澪(六)
私はそのまま、台所に引きずられた。
腰から下を魚にして水に浸かっていた私は、腕の痛みに気をとられて、人間の脚に戻すことができず、歩いて逃げることができない。
いや、何を逃げようとしているの。
これでいい。
このまま、この女に私の肉を食いつくさせてしまえばいい。
――それにしても、なんで台所……?
痛みに意識が飛びそうになりながら、そんなことを考えた。
私を竈の前に乱暴に放り投げ、この女は大きな包丁を手に取った。
「大きな魚は、食べやすいように小さく切らなくちゃ。まずは頭を落とすのよね」
その後のことは、何も覚えていない。
* * *
「翠……!」
あれから、どれだけ時間が経ったのかわからない。
でも、私の顔を見て、あの人はあの女の名を呼んだ。
「お前は下がっていなさい。悪いのは、俺なんだ。潮、妹は関係ない。だから、殺すのは俺だけに……」
私は、賭けに勝ったのだと、その瞬間、確信した。
やっと手に入れた。
これで、私はこの人の一番になれた。
それなのに、奪われてたまるものか。
どうして潮がここまで来たのかわからない。
でも、状況的に見て、潮は仇討ちに来たのだろう。
間に合ってよかった。
その前に、この体を手に入れてよかった。
「違うわ。潮さん、あなたのお姉さんを殺したのは、この人じゃない」
「翠!!」
「違う……? それじゃぁ、誰だっていうの!? ここには、姉さまの血のあとがあった。それなのに……」
「姫様よ」
「え……?」
私の言葉に、驚いた顔であの人は私を凝視した。
澪を殺したのは自分だと言うとでも思ったのだろう。
「兄は何もしていません。お城から来た姫様の手下が、この家でお姉さんを殺したんです。人魚の肉で不老長寿の力を手に入れた姫様が、一人で長生きするのは面白くないからと、同じように周りのみんなにその肉を食べさせようと……」
私が並べた嘘を信じて、潮は城に向かった。
芳姫様こそが、姉を殺した犯人だと思い込んで。
残念ながら、芳姫様はその刀で切っても死にはしない。
不老長寿の体で、何度も苦痛を味わうだけ。
まぁ、その前に捕まって、代わりにあんたの首が飛ぶだけだろうけど。
「兄さま、大丈夫ですか? お怪我は……?」
「俺は大丈夫だ。でも、どうして、あんな嘘を……? あの女を殺したのは、お前じゃ――」
知っていたのか。
翠としての記憶と私の記憶が混ざって、曖昧になっている部分がある。
でも、少なくとも今日、潮が現れるこの日まで、一切そんな話はしてこなかったはず。
「人魚を殺したのは、姫様です。私ではありません。もう、大丈夫ですよ」
「でも……!」
「そんなことより、家に入りましょう。兄さま」
戸惑うこの人の腕を引いて、私は家の中に入った。
扉を閉めた途端、私はこの人の胸に縋りつく。
「――私を愛しているのでしょう?」
「え……? 何を、突然……当たり前だろう?」
「それなら、それで大丈夫です」
顔を上げれば、私を見下ろす愛しい人の顔がある。
その瞳には、ずっと、これからも私だけを映して欲しい。
「翠……」
「なぁに、兄さま」
「お前、こんなところに黒子なんてあったか?」
「……何のこと?」
翠の顔に、黒子なんてあったかしら?
覚えていないわ。
「いや、気のせいみたいだ」
何度か瞬きをした後、この人はそう言って、私の頬に唇を落とした。
やっと手に入れた。
もう、誰にも、奪わせやしない。




