自衛隊駐屯地で新種のゾンビと握手!
赤々とした夕日が恨めしかった。
父を失った日も、あんな赤い夕陽が落ちていた気がした。
おかしな方向に折れ曲がった手足。吐き出される血反吐。
父さんは何かを言った。
「あの、その……竜四朗さん」
声をかけられて、俺ははっとして振り返った。
いつの間にか走るのを止めていた。
振り返ると、そこにはルカがいた。
不安げな表情で俺のことを見つめて来る。
「あの、加山さんからお聞きしました。本当に、お気の毒だと思います……」
「気持ちが分かるなんて言わないでくれよ。俺がうずくまって、オークに叩きつぶされそうになったのを庇って父さんは死んだ。自分の無力で父を死なせた後悔も、目の前で肉親がおかしな形に引き潰されるのも、体験した人間にしか分からないことだ」
我ながらガキっぽい物言いだ。だが、こればっかりは譲れない。
加山さんが俺のことを気遣ってくれているのは百も承知。
だがあんな目に遭わされて黙ってはいられない。
「……私も、あなたと一緒かもしれません。竜四朗さん」
「何だと?」
「私の父も、オークに殺されたんです。いまから、十二年前の話です」
そんなバカな。
ああ、それではまるで……まるで同じだ。
有り得ない話じゃない、というよりそれは当たり前のことだ。オークは転移前のアトランディアにも存在していた。ならば、オークは向こうの世界でも同じようなことをしてきたのではないだろうか? 帝国の手先になり、殺し屋として。
「エルフはアトランディアでは低位に置かれています。それは、帝国の属国だから。エルフは彼らの概念で言うところの国というものを持っていませんでしたけれど、エルフの巫女を人質として彼らはエルフ全体に恭順を強いたんです」
「部族長を浚うようなことか。だが、しかし……」
向こう側の世界と、こちら側の世界。
それぞれのオークに虐げられたもの。
奇妙なシンパシーを感じる。それは、ありふれた存在なのかもしれないが……
俺が二の句を次ごうとした時、けたたましいアラームが鳴った。聞き慣れていないルカは悲鳴を上げて長い耳を塞いだ。大きさの分だけ感度がいいのだろう。
「こ、これはいったい?」
「警報だ、聞いたことないか? これは……多分、表門で何かがあったんだ」
俺がいた時と同じサインを使っているなら、これは門番が異常を発見した時に使用するアラームだ。だが、陽が落ちるまでにはまだ時間がある。夏なのだから一層だ。ゾンビが活動的になる時間からはまだ遠い、いったい何があったというのだろうか?
考えている暇はない。
俺は万が一に備えライフルを肩から外して駆け出した。
すぐに俺たちは正門に辿り着いた。
そこで俺は、すぐに死体を見つけた。
あの顔には見覚えがある、俺たちを出迎えてくれた門番だ。見張り台から落下したのだろう、頭部が奇妙な方向に折れ曲がっている。だがそれではあのおびただしい血痕の説明がつかない。
異常はそれだけにとどまらない。門の閂が外されているのだ。
重い鉄扉だが、数人で押して開かないほどではない。普段なら閉め切られているはずだ。
「ちょっと待っててくれ、閉めて来る――」
「竜四朗さん、危ない!」
非常に抽象的な警告。俺は反射的に頭上を見上げた。
赤黒い歯が俺に迫ってくるのが見えた。
飛びかかって来たそれは俺を押し倒すと、噛み付こうとしてきた。上半身は幸い自由だったため、ライフルのストックを掲げてそれを受け止めようとする。歯が木製のストックを噛み砕き、それを振り捨てようとした。予想外に強い力にそれを許してしまう。
ゾンビか?
だが、いままで戦ってきたゾンビはこれほど俊敏ではなかった。
バカ力だったが、しかし上から奇襲を仕掛けて来るほどの知恵はなかったはず。
考えている暇はない、ライフルでは満足しなかったそれは、再び俺に噛みつこうとしてきた。
「竜四朗さん、伏せてください!」
ルカの叫びが聞こえた。ゾンビもそちらを見て、そして叩かれた。その辺りに転がっていた工事用の鉄パイプを掴み、ゾンビの頭部目掛けてフルスイングしたのだ。あまり腰の入っていない軽い打撃だったが、しかしゾンビの力を抜くには十分だった。
ゾンビの体を逆に掴み、それを振り捨てた。転がりながら立ち上がり、ホルスターに収めたリボルバーを抜き放つ。ゾンビはやはり俊敏に立ち上がり、跳んだ。一足飛びでコンクリート壁の上に降り立ち、誇らしげに吼えた。
「なに!?」
サーチライトに照らされたゾンビの全身が露わになる。
白濁した眼球はいままで通りだが、全体的に筋肉質だ。普通のゾンビはややだぶついた体が特徴的だ。目の前にいるそれのように、アスリート然としたしっかりした体格はしていない。
塀の上のゾンビを狙おうとしたが、その時正門が強い力で叩かれた。けたたましい警報に叩き起こされたゾンビが周辺から集まってきているのだ。掛け直そうとするが、遅かった。扉が重い音を立てて開き、そこからゾンビが内部に流入してきたのだ。
「クソ、ルカ! 走れ、走るんだ!」
俺は立ち上がり、ルカの手を取って駆け出した。
ライフルを回収している暇はない、一心不乱に走る。警報が鳴っているのだ、他の住民だって異常を感知するだろう。一先ず彼らと合流しなければ。戦うための手も弾も足りない。
「ルカ、お前魔法とか使えないのか! 何とかしろよ!」
「す、すいませんいま魔法のストックが!」
あの時ゾンビに追いかけられて抵抗もしなかったのはそのせいか。
俺は舌打ちし、背後に向けて銃を撃った。三発撃ったうちの二発がゾンビの足に当たり、転倒させた。前に進むことしか考えていないゾンビはそれに巻き込まれて転倒。四体が脱落した。
どこまで逃げればいい?
そう考えていると、頭上から銃声がした。見ると、住人たちが二階からゾンビを銃撃していた。降り注いだ弾丸がゾンビを撃ち抜き、活動を停止させた。反撃のチャンス。
俺はその場で反転し、迫り来るゾンビを冷静に狙った。
残り二発、ゾンビは二体。外せば命はない。
主観時間が鈍化し、ゾンビの動きがやけにゆっくりと見える。
極限の集中の中、俺はゾンビの頭を狙った。
手の震えさえやけにはっきりと感じられる。
一発目の銃弾はゾンビの空っぽの眼孔から頭部に侵入、内側から脳を粉砕した。
二発目の弾丸は頭のど真ん中を撃ち抜き、脳幹を破壊した。
急激に体の力を失ったゾンビがその場で転倒、ゴロゴロと転がり屍を晒した。
「竜四朗、大丈夫か! いったい何があったんだ?」
弾を装填し直しているところに、加山さんが来た。
迷彩服を着た何人かの戦闘員を伴っている。
「ゾンビが侵入してきました。見張りの男が殺されている、新種がいるんですよ」
「新種? 何を言っているんだ」
「信じられないかもしれないけど、本当です。ボクサーみたいにいい体してる。
きっと二年間の内に、ゾンビも進化したんです。そいつが見張りを殺して、閂を外した」
「……事の真偽はともかく、ゾンビが侵入しているのは確かだ。グズグズは出来ん」
警報装置の放つけたたましい音を頼りに、耳の弱いゾンビたちも集まってきている。
駐屯地には戦闘のプロたる自衛官が多くいるが、しかし数の力には抗し切れない。
「俺が閂を戻してきます。みんな、援護して下さい」
「分かった。田崎、俺と一緒に来い! 二人は逃げ遅れた人がいないか確認するんだ!」
田崎と言われた厳めしい面の自衛官が無言で頷いた。体格もいいし、背筋も綺麗に伸びている。まるでショーウィンドウの中のマネキンを見ているような気分になる。
俺は元来た道を戻り、正門へと向かった。
その間にもゾンビたちがいたが、問題なく射殺した。
追われているならともかく、冷静に狙えるならば問題はない。
ぽっかりと開いた門から廃墟が見える。見慣れた光景だが、地獄へと続く穴のように見えた。地獄の穴は絶えずし死者を吐き出し、この世を浸食しようとして来る。
「援護する、行け竜四朗!」
俺は頷き走った。
重い発砲音とともにゾンビの頭が撃ち抜かれ、倒れて行く。
ゾンビを倒すなら頭を撃て、旧時代のパニック映画が言っていたことは正しかった。
新種を警戒しながら走ったが、それが現れることはなかった。俺は十秒も経たないうちに正門に辿り着き、それを閉めることに成功した。一人で閉めるのは少し骨が折れたが、しかし問題ない。走ってきたゾンビが内側に侵入する前に、俺は扉を閉めた。全体重をかけて扉を抑え、手探りで閂を探す。あった!
「危ない、竜四朗! 伏せろ!」
反射的に空を見上げる。
暗闇にシルエットが映し出された。
新種のゾンビだ。
だが、それも俺に到達することはなかった。加山さんたちが放った銃弾が上から奇襲を仕掛けて来た新種を撃ち抜いたのだ。おかしな悲鳴を上げ、ゾンビの体が空中でグラリと揺らいだ。ゾンビがヒキガエルのように叩きつけられるのを俺は見た。
取っ手を引く。ガキンと音を立てて、閂が掛かった。
俺は胸を撫で下ろした。
「ハァーッ、ハァーッ……助かりました、加山さん」
「お前もよくやった。いい走りっぷりだったぞ、竜四朗」
加山さんは俺を褒めてくれたが、しかしすぐに表情を曇らせた。
「それにしても、こいつは……いったい何なんだ?」
ゾンビ、としか言えなかった。
だが、それは俺たちの知っているゾンビとはまるで違うものだった。
高い身体能力、閂を外す知能、そして……
「こいつ、頭を潰してないのに死んでますよ……!」
田崎さんが呻いた。そう、通常のゾンビは頭部を潰さない限り動きを止めない。
だが、これは頭部を撃たれてはいなかった。ただ、心臓部に攻撃を受けていた。
「出血多量、それがこいつの死因……ってことでしょうかね」
「田崎、こいつを縛り上げよう。万が一動き出した時に困る。
それが終わったら、周辺の確認だ。油断するなよ、まだゾンビどもがいるかもしれない」
田崎さんは頷き、常備していたロープを取り出してそれを縛り上げた。
結局、あいつが動き出すことはなかった。
ゾンビの襲来は見張り一人の死をもって何とか終わりを迎えたのだった。
翌日。
俺は加山さんに呼び出された。門の補強作業を行っている中、いったい何があったのかと不思議に思いながら俺は駐屯地の応接室へと向かった。
「来たな、竜四朗。お前はここに入ってきたことがあったかな?」
赤いカーペットに革張りのソファ、それから色褪せた何枚かの写真や賞状。ここからはグラウンドがよく見える。典型的な応接室、という趣の部屋だった。応接室にはすでにルカが呼ばれており、先に腰かけていた。
「俺とルカを呼ぶってことは、もしかして……」
「正直なところ、オススメは出来ない。死にに行くようなものだ、そうだろう?」
加山さんの口調は厳しかった。
だが、ルカの心はすでに決まっているようだった。
「何か知っているなら、教えて欲しいです。私は、そのためにここに来ました」
加山さんは頷き、そして俺の方を見た。
「お前はどうなんだ、竜四朗。父の守ってくれた命、捨てる気か?」
「捨てる気はありません。何て言ったらいいのか分からないけど、でも」
俺はルカの方を見た。
「この子がもたらしてくれた希望を、俺は届けたいんです」
父が俺の命を守ってくれたように。
俺も人の命を守りたい。
そのための希望をルカが持っているというのならば、俺はそれを守りたかった。
「……この辺りのレジスタンス活動は下火になった。知っているだろう?
中央の辺りはオークに占領され、断続的な人間狩りを行っている」
「ええ、聞いています。酷い有り様だったみたいですね」
無理矢理な嫌疑を掛けられ、潰された集落は一つや二つではない。
「参加者の中に当時の部下がいた。彼のいた集落は破壊されたが、何か手がかりが残っているかも知れない。そこを探してみるといい」
加山さんは地図を出し、集落があったという位置を書き込んでくれた。
かつて港湾の工場などが立ち並んでいた場所だ。
こまめに休憩を取っても明日明後日には着くだろう。
「ありがとうございます、加山さん。こんな危険なこと……」
「自殺志願者をいつまでも置いておくわけにはいかないからな」
加山さんは苦笑して言った。
俺は笑えなかった。
そうかもしれないと思ったから。