サバイバルガイド:落ちているものを活用する
翌日。
陽が昇ってから俺たちは出発した。
「出来れば諦めて帰ってきてくれることを願っているよ」
「ご迷惑をおかけしました、加山さん」
精一杯の謝意を込めて、俺は頭を下げた。
加山さんはやはり、俺たちの旅立ちを歓迎してはいなかった。
それでも行かなければならない、と思う。
起伏の激しい道路を通り、俺たちは目的地へと向かった。
夏の日差しは厳しく、ジリジリと肌を焼き俺たちの体力を削っていく。
特にルカは苦し気だった。
「大丈夫か、ルカ。少し早いが休憩にするか?」
「い、いえ、お構いなく。大丈夫、ですから」
「無理すんなよ。アスファルトの照り返しは俺だってキツい」
エルフの世界にはこんなものはなかっただろうな、と思う。
辺りを見ると、放棄されたスーパーマーケットが見えた。
あそこで休むことにしよう。
「もうちょっとだけ歩けば、涼しいところに着く。そこで少し休もう」
「は、はい。ほんとうに、ごめんなさい」
太陽は殆ど直上に昇っている。
駐屯地を出てから三時間、時間をかけ過ぎたかもしれない。
道路が寸断され、ゾンビや野生生物を警戒するうちに自然と足が遅くなっていた。
駐屯地で襲撃を仕掛けて来た新種のゾンビを思い出す。
思えばルカが見た影は、日中に偵察めいたことをしていたあいつなのかもしれない。
そうであるならば、あいつが閂を開けるという発想に至った説明もつく気がした。
(宿を取る時は、バリケードも作っておいた方がいいかもしれないな)
夜動かなければ、扉に鍵をかけていれば、これまでのゾンビはやり過ごせた。
だが、あれは違う。何となくだがそんな風に思っていた。
そんなことを考えているうちに、俺たちはスーパーに到着した。
室外機のゴウゴウという音がやけにはっきりと聞こえる。
足を一歩踏み入れた瞬間、ルカは顔を上げた。
「あれ、これ……涼しい?」
「多分屍鬼術式が展開された時営業していたんだろうな。
で、空調のスイッチを切る前にやられた。
電気が勿体ないけど、俺たちにとっては救い主だな」
息を吐き、周囲を見渡す。ゾンビは日中活動しないが、こうした日陰は別だ。
リボルバーを抜き、慎重に歩みを進める。飛び散る血痕やそこかしこに散らばったアルミパウチ、あるいは干からびた惣菜といったものを横目に、俺は安全を確認した。
「よし、少なくともここにはゾンビはいないみたいだな。安心していい」
「そう言ってくれると助かります。実はもうくたくたで……ッキャァ!?」
ルカがいきなり悲鳴を上げた。俺もそちらを見るが、ゾンビではなかった。
死体はそこに転がっていたが。棚に背を預けた白骨死体がそこに転がっていた。
「安心してくれ、もう死んでる……ってことは言わなくても分かるか。この格好は」
もしや、と思って俺は懐を探った。この制服には見覚えがある、自衛隊のものだ。
ボロボロになっていたが身分証だけは手つかずだった。そこには見知った名があった。
「……この人、俺と一緒に探索に出ていた人だ。こんなところにいたなんて……」
「それって、お父様を失った日一緒にいた人ってことですか?」
「ああ、ってなんだ。聞いていたのか。加山さんもおしゃべりだな……」
足の骨が折れている。強い衝撃を受けたようだ。オークの棍棒を喰らったのだろう。
折れた足でここに逃げ込み、へたり込んだ時にはもう死にかけていたのかもしれない。
それから一年、誰にも顧みられることなくここで一人……
俺は手を合わせ、彼が背負っていたバッグの中身を検めた。悲しいことだが、しかし彼はもう死んでいる。彼の持ち物は、俺が有効に活用させてもらうことにしよう。機密ポーチに入れられた9ミリ弾と30口径ライフル弾、それから小銃のマガジン。弾はない。
「こいつもいただいておくか……すまんが、使わせてもらいます」
傍らに落ちていたライフルも回収する。
新種に吹き飛ばされたライフルは銃身が折れ曲がり、使い物にならなくなった。
彼の使っていたライフルは結構使い込まれていた。上部にはスコープも付いている、狙撃仕様か。狩猟用に使われる類のものではなく、自衛隊時代使っていたものだろう。スコープ付きのものを使ったことはなかったので、少し試してみる必要がありそうだ。
そんなことをしていたので、ルカがその傍らに跪き、ブツブツと何かを言っているのに気付かなかった。それは俺に向けられた言葉ではなく、死者に向けられている。とても真剣な様子で、俺がなにを言っても耳に入りそうになかった。ならば、それでいい。
スーパー内の別の場所を調べてみる。
使えそうなものを二、三見繕い、ルカのところに戻った。
その頃には丁度、彼女も『用事』を終えたようだった。
「お疲れさん……って言っても、何をやってたのか知らないけどさ」
「え、どうしたんですか竜四朗さん?」
「そっちがあんまり真剣な様子だから、邪魔するのも悪いと思ってさ。腹減ったでしょ」
そう言って、俺は缶詰を差し出した。疲れた体に嬉しいフルーツ缶がいくつか残っていた。彼女はこの世界の果物を知らないだろうが、パイン缶を選んだ。ツールナイフでそれを開け、転がっていた新しいプラフォークを差し出す。
「はい。遠慮しないで食べてくれ……って言っても、俺のじゃないけどな」
「ありがとうございます。でも、どこにしまっていたんですか?
バッグにはそんなに、モノが詰まっているようには見えませんけど」
ルカは不思議そうな顔をした。
彼女の言っていることは正しい、俺の旅装はいつも最低限のものだ。補給の効かない銃弾と使い易いバール、それからキャンプ用品。最低限の替えの衣類とタオル、それから非常食。いざという時のマッチ。あまり重いものを持つと行軍速度が遅くなる。
「その辺りに転がっていたものを拾って来ただけさ。保存食だから安心してくれ」
「へぇ、こんな瑞々しいものが保存食……甘いですね、これ」
日本人には人気のあるパインのシロップ漬けだが、森の民たるエルフの味覚にはあまり合わないらしい。それでもキッチリ全部食べて、汁まで飲んでくれたが。
「二年も打ち捨てられていたのに、残っているものなんですね」
「そりゃそうだ。最低限の食物、衣食住は帝国が保証してくれる。
物好きでもなければ、わざわざ危険を犯してこんなものを取りに来たりはしないさ」
食料、衣類、銃弾。上下水道にエネルギー。帝国はこの世界のテクノロジーを保全するように努めた。おかげさまで大半の人間は――生息域は大分狭くなったものの――それほど不自由のない生活を送ることが出来ている。明日の飯が確保出来て、安心して眠れるのにそれ以上何を望む?
かつての世界ではそれすら望めぬ人々が確かにいたのだ。
「実際、アトランディアはそれほど横暴な支配者ってわけじゃないからな。
かつてよりは豊かじゃなくなったが、しかし……幸せに暮らしている人だって大勢いる」
「それが分かっていて、あなたはどうしてそんな生活を?」
予期せず質問を受けて、俺は一瞬硬直した。
ルカは単純な疑問を発露したようだった。
「……ただ上から落とされたものを受け取るだけってのに我慢がならなかった」
「それは、お父様がアトランディアに殺されたからでしょうか?」
「どうだろうな。いや、違う。きっとそうじゃなくても俺はこうしていた」
俺は思い出した、二年前のことを。
「筋が通らないことは嫌いだ。
俺は俺の国を滅ぼし、我が物顔で君臨しているアトランディアが大嫌いだ。それなのに、そいつらの庇護を受けて生きるなんてそんなのおかしいだろ。だから俺は集落を飛び出して、自分の力で生きて行こうとした。不謹慎かもしれないけど、親父を失ってからの一年間。俺は生きていて初めてよかったと思った」
生の充足感、とでも言うべきものだろうか。誰とも関わらない一年間は俺自身を見つめ直すいい時間だったと思う。自分自身、何がしたいのかよく分からなかったから。
「その気持ち、分からないでもないです。私もそうしたかったけど……」
「すりゃよかっただろ。人間、どうやったって生きていけるだろ」
「無理でしたよ。向こうの世界では、皇帝は弾圧政策を敷いていましたから」
ルカは昔のことを懐かしむようにして言った。
「独立を願った人がいました。地位の向上を願った人がいました。
そうした人々は処刑され、一族郎党の死体が野に晒されました。連座制ですね」
「それは、何というか……凄まじいな。見せしめにしてもやり過ぎだろう」
「私にはお母さんもいたし、一族は部族ではそれなりの地位にいましたから。
だから私が勝手なことをすれば、巻き込まれる人は多かったんです」
「ごめん、ルカ。知った風なことを言って、勝手なことを……」
ルカは『いいんですよ』と言ってくれたが、その表情は曇っていた。
「……それなのに、どうして今更になって?」
「あの子のこともありますけど、一番の理由はこの世界に来たからですよ。
皇帝はこの数年間、随分大人しくしていたんです。どうしてだと思いますか?」
「向こうの世界を手に入れたんだろう? ああ、でもそれは理由にならんか」
「野心が満たされたのかもしれません。でも、一番の理由は加齢のためですよ」
加齢?
ということは、帝国皇帝はかなりの高齢ということになる。
「数え年で70になるはずです。このところは床に伏せることも多いそうです」
こちらの世界で70といえば、まだまだ矍鑠としているイメージがある。
だが、それは医療技術がしっかりして、政情が安定しているからだ。向こう側の世界の医療がどれほどのものかは分からないが、こちらより進んでいるとは思えない。しかも戦乱の大地、日本で暮らすよりもよほど精神をすり減らすことだろう。
「世界の危機に際してさえ、大した感慨を抱いてはいないようでした。ところが魔法院筆頭、ナザレが次元転移を考案すると目を見開き、諸手を上げて賛同したそうです」
「これまで耄碌としていた人間が、ねぇ」
自分の世界を征服し、火種の絶えていた野心が再び燃え上がったということだろうか?
いずれにしても、迷惑な話だ。向こうの世界で滅んでいればよかったのに。
「そんな事情があるからでしょうか、現地の人間に皇帝は驚くほど好意的です」
「ま、確かにレジスタンスの家族が根絶やしにされた、なんて話は聞かないな」
「レジスタンス自体を存続させていないでしょう。騎士の一個小隊を投入して、即座に反乱を鎮圧していたはずです。そんなわけで、皇帝はこのところかなり丸くなっている」
「そこに乗じて脱出してきた、というわけか」
……皇帝とはいったい何者なのだろうか。
何を考えて、ここにいるのだろうか。
「……話して疲れましたね。竜四朗さん、カンヅメってまだあるんですか?」
「気に入ったか? 色々ある、今度は自分で選んでみるといい」
まあいい。皇帝がどんな人間であろうと、俺の旅には一切関係はない。
この旅の果てに、もしかしたら皇帝の命を取ることだってあるかもしれないのだから。