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悲しき名探偵

作者: 黄瀬ちゃん

「だからってなんで孤島なんだ!」

 甲板にヒステリックな声が響いた。

「いえ、大崎先生ほどのお人にもなると民衆の目が集まってしまうので、中々ゆっくりと休める場所はないと思ったんです」

「まあ、確かに群がれるのは嫌だけど……だけど、孤島ねえ」

 大崎は半ば諦めの混じった声でそう言って、遠くに浮かんだ島を眺めた。

「飯島君、あれ、あれはなんという島だっけ?」

「煉獄島です!」

 大崎の覇気のない声とは裏腹に、飯島は元気よく答えた。

 あからさまじゃないか。

 大崎は飯島を睨み付けた。

 飯島はそれに気が付くこともなく、その長い髪を風に揺らして海を眺めている。

「僕はね、休みたいの。何故だかわかる?」

「ええ、先生は世の中のどんな事件もスパっと解決する名探偵ですが、この頃立て続けに起きた悲惨な事件で少しばかり疲れていらっしゃるんですよね。だから、休養を取りたいとのことでした」

 そうなのだ。

 大崎は一週間前に悲惨な事件に遭遇した。それはこの世の物とは思えない事件であり、警察も目を閉じてしまいたくなるような、残酷な結末であった。

 大崎はその事件現場に居合わせた探偵で、見事な名推理でその事件を解決したのだ。しかし、正直なところ、うんざりしていた。

 実は、その事件の一週間前にも大崎は事件に遭遇している。

 そして、その前も。その前も。その前も……。

 つまり、大崎はいくつもの事件を解決する名探偵だったのだ。

 いくつもの事件を解決するためには、いくつもの事件に遭遇しなければならない。だから、大崎は名探偵だった。

 三年前、大崎は井上探偵事務所というこじんまりした探偵事務所に就職した。

 大学を卒業したものの、特に就職したい企業もなくふらふらしていた大崎が探偵事務所を選んだ理由は決して探偵という仕事に夢を見ていたからではない。むしろ、その逆であった。

 探偵という仕事は小説などでは事件を解決する仕事の様に見えるが、実際は猫の捜索や浮気調査など地味な仕事である。ということはもはや世の中に浸透しつつあり、大崎も当然それを知っていた。

 そういう地味なことが好きだったのだ。

 大崎は昔からそういう男だった。

 高校生の時はクラスで一番可愛い女子アンケートを取ったり、誰と誰が付き合っているかをまとめたノートを作ったり、そんな馬鹿なことばかりしていたのだ。

 大崎にとって浮気調査ほど楽しそうな仕事はなかった。

 そんなわけで知り合いのツテを辿って井上という探偵に弟子入りしたものの、大崎の期待は大きく裏切られた。

 井上探偵事務所を訪ね、初対面の挨拶を済まし、今日からいよいよ仕事であるというところでそれは起きた。

 大崎が井上探偵事務所に出勤すると、事務所の主である井上が死んでいたのだ!

 それもテーブルの上に全裸で逆立ちしたままという奇怪な姿であった。

 わざわざ縄で逆立ちに固定されるという手の込みようで、その珍妙な姿からは人が死んでいるという実感が沸いてこなかった。

 第一発見者である大崎は警察に疑われた。

 なにしろ、ここ最近井上と関わりを持ち、それからすぐに井上が死んだのだ。しかも、災難なことに井上は遺書を残していたのだ。

 私が死んだ場合、この事務所は大崎恭介に譲る。と書かれた遺書が事務所の金庫から発見された。

 これでは大崎がこの事務所を乗っ取るために井上を殺したようである。

 警察に疑われるのも当然だった。

 大崎は逮捕されないために考えた。そして、その事件を解決してしまったのだ。

 それこそが、大崎の人生を大きく狂わせた。いっそ、あの時逮捕されてしまえばよかったのだと思うこともある。

 それから大崎はその事務所を受け継ぎ、名前を大崎探偵事務所に変えた。

 人が死んだ事務所というのも嫌だったが、事件を解決した探偵ということで名が売れて、それなりに依頼は来た。

 しかし、何故かその依頼が全て殺人事件に繋がる。

 猫の捜索や浮気調査という依頼だったはずが、気が付けば人が死んでいる。そして、仕方なくそれを解決する。

 それが三年だ。一体どれだけ人が死ぬのを見ればいいのだ!

 大崎はもうこんな仕事が嫌だった。

 しかし、世間では名探偵などと呼ばれ、テレビにも出演した。今更やめるわけにもいかなくなってしまったのだ。

 そこで、少し探偵の仕事を休んで気持ちを切り替えようと思ったのだった。

 しかし、飯島に手配を頼んだのは間違いだった。

 飯島は大崎の助手である。事務所が大きくなって、なんとなく格好つけて助手を雇ってみたのだ。

 飯島という女は恐ろしいほどの馬鹿であった。

 見た目こそ利発そうに見えるが、とんでもない。うっかり八兵衛だってしないようなうっかりを平気でするし、大崎の言った言葉を理解しない。それも、自分ではできているつもりになっているから余計に性質が悪い。

 だから、飯島は大崎のような探偵が孤島に行ったらどうなるのか、わかっていないのだ。

 女子大生でちょっと可愛いからと下心で採用したのは完全に間違いだった。

「先生、そろそろ着きますよ! 海が綺麗ですねー」

 飯島が嬉しそうに言った。

 こいつ、自分が海に行きたかっただけだろう。と大崎は思った。

「はあ……」

「もう、ため息なんてついちゃって。先生は何を怒っているんですか? 折角の旅行なんだから、楽しまないと損ですよ。ああ、そうだ。確かこの島には伝説があるそうですよ」

「伝説?」

「ええ。確か……」

 嫌な予感がした。

「いや、いい。やめてくれ」

「何でですか? 聞いてください。えっと確か、妖怪が」

「ああもう! いいって言ってるだろ!」

 大崎は思わず叫んで、ちょっとだけ恥ずかしくなった。

「なにをそんなに怒っているんですか。全く、あの島には浜姫様がいるんですからね。そんな態度だと伝説の様に消されちゃいますよ?」

 飯塚は結局、伝説の名前を口にした。

 こいつは本当になんなんだ。大崎はもう帰りたくなった。

「さあ、着きましたよ。ホテルはすぐそこですから。早く行きましょう!」

 そう言って飯塚は船を下りて行った。

 大崎はそれをしばらく眺めてから、憂鬱な顔でそれに続いた。


 ホテルは今にも崩れそうなオンボロな建物であった。

 それは大崎にとって半ば予想通りであったが、飯塚は露骨に嫌そうな顔をした。

「こんなボロいところで寝泊りするんですかぁ?」

「君が宿を取ったんじゃないか」

「だって、この島にはここ以外に泊まれるところなんてないし」

「だから孤島なんてやめておけばよかったんだ」

 大崎はもう開き直ってこの旅行を楽しむことにしていた。飯塚が嫌がっているのを見て、少し溜飲が下がったのである。

 建物に入り、フロントへ向かう。

 もうすぐ三十路を迎えるといったところの、それなりに若いフロントマンが笑顔で大崎達を出迎えた。

「遠いところからどうもありがとうございます。特になにもない島ですが、ゆっくりしていってくださいね」

「ああ、どうもどうも」

 ホテルというと、もっと事務的な接客を思い描いていた大崎は面を喰らってしまう。

「本当になにもないですよねえ」

 一方飯塚は普段と変わらず、といった風である。

 フロントマンは苦笑いして、大崎様ですねと言った。

「ええ。……そう言えば、飯塚君。部屋は当然分けたんだろうね?」

「当たり前ですよ! それとも先生、同じ部屋がよかったですか?」

「ああ、君と同じ部屋だなんて考えただけで胃が痛いよ」

「恋ですか?」

「そうそう。君を想うと胃がキリキリと……って恋で胃が痛くなるか!」

「……」

 飯塚は蔑むような目で大崎を見た。

 大崎は帰りたくなった。

「二〇一号室と二〇二号室がお客様の部屋です」

 フロントマンが急に事務的な顔付きで部屋の鍵を差し出した。

「私はこっちにします」

「そう。じゃあ僕はこっちで」

 飯塚が二〇一号室、大崎が二〇二号室の鍵を受け取る。

「あちらの階段から二階に上がっていただき、すぐ左のお部屋でございます。ごゆっくり」

 大崎は、どうもと言ってフロントマンの指した階段に向かった。

「そうだ、先生。後で行きたいところがあるんです」

 部屋の前で、飯塚が思い出したように言う。

「行きたいところ? まあ自由にしていいよ」

「違いますよぉ。一緒に行きたいんです」

「はあ……まあいいけど。じゃあ、後で部屋に来てくれ」

「わかりました! それではまた後で」

 大崎は飯塚と別れて、部屋に荷物を置いてから一息つく。

 孤島か。それに……浜姫様、ね。

 先ほどの飯塚の話を思い出して、大崎はすぐにそれを忘れることにした。

 折角の旅行だ。ゆっくり休んでおこう。

 大崎は軽装に着替えて、ぴっちりと綺麗にシーツが敷かれたベッドに倒れ込んだ。部屋を見回すと絵画や、壺が置かれている。大崎は芸術品の類の価値はからっきしわからないから、趣味の悪い内装だと思った。

 しかし、休むと言っても何をしたらいいものか。

 この三年間殺人事件に囲まれて過ごしてきた大崎は、息抜きの仕方をすっかり忘れてしまっていた。この数年でした息抜きと言えば――。

 そうか!

 大崎はふっと力を入れてベッドから立ち上がって変な船の書かれた絵画のある壁に近づき、その額縁を裏返した。

「おお!」

 思わず大崎は感嘆の声を上げた。

 絵画の裏にはなんだか効果がありそうなお札が貼られていた。

 大崎は幽霊だとかそういう俗な物が好きだった。

 過去の事件では、幽霊の仕業だ! などと叫んで死んでいく被害者を何度も見てきた。

 結局は全ての犯行は人間の仕業であったのだが、大崎は幽霊が本当に犯人であればいいのに、と思う。

 幽霊が犯人ならば、解決する必要もないからだ。

 そうすれば私の仕事もなくなるのに。

 大崎はそのお札を剥した。

 その時、丁度ドアをノックする音が響いた。

「うわっ」

 大崎は腰を抜かして、その場に倒れ込む。

 好きな割には怖がりなのだ。

「どうしたんですか? 先生」

 飯塚が部屋に入ってくる。

「な、なんだ飯塚君か。僕はてっきり……」

「てっきり?」

 幽霊かと思った。などとは言えなかった。いい年の男が真っ昼間にに幽霊が怖くて腰を抜かしたなんて、口が裂けても言えなかった。

「いや、なんでもない。それより、なにか用かね」

 大崎は精一杯威厳を取り繕って言った。

「なにか用かね。じゃないですよ! 荷物置いたら来いって言ったの先生じゃないですかぁ」

 飯塚が頬を膨らませて言う。

 可愛い子ぶるな。悪魔め。

 大崎は汗を拭って、それじゃあ行こうかと平静を装って歩き出した。

「うーん。そういえば、さっき警部がいませんでした?」

 フロントへ向かう途中、飯塚は思い出したように呟いた。

「警部? まさか、それは山下警部じゃないだろうね」

 怪訝な顔で大崎が訪ねると、飯塚はそのまさかですよと答えた。

「いるわけがないだろ! 彼はあれでも東京警視庁の人間なんだ。こんな田舎の! しかも、孤島なんかにいるわけがない!」

「なんですか? 先生。そんなに必死になって……まるで、殺した人間が化けて出たみたいな言い方ですよ」

「いや、しかし……あの男なら来ていてもおかしくない」

 山下辰夫。東京警視庁の刑事。

 大崎が初めて事件を解決した際、その時彼はまだ巡査部長にすぎなかった。それも、年の功でなんとかその役職に辿り着いただけで、とてもじゃないが昇進とは無縁の男であった。

 その山下が三年で警部である。思い出すと腹が立つ。

 山下は刑事として、犯人を捜し当てる嗅覚を持ち合わせていなかった。代わりに、犯人を捜し当てる人間を見分ける嗅覚は人一倍鋭かったのだ。

 つまり、山下は大崎の探偵としての才能――人殺しに遭遇し、それを解決する才能――をすぐに理解したのだ。

 山下はしつこく大崎に付きまとい、何度も事件に関わり、そして手柄を全て自分のものにした。

 ハイエナのような男だ。

 山下ならば、この孤島にも来るかもしれない。

 大崎は背筋がぞっとするのを感じた。

「先生。それより……あれ、なんですかね? なんか揉めてるみたいですけど」

「ん?」

 飯塚が指を差した方を見ると、フロントにアロハシャツを着た金髪の男がいた。

「だから、なんで石鹸がないんだよ!」

「申し訳ありません。今ご用意致しますので」

「今から用意しても遅えんだよ! 最初から置いとけ」

「申し訳ございません……」

 アロハの男がフロントマンに詰め寄る。どうやら、部屋に石鹸が用意されていなかったらしい。

「クレーマーってやつですかね?」

「最近はああいうのが多いね。まあ、石鹸を用意してないホテル側にも問題があるんだろうがね」

 大崎が適当に無難な回答をして男をぼうっと眺めていると、男は急に振り返って大崎を睨み付けた。

「ああん? 何見てんだコラ」

 目つきが悪く眉毛の薄い、いかにもチンピラという風貌であった。

 ああ、こいつ死にそう……。

 大崎は過去の経験からそう思った。

「なんとか言えや! コラ! おっさんテメエだよ!」

「ああ、悪い悪い。さあ、行こうか飯塚君」

 大崎はアロハの男を直視できなくなった。今回の事件の被害者だと思うと、なんだか申し訳ない気持ちになるのであった。

「おい! 逃げんなコラ……いっ! いてえ!」

 アロハの男が大崎に詰め寄ろうとすると、近くにいた別の男がアロハの男の腕を捻り上げた。大崎はアロハの男の声に驚いて、振り返った。

「ああ、大崎君じゃないか。奇遇だね」

 見知った顔が、見たくない顔が、大崎に笑いかけていた。

 大崎は知らぬ振りをして、行こうか飯塚君ともう一度いった。

「あー! 山下警部じゃないですか。やっぱり来てらしたんですね。さっき見たような気がしたんです!」

 飯塚が大崎の意図を汲まずに、山下に応じた。

 大崎はやり場のない怒りを覚えて、脱力する。

「警部……なんでこんなところにいるんですか?」

「ちょっと休暇をもらってね。まさか君たちもここに来ているとは思わなかったよ」

「そうなんですか。僕も警部が来ているとは信じたくありませんでした」

 まるでストーカーだと思った。

「そうだ! 警部もこれから一緒に行きませんか?」

「ん? どこかに行くのかね」

「おい! 離せてめえ!」

 アロハの男が暴れる。警部はもう興味がないようで、その手を離して大崎の方へ近寄った。

 大崎は警部にあの男が今回の被害者になりそうだと伝えるべきか迷った。未然に犯罪を防げれば、探偵などいらないのだ。

「あいつ死にますよ!」

 などと言うわけにもいかないので、大崎は黙っておくことにして、心の中でアロハの男に謝った。

 そんなことも知らず、アロハの男は何か小物臭い捨て台詞を吐いてどこかへ行ってしまった。

「これから先生と、この島に伝わる浜姫伝説について調べに行くんです!」

「え? そんな話聞いてないんだが!」

「ほほう。面白そうだね」

「ですよね! さあ、行きましょう!」

「うむ。ほら、大崎君。早く来ないと置いて行くぞ」

 大崎はやっぱり帰りたくなった。


「これが浜姫様だそうですよ」

 小さな祠に、小さな女性の像があった。

 なんだか不気味だ。

 潮風に晒されているせいか表面はボロボロに剥げていて、まるで泣いているように見えた。

 どうせ、これが今回の事件の鍵になるに違いない。今の内によく調べておいた方がいいだろうと大崎は考えた。

 既にアロハの男が死ぬことは大崎の中で決定事項なのだ。

「なんだか、雲行きが怪しくなってきましたね」

 飯塚の声に、空を見上げると確かに雨の降りそうな雲だった。

「そうか……孤島だもんなあ」

 大崎は嵐が来て船が動けなくなり、クローズドサークルになるところまで予想できた。

「これは早めに帰った方がいいかもしれない」

「そうだな。雨が降る前に帰ろう。ホテルで何も起きてなければいいが」

 警部はニヤニヤと笑いながら、今にも踊り出しそうな雰囲気であった。

 そして警部の期待は裏切られることはなく、ホテルは騒々しく、ただ事ではない空気に包まれていた。

「なにかあったのですか?」

 警部が急いでベフロントマンに尋ねる。

 なんて嬉しそうな顔なんだ。大崎はドン引きした。

「二〇四号室から何か叫び声が聞こえて、中に入ろうとしたのですがドアが開かないのです」

 フロントマンはマスターキーを取りに戻ってきたらしい。

「もしかして、二〇四号室というのは、あの、アロハシャツの男の部屋では?」

「はい。宮下様のお部屋でございます」

「ビンゴ!」

 大崎は予想が当たったことに思わずガッツポーズをして、それから少し憂鬱な気分になって、更に思い出したようにわざとらしい口調でそれは心配ですねと言った。

 フロントマンと共に部屋の前まで行くと、既に人だかりができていた……と言っても、孤島の小さいホテルなので大した人数はいないのだが。

「申しわけありません。通してください」

 フロントマンが人の波をかき分けて進んでいく。その間を同じように警部と飯塚が通っていく。

「ちょっと! 割りこみしないでよね!」

 大崎は見知らぬ女性に阻まれてそれ以上進むことができなかった。

 なんで私だけ……。

 大崎は不運の塊なのだ。

 ドアに鍵を差し込む音がして、それからしばらくしてフロントマンの悲鳴があがった。そして、それに釣られて皆一様に声をあげる。

 ほら見ろ。やっぱり死んでいるんだ。どうせ私が解決しなきゃいけないんだから、最初から通せばよかったのだ。

 大崎は拗ねて自分の部屋へと帰ろうとした。

「先生! 先生! 事件ですよ! 大崎先生!」

 後ろから聞こえる飯塚の声を無視する。

 そんなに事件が好きなら自分で解決しろ。

「みなさん、落ち着いてください! 私は警察です。東京警視庁の山下です。ご安心ください。この事件は私が解決して見せます」

 警部が警察手帳を懐から取り出して、集まっていた人々を落ち着かせる。

「それに、そこにいるのは最近やたらと騒がれている探偵の大崎君です。この事件は必ずや解決するでしょう」

「大崎? 探偵の?」

「あのどんな事件も解決するという?」

「おお、本物じゃ! わしゃテレビで見たことがあるぞ」

 視線が大崎の背中に集まる。

「……そうです! 私が探偵の大崎です。この事件は、必ずや解決してみせます!」

 部屋に戻ろうと歩きはじめていた大崎は勢いよく振り返り、営業スマイルで言った。

「ちょっと通してもらえますか」

 大崎はさっき自分を通さなかった女性の隣を偉そうに歩いた。

「ああ、こりゃ死んでますね」

 アロハの男。宮下が部屋の真ん中でうつ伏せに倒れていた。

 大崎は躊躇わず部屋に入り、宮下に近づく。宮下の周りは水たまりになっていた。カーペットに染み込みきらない量の水。これはかなりの量の水である。とても部屋の床にこぼれる量の水ではなかった。

 大崎は水を触って、匂いを嗅ぐ。

 磯の香り……? 海水か。

「どうだね、大崎君。なにかわかりそうか?」

 警部はドアの前に突っ立っている。調べる気はないらしい。

 大崎は警部を無視することにした。

 外傷は……あるのかよくわからない。

 あまり死体をジロジロと見たくはなかった。

 確か叫び声が聞こえたと言っていたな。死因は……いや、検死はできそうにない。なにしろここは孤島だ。医者もいない。

 大崎は冷静に、かつ迅速に分析した。一通り部屋を見て回り、現状でわかることは全て把握した時、部屋の外からドタドタと廊下を走る音が聞こえた。

「どうした!」

 警部が走ってきた男に問う。

「た、大変だ! 嵐で船が……船が……」

 男は肩で息をして、言葉を上手く紡げずにいる。

「船が流されたんですね」

 大崎は面倒だったので、予想を口にした。男は首を縦に振って、それを肯定する。

「いやっ……いやあああああ! 浜姫様の呪いよ!」

 先ほど大崎を通さなかった女が叫ぶ。

 ここまではお決まりのパターンだった。

「もしかして……あの時の……嘘よ。もう終わったはずじゃない……」

 女が一人で語り始める。

 大崎はため息をついた。

「いやよ! 私は帰る……」

「ちょっと待ってください。そこを動くと死にますよ!」

「え?」

 どこかへ行きそうな女を大崎は適当な言葉で止めた。このままどこかへ行かれたのでは確実に死ぬ。大崎はこれ以上死体を出したくないのだ。

 どうして休息が欲しくてやってきた孤島で死体の山を見なければならないのだ。全く持って不本意だが、起きてしまったものは仕方がない。一度解決してしまえば二度は起こらないのが事件なのだ。さっさと解決してしまうのが最善である。

 大崎は覚悟を決めた。

「犯人はこの中にいます」

 そう言って集まった人の顔を見渡す。大崎の隣で山下が餌を目の前に吊るされた犬のような顔になった。

「なんだって? 犯人がわかったのか大崎君」

「いいえ、まだ犯人はわかりません。ですが、この中にいることは間違いありません。そして、一人で行動することは犯人の思うツボです」

「なぜだね? なんでそんなことがわかるんだ、大崎君」

「そういうパターンだからです」

 大崎は何か言いたそうな顔をしている山下を無視して、これから皆さんが先ほどまで何をしていたのかお聞かせくださいと言った。




 事情聴取を終え、大崎は大きく息を吐いた。

「お疲れ様です先生。どうぞ」

 飯塚の差し出した紙コップを受け取って、大崎はそれを一気に飲み干した。

「……ふう」

「どうですか? 犯人はわかりましたか?」

 わかるわけがなかった。そもそも、鑑識がいないのだから死亡時刻がわからないし、死因すらわからないのだ。アリバイもなにもあったものじゃない。

 ただ、聞かなければ話が進まない。そういう風になっているのだ。

 殺人事件なんてものは大概がテンプレートなのだ。特殊な殺人などほとんどない。少なくとも、大崎という殺人事件に何度も遭遇するテンプレートな探偵の周りで起きる事件は、自然とそういう形になる。

 だから、まずは事情聴取をする。それから推理をして、解決する。それだけのことなのだ。

 とりあえず、怪しい人物の目星はつけた。

 フロントマンの山岸と東京からやってきたという中里という男だ。

 二人は宮下の部屋に入っているのだ。

 フロントマンである山岸は、仕事の都合で入ることは珍しいことじゃない。ただ、フロントで揉めていた一件もある。動機としては弱いが、殺さないとは限らない。

 しかし、それよりも中里という男はそれ以上に怪しい。宮下と面識はなかったそうだが、この島に来る途中の船で意気投合し、大崎達がこの島に来る前の晩に部屋で一緒に酒を飲んだそうだ。それは酒を運んだ山岸が証言している。

「私は多分、谷口さんが犯人だと思います」

「なんでそう思う?」

「なんか犯人っぽい顔でした」

 飯塚は自信満々に答えた。

「確かにそうだな。ありゃ犯罪者の顔だ。いますぐ逮捕するか?」

 山下がそれに乗る。

 大崎はため息をついて、早まった真似はやめてくださいと部屋から出ようとした山下を手で抑えた。

 顔で犯人を決めるような人間が警部とは、世も末だ。

「えー犯人っぽいのに……」

 不満そうな顔をしている飯塚を無視して、大崎は事件の流れを大まかに整理した。

 まず、三日前に被害者の宮下が東京からこの煉獄島に来た。フェリーで中里と出会い、意気投合する。そして、その次の日の朝に谷口が来て、下柳――大崎が現場に向かおうとしたときに邪魔をした女だ――が夕方にやってきた。

 この煉獄島は孤島で特に観光名所でもなく、このホテル以外には建物もないため、それほど人が来ることはない。今回の様に一つの時期に四人以上の人間が来るのは珍しいという。

 それはこのホテルのオーナーである、高橋という老人が言っていった。

 フロントマンの山岸は知人の紹介で、数年前からこのホテルに勤めているという。以前は東北の田舎の方に住んでいたらしく、特に被害者との接点はない。

 谷口と下柳の来た次の日には誰も来なかったという。つまり、このホテルにいる人間以外にこの島には人がいない。外部の犯行はあり得ないということだ。

 その日、被害者と中里は夜の九時頃から翌日の朝まで酒を飲んでおり、大崎が到着したときにもそれは抜けていなかった様である。

 山岸と揉めていたのは大体十四時と言ったところだろか。

 中里は朝の七時くらいに自分の部屋に戻って寝たというから、宮下はその後も一人で飲んでいたということになる。

 そして、大崎達が出かけて戻ってきたのが十八時。その間、宮下はずっと部屋にいたと予測される。隣の部屋の谷口が、大きな音を立ててドアが閉められた音を聞いてからずっと静かだったという証言をしている。恐らく寝ていたのだろう。夜の九時から少なくとも翌日の十四時まで起きていたのだ。酒も飲んでいる。眠くなってもおかしくはない。

 ドアを閉める音が大きかったのは山岸と揉めてイライラとしていたのだろう。山下に腕を捻られたせいもあるだろうが……

 とにかく、それ以降宮下の部屋から物音はしなかったという。大崎達が帰る少し前に叫び声がしたというその時までは。

 これは中々難しい事件だ。

 大崎は頭を抱えて唸った。

 これは密室殺人なのだ。

 宮下の部屋は二階にある。窓の鍵は開いていたが、とてもじゃないが外から入れる高さではない。ロープなどを垂らしても、今日は天候がよくないのだ。風も強く、そんなことをするのはあまりに危険すぎる。

 そして部屋のドアには鍵。他に外に抜けられるような場所はない。

 必ず何かトリックがあるはずだ。しかし、それは何だ……?

 情報が少なすぎる。

 検死もできないため、宮下の死因はわからない。当然死亡推定時刻もだ。それに、周りに零れていた水は一体何だったのか。海水のようなものだったが、確実ではない。

 雨が止んでから検死が来るのを待つか? いや、この事件を解決するまで雨は止まないだろう。

 大崎は経験的にそのことを知っていた。

 隣で山下がツイッターで「事件解決なう」などと投稿していたので、殺したくなった。

「はあ……なんか私、飽きてきちゃいました」

 飯塚はため息をついて、部屋に戻りますねと言った。

 大崎はみんな死ねばいいと思った。

 どいつもこいつも……いや、待てよ。飽きてきた……? そうか!

「警部! すぐにこのホテルの人間を全員集めてください」

 大崎はこの事件を早めに終わらすことにした。




「皆様、お集まりいただきありがとうございます」

 大崎は食堂に集まった人を見回して、少し気障に言った。

「なによ! 犯人がわかったっていうの?」

 下柳が不機嫌そうに叫ぶ。その顔は少し怯えているようにも見えた。

 大崎は下柳のような女が嫌いなので無視した。

「おい、君! 犯人がわかったというの本当か!」

 このホテルのオーナ。高橋という老人は深刻な顔で聞いた。

 自分の持つホテルで殺人事件があったのだ。一刻も早く解決したいのは当然だろう。

「ええ、犯人がわかりました」

「なんだって! 一体誰なんだ」

 老人が驚きの声をあげる。下柳はどこか不服そうな顔で俯いていた。大崎はそれを見て、満足した・

「まあまあ、焦らないでください。すぐにわかります」

 大崎は部屋に全員揃っていることを確認して、天井を指さすように右手を上げた。

「犯人はあなただ!」

 その右腕が振り降ろされ、その指が指す方向。そこにいたのは、フロントマンの山岸だった。

「え……? 違います! 私は何もしていません!」

 山岸は一瞬なにが起こったのか理解できなかった。自分は犯人ではない。これから犯人が捕まるのだから、自分の方に指が向けられるわけがない。そう考えていたのだ。

 真実、山岸は犯人ではない。

 大崎は、正直自分でも誰を指さすのかわからなかった。適当に腕を降ろしただけである。犯人候補の山岸であることは、まあ幸運だったと言えるだろう。

 つまり、大崎はこの事件をまともに解決するつもりがないのだ。

 もう事件を解決するのは飽きた。そもそも、大崎が事件に巻き込まれるのは探偵だからである。探偵でなければ、悲惨な事件に遭遇することはない。だからといって、仮に探偵をやめると事務所を出たところでそれは変わらない。

 大崎が探偵である理由は、事件を解決するからに他ならない。

 ならば、事件を解決しなければいい。事件を解決できなかった大崎は探偵の資格を失う。そして資格を失えば、当然探偵ではなくなるのだ。そうすればこれから毎日血の匂いに迷わされることもない。ゆっくりと休める。

 問題はここから帰ることだった。

 このまま事件が解決しなければ、大崎がその探偵の資格を失うまで雨がやむことはない。

 事件を解決できなかった。そう判断がくだされるのはいつなのか、それは大崎にもわからないことだった。

 いつまでもこの島にいれば、いずれ食料も尽きる。この嵐では助けの船も来られないだろう。だから、当面の目標は事件を解決したという体裁をとりながらも、実は解決していないという状況にすることなのだ。

 要するに冤罪だ。誰かに罪を着せればいい。この島を出て、警察が然るべき調査を行えば山岸が犯人でないことはわかるだろう。必要なのは一旦解決して見せることなのだ。

「大崎君、彼は犯人じゃないと言っているが」

「犯人だと言われて、はいそうです私が犯人ですと素直に認める犯人がいますか? 警部」

「確かに、それもそうだな。よし、お前が犯人だな。逮捕する」

 山下は簡単に納得して、懐から手錠を取り出した。

「ちょっと待ってください! そんな馬鹿な! 私が犯人だという証拠がどこにあるんですか?」

 山岸は必死の形相で抵抗した。

 当然である。

 この程度で終わらせられるとは、大崎も思っていない。

「しかし山岸さん、あなた確か被害者の宮下さんとはフロントで揉めていましたね。随分と怒鳴られていたようだ。あれは初めてのことじゃないのではありませんか?」

 大崎が言うと、山岸は宮下のクレームを思い出しているのか、下唇を噛んで肩を震わせた。

「確かに宮下様とは、何度か揉めることがありました。しかし、だからといって人を殺したりはしません」

「そうですよ、先生。接客業をしてれば、クレーマーなんていくらでもいるんですから、一々殺していたらみんな死んじゃいますよ!」

 その通りだ。しかし、ここで負けるわけにはいかない。

「確かに、そうです。クレームで人を殺すなんてことは、普通ならありえません。でも、この事件は普通の事件じゃあない。それは些細なことにすぎないのです」

 大崎は含みのある言い方をして、ニヤリと笑った。

「それはどういうことだね、大崎君」

 山下が食いついてくるのを待って、大崎は深く息を吸った。

「このホテルには、一年で数十人ほどの客しか来ないそうです。それも、ほとんどは時期がバラバラで、今の様にホテル内に六人……いや、死んだ宮下さんを入れれば七人も客が入っているのは異常だそうです。そうですね?」

「ああ、こんなに客が来たのはこの二十年なかったことだ。以前はこのホテルも賑わっていたのだが、今はもう……」

 オーナーの高橋が懐かしむように答えた。

「では何故、現在このホテルにはこの人数の人が集まっているのか。それは、このホテルに来ている人間が客ではないからです」

「なんだって!?」

「被害者の宮下さんは、東京で不動産の仕事をしているそうです。それは宮下さんと話したことのある、中里さんが教えてくれました。そして、その中里さんも同じ不動産の仕事をしている。つまり、お二人はこの土地の下見に来たのですよ」

「そんな話は聞いていない!」

 声を荒げたのは高橋だった。

「そうでしょう。本来なら、この話はまだ秘密なのですから。そうでなければ、宮下さんも中里さんもオーナーに話を通して、然るべき手順で下見をするでしょう。それをしなかったのは、まだ決まっていることではないから、なのです。この土地を欲しがっているお金持ちの人間がいる。という噂程度の話なのですよ。だから、お二人は今の内に目を付けておくことにした。この土地は大した観光地もない孤島ですからね。買うにしてもそれほど高いわけじゃない。しかし、高くすることは可能だ。適当な理由をつけて値段をあげる。それくらいのことはできる。相手はお金持ちなのだから、多少高くても欲しければ買う。その値上げした分の利益は丸々会社のものになるわけです。だから、お二人は現在この土地を持っている人間にその情報を流したくはなかったのです。他の二人も、同じですね」

 大崎は下柳と谷口を見た。谷口は――飯塚曰く、犯人面で――頷いた。下柳は居づらそうに俯いている。大崎に嫌われていることに気が付いているのだった。

「しかし、それが今回の殺人事件と何か関係あるのかね?」

 山下にしてはまともな質問だが、そんなことは大崎の知ることではなかった。そもそも、この事件の真相を知らないのだから、関係があるかどうかを判断することなどできないのだ。

 ただ、それっぽいことを言ってみただけである。

「そう急がないでください。この土地が買われれば、このホテルの従業員はどうなると思いますか?」

「まあ、そのお金持ちとやらの意向にもよると思うが、ホテルを運営しないのなら失業することになるだろう」

「そこですよ、警部。この山岸さんはこの土地が狙われていることを知っていたんです。どこからその情報を手に入れたのか、恐らくは宮下さんと口論しているときに、宮下さんが思わず漏らしてしまったのでしょう」

「いや……あの……そんなことは知りませんでした」

 山岸が言いづらそうに答えた。周囲の目が一斉に大崎へと向く。

 事件の解決編で、探偵の推理が間違っていると指摘するのはなんだか気が引けたが、山岸はこのまま犯人にされるわけにはいかなかった。

 大崎はわざとらしく咳払いをして、それから窓の外に目を見やった。まだ嵐は止みそうにない。

「そう答えるのではないか、と思っていました。しかし、本当にそれを知っていたかどうかはわかりませんからね。知っていてもそうやって知らなかった振りをすることは簡単だ」

「そんなっ……」

 悲痛な面持ちになった山岸を見て、大崎は少しの罪悪感を抱いた。

 しかし、大崎とてこのまま山岸を犯人にしないわけにはいかない。どうせ山岸は後に冤罪が晴れるのだ。犯人になるわけではない。

「でも、先生。あの密室はどうしたんですか? ドアの鍵が閉まっていたんですよ? 確かにドアの鍵を管理している山岸さんなら開けることは可能かもしれません。でも、その時鍵は持ち出されていなかったという証言が」

 余計なことを……大崎は飯塚を睨みつけた。

「確かにドアの鍵は締まっていて、誰もあの部屋に入ることはできなかった。それに、今日は鍵がフロントから持ち出されたことはなかったとオーナーの高橋さんも証言しています」

「じゃあ……」

 大崎は手を上げて、警部の言葉を抑える。

「窓の鍵は開いていたのですよ」

「窓って……二階だぞ? とてもじゃないがあの窓から侵入は不可能だ」

「ええ、無理でしょう。普通ならね」

 大崎は覚悟を決めた。ここからが勝負である。

「実は、山岸さんにはある秘密があるのです」

「秘密?」

「ええ、普通じゃあない。これはとてもじゃないけど信じられない。私もわかったときには自分を疑った。しかし、みなさん驚かないで欲しい。これは紛れもない真実なのです」

 一度全員を見てから、大崎はできるだけ真面目な顔で言う。

「山岸さんは超能力が使えるんです」

「……は?」

 場の空気が冷えていく。なにを言っているんだ、とその場ににいる全員の顔が物語っている。

「いや、大崎君。君、そんなこと、あるわけ……」

「あるわけない。そう言いたくなる気持ちはわかります。私は未だに信じることができません。しかし、実際にそうなのだから仕方がない。山岸さんは超能力を使って窓から侵入して、宮下さんを殺したのです」

「いやいやいや。そんな馬鹿な」

 山下は首を振って、迷いを断ち切るように言った。

「みなさんも、信じられないでしょう。ですが、これは事実なのです」

「何を言っているんだ! 超能力だなんて。子供の妄想じゃあるまいし。噂に聞いていた名探偵とはこんなものなのか!」

 困惑する人の中で、声を荒げたのは谷口だった。

「しかし、事実です」

 大崎は念を押すように言った。

「えーっと、山岸さん。あんた超能力者なのか?」

「いや、違いますけど……」

 山下の問いに、山岸は困惑しながら答えた。当然である。

「だから、超能力者か? と聞かれて、はいそうですと答える人はいないでしょう」

「無茶苦茶だ!」

「そうです。無茶苦茶なんです。この事件は」

 大崎はできるだけ、自分もそんなことは信じられないという風に装った。

「では、逆に聞きますが、それ以外に宮下さんを殺す方法がありますか? 答えられるのなら答えてください。他にあるのなら、それが答えなのでしょう」

 部屋に静寂が訪れる。答えられるわけがないのだ。

「みなさんが信じられないのも無理はない。しかし、私達はそれを信じるしかないようです。殺人事件に何度も遭遇する探偵がいるのだから、超能力者がいてもおかしくはない。そうは思いませんか?」

「た、確かに……」

 山下が額の汗を拭って後ろにさがった。

「普通はありえないでしょう。行くところ行くところで殺人事件に出会う探偵なんてものは」

「言われてみれば……そうかもしれない」

 先ほどまで大崎を睨み付けていた谷口が、納得しそうになる。

「超能力はあります!」

 ダメ押しで大崎は研究者風に言った。

「しかし、犯人の死因は撲殺だろう。超能力者ならわざわざ撲殺なんてする必要ないんじゃ……」

 今まで沈黙していた中里が、絞り出すような声で反論した。

 大崎はため息をつく。それから、飯塚が何かに気が付いたような声を上げた。

 馬鹿が……黙っていれば終わったものを。

「確かに、そうですね。撲殺なんてする必要はない。ですが、私は今まで宮下さんが撲殺されたことを知らなかった。この島には医者なんていませんからね。死因なんてわからないんですよ。そう、犯人以外にはね」

 大崎に向けられていた視線が、全て中里の元へと向かった。

「どうして、死因が撲殺だということを知っていたのですか、中里さん」

「あっ……いや、違う! 死体の横に灰皿が落ちていたんだ。だから、てっきりそれで殴られたのかと思って……」

「そんなものはありませんでしたよ」

「そんな馬鹿な! 確かに俺はあの灰皿で……っ!」

「どうやら、真犯人は炙り出されたようですね」

 大崎はニヤリと笑って見せた。

「どういうことなんだね、大崎君。犯人は超能力者の山岸なんじゃないのか?」

 展開についていけない山下が、大崎に詰め寄った。

 本当に山下は馬鹿なのだ。大崎はイライラしていたので、それを無視した。

 結局、また事件を解決したことになる。真犯人が見つかってしまったのでは、大崎は探偵をやめることができない。これから先のことを思うと憂鬱だった。

「先生。もしかして、さっきまでの超能力の話は真犯人を見つけ出すための罠だったんですね?」

 飯塚が都合のいい解釈をしたので、大崎はそれに乗ることにした。

「その通り。私は超能力という突拍子もないことを事件の中核に置くことで、話を事件の犯人から超能力があるかないかにすり替えたのです。そして、真犯人である中里さんは当然そんなものはないことをわかっていた。だから、反論してしまいたくなったのです。超能力なんてあってたまるかと、そう言わずにはいられなかった」

「くっ……」

 中里が崩れるように倒れ、涙を流した。

「仕方がなかったんだ……」

「ちょっと待ってください、中里さん」

 中里の言葉を、大崎が遮る。

「そういう犯人の動機を説明する場面。私はもう聞き飽きているんです。部屋に帰って休むので、その後にしてください」

 冷たく言い放って、大崎はその場を後にした。

 誰もがそれを驚いた顔で見つめる中、煉獄島にちくしょう! という悔しそうな声が響き渡った。

 それは犯行がばれた犯人のものだったか、それとも事件を解決してしまった探偵のものだったか……




 帰りの船で、大崎はただ目の前に広がる海をぼんやりと眺めていた。

 明日からまた事務所に戻って、事件の依頼が来るのだろう。ちっとも休むことができなかった。

 中里はホテルの一室に閉じ込めて、警察の迎えが来るのを待ってから送還されるらしい。

 山下はそれの付き添いで島に残っている。他の人々もホテルに残って、まだやることがあるらしい。殺人事件の起きた島となれば、価値もそれなりに下がってしまうのだろう。

「先生」

 後ろからかけられた声に、大崎は振り向く。

「見事な解決でしたね。流石です」

 褒められても、なにも嬉しくない。大崎は解決したくなかったのだ。

 飯塚はそんな大崎の気も知らずに、嬉しそうである。まるで、自分の手柄の様であった。

「それにしても、山岸さんは怒っていましたよ。危うく犯人にされるところだったって」

 それもそうだろう。大崎も山岸には悪いことをしたと思っている。

「仕方がなかったんだ。あの島での事件はわからないことだらけだったからね。結局下柳の言っていた、浜姫がどうとかはなんのことだかわからなかったし。ああいう解決方しかなかったんだ」

 適当に言い訳をして、また海を眺める。飯塚が隣りでスマホをいじっていた。

 ああ、こいつ聞いて無かったな。

 大崎はやはりため息をついた。

「そうだったんですか。それならば仕方ありませんね」

 また、突然後ろから声がして、大崎は振り向いた。

 そこには、山岸がした。

「や、山岸さん……なんでここに?」

 大崎の全身から冷や汗が噴き出た。

「いや、どうして大崎さんは私を囮にしたのか気になりまして。囮にするのは誰でもよかったわけですから」

「そうじゃないです。私がなんでここに、と言ったのは、この海の上に、どうやって来たのかということです」

 いるはずがないのだ。大崎達が船に乗り、船が出港するとき、山岸はその見送りとして港にいたのだ。この目で確かに見ている。この船にいるはずがない。島からはもう随分と離れている。

「いやだなあ大崎さん。何度も殺人事件に会う探偵がいるのだから、超能力者がいてもおかしくない。言ったのはあなたじゃないですか」

「そんな馬鹿な……!」

 大崎は言葉を失った。それはあくまで適当に言っただけのことだった。そんなことがあるはずないと誰よりも信じたかったのは大崎なのだ。

 超能力者がいるのなら、大崎はこれから先ずっと、何度も殺人事件に遭遇しなければならないということではないか!

「もう嫌だ……」

 船の甲板に呟くような小さな声が波のように広がり、そして波のように消えて行った。


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