愛想無しの雇用関係
丁度小高い丘の上にある俺の研究所兼自宅から街へは数キロの道のりだ。俺はハリーさんを抱えながら街へ向かう。坂を下りながらリアは何度も転びかけてよろめく。
「こけるなよ?」
「は、はい」
見てるこっちが冷や冷やする。まだ体に慣れていないのか、それとも単にそういう性質なのかはわからない。うっかりで海を渡ってしまうような奴だからドジであることは明白だろうが。
「もっと歩きやすい道を行って上げたらどうだ?」
「街まで行く一番平坦な道です、ハリーさん」
そう、何もないところでよろめくのだ、こいつは。
「す、すいません。ちょっと動かしづらくて」
「すごいフィット感なんじゃなかったのか」
「そ、それとこれはまた別でして…ってわあっ!」
よろよろ歩くリアがついに普通なら何でもないような小石につまづいた。俺はとっさに右手を出して彼女の腕を掴んだ。
「おい、気を付けろ!」
「す、すいません!ありがとうございます…」
突然のことで少し放心している。全く危ないところだった。こいつのことだから坂道の下まで転がっていっただろう。
「痛い痛い! ハリーさん針が痛い痛い!」
咄嗟に手を出してしまったために片手で抱えたハリーさんが俺の胸に飛び込んでしまっていた。普通ならこういう場面でボーイミーツガール的なドキドキとかがあったりするんじゃないか。何とも恰好がつかない。俺はリアを掴んでいた手を離してもう一度ハリーさんを抱え直した。
「ご、ごめんなさい! 大丈夫ですか?」
「痛え…」
「テツジン、やはりまだ外に出すのは早かったんじゃないのか?」
そそうは言っても明日には出発しようと思ってたところなんだが。
「そんなことないです! 今のは油断しただけです! 次こそは!」
随分気合を見せてはいるがやろうとしているのは単に転ばずに歩くということだけなのだ。
「いや、ダメだ。このままじゃ俺が穴だらけになるかアイリの体が傷物になるかだ」
それだけは避けたい。
「この手は使いたくなかったが…」
俺はそう言うとまたポケットから笛を出して強く吹いた。甲羅のマークが刻まれたそれは彼の可聴域に合わせて調整したゲンブくん専用の呼び笛だ。店への届け物も終わっただろう。そんなときは大体彼は家の近くをうろついてくれている。
予想通り一分もしないうちにゲンブくんがまた地響きとともにやってくる。
「お呼びでしょうか?」
「悪いね、ゲンブくん。ちょっとこいつを乗せて街まで付いて来てくれないか?」
俺がリアを指差すとゲンブくんも長い首をしならせてそちらを見る。
「お安い御用でございます」
いつも運んでる荷物に比べると軽いものだろう。俺は着ていたコートを脱いでゲンブくんの甲羅の上に敷いた。
「さあ、乗れ。ゲンブくんの背中の乗り心地は中々のものだぞ」
「えっと… いいんですか?ゲンブ、さん?」
「どうぞ、ご遠慮なさらずに」
そうやってまた頭をぺこりとさせる。
「では… 失礼します!」
意を決したかのようにリアがゲンブくんの甲羅に乗った。乗ったはいいがバランスをとれずに甲羅の上で右往左往する。どんだけ運動神経悪いんだ。
俺は受け止めるようにリアの体を支えてその手をゲンブくんの頭の上の縁に持って行く。
「そこをしっかり握れ」
しがみつくように前傾になりながら言われた場所を握るリア。少々不恰好だが大丈夫だろう。
「よし、ゆっくり歩いてやれ」
ゲンブくんが一歩一歩確かめるよう足取りで進み始める。始めは甲羅にへばり付いていたリアは段々と要領を得てきたのか、少しづつ体を起こして行った。
「た、楽しいです!これ!」
無邪気にはしゃぐ。本当ならこんな風に甘やかしたくはなかったが、アイリの体のためなら仕方ない。
「これなら安全ですね~! ありがとうございます、ゲンブさん! あと、テツジンさん!」
ニコリと笑うその笑顔が眩しい。だが中身が違うんだ。いい加減慣れろ、俺。
「今回だけだからな、早く歩くのに慣れろ」
「は、は~い…」
しばらく歩くとリアにも大分余裕が生まれてきたようで、そのままゲンブくんとおしゃべりに興じ始めた。温厚で誠実な彼は初対面の人間や他の動物とでも気さくに話ができる。飼い主とは大違いだな。
「ところでゲンブさんって変わった名前ですね~、テツジンさんが付けたんですか?」
「ああ、俺がいた世界のある国の神様の名前だ」
そういうと心なしかゲンブくんも誇らしげな様子だ。
「お~、なんだかかっこいいですね! ハリーさんもですか?」
思わず沈黙してしまう。
「こいつの世界で『針』という意味らしい」
ハリーさんが沈黙を破ってズバリ答える。
「へ~… それはまた…」
「全く、名前というものはそんな安直に決めるものではないんだぞ」
「わかってるさ… だけど苦手なんだよ、名前考えるの。それにハリーさんに怒られてからはちゃんとした名前付けてるだろ」
アイリの名前も相当苦心したものだ。だけどその名前だけは何かから頂くことなく自分で考えた。最終的にはアヌビスくんのチョイスだったが。
その後もハリーさんにクドクドと文句を言われながら街まで歩いた。俺にとってはいつもの倍近く時間がかかったような気がした。
一時間も歩くと街並みが見え始める。俺が店を構えるケスタの街だ。ケスタはランドール大陸北部の中心都市と言えるほどの規模であり、当然人も多く、交易も盛んだ。俺の作る変な薬も金持ち連中の道楽としてよく売れる。何せ治癒魔法で何でも治してくれる世の中だ。医薬品が売れるはずも無い。
街に着いたところでリアをゲンブくんから下ろす。舗装された街の道路ならそうそう転がることもなさそうだし、亀に乗った美女は街中では目立ちすぎる。ゲンブくん自体は住人に存在を認められているが、見たこともない女がそれに乗っているときっと質問攻めに合うだろう。それは果てしなく面倒で避けたい事態だ。
「あまりはしゃぐなよ?」
「は、はい…」
日もまだ高く、人通りもかなり多い。その割にはあまり萎縮した様子や驚く素振りも見せない。意外と肝が据わっているのだろうか。それどころかワクワクしているようにも見える。
「人がいっぱいですね! ど、どうしたらいいですか!?」
「頼むから何もしないでくれ。とりあえずこっちだ、ついて来い」
表通りは行かずに静かな裏通りを行く。喧噪を避ける意味合いもあるが目的とする俺の店自体が街はずれにある。それに何より若干興奮気味の森の精霊様が何をしでかすかわからないのが怖い。本人は表通りを歩けずに少し不満げだが。
街の外縁沿いに少し行くと人もまばらになり始める。街の規模が大きいだけに裏通りには乞食やごろつきもいるが、わざわざ巨大な鎧亀を連れた男を襲うこともないだろう。
「テツジンさんのお店はどの辺りにあるんですか?」
「もっと向こうだ。ここからさらに真っ直ぐ行って左に曲がると見え始める」
「な、なんでわざわざそんなところに?」
「静かでいいだろう」
「...テツジンさんって本当に人嫌いなんですね」
「別にいいだろう。人が人を好きじゃなきゃいけない決まりはない」
「単にわがままで子供なだけだと思うがね」
ハリーさんは心まで刺々しい。俺はそれ以上何を言っても面倒になると思い、押し黙って歩いた。そんな俺の不機嫌な様子を悟ったのか、ゲンブくんが俺の顔を覗き込んで来た。俺は黙って頭に手をやった。
やがて俺たちは街外れの一軒家にたどり着いた。外観は特に変わったところはなく、「薬屋」の看板が下げられているだけだ。
ゲンブくんは外で待ってもらうことにして俺は特に何も言わずにドアを開けて中に入った。特に広い家ではないので入ってすぐにカウンターがあり、その後ろには俺の作った薬がポツポツと置かれている。そして一人の女性が椅子に腰掛けている。だらりと伸ばした無造作な髪が暗い印象を与える。こちらに目をやることもなく手に持った書物を読みふけっているようだ。
「よお、キャリー」
「どうも」
手を挙げて挨拶する俺にたいして一瞬本から顔を上げて一言言うとすぐに戻した。いつものことなので特に気にはしない。
続いてリアがキャリーに向かって挨拶しようと前へ出た瞬間、ドアがバタンと閉まる音がした。どうやらリアが入った際に閉め忘れていたようだ。
「寒い」
不機嫌な一言でリアが困惑する。そのまま訝し気に周りを見渡し、ウロウロし始めた。
「キャリー、ちょっといいか?」
そう言うとやっと本から目を離してこっちを見た。
「その子が例の子ね… よくわかった… もういい?」
早く本を読む作業に戻りたいのがよくわかる。
「わっ!」
店の中を興味深そうに見て回っていたリアが何に躓くこともなく突然こけた。そのまま棚の商品たちに突っ込んで大惨事と思いきや、体を斜めに保ったままの姿勢で静止した。
「な、なんですか、これ!」
リアが自身の力で止まったわけではないらしい。となると彼女の仕業だろう。俺は知っていたのでさして驚きはしなかったが、リアは驚きを隠せない。
「危ない」
ぶっきらぼうだが彼女が救ってくれたことに違いない。彼女からすればアイリの体を気遣うというよりも後々の掃除の手間を考えてのことだろうが。
「ああ、言ってなかったな。キャリーは俗にいう超能力者ってやつでな」




