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第二話 待ってよ 待って

 どれくらい走ったでしょうか。気がついた時、彼女は家々が立ち並ぶ、細い路地にたたずんでいました。

 靴は脱げていません。振り返ると自分の足跡が残っていましたが、戻る気にはなりませんでした。

 少女は近くの家の、張り出した玄関先を借りて、2,3回深呼吸します。

 この家からもロウソクの明かりと、焼いた鳥の臭いが漏れてきました。彼女の目や鼻を、盛んに刺激するのです。

 元いた世界の年越しそばを思い浮かべ、よだれが垂れそうになりましたが、ないものねだりをしても仕方ありません。まずは自分の命を助けることです。


 彼女は振り返って、自分の後ろにあるドアを改めました。

 無骨な水色の板。やや上方に、ライオンが金属製のリングをくわえた、ドアノッカーがつけられています。


 ――大丈夫。まずはドア越しだから。


 彼女は、もう一度深呼吸します。

 元いた世界では、ここ数ヶ月、店員さんとしか接していません。それも目を合わせずに、物を買うだけ。挨拶など、どこかに置いて来てしまったかのような生活だったのです。

 ノッカーをつかみ、軽くトン、トンと2回ドアを叩きます。

 それだけで心臓の鼓動が、のどまで上ってきそうでした。


 彼女の考え。それはマッチの訪問販売ではありません。純粋に助けを求めることでした。

 この家で保護してもらえなくても構いません。道を聞ければいいのです。教会への道を。

 彼女は逃げている途中、どこかの家で賛美歌が歌われているのを耳にしました。ならば、この町にも、信徒のための教会があるはず。そこに赴き、孤児であることを伝え、保護をお願いするのです。

 相手の人となりが分からない以上、博打ではあります。しかし、ろくに挨拶すらできない自分が生き延びるには、街頭で商売するより、そちらの方が、よっぽど公算が高く思えたのです。

 

 緊張しながら待った、数秒間。家の中から反応はありません。

 彼女はもう2回。先ほどよりも強く、ノックをしました。今度はドアの向こうで、ごそごそと、何者かが動く気配がしました。

 しかし、ドアは開きません。声をかけても来ません。

 彼女はドンドンと、両手でドアを叩きます。とにかく、反応が欲しかったのです。

 先ほどのように「失せろ」の一言だけでも構いません。自分がここにいることを、知ってもらいたい。その一心でした。

 彼女は手が痛くなるほど叩きます。しかし、冷たいドアがその口を開くことは、とうとうなかったのです。


 やがて彼女はノックをあきらめて、肩を落としながら玄関先を離れます。

 自分が何をしたというのだろうと、少女は相手を恨みそうになりましたが、すぐ理由に思い当たりました。

 自分は年越しする家族の、だんらんのひとときを壊したのです。これからやってくる新年を、安らかに迎えようとする夜半に、響くノックの音。良くない知らせだと、ほとんどの人が思うでしょう。

 気分を害されたくない。ならば目を閉じ、耳をふさぐ。

 かつて自分がやっていたように、居留守を決め込むだけのこと。


 雪の降りは、先ほどより強くなってきた気がします。手袋をしていない両手は、すっかりかじかんでしまっていました。悩んでいる時間は、ありません。

 あたりを見回すと、背中を向けて遠ざかっていく、帽子にコートを羽織った男の姿が目に入りました。

 先ほどの御者から浴びせられた、非難の眼差しを思い出し、足がすくみかけた彼女でしたが、両手で頬をバシバシ叩き、気合を入れます。


 ――今度こそ大丈夫……大丈夫だって。負けるな、あたし。頑張れ、あたし。


 勇気を振り絞って、彼女は男の人の背中に追いすがります。


「あ、あの……」


 男のすぐ後ろで絞り出した声は、自分でも驚くぐらいかすれていました。蚊の鳴く音の方が、まだましだと感じるくらいです。

 男はこちらを見ました。見下ろしました。自分の腰くらいの背丈しかない、彼女を。

 けれど足を止めません。それどころか前に向き直ると、気持ち足が早まり、大股で先を急ぎ出しました。まるで関わり合うのを、避けるかのように。


「ま、待って……」


 彼女は追いかけようとしますが、左足の靴がすっぽ抜けて、裸足が積もった雪にめり込みます。たちまち、零下の冷たさが、足に噛みついてきて、小さく悲鳴をあげてしまいます。

 彼女が片足でけんけんしながら、どうにか靴を見つけた時には、もう男の姿はどこにもありませんでした。かすかな足跡が雪に残っていましたが、あのペースで進まれるのを追いかけたら、また靴が脱げてしまうことでしょう。


 ここは狭い路地。馬車が通った大路に比べて、人通りも多くはありません。同じように、誰かが通りかかってくれるか、わかりませんでした。

 しかも、今までの寒さに加え、先ほど雪に突っ込んだせいか、左足にじんじんと、しびれるような痛みが走るのです。

 たまらず、彼女は近くの家の軒先に腰かけて、靴を脱ぎました。


 足は真っ赤になっています。指と指の間に入り込んだ雪をほじり出しましたが、氷のように冷たくなっていました。

 暖めたい。足も、身体も、心も。

 ふと視線を落としたバスケットの中。そこにはまだ一本も使っていない、マッチ箱。


 ――これを使えば、少しは……でも使ってしまえば、きっと……。


 自分は童話に取り込まれてしまうかも知れない。敷かれたレールに、片足を乗せてしまうかも知れない。あの結末へと……。

 大きなくしゃみが出て、背筋を走る寒気に、彼女は身震いします。


 ――だめ、我慢できない……そうよ、あの子だって、結末までに何本も擦ったはず。1本だけ。1回だけなら。


 彼女はマッチ箱から1本だけ、マッチを取り出します。マッチ箱には、見慣れたヤスリがついていません。

 確か、話の中で少女は、壁にマッチをこすりつけていました。彼女もまた、同じように家の壁を使い、マッチに火をともします。


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