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「さようなら」

 

 

 



 輝かしいシャンデリアに照らされた室内には、紳士淑女のさざめきが満ちている。

 この上流階級の集まりの中でも抜きん出た身分を持つ二人の会話は、周囲に遠巻きだが確実に注視されていた。


「カウナス卿、ご結婚おめでとう」

「ありがとうございます、アマリス夫人」

「あの方が、奥様なのね……驚いたけど、他国の方なのに偶然って恐ろしいわね」

「ええ、私も話を聞いて。驚いたのですが、そんなに似ていますか?」


 信じられない、と。

 目の前の……ドレスに豊満な肉を押しこめきれていない今日の主賓であるアマリス夫人は、扇で口元を隠し、少し離れたところで、女性たちに囲まれて談笑している妻を見る。その視線は明らかに、驚きの為に見開いていた。


「コンカドール家の……半年前に亡くなられた奥様。リモアーネ様に、本当にそっくりよ。あの燃えるような赤毛の所為かしら?」


 妻ははっとするような見事な赤毛以外はどちらかというと平凡な容姿だ。

 赤毛のせいで、ぱっと見きつい印象を与えるが、内面のたおやかで優しげな眼差しのままに、彼女の気性は凍える中の暖を取る炎の温かさのように優しく、そして内に秘めた強さを持っている。


 そんな妻を溺愛する男はカウナス卿。

 ファーストネームはグリフォーリオという。

 社交は好きでない男は今まで必要最低限の礼儀以外、夜会へはあまり顔を出していなかったが、結婚を機に顔を出すことにした。自分のためにではなく妻の為に、だ。王族で宮廷魔術師という父の続柄、彼が出ようと思えばどんな夜会でも……招待する者の思惑はどうであれ諸手を挙げて歓迎される。


 妻は半年前無くなった伯爵夫人に似ている。


 結婚し妻を伴って社交をすることになってから、何度もそう言われることに飽き飽きしていたが、ここではそんな顔は見せずに、優雅な微笑みをくずさずに保ち続ける。

 妻の顔を見ると――皆一様に驚いたように目を見開く。

 しかし、妻は本当に誰も知らないので、話しているうちに――妻の初対面ぶりは演技ではない――別人だと、納得されるのだ。


「コンカドール家、セマーム=ナーシス様がおいでになりました」


 従者が到着した来客の名を告げるのは、この国の夜会での習わしだ。

 会場がいつもよりざわついているのは、妻がいるからだろう。

 どうやら皆、噂を知っているらしい。


 さすがに、セマームと鉢合わせさせるのは面白くない。


 そう考えて、男は夫人との会話を切り上げると、夫人からはこれから何が起こるんだろうと好奇心丸出しの顔で送り出された。招待した夫人としては、今回の夜会での一番のお愉しみだったのであろうが、男にとってはありがた迷惑な事だ。いつかは対峙することになるとわかってはいたが、いざそうなると落ち着かず、避けたくて仕方ない。

 

 今までにも幾度か夜会で見かけたことがあったが、これまでは男にとって取り立てて関心を持つ相手ではなかったのでおぼろげな印象しかないセマームを初めて注視してみる。彼は男のコンプレックスを刺激するタイプの美しい青年だった。


 ……いわゆる、典型的。

 絵画に描かれるような繊細な……金髪の王子様。


 男も黒髪蒼眼の十分な容姿をしていたが、毛並が違う。

 繊細な月と太陽の傲岸さのように裏と表。

 見るものの好みでは、男らしさ……優しさ儚さとは対極な精悍で力強い男が好みだという者も大勢いるので一概にどちらがとは甲乙つけがたい。

 そうはわかっていても、いや、だからこそというべき劣等感と、そのような測れない逆の性質が男の癪に障り、自信をぐらつかせるのだ。


 セマームは妻が目当てだったのか、妻をまっすぐめがけて歩いていく。

 周りが潮が引くように除け、妻への道ができた。


「リモアーネ!」


 セマームは、ここがどこなのか、男の妻相手にそんな事をすればどうなるのか、などと後先を考えないで亡き妻の名を呼ぶ。やつれた姿は妄執に取りつかれているとしか思えない。まさに最愛の妻を喪って苦しんでいる男の様だ。

 妻の名前はもちろん「リモアーネ」ではない。

 しかしその名前には似ている人と何度も言われたことから聞き覚えがあり、大声を出されれば振り返ってしまうのは仕方がなく、不思議そうな顔が不安に変わりセマームを見つめた。

 セマームが今にも妻のスカートに取りすがりそうになる瞬間、男は割って入る事に成功する。


「私の妻に、何か?」


 内心は、愛しい妻に近寄られてはらわたが煮えたぎっていたが、勤めて冷静に不愉快を表した。そして、不安な妻の顔が男を見ると安心した事に優越感を感じる。


「間違いない! 彼女は私の妻だ!!」

「お間違えですよ、セマーム様」


 妻は不安げな顔で、セマームには目もくれず男を見つめる。

 男だけしか見ていない。それだけで、男は満足だった。

 

「私には分る! 彼女は生きていたんだ!」


 ――この男は、正気だろうか。


 セマームの妻が亡くなったというのは社交界でも周知の事実だ。

 それにこの社交の場で、「カウナス卿」である男の妻に取りすがって見せるなんて一大醜聞。

 「コンカドール家」は名門の流れをくむ貴族ではあったが、先代の放蕩の所為で困窮し、亡くなったと言われている妻の財力で立て直したと、心無い噂が陰では流れるほど、社交界での位置としては現在は微妙な立場である。一方「カウナス卿」は、王族の一員であり、その名はお飾りではなく、大陸随一と謳われた宮廷魔術師の父親の次期後継者と言われている。

 この通り、明らかにコンカドール家とカウナス卿である男には、家格でも財力でも大きな隔たりがあり、男が公に不快を表せば、コンカドールの縁戚が社交界から締め出されるのは必至だった。


 妻は、戸惑いの中にもお可哀そうに……と同情的な目を向ける、何か声をかける前にこの男から隔離したかった。

 しかし、男の目論見は、他ならぬ妻の行動で成功しなかった。


「グリフ様……そ、そう、セマーム様はダンスを誘ってくださったのです。奥様を偲んで」


 妻はセマームよりこの状況をわかっていた。

 目上の者の妻を夫の面前であからさまに誘う愚かな行為。

 この場を収めようと……この愚かな男をかばおうと、この騒ぎはなんでもないことなのだと、ダンスを申し込まれたということにしたいらしい。

 そんなあやふやにしてたまるものかと、公衆の面前でセマームをやり込めるという、誘惑と嫉妬を男は抑えきれなかったが、妻の助けて欲しいと目で訴える懇願で、我に返る。深呼吸すると、男はアマリス夫人を見た。

 夫人はこの事態を巻き起こした張本人だが、そう悪い人間でも、男にとっても敵ではない。むしろ、夫人が思ったよりも遥かに男が妻に執心している事に驚いたようだった。

 セマームと妻を引き合わせても、夜会のちょっとした趣向と……男も納得すると考えたのだろう。

 そうだ、妻に会う前の自分なら。

 ――自分が選んだ妻でなければ、おそらく男も面目を潰されたとしてもこの茶番に面白がっていたかもしれない。

 男は本来そういう人間だった。

 今では――最愛の妻だと思うと、面白いどころか不快でしかない。

 それだけ男は妻に変えられたのだ。


 男の視線を受けて空気を読んだ夫人は、ダンスの時間へと切り替えることにしたらしい。

 夫人の計らいで背景に溶け込んでいた楽団が、急遽ダンスの曲を奏で始め存在を主張し始めた。

 しかし、選曲はワルツ。

 カドリーユのように集団で踊るものより、ムードと体が密着するものが選曲されたのは、これから起こるはずだった「お楽しみ」を潰された夫人の男への意地悪なのか。それとも、男の嫉妬する姿をもっと見て見たかったのか。

 曲が始まり納得がいかないようなセマームを、妻は笑顔で宥めて促し、ダンスを踊り始めた。

 こちらの様子を窺いながら、数組の男女も踊り始める。


 その様子をじっくりと、些細な事も見逃さないよう警戒しながら男は見つめる。

 何かあればすぐにでもダンスを中断させ、社交界で長く語り継がれるほどの醜聞を起こす事に、男は躊躇もなかったが、妻と言葉を交わす度、ステップを踏むごとにセマームの表情は落胆へと変わり始めた。

 何も知らず、セマームの憔悴した顔さえ考えなければ、見事に踊る一対。

 話せば話すほど、流れるようにダンスを踊り時を重ねる程……知っている人間とは違うのだと、思い知らされたのだろう。


 そう、もう彼の愛した妻リモアーネはいないのだ。

 一緒に踊っているのは紛れもなく男の妻なのだ。


 長いような……短い一曲が終わる。

 踊りきった時には、もうセマームの顔は絶望に染まっていた。

 どうやらやっと妻が別人だとやっと理解したらしい。

 まだそう思える理性があったのが驚きだが、次の曲まで踊る気がないのを見ても明白だった。

 彼は今にも倒れそうな悲壮な顔をしているが、貴族としての最後の矜持を振り絞ってか、妻にダンスを受けてくれた感謝の礼を取ると、こちらにエスコートしながら歩いてきた。しかし、それでも男の気分は悪かった……そう、ただ手と腕が触れるだけの姿に紛れもなく嫉妬している。

 その手を妻はためらいなく離して、男の元へと帰って来ると、絡めるように受け止めた。


「奥様を……お返しいたします」

「顔色が悪い。早く帰っても失礼ではないのではないかな」

「そ、そうですね、本日は……失礼しました」


 真白く血の気が引いた顔。

 セマームが妻から目を離したのは謝罪する一瞬、違うと分っても、見つめる瞳は亡霊でも見ているようだった。

 それを見て妻もセマームに向かって心配そうな表情を向けるが、この会話を切り上げたいという雰囲気を醸し出している夫の機嫌の悪さをより気にしているらしい。

 妻は夫が少しの憐憫でも、いや視線を投げかける事さえも許し難いと思っているなんて事は思ってないだろうし、男も悟らせるつもりはないが漏れ出ているのだろう。


 

「御機嫌よう、コンカドール卿」


 ダンスは続いているが、これ以上セマームと一緒の場に居る事は耐えられないとばかりに男は妻の腰を抱き、この場を強引に立ち去ろうとする。

 それはお行儀の悪い事だと思ってか、妻はあわてて挨拶をした。



「あ、あの。セマーム様、さようなら」







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