真夜中の行水日和
リアが召喚した強烈な香りの草を俺は束にして持ち歩くことにした。空を飛ぶアレがいつやってくるかわからないし、あのドジ精霊娘が次はその魔法をしくじらない可能性がないわけがないからだ。そのせいで道中は芳香とともに進むことになり、リア以外の全員がマスクを装着することになった。特に被害を被ったのはアヌビスくんだろう。
「鼻が使い物になりません…」
「すまない、アヌビスくん。だがわかってくれたまえよ。これがなければ俺はこの道を大手を振って歩くことができないんだ」
草の束を後生大事に抱きしめる俺の姿はさぞかし奇異なものだろう。
アレの襲来から一日ほど歩いたところで、『水面の蛇』の第一チェックポイントとも言える小さな集落にたどり着く。ここにたどり着くために少し無理をして歩いたために陽はもうすっかり暮れてしまい、くたくただ。だが今日は屋根のあるところでアレに怯えることもなく寝ることができる。
集落に入ってまず目に入るのは、2メートルほどの大きさを持つ石造りの人形だ。
「あ、あれ何ですか?」
ふらふらとリアが近づくと、人形はずずっと音を立てて動き出して近寄って来たものの方を向いた。
「動いた!」
「魔導人形だ。危害を加えなければ攻撃はしてこない」
山間に作られたこの小さな集落には数体のゴーレムが配置されている。魔物の巣がしばしば発見されるこの地域において必須とも言えるものである。
「すごい… 見た目はただの岩の人形なのに…」
「中にソウルチップが組み込まれている。お前が壊したアレな」
多少の悪意が含まれている。結局今回の賭けで代金は後払いということになってしまったし、そもそもがべらぼうに高いものなのだ。嫌味を言われてリアは気まずそうな顔をする。
「こ、この集落を守ってるんですよね! すごいな~、かっこいいな~」
とりあえず話を逸らしてみることにしたようだ。こいつの願いを聞いた後は延滞分も含めてきっちり搾り取ってやるからな。
「誰が作ったんでしょうね? ここの住民の方でしょうか?」
「噂によると大分昔にふらっと立ち寄った錬金術師が無償で作っていったそうだ。物好きな奴もいたもんだ」
しかもこの集落だけでなく『水面の蛇』に点在する集落全部に作っていったようで、そのおかげでこの『蛇』は旅人が通れる比較的安全な道として重宝されている。
「素晴らしいです! 世のため人のためにその知識と技術を振るう錬金術師さん、立派な方なんでしょうね…」
同じ錬金術師でも大違いだ、と暗に嫌味を言われているのかと思ったが、こいつにそんなことを言う度胸もないだろう。
「アホらしい。さて、さっさと宿をとるぞ。今日は安心して眠れる」
宿に着いて扉を開けた瞬間、主人らしき男が強烈に顔をしかめた。
「あんたら、何の匂いだ、これは!」
道中で草はもう捨ててきたのだが体に染みついた匂いは取れなかったようだ。
「すまない、コウモリ避けのためにね」
「コウモリどころか虫一匹だってその匂いには近づかないだろうな。色んな旅人を迎えてきたが、こんなに異様な匂いを振りまくのは初めてだ! なんとかその匂いを取ってから入ってもらえないかね? 部屋がダメになっちまう」
そう言われては従うしかない。他にも宿はあるにはあるだろうが、そこでも同じことを言われるのが落ちだろう。
「仕方ない。服と体を洗おう。ご主人、金は払う。湯を用意してくれないか」
「ああ、わかったよ… すぐ用意させるから店の裏手で待っていてくれないか…」
そう主人に鼻をつまみながら言われて、俺たちは宿に入れず裏手で待つことになった。しばらくすると主人が女房らしき人と大きめの桶に湯を張って持って来てくれた。
「そこに小屋があるだろう、女性はそこを使うといい。あんたは… 外で我慢してくれ。井戸もそこにある」
まあ、そうなるだろうな。再び主人たちは店の方へ引っ込んで行った。女房もこの匂いには耐えれないといった様子だった。
「キャリー、こいつを洗ってやってくれ」
頷いてキャリーはひょいっと湯の入った桶を手を触れずに持ち上げてリアと小屋に入って行った。
俺も早速服を脱いでアヌビスくんを洗い始めた。旅に出る前も定期的に彼を洗ってはいた。彼の毛並みの美しさを保ちたかったからだ。彼自身は水浴びがあまり好きではなかったのでそれほどしょっちゅうというわけにはいかなかったが、今回は匂いをとるという名目もあるのでいい機会だ。石鹸などという高級な物は持ち合わせていないので水洗いとなる。
続いてはゲンブくんだ。といっても甲羅を磨き上げるだけだ。そういえば最近は少しさぼり気味だったな。彼のしっかりした甲羅にはいくつもの傷が刻み込まれている。まるで歴戦の勇者だ。
ベヒモスちゃんは勝手に水でばしゃばしゃと遊んでいる。そこをとっ捕まえて体を洗う。じゃれているような形になりかぎ爪が地肌に当たって痛い。
動物たちをあらかた洗い終わると、キャリーとリアが服を着替えてこちらへ来た。
「匂いのついた服は各自洗う。それがルールだ」
「そんなルールあったの?」
「今決めた」
キャリーがそれに対して何も言わずに井戸水で服を洗い始める。リアは困惑気味だ。
「どうしたらいいんでしょう?」
「俺がやるから見てろ」
真剣な眼差しで見つめられるがそんな大したことでもないだろう。
「こんな感じでやればいい」
「は、はい」
何をそんな緊張することがあるのだろうか。だが場合によっては俺の奴隷ともなるべき女だ。家事の一つくらい真剣に学んでおいて損はないだろう。
「おい、そんなに力を入れるな。服が傷む」
「す、すいません!」
俺はリアの服を手に取ってまじまじと痛んでいないか見た。その真似をするかのようにリアが俺の洗っていた服を手に取った。
「同じような服でも全然質感が違うものなんですね」
「当たり前だ。お前の着てるのは高級品だからな」
「いいんですか? そんなにいいもの、私が着ちゃって… アイリさんに着せるためのもの、ですよね? 中身、違っちゃってますけど」
「せっかく買ったものだからな。タンスの肥やしにしとくには勿体ない。似合うと思って買ったものだし、早く着せたかったというのもあるな」
「そうですか…」
リアが俺が持っている自分の服を、その手触りを確かめるかのように優しく撫でた。
「こんな私にこんなにいいものを着させて頂いて、感謝しています」
にこりと微笑んだ。とにかくこいつはいつも不意打ちで突拍子もないことを言い出す。俺も調子が狂う。
「別に、お前のためじゃない。自分がそうしたいからそうしてるだけだ。それに…」
今はお前が着てくれて嬉しいと思ってる、何故か頭に浮かんできたその言葉は胸にしまい込んでおくことにした。自分もこいつも余計に混乱してしまいそうだ。
「なんですか?」
自分が生んだ沈黙がリアにとっては興味をそそるものとなってしまったことを後悔している。
「ああ、もう、とりあえず今着てるやつもいいものだから大切に着ろってことだよ!」
一通り体も服も洗い終わると、主人も納得してくれるほどには匂いも取れ、俺たちは宿に入ることができた。主人には多めに金を出して、全員が中に入れたのは幸運だった。ただし、部屋が一杯だったために俺たちは全員同じ部屋で寝ることになった。




