庄太郎(六)
澪を連れて城へ行くと、姫様は翠ともう一人の侍女を残して人払いをした。
澪が普通の人間の姿をしていたから、嘘を吐いていると疑われていたのだろう。
翠は後ろ手に縄で拘束されたままで、その縄の先を逃げないように侍女が掴んでいる。
確か名前は、キヨと言ったか。
翠の話によく出てくる侍女だ。
料理が上手で、魚のさばき方を教えてもらったと得意気に言っていたのを思い出した。
「どこからどう見ても、人間の女ではないか」
姫様は眉間に皺を寄せ、疑っているようだったが澪は下半身を魚に変えたことで、信用を得た。
俺も数日前にその姿を見た時は、本当に驚いたが、美しくて、綺麗だと思った。
姫様は澪の姿を見て、俺が本当に人魚を連れて来たと納得したのだろう。
姫様が目くばせすると、侍女は翠の縄を解いて、二人は部屋の外へ出て行った。
澪は姫様の目の前で自分の左手の小指を小刀で切り落とし、姫様にそれを食べるように言った。
「これを食べれば、あなた様は不老長寿の身となります。そのお美しいお姿には、今後、誰一人傷をつけることはできません。あなた自身も、これからお過ごしになる長い時でさえも。これを食べると、その時点であなた様の体は時が止まります」
「ほう……なるほど」
人魚の小指――といっても、見た目は人間の小指と変わりない。
切り口から垂れる血も、人間のそれと同じで赤いのだ。
指一本と言えど、切ってしまえばかなり痛いのだろう、澪のしわひとつなかった眉間にくっきりと縦にしわが寄っていた。
額から脂汗が噴出し、目の横を伝う。
澪は切り口に布を当て、止血するのをじっと待つ。
「では……」
姫様がその指を何のためらいもなく口に含むところを、俺たちは見つめた。
吐き出された爪と骨が床に転がる。
「あまり旨くはないな……これで、本当に妾は不老になれたのか?」
姫様はにやりと笑いながら言った。
覗いた歯が、血で真っ赤に染まっているのが、なんとも不気味で悍ましい。
父がまだ生きていた頃、山小屋で暮らしていた狩人の男が、生肉を食べていたのを思い出した。
お前も食ってみろと、嫌だったのに無理やり食わされたときの、あの生臭さ……
俺はこみあげてくるものを抑え、平然を装いながら澪の方を見る。
「ええ。これから一刻のうちにお体に変化があることでしょう。喉や胸のあたりがざわざわとし、体に熱を感じると思います。場合によっては、眠気に襲われるかもしれません。ですが、その熱が引いたら、あなた様の体には、どんな傷もつかなくなります。今のそのお美しいお姿のままでいられるようになります」
その日はそれでおしまいだった。
後から聞いたが、澪が言った通り、姫様の体は全身が熱くなり、熱が引いた後、試しに指先の皮を少し切ってみたが、たちまちその傷は消えてなくなったらしい。
姫様が不老長寿を手に入れたという噂は、一気に城内にひろがった。
中には、俺が人魚の肉を持ってきたからだという話を聞きつけて、同じものを譲って欲しいというやつも現れた。
けれど、俺も、姫様も、その人魚の肉が澪のものだとは、決して言わなかった。
俺は澪と一緒に暮らし始めた。
翠は澪のおかげで姫様に許されて、再び侍女として城で働かせてもらえるようになり、すべてが元通りになったのだ。
いや、むしろ、以前より幸せだった。
「お帰りなさい。あなた」
「ただいま」
まだ祝言は挙げていないが、家に帰れば、美しい妻が出迎えてくれる。
澪が作る食事はどれもとても旨い。
荒れ放題だった庭も、俺が働きに出ている間、澪が綺麗に手入れをしてくれて、母がいたころ――幸せだったあの頃を思い出させてくれる。
夜、抱いて眠れば柔らかくて、暖かい。
「あなたが私を愛して下されば、それで充分なのです」
澪はいつもそう言って、俺の隣に身を寄せて眠る。
毎晩眠りにつく前、俺たちは、たくさん話をした。
俺は澪のような人魚や妖怪について聞くのが面白かった。
人魚は人間より実は鼻が効かず、臭いに鈍感だとか、直前に口にしたものの香りがしばらく体に残るだとか。
反対に澪は俺がどう育ってきたか、子供の頃はどうだったか、そんな昔の話を聞きたがり、俺は家族との思い出を語った。
人並みの幸せを、手に入れた。
そんな気がしていたのに……
そんな幸せは、ある日突然、終わった。
「澪、帰ったぞ」
いつもよりほんの少しだけ遅く帰ったあの日。
「澪……? いないのか?」
いつもなら、すぐにでも駆け寄って来る澪の声が聞こえない。
もしかしたら、玄関から一番遠い位置に新しく作り替えた風呂場にいるのかもしれないと思った。
澪の為に作った大きな風呂場。
最低でも十日に一度くらいは全身を水につける必要がある澪は、その水風呂を気にいっていた。
ところが、風呂場に近づいても、何の音も聞こえず、声を掛けても何の返事もない。
不審に思って、ふと足元を見ると、濡れていることに気がついた。
引き摺ったような跡が、台所の方に続いていることに気がついた。
水と混ざって、きらきらと光っている何かがある。
鱗だ。
澪の鱗だ。
どうして、それが、こんなところに落ちているのか……
澪が人魚の姿になるのは、いつもこの風呂場の中だけだったはず。
それなのに、どうして――――
「……っ!」
その答えは、台所の光景を見てすぐに理解できた。
血だらけの台所。
床に転がっている、骨と頭。
澪の頭と骨が、真っ赤な血の海に浸かっていた。
まるで魚のように、頭と骨、尾鰭だけが皿の上に乗っているようだった。
「……澪……?」
黒曜石のような瞳と、目が合った。
* * *
もう手遅れだった。
何もかも、終わった後だった。
どうすることもできなくて、俺は隠した。
ここで起こったであろう惨劇を、すべて無かったことにしようと、必死に穴を掘り、頭と骨を埋めて隠した。
俺はあの女を愛していたのだろうか。
いや、愛してなんていなかった。
本当に、あの女を愛していたなら、誰の仕業かわかっていながら、それを隠そうだなんて思わなかったはずだ。
申し訳ない気持ちはある。
すまなかったと思っている。
きっと、俺なんかと出会わなければ、俺なんかと夫婦にならなければ、あの女は、澪は今も、あの徒浜にいたはずだ。
人魚であることを隠している村人たちと、家族と一緒に、同じ人魚同士、あの村で夫婦になって、今頃は子供でも出来ていたかもしれない。
俺と出会わなければ……俺が、あんな取引なんてしなければ――――
「姉さまを返せ!」
それでも俺は、人魚の肉さえ手に入れば、それでよかったのだ。
殺すつもりはなかった。
ただ、妹を助けるためには、そうするしかなかった。
俺はただ、妹を助けたかった。
それだけなんだ。




