取り扱い注意の精霊女
アヌビスくんが小器用に口と前足を使ってお茶を入れてくれる。だが運ぶのは流石に心もとないので俺がテーブルまで持っていく。妙な不純物を含んでしまった俺の愛しのアイリは緊張した面持ちで椅子に座っている。
「よーし、それじゃあ話を聞いてやろう」
俺は熱いお茶を一口すすると、こいつの話に耳を傾けるように前のめりになった。
「はい… まず、私の名前はリアと申します。私はとある森に住む精霊なんです」
精霊か。まあ、人の体に勝手に入り込む輩なんて死霊と変わらんがな。
「どこの森だ?」
「群青の森と人々には呼ばれています」
「ライゴアの近くか!? 海を越えた先の!? お前どれだけ彷徨ってたんだ!」
俺が住む場所はランドール大陸の北部の街はずれで、ここからずっと北に向かってさらに海を越えたところにあるメッシブ大陸の中央にライゴアと呼ばれる都市がある。そこに古来からずっと人の手がつかない深い森があり、少し青みがかった広葉樹が広く生息していることから群青の森と呼ばれていることは知っていた。
「えっと… 私森から出たことなんてなくて… よくわからないうちにこのあたりまで…」
「海渡ってるときに気付けよ… まあいい。それで?」
「はい、その森には守り神がいらっしゃるんです。私たちは『緑樹の主』と呼んでいます。その方が突然苦しみ始めたのです… 原因はわかりませんが、そのせいで森は荒れ果ててしまい、木や草が枯れ、動物たちも住めなくなってしまって…」
俯いてすすり泣き始めた。可愛らしい顔をくしゃくしゃにしながら大粒の涙を落としている。ああ、アイリにこんな顔をさせたくはなかったのだが。
「それで私たち精霊が主様のお願いで人に助けを求めに来たのです! お願いです! 主様と私たちの森をどうか救って下さい…」
うるうるとした瞳で懇願され思わず心動かされてしまいそうになる。
「やだね」
だがきっぱりと断る。リアの顔が悲壮感で満ちる。チクリと俺の心が罪悪感で痛む。
「俺はそんな暇じゃないんだ。一刻も早く俺のホムンクルスから悪霊を抽出する方法を探さなくちゃいけないんでな」
「そ、そんな! そもそもなんでそんなもの作ろうとしてるんですか!」
「理想の嫁を手に入れるために決まっているだろう! わかったらさっさとその体から出るためにちょっとは努力してみたらどうだ! 代わりの死体ならいくらでも墓場から持ってきてやる!」
「そんなこと言ったってできないものはできないんですよ! 言ったじゃないですか、すっごいフィット感なんですよ!」
「お前の主観なんぞ知ったことではないわ! アヌビスくん、やっぱり除霊師呼ぼう…」
項垂れる俺の手をアヌビスくんは優しくなめてくれる。
「そもそも何でわざわざ人里離れた俺の家に来て、俺のホムンクルスに憑りついた?」
「えっと… できるだけ新鮮な死体を探してて… そうしたらすごく状態のいいものが見つかったので…」
そんな下らん理由で…
「ん、お前は死体にしか入れないんだろう? 一応彼女の体には魂のようなものが入っていたはずだが…」
ソウルチップだ。起動こそしてはいなかったが、そこに確かに俺が作り出した彼女の人格が入っていたはずだ。弱々しくはあるが魔道結晶とは半分魂のようなものであるので、人でいうところの眠りに近い状態のはずなのだが。
「あ、ああ~、そう言えば入るときに狭かったんでちょっと押しのけたような… そしたら何か割れるような感触があったような…」
とぼけたような言い方をしているが確信があるのだろう。
「お前! ソウルチップを割ったのか! やっぱり無理矢理入ってんじゃねーか!」
思わず握りこぶしに力が入ってぶん殴りたくなってしまう。そんな俺の様子を見てアヌビスくんは必死でなだめる。
「だ、駄目ですよ、テツジン様! 殴っちゃ駄目ですからね!」
そうだ、大事なアイリの肉体を傷つけるわけにはいかん。ああ、ホムンクルスの肉体に合わせて精巧に作ったソウルチップがこの悪霊に叩き割られたのだ。肉体よりも金と時間がかかっていると言っても過言ではないだろう。ぎりぎりと歯を食いしばってなんとか耐える。その様子を見て怯えたような顔を見せていたリアが突然何かを閃いたようだ。
「こ、この体はとってもとっても大事なものなんですよね?」
「そ、そうだ。だから馬鹿な真似はするなよ?」
思わずうろたえてしまう。それはそうだ、その肉体一つにいくらかかってると思っている。
「だ、だったら交換条件です! 大人しくこの体を返してほしかったら主様を救って下さい! も、もし来てくれないなら、もう、色々この体傷つけちゃいますから!」
人のことを脅せるような胆力は持っていないのだろう。声は震えてうまく喋れていない。だがそれに勝るほどに森を救いたいという決意があるのだろう。理由はどうあれ、人を脅迫するとは…やはり悪霊ではないか。
「こいつ…!」
悔しいことに何も言い返せない。だがこのままやり込められてしまうのは癪だ。ちょっと油断させて麻酔でも打ち込んで眠らせてやろうかと思ったその時だ。
「騒がしいな!誰か来ているのか!」
上の階から野太い声が聞こえてきた。ハリーさんだ。随分ぐっすり眠っていたものだから起こさなかったのだが、思いのほかリアの声が大きかったようだ。
「だ、誰かいるんですか?」
「丁度いい、連れて来よう」
少し冷静になりたかった俺は間を置くためにハリーさんを連れてくることにした。戻って来た俺の手に抱えられていたのはサボテンの鉢植え。リアは何事かと困惑している様子だ。
「ハリーさんだ。挨拶しろ」
「え? は? ど、どういうことですか?」
「狼が喋るんだ。サボテンが喋れない道理はないだろう。」
俺はハリーさんをとりあえず机の上に置く。リアは信じられないといった表情だ。
「驚かせてしまったようで申し訳ない。千年サボテンのハリーです」
「あ、どうも、リアです」
「どうやら完成したようだな。テツジンの人形遊びが」
ハリーさんの皮肉がチクリと刺さる。元々彼は俺の研究に反対の姿勢だった。
「ハリーさん、残念ながらそいつは中身が違うんだ」
俺は事の経緯を説明する。
「だから言ったろう? 生命を作るなんて暴挙をすれば罰が当たるんだよ」
表情はないが呆れた様子が伝わる。
「リアさんだったか、どうかこいつを許してやってほしい。この馬鹿者は極度の人間嫌いのひねくれ者でね」
ハリーさんは千年サボテンと呼ばれる長命種であり、俺が気まぐれに砂漠に観光に行った際に拾って来たものだ。俺よりもずっと年上のせいか、頭が上がらない。本人曰く百はとうに生きたらしい。元々一人の寂しさを紛らわすためにソウルチップを埋め込んだのだが、こうも口うるさい性格だとは思っていなかった。
「テツジン、この子の森に行ってあげなさい。主とやらを救えるのはきっとお前しかいない。たまには誰かのために動いてみるというのもいいものだ」
「いくらハリーさんと言えどそれは引き受けられないな。俺に何のメリットもない。こいつに従ってもその体からそいつを引っぺがせない限りは肉体が戻ってくる保証もないしな!」
さっきは思わず脅迫に屈しそうになったが冷静に考えればそうだ。リアの顔から焦りが見える。脅迫がうまくいくと思っていただろうからな。タダ働きもいやだがこの悪霊の言いなりになるのはもっと気に食わない。
「…わ、わかりました」
リアが深く息を吸って吐く。何かを覚悟したような、嫌な予感がする。
「緑樹の主様ならばもしかすると私をこの体から解放することができるかもしれません。何といっても森を一つ預かる神様ですから。その時は大人しくこの体は返します。でも、もし主様でもそれができなかったときは…」
何を言い出そうとしているのか、必死で言葉を絞り出そうとしているようだ。うつむき加減のリアから表情は伺えない。
「そ、その時は! わ、私があなたの理想の嫁になります!」
場にいる全員の頭にエクスクラメーションマーク。引き換えにリアは吹っ切れたように言葉がポンポン出てくるようだ。
「外見は完璧なんですよね!? だったら後はあなたに尽くせばいいんでしょう! や、やりますよ! やってみせますよ、何でも! あなたの望むように!」
こいつは自分で何を言ってるのか理解しているのか。顔が真っ赤なのを見ると理解できてはいるようだ。取り繕って得意げな顔を見せてはいるが、虚勢なのは丸わかりだ。
「お前にアイリの代わりが務まるわけが…」
言いかけて黙る。確かにこいつがいくら努力しようとも限界というものがある。本当に俺の望むアイリにはなれっこないだろう。だが他に選択肢がないのも確かだ。それにもし主様とやらがこいつを体から引き離すことができればそれで万事解決、それができなくても、アイリの代わりにはならないが好きにできる奴隷が一人できるのというのも面白い。もう一度作り直すまでの慰みにはなることだろう。
「ふふふふ… いいだろう、その提案乗ったぞ」
リアはハッとした表情でこちらを見ている。半ば信じられないといった様子だ。いや、お前が言い出したんだろうが。
「だが、一つ条件がある。お前はソウルチップを壊した。その体に入っていたホムンクルスの人格形成に関わる非常に高価なものでな。その体が戻って来ようと来まいと、それの弁償はしてもらわんとな」
俺は立ち上がって一歩一歩リアに向かって近づく。
「それは報酬の前払いということで今頂こう」
目をまん丸にしてこちらを見ている。何が言いたいかわかっていないようだ。
「で、ですが今の私は何も持っていませんので…」
「だから体で払ってもらうってことだよ!」
「きゃあ!」
手を突き出して拒否の意思を示すリア。俺は押し倒すべくその手を掴みに行った。
「ぐへ!」
その瞬間俺の全身はピクリとも動かず、それだけでなく強烈な圧迫感が襲う。首元にまでその締め付けは及んでおり、呼吸ができずに顔が真っ赤に染まっていくのが自分でもわかる。
「き、貴様…」
声を振り絞って恨みつらみを端的に述べてみる。僅かに動く視線から判断するに、地面から伸びてきた蔦のようなものが俺の全身を覆っているのがわかる。誰の仕業かは言うまでもないだろう。
「ご、ごめんなさい…でもそれは、あ、後払いでお願いします!」
頭を下げて謝辞を述べてはいるが俺の体の締め付けは一向に緩むことはない。
「リアさん!締まってます、まだ締まってます!テツジンさん、死んじゃいます!」
アヌビスくんの必死の主張。ありがとう、呼吸困難で何も喋れない俺の正に言いたいことだ。
「あ、すいません!」
やっとのことで締め付けはなくなった。存分に空気を吸い込む。頭がクラクラする。
「こ、殺す気かお前…」
「いえ、そんなつもりじゃなかったんですけど… 身の危険を感じるとつい出ちゃうみたいで…」
流石は森の精霊様、こういった魔法はお手の物というわけだ。だが俺にとっては…
「この… 悪霊が…」