南へ
静まり返った校舎。
灯りの一つさえないそこは、不気味な雰囲気を放っていた。
「ここは学校、ですよね。竜四朗さんも通っていたんですか?」
「十年くらい前のことだ。あんまりよく覚えちゃいない。
ただ、こういう夜の校舎にはよく『出る』って噂があったからな。ちょっと、怖いかな」
まあ、現実にゾンビがいるような世界で幽霊だのなんだのが出てどこが不思議なんだ、という話ではあるが。何が『出る』のか考えるルカを放って俺は進んで行く。
「どうしてオークの領地の近くに拠点を築いたのでしょうか……」
「近いってことはオークの動向を観察することも出来るってことだ。
それに、まかり間違ってばれる危険性がそれほどないと判断したんだろう。
メシもなさそうだしな」
つい最近まで閉め切られていてし、彼らにとってあまり『美味しい』場所ではなかったのだろう。レジスタンスにとっては美味しい物件だったのだろうが。
「あの爆発を察知して、オークがこちらに来るかもしれない。うかうかしてられないな」
「オークは大雑把ですからね。もしかしたら気が付かないかも……」
「そうであって欲しいもんだな。さて、どこを調べたものか……」
とはいえ、虱潰しに探して行くしかない。隠れることを考えれば、上階は使っていないだろう。壁に隠された一階部分の方が都合がいい。だが、上から見張りながら作戦を立てていた可能性もある。どちらにしろ、まだゾンビがいる中下の階を探すのは得策ではない。俺たちは三階部分から調べることにした。
コツン、コツンと足音が響く。ライトの光を向けると、子供たちが作ったのであろう工作物や絵がそのままになって放置されているのが見えた。原色をぶちまけられたモチーフの分からない絵、過度に装飾を施された物体。自分もこんなものを作っただろうか?
三階、図書館の扉を開く。世界が終わる前も、あまり人が立ち入っていなかったのだろう。プン、と古い本特有の匂いが鼻を突いた。あまり嫌いではない。
「グラウンドを埋め尽くすくらい、ゾンビがいるな。脱出するのは無理だぞ……」
一応、緊急避難シューターの場所は確認する。だが今あれを使えばゾンビの群れの中に突っ込んでくことになる。アテになるものがないのを確認し、俺たちは部屋を後にした。
「本当にレジスタンスはこんなところを根城にしていたんでしょうか?」
「さてな。隅から隅まで調べてみて、それからでも遅くはないだろう」
ルカの言葉には少しだけ苛立たし気な色が滲んでいた。気持ちはわかるが、しかしキレたいのは俺の方だ。レジスタンスと関わり合いになるとロクなことがない。
三階に配置された上級生の教室を一つ一つ見て回り、何もないことに落胆する。これを何度か続けて、俺たちは三階の最奥部に辿り着いた。小脇には渡り廊下があったので、逆の棟に入るのもいいかもしれない。そう考えて俺は表札のつけられていない扉を開けた。
そこで、俺たちは当たりを引いた。
ただの教室でないことは明白だった。
「これは、まさかな……本当に当たっているとは」
思わず驚嘆の声を挙げてしまったが、それはルカに聞かれなかったようだ。
どこからか持ち込まれたホワイトボード。そこには関東一円の地図やオーク、それから帝国の人間と思しきものたちの写真が貼られていた。隠し撮りだろう、ピントははっきりしていないが何となく美男美女が映っているのであろうことは分かる。
「レジスタンスの方々はここにいたんですね。でも、いったいどこに……」
「少なくとも、自分の意志でここから離れて行ったんじゃなさそうだな」
室内にはコンテナボックスが置き去りになっており、そこに入れられた武器弾薬も手付かずのままだ。何らかの事情、オークに拠点を突き止められそうになり離れたのだろう。まだこれが無事でいるということは、杞憂で終わったのだろうが。
それにしても、かなりの量だ。拳銃マシンガンショットガン、手榴弾にプラスチック爆弾。まさしく戦争でもするつもり、といった感じの装備だ。別のところに保管しているのかもしれないが。取り敢えず、口径の合うものをいくつか見繕っておこう。
「ここにいたレジスタンスの方々は、どこに行ったのでしょう?」
「多分地図に印がつけられているはずだ。なければ他のところを探そう」
ちょうど9ミリのサブマシンガンがあった。折り畳み式のストックが付き、銃身の上部はダットサイトも付いている。かなり使い出がありそうだ。
「それじゃあ、ここですかね。靴の真ん中ぐらいに印がついてますよ」
予備の拳銃を調達したところで、ルカが言った。靴というのは半島のことだろう。真ん中ということは、あの辺りか。辺りをつけて確認すると、まさにドンピシャだった。
「歩いて行くとなると、かなり骨の折れる距離だな。ったく……」
どうやってレジスタンスはこの距離を移動した?
俺たちのように、彼らは身軽ではなかったはずだ。最低限の武器も持って行かなければならないだろう。これだけの武装を持って旅をするのにも苦労しているのに、いったい……
「……ん、これは……車のキー、か?」
合点がいった。何らかの車両を彼らは保有していたのだろう。それを使って人員、物資の輸送を行っていた、と考えるのが妥当だ。問題は何を使っていたかだが……
「次の目的地が分かりましたね、竜四朗さん。さ、ここにはもう用は……」
「いや、落ち着いてよルカ。外はゾンビがたくさん、しかも夜だ。出るのは自殺行為だ」
周囲を探してみると、ここが教室だった頃の名残も残っている。凧糸、石膏像、チョーク……これだけあれば、色々とやれることがあるかもしれない。
「取り敢えず、今日はここで休もう。車を探すのだって明日の朝でいいさ」
「……分かりました。仕方ないですけど、ここで……」
ルカの表情には疲労の色が見て取れる。
何か手がかりが得られると思ってきて、死ぬ思いをしたのだから当たり前だろう。だが焦燥感に囚われ行動を起こしてもいい結果は出ない。自分の命か、他人の命か。そのいずれかを失うだけだ。
「ゆっくり休んで。キット近付いているよ、キミの目指す場所には」
彼女には、まだ死んでもらっては困る。
だからその命は、俺が守らなければ。
「……おやすみなさい、竜四朗さん」
「お休み、ルカ。ああ、それから最後に言っておく」
適当な道具を持ち、バッグに必要なものを詰め込んで言った。
「今日は下に降りない方がいい」
翌日。
俺は爆音を聞いて目を覚ました。
「わひゃっ!? こ、これは……いったい何の音?」
「来るかもしれないとは思ってたけど、まさかホントに来るとはな。行こう」
俺は昨日のうちに用意しておいたバッグをルカに手渡す。
「うわっ、重い!? これ、いったい何が入っているんですか!」
「細かい内容の説明は後でするよ。それよか、さっさと脱出しないとな」
昨日のうちに仕掛けておいた手榴弾トラップが役に立ったようだ。
手榴弾のピンに凧紐を括り付け、引っ張ると外れるようにしておいただけなのだが。これに引っかかるということは知能を持たないゾンビか、あるいはよほどのアホということになる。
(さて、と。引っかかってくれたのがゾンビであればいいんだけどな)
まず俺が廊下に出る。
目の前にあった渡り廊下、その中にいた影と目が合った。
「見つけたぜ、阿呆が! 味な真似をしてくれやがってよォーッ!」
そこにいたのは、オークだった。ゾンビ避けに仕掛けた罠にはまる間抜けだったそちらが悪い、と言いたかったが、聞いてはくれないだろう。オークは棍棒を振り上げ、こちらに向かって突撃してくる。
咄嗟にサブマシンガンを構え、トリガーを引く。放たれた9ミリ弾はオークの分厚い脂肪の層を貫通することが出来なかった。体の表面にいくつも弾痕が穿たれるが、しかし致命傷を与えることは出来ない。
「ガッハッハ! 人間の作り出した武器というのは軟弱でいかんわい!」
「そうかい。だったら次はこいつを喰らいな、豚野郎!」
影に隠れろ。
そう言って俺は足で扉の近くに設置していたレバーを操作した。同時に横に跳ぶ。オークは面食らったようだが、そこから先を考えることは出来なかった。渡り廊下に仕掛けていたC4が爆発、オークごと渡り廊下を完全に破壊したからだ。
「っててて……使ったのは初めてだが、ここまで見事だとはなぁ」
爆発の衝撃を喰らい、体がバラバラになるかと思った。爆発地点にいたオークなど、語るまでもないだろう。肉片さえも残さずに彼はその場から消え去った。
「こ、こんなことが出来るなんて……も、もしかして魔法ですか?」
「優れた科学は魔法と見分けがつかない、と言うけどな。テクノロジーだよ、こいつは。
それよりもさっさと脱出しよう。シューターを設置してあるんだ」
俺は少し行ったところにある5年2組の教室に飛び込んだ。こうしている間にもそこかしこで爆音が聞こえて来る。オークに学習能力というものはないのだろうか?
下の状態を確認し、ルカを脱出用シューターに突っ込む。汚れているのはご愛敬、こんなもの訓練時でもなければ使わないからな。俺も在学中にこれを潜った覚えはない。
蜘蛛の巣の張ったシューターを滑り降り、俺たちはグラウンドに降り立った。
「でもどうやって脱出するんですか? 中にいた方がまだ……」
「爆薬はほとんど使い切っちまったし、オークには銃弾がほとんど通じない。
校内に残ってもジリ貧になるだけだ。それならさっさと脱出しちまった方がいい」
多少無茶でもな。それに、あながち勝算がないわけでもない。
俺はルカを促し、勝算の方へと向かった。すなわち、レジスタンスが使っていた四輪駆動のジープ。ガソリンが残っていることは確認済み、昨日のうちに最低限の物資の積み込みは行っておいた。クラッチとブレーキを踏み込み、エンジンキーを回す。呆気なくエンジンがかかった。
「こういうシチュエーションだとかからないのがお約束だと思うんだけどな」
「りゅ、竜四朗さん! お、オーク! オークが来ましたよッ!」
とは言っても、簡単には脱出させてくれないらしい。ならば、と俺はバッグを探り、試しに作ってみた物を投げた。オークはそれを爆弾か何かだと思ったのだろう、一瞬歩みを止めた。放物線を描いて飛んで行ったそれはアスファルトに落ち、割れた。同時に火薬が炸裂し、凄まじい勢いで煙が立ち上った。
「なんだこりゃ、目くらましかよゲボォーッ!?」
上手く決まったようだ。あれは夜のうちに作っておいた煙幕弾。
石膏ボードやチョークを削って作った粉末を瓶に詰め、更に手榴弾をバラして取り出した火薬を詰めたものだ。着地の衝撃で爆発し、辺りに粉末を撒き散らす。石灰は皮膚や眼球を傷つけるので、目くらましだけでなく敵の無力化にも一役買ってくれると思ったが、想像以上だ。
「さあ行くぜ、さっさと行くぜ。簡単だ、超簡単だ!」
ギアをローに入れてゆっくりブレーキとクラッチを離す。
アクセルをゆっくり踏み込み車体を加速させる。
「お、おっかなびっくりですね……もしかしてやったことなんですか!?」
「はぁ!? あるよ、あるに決まってんだろ! ハイスコア記録保持者だぜ!?」
ゲーセンだけど。
大丈夫、父さんに習ったんだ。失敗するはずはない!
警戒するのはエンストだけでいい。
左右確認だのなんだの、つまらないことを気にする必要もない!
この世界は最高だ。クソどもに追い回されることを除けば!
ごちゃごちゃやっているうちに、車体が加速して来た。ギアを3速に入れ、アクセルを踏み込む。煙の中に向かって。幸いにもオークを轢くことはなく、妨害を受けることもなく、そこを突破した。
スピンしかけるほど激しくハンドルを回転させ角を曲がり、門を潜り抜ける。廃車の群れを避け、人気のない道路を突き進んでく。脱出出来たのだ。
「……ハハ! やったぜ、ルカ! ざまあみろってんだ!」
「し、死ぬかと思った……」
「このまま一直線に進んで行こうぜ。こいつがあればすぐだ」
希望を乗せてジープは一直線に進んで行く。
未来へと。