庄太郎(五)
「私たち人魚は、あなたたち人間とは少し違う存在です。昔はもっと、そういう、いわゆる人間とは違うものたちは存在していたそうです。河童や天狗……妖怪と言われているものの多くが、それ、なのです」
夕方。
部屋の窓から夕陽を眺めていた俺のところへやって来た澪は、自分が人魚であることを俺に告白した。
夕陽は沈みかけ、すでに暗くなっていたにもかかわらず、灯りを点けることも忘れて、俺は澪の話を固唾をのんで聞いていた。
「人魚の肉には、確かに不老長寿の力があります。それは、あなたたち人間にとって……です。他の生き物が私たちの肉を食べても、その力はなく、ただの肉でしかありません」
人魚の肉を食べて不老長寿になれるのは人間だけ。
だからこそ、人魚の肉はそれを知っている人間にとって、昔から価値のあるものだ。
価値のあるものは、金に換金されてしまう。
人間に人魚であることを知られた人魚の末路は悲惨なもで、今よりもっと昔、とある国で多くの人魚たちが人間に体をバラバラにされ、高値で買われ、食べられてきた。
その国から逃げ出し、人間としてひっそりと暮らしていた生き残りの人魚たちの末裔が、この徒浜の村人たちだという。
「自分が人魚である話を、村人以外の人間に知られてはいけません。それは、みんなの身を守ることにつながります。だから、基本的に、私たちのこの秘密を知ってしまった人は、村の外へ出すことはできません」
そうして守ってきたのに、ここ最近、どこかから徒浜に人魚がいるという噂が流れていしまっている。
村人たちは改めて、自分たちが人魚である話は絶対にしないと約束しあった。
「私たち人魚は、人間の姿にも魚の姿にも、その両方であることもできます。上半身は人間、下半身は魚という状態だったり、顔だけ人間で、体は魚ということもできます。各々泳ぎやすい姿になって、夜の海を泳ぐのです」
人魚は、数日に一度、必ず水に全身を数刻の間浸かっていなければ、命を落とすらしい。
だから、どんなに気を付けていても、ごくまれに、何も知らない人間に見られてしまうことがある。
「見てしまった人間を、生かしたまま村の外に出すことはできません。捕まえて、村のみんなで殺す。それがこの村の掟です」
俺が諦めて村から消えたと思っていた男たちは、その掟によって殺されたのだと分かった。
消えた連中の中には、横にも縦にも大きな男もいたが、村人が全員敵であるなら、さすがに敵わないだろう。
「どうして、俺に、その話を……?」
俺は、人魚を捜しているが、一度もその姿を見ていない。
澪が今、こんな話をしなければ、知らぬまま村の外に出られるはずだ。
それを、何故、こんな時にするんだ、と理由が分からず恐ろしくなる。
「私は、この村を出たいのです。ですから、取引をしませんか?」
「取引?」
「あなたは、妹を助けるために人形の肉が必要。私は、この村を出て、暮らしていける居場所が欲しい。だから――」
澪は、恐ろしくて震えていた俺の左手を取って、頬ずりする。
黒曜石の瞳が、潤んで揺れていた。
指先は酷く冷たいのに、すべらかなこの頬は、熱を持っていて、とても暖かい。
「――私と夫婦になりませんか?」
一瞬、何を言われたのか理解できなかった。
予想外の言葉すぎて、反応が遅れたのだろう。
俺は数拍遅れて、澪に訊き返した。
「夫婦……いや、でも、人魚の肉と引き換え、なんだろう? お前は誰か村人の命と引き換えにして、俺と夫婦になれと言っているのか?」
「いいえ、少し違います。庄太郎さん、あなたに人魚の肉を持ち帰るように言ったそのお姫様は、不老長寿になれればよいのでしょう?」
「あ、ああ。あの方は、老いることを誰よりも恐れているからな……」
「でしたら、命まで奪う必要はありません。ほんの少し、私の肉を口にするだけで十分なのです」
人間が不老長寿の力を得るには、確かに人魚の肉が必要だ。
けれど、それは少しだけで構わない。
庄太郎は魚や猪なんかを食べるときのように、人魚の肉も捕まえて、殺してから食べるものだと思っていた。
「私の小指と引き換えです。人によりはしますが、薬は取りすぎると毒になってしまうものなのですよ」
「…………わかった」
人魚の肉さえ手に入れば、翠が助かれば、俺はそれでよかった。
澪に特別な感情を抱いているわけではない。
俺は独り身で、好いた女も許婚もいないのだから、これは俺にとってはかなり都合がいい。
「でも、俺でいいのか? 好いた男とじゃなくて……」
「そこまで言わなければわかりませんか?」
「……え?」
「あなたがその好いた男なのです。だから、どうか――」
澪は俺の手のひらに口づけて、続ける。
「――私を連れて、ここから逃げてください。今すぐに」
俺はすぐに荷物をまとめ、宿を出て行った。
澪を連れ、徒浜から城下へ。
その道中、月明りの下で泳ぐ人魚としての澪の姿は、幻想的で、何よりも美しかったことを、今でも時々思い出す。




