天邪鬼の罰則規定
出発の朝。天気は奇しくも晴天だった。これから起こる、いやこの女が引き起こすトラブルを思って憂鬱になる俺の心情とは裏腹だった。朝も豪快に朝食をひっくり返したところだ。それは流石にキャリーでも止めることはできなかったようでリアのパンは無様に床に着地した。それを全く意に介さず埃を払ってすぐ食い出したこいつの豪気さにも驚いたが、その後も荷物をぶちまけたり、ドアを開けずに外へ行こうとして正面衝突したりと、朝から何回尻を触ったかわからない。
「うう… どれだけ触ったら満足してくれるんですか…」
「人聞きの悪いことを言うな。正当なペナルティだ。それよりもお前のドジはいつ治るんだ」
何度触っても初々しい反応が返ってくる。それはそれで楽しいからいいのだがいつかまた大きなトラブルを引き起こすのではないかという懸念がある。
「それは、霊体時代が長かったので… あの頃は本当に何も気にせず飛び回れたんですよ…」
確かにドアに真正面からぶつかっていくのは正直目を疑ったからな。その頃の癖か。
「それよりなんか私だけなんでこんな格好なんですか…?」
リアには厚手の長袖長パンツを着せた上で肘と膝に革のプロテクターを装備させてある。
「怪我されると困るからな。キャリーにはハリーさんの警護を担当してもらうしな」
「暑いし動きづらいんですが…」
「動きやすくてもお前は転ぶ。だったら転んだ際のケアを重視した方がいい」
「もう転びませんよ! 昨日はキャリーさんに付き合ってもらって特訓したんですから!」
そんなことをしてたのか。どうりでいつもよりずっと眠そうな訳だ。付き合わされたキャリーも可哀想にな。
「そうか。じゃあ、特訓の成果があるといいな、キャリー」
「望み薄…」
ぼそっとそう言う彼女の様子からしてあまり期待はできないだろう。
「さて、そろそろ出発できるか?」
そう言って見渡すと全員準備の方は良さそうだったので、愛しき我が家を後にして出発した。ゲンブくんにある程度の荷物を持ってもらってはいるが、それでも俺も結構な量の物資を背負う羽目になった。その重さが長旅になることを予感させる。
とりあえずの目標はここから北にあるアレアという村だ。荷物は重いがそれでも一日もあれば着くはずだ。野営はできるだけ避けたいところだからな。
「この辺りは魔物とかはいないんですか?」
よほど慎重になっているのかひょこひょこ歩きながらリアが聞いてくる。
「いるにはいる。街の近くではほとんど見ないな」
「大丈夫なんですか…?」
「アヌビスくんとベヒモスちゃんがいる限りは雑魚は寄ってこないだろう」
シルバーウルフは集団で狩りを行う野生の中でも恐れられる種だ。加えて体は小さくてもドラゴンもいる。それに近寄ろうとはあまり思わないだろう。そんな信頼を込めた俺の言葉にアヌビスくんとベヒモスちゃんも心なしか誇らしげに見える。
「それに命知らずな魔物が来たとしてもこの俺が撃退してやるさ」
「そんなにテツジンさん自身が強そうには見えないんですが…」
失礼な奴め。しかしあまり否定できないのも事実である。単純な戦闘力で言うと村人くらいのものだろう。だが人間の戦いというものは腕力だけで決まるものではない。俺には強力な武器がある。
「まあ、見ておけ。これでも女神様から魔王を倒す任務を帯びた勇者だ」
倒すつもりは全くないがな。
「そうだよ! テツジンさんは昔街の側にいた盗賊団を全滅させたこともあったんだよ!」
無邪気にベヒモスちゃんが言うが少し物騒な物言いだな。
「え? どうやってですか?」
興味津々のようだ。よっぽど俺のことが研究馬鹿のモヤシ野郎に見えるらしい。素直なのはいいことだがいつか仇になるんじゃないかと不安だ。
「まあ、いずれ見せてやるさ」
ケスタの街を通り過ぎ、そのまま北へ上ると低い山の間を通る様に道が続いていく。アレアの村はその道の先の山間にある小さな村で、俺たちが目指す港町のセルノアへの通り道として多くの旅人や商人が訪れる村だ。ケスタからアレアまでの道のりはそれほど急な道でもなく、旅慣れない者でも悠々と進めることだろう。
しかしその途中でリアの歩行速度が見る見るうちに落ちていることに気付く。
「どうした? 遅れてるぞ?」
「な、なんでもないです!」
改めて顔を見ると青白い顔をしている上に汗でぐっしょりだ。
「疲れたか? それとも足でも挫いたか?」
さっきからこけそうにはなるがなんとかキャリーが支えるということを何回か繰り返しているが、怪我をしたというような様子は見えなかったし、まだ街を通り過ぎてからそれほど時間は経っていない。合間に休憩は挟んでいるし、リアには何も荷物を持たせていない。
「大丈夫です! 綺麗な山並みだからちょっと見とれちゃっただけです! すいません、ちゃんと歩きますね!」
そう言って再び勇み足で歩き出して俺を追い越して行く。だが俺にはその歩き方が気になった。
「おい」
呼びかけてリアの手をとる。
「座れ」
「…はい」
言うとおりにリアはその場に座り込んだ。俺は何も言わずにリアの足を引っ張り靴を脱がせてみた。するとそこには痛々しい靴擦れを起こした傷跡があった。
「変な歩き方をするからだ」
「すいません… これ以上ご迷惑をおかけしたくなかったので…」
靴も急ごしらえの品だったので足に合わなかったのだろう。それも自分ではわからないのだ。何せ人の体については初心者だからな、こいつは。
「お前の体に何かあったら俺が困るんだ。お前も急いでいる気持ちはわかるがそれは理解してくれ」
「はい…」
「テツジン、少し休んでいこう。歩くペースも少し落としてあげよう」
ハリーさんの提案に俺も賛同する。適当な木陰を見つけてアイリをキャリーが体ごと運んでいく。俺は靴を両方脱がせると、傷跡に消毒液をかけた。
「痛っ!」
「我慢するんだ。傷を治すのに必要な措置なんだ。俺には回復魔法なんて使えないからな」
こんなことなら女神から魔法のノウハウももらっておくんだった。
「テツジンさん、僕周りを警戒しておきます!」
「私も!」
「ああ、よろしく頼む」
そう言ってアヌビスくんは走り出し、ベヒモスちゃんは飛び去っていった。
傷口を丁寧に拭ってから特製の傷薬を塗り込んで丁寧に包帯を巻いておく。
「すいません… 体に傷を付けちゃって…」
「ん? それを気にしてたのか?」
「だって… テツジンさんがずっと言ってたじゃないですか… 『大事な体だから傷付けるな』って…」
ああ、そうだったな。それでずっと我慢して隠そうとしてたんだろうな。
「人間生きてりゃこれくらいの傷はつくだろうよ。気にしてない。それよりもちょっと立ってみろ」
「はい。あ、随分楽になりました! これでまだ歩けますよ!」
そう言って元気な振りをしてぴょんぴょん飛び跳ねるリアの尻を俺はおもむろに撫でた。
「ひゃあっ! 何するんですか!」
「罰則を増やす。これから今回の様に無茶をしやがったらまた尻だ」
「そんなぁ…」
「無茶しなきゃいいんだ。ドジやらないようにするよりかは楽なはずだ。それよりまだ痛むだろ、もうちょっと座ってろ。アヌビスくん達が返ってくるまで休憩だ」
「はい…」
また萎らしくなって座り込んだ。
「テツジンさん、ありがとうございます!」
足に巻かれた包帯を撫でながら満面の笑みでそう言うアイリは、俺の心をどきっとさせるには十分で思わず顔を背けてしまう。それもこれもその顔が悪いんだ、俺が作り出したホムンクルスの顔の作りの造形が美しすぎるからだ、そう自分に言い聞かせて平静を取り戻す。
「あなたも随分入れ込んでるみたいだけど」
本を読みながらキャリーが呆れたような言い方をする。
「冗談じゃない。できれば新品のまま取り戻したいだけだ」
そう言うと彼女は何も言わずにまた読書に戻った。
アヌビスくんが戻って来てしばらくしてベヒモスちゃんも帰ってくる頃にはリアの顔色もよくなって、俺たちは再び歩き始めた。歩みは今までよりも随分ゆっくりとなった。俺は様子を伺うためにちょくちょくリアの顔を覗き込んだが、その時他の皆も同じように彼女の様子を見ていることに気付いた。キャリーだけじゃない、アヌビスくんも、ベヒモスちゃんも、ゲンブくんも、きっとハリーさんも思いのほかこいつのことを気に入ってしまっているのだろう。リアも素直に皆に甘えることができるようになってきたようで、彼女の口から休憩したい、と言い出すようになった。