エルフの少女と二人旅をしよう!(ゾンビランドで)
朝を待って、俺たちは出発した。
ルカはなぜか安心し切ってソファで眠りこけていた。
俺はゾンビの襲来、そしてルカの警戒のためほとんど不寝番をする形になった。
「ふわッ……おはようございます、竜四朗さん。どうしたんですか?」
「いや、何でもない。朝飯を食って、出よう。食べられないものはあるか?」
「好き嫌いをしないようにお爺ちゃんから言われてますから、何でも食べられますよ!」
少なくとも宗教的に食べられないものはなさそうだった。
俺はバッグからマーチラビットの干し肉を出し、それをルカに差し出した。
それを口に含んで、彼女は顔をしかめた。
「そのまま焼くのが一番美味いんだけどな。火は使えないから勘弁……」
「竜四朗さん、ちゃんと血抜きしてますか? 生臭いのはそれが原因ですよ」
「……もしかして、こういうのを作ったり食べたりするのに慣れてるのか?」
「こう見えても森の民ですから。森にいるものはほとんど食べてきましたよ」
エルフといえば森に住まう人種。
ならばこの手の保存食の作り方に精通していても不思議はない、か。
彼女と一緒にいる間に方法を聞いておくのもいいかもしれない。
「まあいい、それより出よう。昔の自衛隊の駐屯地に、まだ生き残っている人がいるはずなんだ。
しばらく会ってないけど……ここから五、六キロ離れたところにある」
ふむふむとルカは頷いてくれた。
理由は分からないが、アトランディア人には言葉の意味が分かるらしい。
こちらの世界に来てから学習したのかもしれないが。
「でも、そんな長い間歩き回って大丈夫なんですか? 外にはゾンビが……」
「ゾンビもいまの時間は穴倉に潜っているんだろう。いや、俺も確かなことは知らない。
だが昼間はゾンビの活動が大分緩やかになるんだ。昨日は運が悪かったな」
バッグを背負い直し、肩に30口径の狩猟用ライフルを掛ける。腰のホルスターにはリボルバーとセミオートハンドガン。それぞれ警官の遺体と自衛官だった父から拝借したものだ。いずれも残りの弾はそれほど多くない、乱用は出来ない。だからバッグに入れたバールもすぐ抜けるようにしている。
「屍鬼術式が変質している……? 世代を経るごとに……」
「専門家のあんたから見ても、不思議なことなのか?」
「ええ。だって状況によってムラが出る兵器なんて、出来るだけ作りたくないじゃないですか。
どんな状況でも最大限の効果を上げることが出来るから兵器なんです」
そりゃそうだ。わざわざ弱点を作って喜ぶ奴はいないだろう。
俺たちは歩き出した。夏の日差しが俺たちを焼いた。
ゾンビや野生生物に警戒しなければいけない分、精神的、肉体的消耗は激しい。
こまめに休憩を取るようにした。
「蛇口を捻れば水が出る、って言うのはいいことだな」
アトランディアは日本の上下水道技術を生かした。
こうした廃棄地区でも、取り敢えず水を補給するには困らない。
ここだけ見れば世界が滅んでいるようにはとても思えない。
予備の水筒に水を汲み、ルカに手渡す。
「水や食べ物に心配する必要がない世界だと聞いています。いい世界だったんですね」
「飢え死にすることはなかった、ってくらいだけどな。そう言えば……」
古いガソリンスタンドに背中を預け、俺は座り込んだ。
「どうしてアトランディアはこちらの世界に来たんだ?」
次元規模の侵略を行う理由とは、何か。俺はずっと気になっていた。
「そうですね、一番の理由は我々の世界が滅びかけていたからです」
「滅びかけていた? 例えばそれは、疫病とか……」
「もっと直接的な理由です。私たちの世界に、星が降って来たんです」
数年前から、彼らの世界では流星が頻繁に落ちて来るようになった。
地球にもたまに隕石が落ちて来ることはある。巨大隕石で氷河期が訪れ、地上を支配していた生物が一瞬にして滅んでしまった、ということさえもあるくらいだ。地球文明を相手取れるほどの力を持つアトランディアであっても、それは変わらなかったのだろう。
「しかし、次元転移なんてことが出来るから隕石の方を転移させることも出来るんじゃないのか?
わざわざ国を転移させるなんて、そんな」
「二重の意味で滅びかけていましたから。
アトランディアは世界のほぼ全土を手に入れ、栄華を誇っていました。
でも、ほころびは見え始めていたんです。
長く戦争は起こらず軍隊は肥大化し、政治は腐敗していました。
皇帝はそんな状況を見て見ぬふり」
「ゾンビを使って支配すりゃよかっただろ。この世界みたいに」
焼け焦げた車を乗り越えながら一言。
ゾンビ化発生当初は、パニック映画のようなことが実際に起こった。
人々は混乱し、逃げまどい、そして死んでいった。
日本全土でこのようなことが起こったのだろう、と容易に想像することが出来た。
「屍鬼術式の精度を決定付けるのは術者の力ではなく、地に満ちた力です」
「地に満ちた力。その、土地もその魔力というものを持っているのか?」
「ええ、人間とは比べ物にならないほど大きな力を。
だから自分の魔力を使って魔法を使うものはほとんどいません。
大地の精霊力を自分の身に取り込み、魔力へと変換し魔法を行使する。
その方法を研究し、使いこなすのが魔法使いというものなんです」
そう言っている間も、ルカはキョロキョロと辺りを見回している。
廃墟と化した街が珍しいのか、それともいまだに彼女は罪の意識に苛まれているのか。
傍目には分からない。
「話が逸れましたね。この星は強い力に満ちていました。つまり、死の力に」
「人類発生から当世まで、その歴史は血塗れだからな」
「それに、死者に浄化を施すこともほとんどなかったのではないでしょうか。
だから苦しみ死んだ人々の怨念が大地を覆い尽くした。
屍鬼術式は蓄えられた力を使って増幅し、この世界すべてを蹂躙していった。
そう言うことなんじゃないかと思います」
ふん、と俺は鼻を鳴らした。
まるで自分たちのせいだと言われているような気がした。
「昼までには着きたい。少しペースを上げよう。ついて来られるか?」
「ハイ、大丈夫です。その、少し歩きづらくはありますが」
ルカははにかんだ笑みを浮かべて答えた。
彼女は森の民だと言っていた。
ならば鉄とコンクリートで作られたジャングルはやはり慣れないのだろう。
俺たちはしばしの間無言で歩き続けた。
歩いて行くうちにだんだんと建物は少なくなって、道幅も狭まっていった。
「あの、これから行くところっていったいどういうところなんですか?」
「街、というよりは集落って感じだな」
あそこに戻るのも、随分久しぶりだ。
しばらくの間俺は修行も兼ねてあそこから離れていた。
単身でのサバイバルは辛いことも多かったが、得られるものも多かった。
「誰もが帝国の庇護に入れるわけじゃない。
むしろ、奴らは入れないことによって地球人の中でさえ階級を作り出している」
「そうですね。こちらが持ち込んだ結界石の数は限られています。
自然、その効力の中に入り込める人間は少なくなってしまう……」
ルカはわざとやっているのではない、と言いたげだったが俺にはそうは思えなかった。
帝国傘下の都市に入れる人間と、入れない人間。それらの間には断絶が横たわる。
都市内の人間には衣食住が与えられるが、外の人間には不定期の配給があるだけだ。
都市内の人間は武器を持つことを禁じられているが、そもそも持つ必要がないというだけだ。
飼われる家畜と、捨てられた人間。
家畜は人間を見下し、人間は家畜を唾棄する。
本来怒りを向けるべき相手から、見事にそれは逸らされていた。
「そんなわけで、残された人々はゾンビが闊歩する世界で生活せざるを得なくなった。
いつ襲われるか分からないから、出来るだけ安全なところを選んだんだ」
「それで駐屯地……この世界の軍隊がいたところに?」
「軍隊じゃない。まあ、その辺は説明が難しいからな。そう理解してくれ」
少なくとも自衛隊が放棄していった武器や生活物資がある。
二年間でかなり住みよい場所になっているのではないか、と予想することは出来る。
「あそこに住んでいるのは、帝国の支配に唯々諾々と従うことを良しとした人々だ」
「でも、そんなところにレジスタンスの関係者がいるんですか?」
「そこから出て行った人も大勢いて、帝国を倒すと息巻いている人もいた。
あそこのリーダーなら、きっと何かを知っているだろう」
話している間に、大きな壁が見えて来た。
薄汚れたコンクリート壁、天辺に張られた錆びた有刺鉄線。
あの頃からほとんど変わっていない。
ゾンビの襲来を想定して新造された分厚い鉄扉は閉められたままだ。
「お前たち、そこで止まれ。どこから来た?」
入り口に設置された手製の監視塔から、威圧的な声が響いた。俺たちはそれを見上げた。
ミリタリー調の制服を身に纏った男、手に持っているのは自動小銃か。
少なくとも、俺がここを出て行った時にはいなかった男だ。
緊張感がありありと見て取れる。
「生き残りだ。加山さんを呼んできてくれ、知り合いなんだ」
「リーダーの……? お前みたいなガキが、リーダーとどんな関係だってんだ!」
そう言われると痛い。
今年でハタチにあるがロクに物を食ってこなかったせいか、平均身長より俺は大分小さい。
見た目のハッタリが効かない上に、俺は加山さんとは干支二回り以上離れている。
直接の知り合いだと言われても納得は出来ないだろう。
適当な理由をこさえようとしたところで、鷹揚な声が聞こえて来た。
「どうした、私の名前が聞こえて来たんだが」
「あっ、加山さん。いえ、妙なガキが門の外にいるんですよ」
少しして、男が上がって来た。
白髪交じりの髪と刻まれた深い皺。
気のいい老人のような見た目で、実際そうだがかなり鍛えられている。
俺もかなりシゴかれた。
「おお、誰かと思えば……門を開けてやってくれ。私の弟子なんだ」
「加山さんの? 分かりました、それじゃあ……」
男が下に降りて、分厚い門を開けてくれる。
辺りには何もいないが、手早く行かなければ。
俺はルカを促したが、しかしルカは何かに気を取られているようだった。
「ルカ、入ろう。あんまり長く開けているワケにはいかないんだ」
「あ、すみません竜四朗さん。何かが動いた気がして……」
背後を見回してみるが、それらしいものは見当たらない。
いたとしてもマーチラビットくらいだろう。
腑に落ちない、という風なポーズを取るルカ。
彼女を再び促し、俺たちは避難民の集落となった駐屯地へと足を踏み入れた。