時間に間に合わない恐れがありますのでご注意ください」


「今日だけで全て調べられるなど、私は思っていませんよ。私はそんな自信家ではありません。むしろ、この天門を調べるだけでも2ヶ月は必要でしょう。さしあたり、梯子をお借りしてよろしいでしょうか? まず、赤瓦の文様を書き写したいですね」


 2ヶ月……。毎日来るってことかな? 毎日来てくれたら、25営業日だとして、入場料12,500円。素晴らしい。でも、梯子は危ないよね。文様を書き写したいって、なんだろう。でも、断っておかないと。


「申し訳ございません。古い建築物ですので地上からのご見学のみです。重要文化財の保護にご協力をお願い致します」


「いや。そういうことではない。いや……私のことを憶えていないのだろうか? 風華」


 私は、この人のことを知らない。憶えてなどいない。誰? どうして私の名前を知っているの? 門の表札は私一人になった後、取り外した。


「私は、易部晴次朗(えきのべ・せいじろう)。思い出していただけただろうか?」


 思い出す、つまり、この人のことを私が知っているということが、この人にとって前提なのだろう。私は首を少しだけ左右に振る。


「そうですか。私は、昨日で成人しました。よって、山平家と易部家の盟約に従い、婿となるためにやって参りました」


「はい?」と私は首を傾げる。状況が飲み込めない。



 源岩月院は、山平家の私邸(重要文化財指定)です。院内の見学料は500円。見学時間は10時から17時まで。日曜日・祝日休館。

 岩月山を含めた広大な敷地には、平安時代の寝殿造り、室町時代の主殿造、また書院造などが現存しており、日本の建築様式の変遷を一度に概観できます。また、多くの庭園なども楽しむことができます。ホームページ開設準備中。月の平均見学者四名。




 古の日本の建築様式を保持し続けてきた源岩月院。その源岩月院に、風が吹き込んでいた。新しい風が吹いている。

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