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人魚殺し  作者: 星来香文子
第三章 翠

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澪(四)


 そろそろ潮が戻って来る。

 宿屋と酒屋の両方が忙しくなる稼ぎ時だ。

 祭りが始まれば、屋台がいくつも並ぶ。

 そして、他の村や町から祭り目当てで徒浜にやって来る。


 母上がそれに合わせて潮と戻って来るのだろうと思っていた。

 以前も、治療のお礼に母上が医師を連れて村を案内することはよくあったし、ちょうど祭りの始まった日だった。


 私は忙しくなる前に買い出しに出て、帰ったらもう潮がいるかもしれないなと……少し憂鬱になった。

 こういう時は、気を紛らわすために海に入るのがいい。

 魚の姿に変身しなくても、このままの姿で頭まで海に浸かってしまえばいい。

 この天気なら、濡れてもすぐに乾いていしまう。


 そう思って、見ている人があまりいない場所を探しながら歩いていた。

 その時、見てしまった。

 潮と庄太郎さんが、二人で何か話しているところを。


 こちらに気づかれないように、すぐに物陰に隠れた。

 話している内容まではわからない。

 ただ、恐ろしくなった。


 ――また、奪われる。


 潮と庄太郎さんが二人でいるその様子が、あの最低な記憶と重なった。

 潮には、男の人に好かれやすい不思議な魅力がある。

 みんなそうだった。

 最初は私のことが好きだと、愛していると言った口で、潮に会った途端、変わってしまう。

 それだけは嫌。

 もう、そんなのは嫌だった。


 潮が庄太郎さんから離れたのを確認して、私はすぐに宿屋に戻った。

 潮が帰って来る。

 母上が近くにいる様子がなかったから、おそらく母上は医師と一緒にいるはず。

 夜には連れて戻ってくるはず。

 その前に、どうにかしなければならない。


「取引……」


 庄太郎さんは良い人だ。

 優しい人だ。

 それに、私は庄太郎さんがどうして人魚を捜しているか知っている。

 それなら……


 人魚の肉と引き換えに、この村を出よう。

 潮に奪われる前に、私が、私こそが人魚であると告白しよう。


 そうして、私は庄太郎さんに私の肉と引き換えに、私を連れて夫婦になるよう迫った。

 庄太郎さんはその取引に応じてくれて、私たちは太陽が完全に沈む前に荷物をまとめ、徒浜を抜け出した。



 *


 陸路では山で野宿になってしまう可能性があったから、小舟に乗って、まずは隣の村へ。

 山で一夜を過ごすより、浜辺にいた方が安全だった。

 庄太郎さんが、私が泳いでいる姿が見たいと言うので、海の中を泳いで見せる。

 私たち人魚は、数日に一度は全身を水につけなければ死んでしまう。

 人魚の肉を求めているその姫様がいる城まではかなり距離があるし、今浸かっておかなければ、次はいつになるかわからないし、ちょうどよかった。


 月明りの下、海を泳ぐ私を見て「綺麗だ」と言ってくれたあの人の目に、言葉に嘘も偽りもない。

 今は私を愛していなくてもいい。

 庄太郎さんは、恋だの愛だのとは無縁の人生だったと言っていた。

 妹を守るのに必死で、ただ知人に紹介された人と婚約まで行ったこともあったけれど、何がいけなかったのか別の男に取られたことがあったらしい。


 城までの道中、庄太郎さんの話を聞きながら、私はこの人も私と同じ経験をしているのだと思った。

 きっと、だからこんなにも惹かれるのだと。


 同じ傷を抱えている人。

 真面目で、優しくて、家族思いで、責任感のある人。


 姫様に小指を差し出して、庄太郎さんの妹・翠さんの命は助かった。

 人魚の肉が本当だったことをたいそう喜んだ姫様が、たんまりと報酬をくれて、それで庄太郎さんは家に大きな湯舟を作ってくれた。

 私が全身を水に浸かれるように。


 人魚は湯気が立つような暖かいお湯の中には入れないから、近くの川から引いた水をここに溜めて、私だけが入る。

 私だけのために用意された場所。


 徒浜では、いつも潮の為に用意されたものだけだった。

 潮のついでに用意されているおまけ。

 少しでもいいものは潮に、少しでも欠陥があれば私に。

 こんな風に、はじめから私の為だけに用意されたものを持つのは、初めてだった。


 幸せだった。

 庄太郎さんは優しいし、私と夫婦になろうと努力してくれているのが分かる。

 私のことを思って、色んなことをしてくれたし、作った料理も美味しいと食べてくれた。

 城で警護の仕事をしているから、帰って来る時間はその日によって違う。

 夜まで帰って来ない日もあれば、一日帰って来ない日もある。

 それでも、一緒に寝るようにしていた。


 たくさん話をして、たくさん触れ合って、夜をともにした。

 私はやっと幸せになれる。

 姫様の侍女として働いている翠さんが仕事を片付けてこの家に帰ってきたら、その時、正式に祝言を挙げる約束をしていた。

 もうすぐだなぁと思うと、なんだか眠れなくて、その夜、隣で眠っている庄之助さんの寝顔をじっと見つめる。


 額の傷なんて気にならなないくらい、整った綺麗な顔。

 普段は男らしくて、年上らしいけれど、こうして眠っている顔は、まるで子供みたいだなぁなんて、思っていた。


「……愛してる」


 庄太郎さんは寝言でそう言った。

 きっと、私の夢を見ているのだと嬉しくなった。


「翠――」


 別の女の名前を口にするまでは。



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