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人魚殺し  作者: 星来香文子
第三章 翠

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澪(五)


 ずっと、気づかないふりをしていた。

 違和感はあったのに。


 庄太郎さんの話の大半が、翠さんの話だった。

 たった一人の妹だし、家族なのだから、そういうものだろうって。

 私は潮を疎ましく思っていたけれど、本当に仲のいい兄妹だからだろうって。


 でも、思い返せば私、庄太郎さんの事より、翠の事の方が知っている。

 一度しか会ったことがないのに、彼女がとてもよく食べることや、姫様の侍女になる前に色々と危ない目に遭ったこと。

 盗賊に襲われそうになったこととか、何色が好きだとか、幼い頃の話まで。


 全部、庄太郎さんが話してくれたから。

 だから、知っていた。


 この人の一番は、私じゃないんだって。

 きっと、このまま祝言を挙げて本当の夫婦になったとしても、この人一番は、私じゃない。


 私は、気づいてしまった。

 手慣れていると思っていたの。

 恋にも愛にも無縁で生きて来たはずなのに、女の悦ばせ方を知っているような気がしていた。


 一人で町に買い物に出た時、庄太郎さんを知っているという店主の男が、言っていた。


「翠ちゃんはちょっと頭が足りないのさ。年齢の割に幼いというか……物事をちゃんと理解できてないようなところがある。見た目は可愛いんだけどな」


 その男の妻が言っていた。


「よくあんなのと一緒になろうと思ったね。ただの兄と妹じゃないって話だよ。もう大人だっていうのに、一緒に風呂に入ってるだとか……それで、何度か婚約まで行ったが逃げられてるって」


 やっぱり、一番は私じゃない。

 私じゃなかった。


 その時、私は、村長が言っていた三つ目の選択肢を思い出した。

 人間の体を乗っ取る。


 私の肉を、翠に食わせる。

 都合のいいことに、翠は大食いだと聞いている。

 指一本で不老長寿の力を手に入れたあの姫とは違って、自制心もないらしい。


 幼い頃、勝手に一人で団子屋に入って、店中の団子を全部食い尽くしたことがあると庄太郎さんが言っていたのを思い出した。

 何でもよく食べるが、特に甘いものが好きなのだと。


 人魚は、直前に食べたものの香りが体に残る。

 柿を食べれば柿の香りが、梅を食べれば梅の香りがする。

 私は翠の好物であろう団子を買いに行った。


「こういう珍しい菓子も売っているんだけど、ついでに一つどうだい?」


 その団子屋で勧められたのは、異国の大使から教えてもらったという、とても甘い香りのする菓子だった。

 私はそれも買って帰った。



 *



 どうせ一度死ぬなら、美味しく食べてもらおう。

 そう思って、風呂場に行った。


 水に浸かり、しばらく考えた。

 体を乗っ取る。

 そうすれば、私はあの人の一番になれる。

 今さら、私には帰る家も村もない。


 徒浜で人魚として一生を終えることは、もうない。

 戻りたくない。

 潮にも、母上にも、会いたいとは思えない。

 帰りたいとは思えない。


 それなら、進むしかない。

 私は、この家で一度死ぬ。

 喰い殺される。


 ――これは呪いだと言った人もいたね。


 ふと、村長が話していたことを思い出した。


 ――人魚の肉を食った人間は、どちらにしても呪われる。


 三つの選択肢。

 どれを選んだとしても、人間は不幸になるだけ。


 一つ目は、単純に死ぬ。その魂は、善人であれば輪廻の輪を通って新たな命としていつか生まれ変わる。悪人なら地獄行。


 二つ目は、死のうと思っても簡単には死ねない。不老長寿となったとしても、腹を切られれば痛いし、首を締められれば苦しい。長い間、なんども苦痛を味わう。


 三つ目は、魂の消滅。輪廻の輪をくぐることもできず、誰にも知られず、消える。人魚の毒が、知らないうちに全身をめぐり、本来の持ち主を消してしまう。



「どこまで本当なのかしら……」


 誰にも分らない。

 三つ目の選択を、実際にやった人魚を知らない。

 少し怖くもあった。

 でも、あの人と一番になるには、それしかない。



「――え……? どうして、人魚がここにいるの?」


 音もなく風呂場に入って来た女の顔をまじまじと見つめて、あの人によく似ていると思った。

 兄妹だもの、そうよね。


 予想より早く会ってしまった。

 私はまだ、団子を食べていない。

 甘い香りのする異国の菓子を少し食べただけだ。


 私を食べなさいなんて、いきなり言えるはずもなく、とりあえず他愛もない会話を続けた。


「……いっ!」


 会話なんて必要なかった。

 ぐうぐうと腹の虫を鳴かせていた翠は、耐え切れなくなったのだろう。

 涎を流して、私の腕に嚙みついた。


 この女は、私を兄の嫁としてではなく、はじめから食料として見ていた。






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