潮(二)
ひと月後、治療のおかげですっかり元気になった私は、徒浜に戻って来た。
「ほら、先生。これが徒浜名物の貝焼きですよ」
私は一刻も早く姉上に逢いたかったけれど、母上が治療のお礼にと先生を徒浜に招待したのだ。
ちょうど徒浜では夏祭りが行われている期間だったから、村で一番人通りの多い場所で市が開かれていている時だった。
普段は人が少ない小さな漁村で、あまりよそ者を歓迎したりはしないけれど、市が開かれているこの三日間は地方からも人が大勢やって来る。
人魚である村人たちは、この期間に合わせて事前に海に浸かり、人間の姿のまま村へ来た人間たちをもてなす。
人間として密かに暮らしているとはいえ、年貢は納めなければならない。
漁村としてただ魚や貝を捕っての生活ではなく、この夏祭りの期間に一気に冬支度の為にお金を稼ぐ。
人魚の噂のせいで、ただでさえよそ者が多いから、今年はかなり儲かるんじゃないかと村の人たちが話しているのを耳にしつつ、私たちは母上がお気に入りの貝焼きで有名な店で昼食をとっていた。
この日は殆ど風のない、とても暑い日。
魚の姿になることはできなくても、脚くらいなら海に浸かって少し涼もうかなと思って、海の方を見ると、溺れている男がいることに気がついた。
「大変!!」
この村の人間なら、溺れるなんてことはまずない。
あれは人間だとすぐに気がついた。
慌てて海に飛び込んだ。
人の姿のまま泳ぐのは不便。
やはり尾鰭が無ければ速度が出ない。
だから脚だけ魚の姿で、海の中を泳いだ。
祭りの開催中に死人が出てはいけない。
よそ者の死体が海で上がってしまうと、来年の祭りが開催できなくなるかもしれないからだ。
村の秘密を知ってしまった人間は人知れず殺して、死体は海に沈める。
けれど、目の前にいるのは海でおぼれているだけ。
四年前に海で二人立て続けに溺れて死んで、三年前の祭りは中止になった。
あの年の冬はとてもひもじい思いをした。
姉さまの許婚だった男が助けてくれて、どうにかなったけれど、もうあの男はいない。
もう二度と、あんな暮らしはしたくない。
目の前の溺れている男を、助けないわけにはいかなかった。
*
「こんな穏やかな海で溺れるなんて……」
浜辺に男を引き上げたものの、意識を失っている。
水は吐き出させたから、命に別状はないだろうけど、一応、私は男が目覚めるのを待った。
やることもないので、男の顔を観察する。
よそ者は人魚に比べたら不細工ばかりだけど、この男はそこまで酷くはない。
左の眉の上の傷跡がなければ、綺麗な顔をしているのではないかと思った。
浅黒い肌に、傷跡のところだけ白く斑点のようになっていて、もったいない。
少し、姉様の許婚だった男に似ている気もしたけれど、あの男は人魚だったから、こんな風に溺れたりしない。
人魚であることを隠して、今はどこか遠くの村で生活しているらしい。
どうして姉さまの前からいなくなったのか、私はその理由を知らないし、興味もない。
姉さまの心を弄んだ不届き者だ。
「……う……っ」
男が目を覚ましたので、私はいなくなった男のことを考えるのを辞めた。
「起きたか。……まったく、泳げないくせに海に入るなんて、死にたいのか」
傷跡のある男は、切れ長の目をこれでもかと思うくらいに見開いて、私を見上げる。
「私が通りかからなければ、死ぬところだったぞ?」
「助けてくれたのか……? 忝い」
起き上がる気力もないのかと思ったけれど、上体を起こし、礼を言った後すぐに海の方を指さして「あの大きな魚はなんだ」と訊いて来た。
魚なんていただろうか?
「大きな魚?」
記憶を辿ろうとしたが、すぐにわかった。
私だ。
溺れているこの男を助けるために海に入った時、私は脚だけ魚になった。
半分人間半分魚のまさしく人魚の状態だ。
「さぁ、そんなのいたかな? 私は見てないけど……?」
「見てない? 俺はてっきり、あれに食われるかと思ったんだが……」
身振り手振りで大きさや形、色を伝えたが、私は小首を傾げる。
あれが私で、それが人魚であることを悟られてはならない。
海の中で溺れて、気が動転していただろうから、なんとかごまかせないかと内心必死だった。
「うーん、そう言われても……ここは海だから、色々な魚がいるし……大きい魚も小さい魚も――私はただ、溺れているのが見えたから助けただけだ。何か、幻覚でも見たんじゃないか?」
「……そう、だろうか?」
男は納得いってないようだったが、そういうことにして私は話を切り上げ、男から離れた。
村の人間が人魚であることを知られたら、村を出て行かれる前に殺すのがこの村の掟であることは知っている。
でも、正直私はあの掟が怖い。
村の秘密を守るためとはいえ、人を殺していることに変わりはないのだから。
不確かな記憶でしかないこの男まで、殺す必要はないだろう。
きっと、すぐにこの村には人魚がいないと諦めてくれるはずだ。
そう思っていたのに……
「額に傷跡のある男……?」
姉さまと一緒にこの村から消えた男。
伯母が口にしたのは、あの男に違いない。




